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「あ〜つまんねぇ」
「口を閉じろ、ファルーロウ」
普段から静まり返っているルドヴァンス家の廊下に、悪態はよく響く。
だが気にした様子もなく、だってよぉ、と不満をデカデカと貼り付けながら浅黒い肌の男は文句を漏らした。
「金を弾むって聞いたから志願したんだぞ。遊びに出れねぇんなら金があったって意味がねぇだろ!」
ファルーロウはまだ若いながらも実力だけでのし上がった傭兵だ。まだ名は世間に知られていないが、戦況を見る目と腕っぷしを買われてルドヴァンス家のお抱え騎士達の教育役として雇われた。
契約期間の一月も経っていないが、この調子であればすぐに打ち切ってこの地を去るだろう。
流れ者が町で治安を乱すことがあってはならないと行動を制限されるのが、ファルーロウには気に食わないのだ。
それも仕方がないとフレデリク・ノーマンは思う。
ルドヴァンス家は厳格な家だ。他の貴族の家では珍しいほど、兵舎が大きく充実している。その代わりに町へ下りることはよほどの用事がなければ許されない。
人の出入りを制限することで、間諜や侵入者を防いでいる。
だが、働く者たちにも家族がいる。厳しい規則に耐えられず、辞めたがる者が多いのも事実だ。長く続くのは事情を抱える者たちばかりだ。
「そういえば聞いたか、ノーマンよぉ」
あくびを噛み殺していたファルーロウが、ふと思い出したように話し出す。
「こないだ、執務室にスパイが入り込んだって話だぞ」
「なんだと!?」
「マジマジ。なんだ、本当に知らねぇのかよ。メイドさん達がみんな噂してるぜ」
冷や水をかけられた気分だ。
使用人や余所者のファルーロウが知っていることを、なぜルドヴァンス家の武官長である自分が知らないのか。
「ほんっとルドヴァンスの連中は堅物ばかりだな。女遊び一つもしないのか」
「待て。お前まさか、使用人に手を出したのか?」
「はぁー?情報収集は基本だろぉが。メイドさん達とナカヨクして何が悪いってんだ。心配しなくても、その気のない奴には声をかけちゃいねぇよ」
ノーマンは騎士の家の出身、もともと貴族の生まれだ。根から庶民感覚のファルーロウとではそもそも考え方が違う。多少のやんちゃぐらいは許すつもりだった。
だが、ファルーロウの女遊びを看過するのは別の問題だ。ルドヴァンスの品位を落とし、秩序を乱す行為である。
これは苦言を呈さねばならぬ、なんなら懲罰を与えねば他の者達に示しがつかない、そう思って口を開きかけるのを「なに勘違いしてやがる」とファルーロウが遮る。
「さすがに伯爵家の所有物に手ェ出すほど見境なしじゃねぇーよ」
チロリと赤い舌を見せるファルーロウに、ノーマンはようやく自分がからかわれていたことに気が付く。
悪態をつきそうになるのを堪える。
ファルーロウは確かに腕が立つ。だがこの男のジョークにはついていけないところがある。
自分はまだ良い。
厳しく自分を律しておられる主人には冗談でしたなど通用しないだろう。
「間違っても、アズベルト様の前でそのような軽口を叩くなよ」
「へいへい」
間諜の話が公になっていないということは、箝口令が敷かれたはずだ。にも関わらずファルーロウに喋った使用人がいると知ればアズベルトは厳しく追及するだろう。
ファルーロウもその点は分かっているはずだ。彼の言う「ナカヨク」しているメイドに迷惑をかけたい訳ではあるまい。
「それにしたって、ノーマンの旦那にすら耳に入れないたぁ、マジで伯爵様は人間不信なんだな。普通、護衛を担当する武官には話すだろ」
ファルーロウは心底不思議そうだった。
その純粋な疑問が、ノーマンには突き刺さる。
長く勤めているノーマンですら、アズベルトの信頼を得ることができていないのだ。屋敷の見回りやアズベルトの身辺の警護はノーマンが総責任者であるが、そのノーマンにすら情報共有がなされない。
通常ならば、箝口令があれども関係者には伝達がいくはずだ。他にも間諜がいないか調べるためにも、屋敷の防衛を強化する必要がある。
だが実際は、その必要がないと判断したのかアズベルトからの命令どころか事態の共有すらされなかった。
何か事情があるのかもしれない。あの思慮深いアズベルトのことだ、あえて伏せている可能性もある。
そう考えもするが、一方で、そんなにも自分たちは頼りないかと不甲斐なさを覚える。
