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夕暮れ時の中庭は静まり返り、わずかに揺れる木々の葉が、暖かな日差しを受けて金色に輝いていた。
私は洗濯物を取り込み終え、他の使用人たちと共に館へ撤収しようとしていると、その背後から小さく声をかけられた。
「よぉ、そこのメイドさん。ちぃとばかしいいか?」
振り返ると、そこにはファルーロウ様が立っていた。浅黒い肌に長身で細身ながらも引き締まった体躯、使用人仲間の間でもかなり人気がある。
人目につくと面倒だと思ったが、幸い他の使用人達には気付かれていないようだった。私は見つからぬようそっと抜け出した。
「私に何か御用ですか? ファルーロウ様」
どこか気さくな雰囲気を漂わせながらも、その鋭い目つきは油断のない男のそれだ。
抜き身の刃を連想するので、私は彼が少し苦手だったりする。
「いや、ちょっと気になっただけさ。一緒に散歩でもどうだい?」
「仕事中ですので」
「つれないこと言うなよォ。伯爵サマにゃあんなに気さくに話してたじゃねぇか」
壁に肘をついて、ファルーロウ様が私を見下ろしてくる。
やっぱり立ち聞きしていやがったか、と内心舌打ちする。
ファルーロウ様は周囲を見回して誰もいないことを確認する。
「ここの空気は硬っ苦しくっていけねぇや。どいつもこいつも頭でっかちで冗談も通じやしねぇ。居心地悪いとは思わねーのか?」
「あら、もしかして私を連れ出そうとしてくださっています?」
お求めならばと私も猫を被るのをやめた。
すると彼は少し意外そうな顔をした後、ニヤリと笑った。
「そりゃあアンタが望むならそうしてやってもいいがね」
「遠慮します。私が稼がないと家が没落しそうなので」
「は? マジ?」
「マジです」
私の実家、オラリア家は男爵の爵位を持つがこれは貴族の中でも最下位。領地を持たない名誉貴族だ。名誉とは聞こえが良いが要するに名ばかりの貴族であり、その実態は庶民とそう変わらない。
見栄に金を使う分、むしろ生活は貧しいぐらいだ。
「なら、さっさと伯爵サマをたらし込んで玉の輿に乗った方が早くね?」
「嫌ですよ。なんで私が旦那様を口説かなきゃならないんですか」
伯爵家に嫁ぐなど真っ平ごめんだ。面倒事しかないではないか。
「金もある、地位もある。性格はともかく顔は良い方だろう。女なら結構理想的なんじゃねーの?」
「私の理想は、笑顔溢れる仲睦まじい家庭です。氷伯爵には無理ですよ」
大真面目に返すと、ファルーロウ様は破顔した。
「なるほど。アンタ、本当に伯爵サマは眼中にないんだな?」
「最初からそう申し上げております」
「だが信じてないヤツは多いぜ。アンタがあの氷伯爵の懐に上手く入りこんだって話は、アンタが思っている以上に広まっている」
マジか。
傭兵界隈の特殊な情報網を持っているはずのファルーロウ様がそう言うのならば間違いないのだろう。
「俺ぁ、アンタがスパイの可能性も疑ってたんだが、アンタ側にそういう気配がないからなぁ。伯爵サマがゾッコンなだけか」
「その話、旦那様はご存知ですの?」
「どうだかな」
少なくともファルーロウ様は報告していないようだ。
私は辟易する。だから嫌だったのだ。呼び出されれば使用人の身だ、応じるしかないとしても頻繁に二人きりになるなど厄介事にしかならない。
「今まで一切の隙を見せなかった氷伯爵が、一人の女に夢中になっている、なんて話が貴族社会で広まったらどうなるだろうな?」
決まっている。スキャンダルが大好きなピラニア共は喜んで群がってくるだろう。
そしてピラニア共の影から喉笛を狙ったハイエナが目を光らせるのだ。
「警告、ですか?」
そうなる前に、騒動の種を主人から遠ざけるのは当然のことだ。
職を辞しろと言われても仕方がない。あぁいや、今のアズベルトが自分を素直に手放してくれるといいのだが。あいつ結構諦め悪いからなぁ。
「身の回りに注意してろって言ってンだよ。しばらく一人で行動するな。今のアンタには狙われる理由がある」
まさかの善意の注意喚起だった。
口止めに金銭を要求されるかもしれないと覚悟していた私は、存外大真面目な顔を向けられてさすがに軽口を慎んだ。
「実家は護衛を雇ってンのか?」
「ち、父の旧友のよしみの用心棒が一人だけですわ」
「チッ。伯爵サマはちゃんと手ェ回してんだろうな」
「実家にそれとなく注意するよう手紙を書いておきます。お心遣いに感謝を」
スカートをつまんでお辞儀をする。貴族式の感謝の表現だ。
「では、私からも一つ忠言を。ここの庭は旦那様の執務室の窓からよく見える場所ですの。逢い引きには向きませんわ」
「……は?」
慌ててファルーロウ様が上を見上げ、「げっ」と声を上げる。
どうやら冷たく刺す視線と目が合ったらしい。
ファルーロウ様の反応を見て、嫌な予感がしていたがやっぱりかと私は空を仰いだ。今から逃げても良いだろうかと思ったが、「何をしているんだ、ファルーロウ!!!」と庭先を走ってくるノーマン様を見つけて観念する。
「無罪の証言はいたしますからご安心くださいまし」
青ざめる顔の下、壁に追いやられずっと壁ドンされた状態のままで話していた私は、これからやってくる嵐を思って頭を押さえた。