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美少女名探偵☆雪獅子炎華 (9)ジェボーダンの槍

作者: 夢穂六沙

   ☆1☆


 過疎化の進んだ辺鄙で寂しい路地裏を我輩と炎華が進む。

 かつては人で溢れた石畳も今は色褪せ、あちこちに古傷が目立つ。

 ひっそりとした街並みを我輩が首をすくめて見上げると、古風な洋館の数々が、買い手も付かずに放置され、荒廃の一途を辿っている。

 突然、凄まじい轟音が鉛色の空に響き渡る。

 ゆっくりと灰色の戦闘機が飛び去る。

 戦闘機による昼夜を問わない連日連夜の飛行訓練、鼓膜が破れんばかりの耳障りな金属性の轟音、それらも過疎化の原因の一つである。

 が、最大の理由は、この街の目と鼻の先にある普天間基地である。

 当初、軍は数年後、辺野古基地が完成したら、普天間基地を放棄して辺野古基地へ移転すると、街の住民に説明した。

 が、辺野古基地が完成した今となっても移転する気配は無く、普天間基地はそのまま居座り続けている。

 軍隊とは、詐欺師か犯罪者の集団のような物である。

 住民は実質的な基地の増設に反対するも、悪名高い自公党が強硬採決で成立させた、改正テロ等準備罪、いわゆる共謀罪で逮捕され、時の独裁者、暗倍首相の命令により、激しい拷問のすえ獄死した。

 それはともかく、我輩と炎華がその過疎化の進んだ路地をさらに進むと、改修工事の途中で中断した半壊状態の屋敷に出くわす。

 積み上げられた鉄パイプは無残に崩れ落ち、目も当てられない有様だ。

 その半壊した屋敷の向かい側に、一際大きなゴシック建築の洋館が、圧倒的な存在感を示して建つ。

 屋敷の周囲は槍のような高い鉄柵が並び、鉄柵から一メートルほど離れた屋敷の壁に高い窓が見える。

 その窓の周辺に濃い緑色の蔦が生い茂っている。

 炎華が過疎地に似合わない、異様に巨大な大邸宅を見上げ、

「この陸の孤島、唯一の人家に住んでいる変わり者。推理小説界の大御所、超人気ミステリー作家、悪田川龍助の豪邸よ。ミステリーを書くには打って付けの執筆場所だけど、相当悪趣味だと思わない? ユキニャン?」

 炎華が我輩に同意を求めるので、

「ニャアアア~ン」

 と甘ったるい鳴き声で同意する。

 我輩は飼い猫である。

 名前は、

 ユキニャン。

 探偵であるゴスロリ少女、雪獅子炎華の相棒を務め、探偵の真似事をしている猫探偵である。


   ☆2☆


「雪獅子炎華と、その飼い猫のユキニャンだね? 悪田川先生の推理小説のモデルにもなったという。違うかな?」

 炎華が声の掛かってきた背後を振り返ると、青白い肌に鋭い目つきの、ほっそりとした華奢な青年が、コンビニ袋を揺らしながら所在なげに立っている。

 袋の中身はツーカートンのタバコである。

 炎華が踊るように振り返ると、

「人に物を尋ねる時は、まず自分から名乗るものよ、お兄さん」

「ウニャニャン!」

 我輩も炎華を援護する。

 青年が銀髪をサラリとかきあげ、

「ああ、すまないね。まるで、悪田川先生の推理小説から飛び出してきた女の子みたいだったから、つい不躾な質問をした。僕は、推理小説界の大御所、超人気ミステリー作家、悪田川龍助先生のマネージャーをしている枯木三五郎。悪田川先生がタバコを切らしたんで、買い出しに行った帰りなんだ。そこに、ちょうど悪田川先生から聞かされていた推理小説のモデルにそっくりな女の子がいたから、つい声を掛けたんだ。迷惑だったかな?」

 炎華が納得し、

「別に気にしてないわ。それと、改めて自己紹介すると、あなたの言った通り、私は雪獅子炎華、この子はユキニャン。今日は、悪田川龍助の作家生活七十周年記念パーティーに呼ばれて来たの。ところで、随分と広いお屋敷だけど、入口はどこかしら? マネージャーさん」

 枯木三五郎が屋敷の造りを説明する、

「ここはL字型の建物の丁度下の部分になるね。建て増しした別邸だよ。悪田川先生はいつも本邸じゃなく、この別邸で執筆するからね。締め切りが近いからパーティーもそっちのけで猛烈に執筆中だよ。本邸の入口はもう少し先だから、僕が案内するよ、小さな探偵、炎華ちゃん」