本日はノーマンとファルーロウの二人がアズベルトの執務室に呼ばれたが、執務室への侵入からすでに数日が経過している今、事態への対処というよりすでに解決した件の後始末を命じられるのではないだろうか。あの主人ならあり得てしまう。
そうやってこれまでも、全て自分一人で解決してこられたお人だ。
長年仕えてきたと言いながら、担っている仕事は新参のファルーロウとそう変わらない。
(評価されずとも良い、あの方をせめて一人にせぬように……そう願ってきた。それでいいではないか)
胸中に浮かんだ寂しさを打ち消す。
自分はルドヴァンスの盾だ。それ以上でもそれ以下でもない。主人に使い捨てられるならば本望だ。
アズベルトの執務室に到着し、扉をノックしようと腕を振り上げた時。
「だから、なぜお前はそう勝手なことばかりするんだ!?」
未だかつて聞いたことがないほど荒げるアズベルトの声が扉の向こうから飛び出してきた。
●●●
私は首を傾げた。
何を言っているのか分からない。
「なぜとは?」
「とぼけるな。お前が厨房長と結託しているのは知っているんだ」
急に呼び出されたと思えば、そんなことかと私は笑った。
「旦那様もお誕生日祝いに参加したいのでしたらそう仰ってくださったらよろしいのに」
「〜っ!」
アズベルトが頭を掻きむしる。
ルドヴァンス家の厨房長であるぽっちゃりお爺ちゃんは大層喜んで賛同してくれた。今はせっせとバースデーケーキの準備に勤しんでいる。
「ちなみに使用人同士で誕生日祝いは昔からしていましてよ」
「なっ!?」
「町に行けませんから、プレゼントを贈るとはいきませんが」
大っぴらに祝うと浮ついていると言われかねないので、手の空いている者で厨房を借りてお菓子を作り、皆で集まって食べながら祝いの言葉を交わす。ささやかな誕生日会だが、ここへ来て初めて祝ってもらったと涙を流す子もいた。今では欠かせない大事なイベントだ。
少し気まずそうに目を逸らすアズベルト。使用人の誕生日など気にもしたことがなかったのだろう。
私はこれ見よがしに物憂げにため息をついてみせる。
「旦那様からも祝いの一言でもございましたら我々使用人は皆奮起致しますのに。それどころか勝手なこととは酷くありません?」
「……主人を差し置いて、そのような催しをするなと言っているんだ。せめて誰かから一言あるべきではないのか」
「『お誕生日会をするから大広間をお貸しください』と?逆に聞きますけど、誰が氷伯爵にそんな奏上ができたと思います?」
無理だ。
使用人達は皆、アズベルトを恐れている。誰が虎の尾をわざわざ踏みに行くものか。
「あらあら、もしかして旦那様。自分だけ除け者にされていたと知って、ちょっと拗ねておられます?」
「ば、馬鹿なことを!」
図星らしい。
わずかに語調が揺れている。分かりやすい。
「今回は古株のノーマン様のお祝いですもの。旦那様からもたまには労って差し上げてくださいな。きっと喜びましょう」
「む……」
我々が安全に職務に励めるのは、ノーマン様が普段から目を光らせ屋敷の安全を確保してくれているおかげだ。ここで働いている者は皆、彼に感謝している。
「あと、連日のように私を執務室に呼び出すのは控えてくださませ」
「だ、ダメか?」
「周囲をごまかすのが面倒です」
あれからアズベルトから度々大した用事もないのに執務室に呼びつけられる。
主人に気に入られて重用されているぐらいならよくあることだが。
「執務室で、男女二人っきり。何もなくても噂が立ちます。聡明な旦那様ならご理解いただけると思いますが?」
「うっ」
「そういう関係なのかと何人から聞かれたと思います?旦那様の結婚に差し障りがあると困りますのでやめてください」
アズベルトに呼ばれるたびにあがる周囲からの黄色い悲鳴にはそろそろ飽き飽きだ。
「……私は、結婚する気はない」
「伯爵家の当主に許される訳ないでしょう」
貴族家に生まれたからには血統を繋ぐ使命がある。結婚もせず子も産まないなど王が許さない。
というか、ぐずぐずしていると王から無理やり相手を当てがわれる気がする。
「結婚については一旦置きましょう。呼ぶなとは言いません。せめて、誰かもう一人を同席させてください。旦那様が護衛一人ぐらい付けたって不自然ではないでしょう?」
むしろ、当主本人が帯剣して一人屋敷をうろついている方がおかしい。この機会に従者か護衛ぐらい付けて欲しい。
だがアズベルトは気が進まないようだった。
「……私は、お前と二人きりで話がしたい」
「口説き文句(笑)」
やめて、腹筋がつる!
