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私は猫  作者: 原口光陽
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第六話 猫のユートピア

 歩くこと数分。石垣に囲まれた、緑の草原に出た。とても見晴らしがいい。


「ここから向こうが猫のユートピアさ。やっと着いたぞ」


 ニトランは穏やかな顔をして言った。


「そうなのね。ここか。ここが猫のユートピア。理想の土地に来られてよかったわ」


 草原の向こうには、低い石垣で囲まれた広大な場所があった。そこに、いろいろな建築物が建ち並んでいた。

 入口の両側には、神社の狛犬のように二体の招き猫の石像が置いてある。ニトランはそれを足でさし、説明を加えた。


「招き猫は、猫世界の平和のシンボル。猫のユートピアに出入りする時は、いつもここを通ることになる。だから、この招き猫の像を目印にするといい」


「分かったわ。猫世界の平和のシンボルね。やっぱり福を招いているのかしら」


 ニトランが先を行き、ステラは招き猫を横目で見ながら通り過ぎた。

 中に入った。はじめて猫のユートピアに足を踏み入れたステラは、ユートピアにあるものを丁寧に眺めた。

 猫の背丈に合った家々と色とりどりの屋根瓦。物見やぐらが立ち、その上には風見鶏がくるくると回っている。大理石でできたギリシャ風の神殿と幅広の階段。神殿の前にある広場と噴水と裸婦の彫刻。せせらぎとそれに架かる丸太橋。こんもりとした丘とそこを上るための土の階段。丘の前には、一面に広がる青々とした芝生。芝生のところどころに生い茂る雑草。とりわけ、ペンペン草や猫じゃらしが多いように見受けられる。じゃれて転がすのにちょうど手頃な、丸い球体が二つ、三つ。そして、そこいら中にいるおびただしい数の猫たち。我が物顔で寝そべったり、すまし顔で闊歩したりしている。


「うわぁ。まさに猫のユートピアね。想像を絶する。いいわー」


 ステラは目を輝かせた。


「ステラ。きょうは猫のユートピアでゆっくりと過ごすがいい。ここに来た初日だ。まず、環境に慣れることからだな」


 ニトランは芝生で体を丸め、そう言った。

 ステラはさっそく芝生の上を歩いた。草のクッションが柔らかくて足に心地よい。踏みしめると抜群の弾力で肉球がくすぐったくなる。猫に変化した特権だと思った。

 川岸に行ってみた。川原に茂るペンペン草を前足で軽く引き倒してみる。草の茎が簡単にしなり、元に戻るのが面白い。人間ならば子どもしかやらないようなたわいのない遊びだが、猫の立場でやるとなぜだか快い気分になれるのが不思議だ。ペンペン草の遊びに飽きると、今度はお待ちかねの猫じゃらしの出番だ。まさに名前通りであり、この草の先端はふさふさした特有の形で、猫にじゃれてもらうために作られた穂といってもよい。おりからの風にそよぐ「ふさふさした穂」を前足で引き寄せると、触れた部分の感触は極上で、まことに天使の羽のように優しい。思わず目がにやける。天然のふわふわした触り心地は、時を忘れて戯れるのに適した自然の遊具であろう。あっちこっちの猫じゃらしを片っ端から揺さぶり、穂を足でつまんだり、放したり、形を「U」の字に曲げたりした。本当に楽しくてしょうがない。ステラは、猫本来の奔放さと野性味と醍醐味に心を躍らせ、浮かれ、満喫した。

 この地には、恐い犬や危険なヘビなどはどこにもいない。とても居心地がいい。

 しばらくすると、風に吹かれ、ゴロゴロとボールが向こうから転がってきた。猫の体よりも少し大きいボールである。その上に乗ろうと足をかけ、ボールは地面を転がる。ボールを押す恰好で、それを追いかけた。ボールはしばらく転がり、せせらぎの前まで来て止まった。

