第16話 未だに薪割
「ちょ、ちょっと、大丈夫かい?」
「す、すみません……ちょっと足が……」
俺は慌てて立ち上がろうとしたが、足が痺れて上手く立てない。
それでもなんとか机に手をかけて立ち上がると、よろけながら窓を開けた。
「……」
窓を開けた瞬間、いつもより冷たい空気が、部屋の中へ入ってくる。
雨は既に止んでいて、空は月明かりの滲んだ雲が覆っていた。
「何回呼んでも返事がないから、倒れちゃったのかと思ったよ」
「そう…だったんですね……すみません」
俺の頭は、まだどこかぼーっとしていて、上手く状況を理解できない。
「体調が悪かったりしないかい?どこか痛んだり」
「いえ、大丈夫です。座りすぎで尻が痛いくらいで、他には何も……」
「何も?」
「……」
明らかに体の感覚が違った。
足を踏み出して歩くとき、窓に手をのばすとき、自分の体を触るときでさえも、自然と魔力が手や足に集まっていくのを感じる。
「――ステータス――」
俺は小さく呟くようにそう言うと、自分のスキルに目を疑った。
―――――――――――
魔力制御Lv2(282/500)
―――――――――――
魔力制御Lv2。
しかも、Lv3になるために必要なスキルExpが、既に半分を超えている。
この短時間で……いや、短時間ではないのか。
一日中、瞑想していたわけだから。
でも、なんでこんなに時間が経ってるんだ?
体感だと、一時間も経ってない。
それだけ集中していたってことか?
……いや、だとしても長すぎるよな。
瞑想の副次的な効果なのか……?
「アンタ……本当に大丈夫かい?」
「あ、すみません……大丈夫です。ちょっと魔力制御の練習をしていただけなので」
「魔力制御……?まぁ、アンタが大丈夫って言うならいいんだけど。でも、あんまり無理をしちゃだめだよ」
「はい、心配をかけてすみません」
「私は別にいいんだよ。夕食はどうする?まだ、残りがあるけど」
「あ、いただきます……」
―――――――――
夜明け前。
空はまだ灰色がかった青に染まり、遠くの森の輪郭がぼんやりと浮かび上がっている。
屋根にはまだ雨粒が残り、朝の澄んだ風が吹くたびにぽたりと落ちた。
「……」
俺は、起きて早々、ベッドの上で瞑想を始めていた。
寝る時間も遅く、起きた時間も早いはずなのに、不思議と眠気が全く無い。
そんなことより、少しでも『魔力制御』の練習をしたくてたまらない。
成長していくことの喜びを、久しぶりに実感できているからだろう。
それに、ステータスと通して、自分の成長を数値化して見れるというのも大きい。
ただ、昨日の二の前になって、おばさんに心配をかけるわけにはいかない。
俺は瞑想法を一セット終えるたびに、横目で窓の外を確認していた。
「……そろそろ行くか」
日が昇り切った頃、俺は瞑想を中断し、身支度を始めた。
今日は、夕方からラフタスさんとの約束があるが、その前に薪割りをしておかないといけない。
ラフタスさんから言われた期限まで、もう四日。
それなのに、丸太はまだ半分ほど残っている。
今日からでもペースを上げていかないと間に合わない。
「はぁ……」
異世界に来て一週間も経つのに、なんで薪割りのことなんて考えないといけないんだ。
やっと、これから楽しくなりそうって時に……まぁ、そんなこと言ってもしょうがない。
俺は一階に下り、一人朝食を食べ終えると、薪を割りに森へ向かった。
―――――――――
「ぽたっ……」
昨日の雨が残した雫が、葉の先からぽたりと落ちるたび、静かな森の中に小さな音が響いた。
空気はひんやりとしていて、森の奥へと踏み入るたび、靴底に絡む湿った土が重く感じられる。