 炎華が眉根にしわを寄せ、

「随分と忙しいのね。パーティーなのに、小説を書くなんて、お客に対して失礼じゃないかしら?」

 枯木三五郎が皮肉げに、

「人気作家の宿命だよ。忙しくてもイベントがあれば出席する。無論、執筆の合間を縫ってね」

 枯木三五郎が早口でまくし立てる。その言い方は、どこか投げやりな印象を受ける。

 枯木三五郎が足早に先行して歩くので、炎華がそのあとに続く。

 枯木三五郎の背中に向かって炎華が話しかける。

「枯木マネージャーは意外と堅実な性格なのかしら? 無駄が無いわね」

 枯木三五郎が横顔を炎華に向け、

「どういう事かな? 小さな探偵さん?」

 鋭い眼差しである。

 が、炎華は気にもとめずに、

「帽子とジャンパーがリバーシブルになっているわ。今はジャンパーの黒地が表だけど、裏地は赤ね。一着で二度、着回す事が出来るって、堅実な性格じゃない?」

 枯木三五郎が銀髪を揺らしながら皮肉げに笑い、

「クスクス。僕は貧乏性なんだ。ただのケチとも言うかな?」

 話しはそれで終わり、と言わんばかりに歩くペースを上げる枯木三五郎。

 炎華は肩をすくめて我輩に小声でささやく。

「面白いマネージャーね。でも、マネージャーというよりは、まるで気難しい推理小説家みたいだわ」

「フニャン!」

 我輩は大いに賛同する。


   ☆3☆


 本邸に入る前にタバコを届けに、別邸に立ち寄る枯木三五郎。

 別邸の扉を合鍵で開け、購入したタバコを悪田川龍助に渡す。

 ドア越しに見える悪田川龍助の風貌は、痩せ細った神経質な顔付きに、スズメの巣のようなボサボサの白髪、それにシワだらけの和服に袴という、いかにも推理小説の大御所、昭和の文豪という印象だ。

 枯木三五郎から素早くタバコを受け取ると、即座に別邸の扉を締める。

 枯木三五郎が炎華の元に戻り、

「先生は忙しいから、今は誰にも会わないそうだよ。推理小説のモデルになった炎華ちゃんにもね。でも、あと少しで推理小説が完成するから、そのあとで、ちょっとだけパーティーに顔を出すってさ。さあ、遠慮せずにどうぞ、先生の奥様や、お客様が、小さな探偵さんをお待ちかねだ」

 炎華が本邸に入る。

 広々とした大広間には、超売れっ子の有名作家や、超一流出版社の編集者の面々がズラリと顔を揃えている。

 枯木三五郎が挨拶がてら、炎華と我輩を紹介する。

 彼らは突然現れた珍客を珍しがり質問責めにするが、炎華は軽くいなす。

 そのかたわら、我輩は我関せずとばかりに、その場を抜け出し、豪華なオードブルへ飛びつく。

 が、背後から突然、巨大な腕が伸び、豊満すぎる胸に抱きかかえられる。

 頭上から野太い女性の声が響き、

「あら、イケナイ猫ちゃんザマスね~、でも可愛いから許すザマスわ~」

 ああ、あと少しで最高級のエビのムニエルにありつけたのに! 突然ブクブク太った婦人に抱えられ、背中を撫でまわされる始末、無念である。

 婦人のそばに付き従う若いメイドが、

「悪田川奥様、可愛い黒猫ですね。炎華様の飼い猫、ユキニャン様でしょうか? 額にトレードマークの雪の結晶のような白い毛が生えてますから、間違いなく、この黒猫はユキニャン様と思われます」

「ウナ~ウッ!」

 我輩は威嚇の鳴き声を上げ、身をクネらせると、スルリと悪田川夫人の剛腕から脱出する。

 広間の食事は諦め、一目散に別の場所を目指す。

 誰にも邪魔されずにユックリと食事が出来る場所。

 そう! 愛しの厨房である!