 ちょうどお腹もすいており、ステラはミャアと鳴いて舌なめずりをした。頃合いを見計らったように、小魚が泳ぐ姿が目に入った。午後の太陽に照らされ、きれいな銀やピンク色に輝く鱗が猫の本能を呼び覚ます。ステラはせせらぎのほとりで待ちかまえた。魚の泳ぐ様子を見守り、その動きを目で追う。えいやとばかりに川に入った。バシャバシャと前足で魚を追い込み、一匹を浅瀬で押さえ込んだ。どこで教わったわけでもないのに、猫はこのようにして餌を捕獲するのだと思った。猫の初日にしてはまずまずの狩りである。俊敏な猫の動きでもって魚をしとめ、口にくわえて水辺から離れた。

 芝生まで来た。他の猫に横取りされないように注意を払いつつ、ゆっくりと魚を咀嚼した。半分ほど食べ、腹がふくれた。そのままにしておいてもよかったが、他の猫に食べられるのはしゃくだった。

 食べさしの魚を再び口にくわえ、てくてく歩いた。芝生の角にある土管の前まで来た。横倒しになった筒の中に入り、ひんやりとした管の中に半分にちぎれた魚を置いた。ここの中まで入ってくる猫はいないだろうという推測に基づいての行動である。腹のちぎれた生魚の匂いをかぎ、足で切り口をちょんちょんと小突いた。新鮮な魚がこんなにおいしいなんて、猫冥利に尽きる。セイナの時には、魚の刺身はそれほど好きではなかった。どちらかというと、寿司のネタとしての方が好みだった。今はその好みとは異なっている。血生臭さや風味、食感。どれをとっても、猫としての食し方に軍配が上がる。

 土管の暗さに慣れたら、また外に出たくなった。ユートピアを出ると、もしかしたら人間がいて、塀の上に逃げたり、車の下や側溝の中に身をひそめたりしている方が安全上はいいのかもしれない。その点、ここは猫しかいない楽園である。猫のワンダーランドという気もする。人間を意識する必要はどこにもないし、隠れる場所をいちいち探さなくてもいっこうに気にならない。外に出た。まぶしい陽射しを体いっぱいに浴び、芝生の上で心ゆくまで寝そべり、転がり、走り回れた。

 走るのに飽きてきた。行ってみたい場所へ行こうと、移動を開始した。

 神殿に興味をひかれたので、そばまで歩いた。

 神殿に着いた。

 圧倒的な大きさに驚いた。人間である時に世界史の教科書で見た古代ギリシャ風の、大理石でできた神殿。それがどーんとかまえている。一つひとつの石材は大きく、がっしりとしている。長年の雨風に負けずに耐えてきたようで、古さと風格が漂っている。大きくて高い柱は土台から何本もそそり立ち、太くて水平な梁と屋根の一部をしっかりと受け止めている。神殿の前面には幅広の階段――テレビで見た、宝塚歌劇団の舞台に出てくるような階段――があり、そこに無数の猫たちがびっしりと埋め尽くすようにして寝そべっていた。神殿の階段に寝そべってみたかったが、指定席であるかのように陣取る猫たちがいた。その猫たちをよけて上がるのが少し億劫だった。今日は遠慮することにした。

 その代わりといっては何だが、神殿から離れ、猫の家がひしめく界隈に足を伸ばした。

 家の屋根を見た。いくつかの屋根には猫がいない。適当と思われる家の屋根に飛び乗った。日光で温まった屋根瓦の上で、心おきなくうたた寝をした。

 うたた寝から目覚めると、日没が近づいていた。ステラはとことこ歩き、大きな塔の前に来て見上げた。


「何かのやぐらみたいだわ。物見やぐらというヤツかしら」


 名前などどうだっていい。トントンとやぐらを上り、てっぺんまで辿り着いた。そこから見た景色の壮観たるや、最高だった。丘や神殿が夕陽に輝く。せせらぎが水面をきらきらさせて光りながら流れて行く。丸太橋を渡る猫がいて、丘を下る猫もいる。芝生に一陣の風が吹き、カーテンを引くようにして草を倒す。倒れた部分と倒れてない部分がきれいに濃淡で色分けされる。すべての光景を見渡せるやぐらで、猫世界の夢のような一日は、夜の世界へ向かおうとしていた。

 日が沈み、涼しい風がザワザワと音を立てて吹き渡る。風の冷たさを毛で感じながら、人間だったら人恋しい、猫である今は同類が恋しくなるような寂しさを感じた。家で飼っていた黒猫も、夕方になると甘えてくる時があった。

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