不敬を承知で口を押さえて顔を背ける。それでも堪えきれずに肩が震えた。
アズベルトが大真面目な顔で言うものだから余計に面白い。首を傾げないで、声が漏れる!
そういう言葉は将来の奥様にかけてあげて欲しい、と切に思った。
何度も咳払いしてから、私は背筋を伸ばした。
「旦那様に護衛を付けてくださらないなら、私は今後旦那様の呼び出しには応じません」
毅然と言い渡す。
はっきり言っておかないと、アズベルトは行いを改めてはくれないだろう。
アズベルトはひどく傷付いた顔をしていた。
「……分かった。前向きに、検討しよう」
「ご理解いただけてようございました」
話がついたようなので、私はそろそろお暇することにする。
「待て」
「まだ何か」
そろそろ仕事があるので解放して欲しい。というか、アズベルトも忙しいはずなのだがどうやって時間を捻出しているのだろう。
逡巡の後、アズベルトは思い切った様子で口を開く。
「その、お前の誕生日はいつだ?」
驚いた。祝ってくれる気はあるらしい。
「三月後の花の日ですわ」
「そ、そうか」
私の誕生日を何度も口の中で繰り返しているのが可笑しくて、ついつい噴き出してしまった。
「期待しておきますわね?」
冗談で付け加えて、返事も待たずに部屋を出た。心配性の主人のために扉をしっかりと閉める。
「あら」
「……」
ノーマン様と目が合った。
廊下で固まっている。どうやら先客がいると気付いて待っていてくださったようだ。
その隣では、使用人の間では大人気のファルーロウ様が突っ伏して声を潜めて大笑いしておられる。
私は使用人らしく廊下の隅に立って頭を下げた。
「失礼致しました。旦那様にご用事でしたか」
「あ、あぁ」
ぎこちなくノーマン様が首肯する。
部屋の中の会話に耳を澄ませて聞いていたのかも知れない。執務室は多少の防音性はあるが、扉に耳をピッタリ当てれば聞こえなくはないだろう。
下町育ちのファルーロウ様はともかく、ノーマン様がまさかそんなはしたない真似をしていたとは思えないが。
早く執務室をノックすればいいのに、ノーマン様は部屋の前で突っ立っている。
「……つかぬことをお聞きするが」
ノーマン様は声を潜めて私に声をかけた。
これはノーマン様推しの侍女長に悔しがられるな、と思いながら次の言葉を待つ。
「アズベルト様は、いつも貴女の前ではあのような振る舞いなのだろうか……?」
聞いてたのかよ!
胸中で突っ込みつつ表に出さぬように頭を上げ、ニッコリと笑って見せた。
「聞かなかったことにしてくださいましね?」
秘密にされていた自分の誕生日会の開催を事前に知ってしまった気まずさもあろう。そこは申し訳ないがこちらとしても予想外だったので、ぜひ知らないフリをして祝われてほしい。
「その、無粋ではあるが、まさかアズベルト様と恋仲に……?」
「あ・り・え・ま・せ・ん」
腹に力を込めて否定しておく。
アズベルトの名誉のためにもだ。彼の婚期が本当に心配である。
「少々素直でない猫がたまたま懐いただけですわ」
「猫……」
「急ぎますので」
これで、としっかり礼をしてその場を立ち去る。
「俺、伯爵サマに同情するわぁ〜」
背後からなにやらファルーロウ様の呟きが聞こえた気がするが気のせいだろう。
アズベルトと私との間には本当に何もないのだから。