何度も通った道のはずなのに、匂いや音、景色までもがいつもと違い、まるで別の森に迷い込んだような気分だった。
木こり小屋が見えると、薄っすらと感じていた不安が消え、思わず安堵の息が漏れた。
扉を開けると、湿った木の匂いが鼻をかすめる。
小屋の中にある斧を手に取ると、柄は微かに冷たく、湿っている。
準備を終えた俺は、少しだけ肩を回し、深呼吸をしてから、気合を入れ、最初の一撃を打ち下ろした……しかし、
「はぁ……はぁ……」
十分もしないうちに、息が切れた。
雨が降ったせいで、丸太が水分を吸収している。
そのせいで繊維がふやけてしまい、刃も入りにくいし、引き抜くのも一苦労だ。
一休みしようと、近くの切り株に腰を下ろそうとしたが、切り株は湿っていて、座って休むことすらできない。
俺は仕方がなく、斧を地面に突き、杖代わりにして体を支えながら、その場にしゃがみ込んだ。
「今日はやめるか……?いや」
一日に薪割ができる時間は、体力的に限られている。
だから、今日のうちからある程度やっておかないとキツイ。
そもそも、残りの丸太を全部薪にするのも間に合うかわからないのに、ポーション作成と薬草採取もしないといけない。
この村を離れたら、いつ錬金術作業台に触れるか分からないしな。
それに、ラフタスさんとも新しく、魔石を貰う代わりに毎日三時間何かをするっていう約束もしたし。
たぶん、魔力制御の練習だと思うけど……。
くそ、タスクが多すぎる。
いっそのこと、もう少しこの村に居るか?
いや、でもそうしたら次はもう二週間後…………、
「ん……?」
俺の視線は、自然と目の前の斧へと移った。
魔力って……そもそも武器に纏って強化するものだよな。
だったら、この斧に魔力を纏わせれば、簡単に薪を割れるようになるんじゃないか?
しかも、それなら薪割と、魔力制御の練習、二つのタスクを同時に進められる。
天才……いや、普通のことだな。
逆に、何でこんな簡単なことに気が付かなかったんだ。
俺は立ち上がり、斧を両手で握り直すと、その刃をじっと見つめた。
やがて、体を覆う魔力がゆっくりと姿を現す。
だが、その流れは手元でせき止められ、斧へと纏わせるには至っていない。
俺は目を瞑り、深く呼吸をする。
瞑想をするときのように、魔力の流れを意識。
そして、それを自分の中心へ集め……右肩……右腕……そして右手から斧へ。
少しずつ、少しずつ、刃に向けて魔力を流し込む………
「っはぁ……ダメか」
魔力は確かに、俺の体から柄へと流れた。
しかし、刃に届くことなく、長い柄を覆うだけだった。
武器に魔力を纏わせ強化するには、一定量の魔力量が必要になってくる。
そして、その魔力量は『魔力制御』のスキルレベル、武器のタイプ、攻撃力、性能など様々な要素によって変わってくる。
俺は一度、斧を置くと、ポーチからナイフを取り出した。
例えば、このナイフ。
『オラトリアム・オンライン』では、武器のタイプは小型、中型、大型、特大に分けられ、このナイフは小型に分類される。
そして、攻撃力は限りなく低い。
また、品質も普通程度で、ランクも低いため……
―――ナイフに魔力を流すと、ナイフ全体が灰色の煙のような魔力を纏った。
こんな風に、今の俺でも容易に魔力を纏わせることができる。
だが、この斧は、品質とランクはナイフと同程度でも、大きさと攻撃力が上のため、今の俺の魔力量では、魔力を纏わせることができない。
なら、どうすればいいか。
答えは簡単だ。
魔力量と『魔力制御』のレベルを上げればいい。
可能性は低いが、まずは簡単に上げられる魔力量から。
魔力量は、種族レベルを上げることで増えていく。
「――ステータス――」
喰代コウタ(18) Exp:592
人間:Lv1
旅人:Lv1
HP:100/100
SP:50/50
MP:10/10
武器:ナイフ
防具:薄茶色のチェニック
:黒色のホーズ
:皮のブーツ
:小さなポーチ
:猟師のフード
[スキル]
[パラメーター]
溜まっているメインExpは592。
何か目標ができたときに決めようと溜めていたけど……まさか薪を割るために使うことになるとはな。
まぁ、どっちにしろ『旅人』の仕様上、職業レベルを上げるメリットも、そんなに無いしな。
俺は、ステータスウィンドウの『人間Lv1』をタップし、全てのメインExpを消費し、種族レベルを4まで上げた。
……一応、試してみるか。
俺は、再び斧を持ち、目を瞑りながら自分の魔力を流し込んだ。
「……」
分かってはいたけど、何にも変わらない。
さっきと全く一緒……いや、もしかしたら数ミリ刃に近づいてる……かもな。
まぁ、Lv1からLv4なんて誤差みたいなものだからな。
ただ、可能性が高いのは魔力制御のレベル上げだ。
魔力制御のレベルを上げれば、武器を魔力で強化するために必要な魔力量を下げることができる。
幸い、今朝瞑想したおかげで、あと一時間も瞑想すればスキルレベルが上がるだろう。
ただ、問題はどこで瞑想をするか。
地面や切り株の上は濡れてるし、小屋の中は大量の薪のせいで俺が腰を下ろすスペースはおろか、足場すらほとんど無い。
宿屋に帰って、また戻ってくるのもめんどくさいしな……。
仕方がなく、俺は立ちながら小屋の外壁に背中を預けた。
今この場所で出来るだけ体の力を抜くためにはこうするしかない。
背中には板壁の微かな湿り気が伝わってくるが、切り株に座るよりはずっとマシだ。
「……」
目を瞑ると、木々から雫が落ちる雨音や、鳥のさえずりがより鮮明に聞こえてくる。
しかし、さらに魔力の流れに集中すると、それらも一切聞こえなくなった。
姿勢が違っていてもやることは変わらない。
全身から魔力を集めて……さらに凝縮。
それを、左腕に……ゆっくりと、ゆっくりと。
次に左足、そして右足、右手と一周させ……一気に解放。
「……」
魔力を集めて……凝縮。
それを、左腕に……そして左足……右手……。
「……」
魔力を集めて……凝縮。
左腕から……左足―――
「バキッ!!」
突然、静寂を引き裂くような音があたりに響いた。
「―――ッ!?」
その音のあまりの大きさに、瞑想していた俺の体は反射的にビクっと小さく跳ね、一瞬にして意識が戻された。
俺は咄嗟に脇に立てかけていた斧を手に取る。
そして辺りを見渡すと、
―――森の奥に一体のベルクが立っていた
ベルクが長く伸びた頭をゆっくりと動かす。
次の瞬間、俺と目が合った。
背筋が凍る。
数十メートルは離れているはずなのに、その巨体が放つ圧は距離を感じさせず、あの時の恐怖と共に俺に押し寄せてきた。
冷汗が頬をつたり、呼吸が浅くなる。
心臓は音を立てながら鼓動している。
それでも、俺は斧をベルクに向けて構え、目を離さずに睨みつけていた。
そして、少しずつ小屋のドアへと近づく。
できるだけ相手を刺激しないように、少しずつ…少しずつ……。
しかし、ベルクはそんな俺を気に留めることもなく、のそのそと歩きながら、再び森の奥へと帰っていった。
ベルクの姿が完全に見えなくなると、俺は全身の力が抜けたように、後ろの壁にもたれた。
「はぁ……」
息が荒い。
ベルクの姿は既に見えないはずなのに、その場には微かに恐怖の残り香が漂っている。
やっぱり、瞑想は自分の部屋でやらないとダメだな。
俺は壁にもたれたまま、両手で斧を構え直した。
「とりあえず、今日のところは宿屋に戻る必要はなさそうだけど……」
―――目の前の斧の刃には、確かに灰色の魔力が纏っていた