   ☆4☆


 厨房の調理はすでに終わっているのか、シェフの姿は見えない。

 通用口に近い扉付近には悪田川龍助宛の宅配便が所狭しと置かれている。

 七十周年記念の祝いの品々である。

 それはともかく、我輩は調理場のテーブルの上に放置されているカスピ海産キャビア・ベルーガに飛びつき、むしゃぶりつこうとする。

 が、突然、首根っこをムンズと捕まれ、

「ユキニャン。つまみ食いは良くないよ。ご主人の炎華ちゃんの所に戻りたまえ」

 枯木三五郎が我輩を廊下に放り出す。

 酷いバッドタイミングである。

「ウニュ~ウ?」

 だが何故? こんな所に枯木三五郎がいるのだろうか? 我輩が訝しむと、枯木三五郎が言い訳がましく、

「シェフもメイドも忙しいから、僕が宅配便の受け取りをしているんだよ」

「ナ~ウ」

 納得である。

 通用口から赤猫宅急便の配達員が、大きな荷物を抱えて入って来る。

「ちわっす~、毎度おなじみ赤猫便っす~」

 中肉中背の若者がトレードマークの赤いジャンパーを着て、頭には赤い帽子をかぶっている。

 枯木三五郎が、

「ああ、ご苦労様。大きな荷物はいつも通り、となりの大部屋まで頼むよ」

「了解っす~、あとトイレをお借りして、いいっすか~?」

 枯木三五郎がうなずき、

「どうぞ、となりの大部屋の先です」

 赤猫便の配達員が闊達に笑い、

「いやっはっは、まあ、毎年来てるんで、場所は分かってるっすけどね~。それじゃ、いつも通り、お借りしまっす~」

 赤猫便の配達員が大きな荷物を抱えて廊下へ出る。

 その荷物から漂う超高級・伊勢海老の匂いにひかれ、我輩はフラフラと配達員のあとを追う。

 が、我輩の脇の下にスルリと細い華奢な腕が差し込まれると、

「ユキニャン、どこに行ってたの? 心配したわよ。トイレに行く赤猫便のあとなんか追わないで、早く会場に戻るわよ」

 と、炎華が言う。

 我輩は哀しげな鳴き声をあげ、豪華な食事を断念する。

「フニャ~~~ア、オ~~~ウ」


   ☆5☆


 我輩と炎華が大広間に戻ると、呂律の回らない酔っぱらいが、パーティー会場を揺るがすような罵声をあげる。

 誰が呼んだか知らないが、めでたいパーティーの席に酒乱を呼んでほしくないのである。

 酒乱は顔を真っ赤に染め、ネクタイをねじりハチマキにして頭に巻き付け、ヨレヨレのシャツからはみ出た太鼓腹を揺らし、千鳥足で酒瓶とグラスをブンブン振り回している。

 とても危険な行為である。

 酒乱のオッサンの銅鑼声が再びパーティー会場に轟く。

「ぶ、ぶあっ、ぶあっ」

 ぶあ?

「ワ、ワシをブアッカ~! にしてるのか~!」

 ああ、馬鹿にしてるのか!

「ミ、ミリオンセラ~作家の~! か、川豚安男~様を~! ブアッカ~! にしてるのか~! あ、悪田川め! さ、三時間も待たせおって~! 出てこんとは、ゆ、許せ~ん!」

 炎華が相手に聞こえるように、冷ややかに澄んだ美声を響かせる。

「川豚安男、十数年前にブレイクしたけど、その後、鳴かず飛ばずの一発屋作家ね。ろくなトリックもない、クイズかダジャレみたいな、超くだらない、こじつけだらけの、無理矢理な暗号を読者に突き付ける、最低な推理小説家よね」

 川豚安男の怒気が膨れ上がり、

「なっ! なんじゃと~! きっ! きしゃまあああ!!!」

 川豚安男が炎華に飛びかかる。

 が、間一髪、咄嗟に枯木三五郎が二人の間に割って入る。

「川豚先生! 飲み過ぎですよ! いい加減にして下さい! 子供相手に、いくら何でも大人気ないですよ! 川豚先生は天下のミリオンセラー作家でしょう!」

『ミリオンセラー』

 という言葉に大いに気を良くする川豚安男。

「うぃ~~~、ヒック! そ、そうだ俺さまは、天下のミリオンセラー作家さまだあああっ! おおうっ! き、君は~、確か~、悪田川の~、アシの~、アシの~、アシの~」

 痴呆症のように繰り返す川豚安男。

 たまりかねた枯木三五郎が、

「アシスタントの枯木三五郎です」

 川豚安男が破顔一笑、

「三五郎君だねっ! うおっほほっ! 君の事は良く覚えとるぞ~! 数年前、ミステリー推理小説大賞に応募して、最終選考で惜しくも落選した~~~………、枯木三五郎君ではないか! うおっほほっ! 懐かしいの~、あの時、ワシは君のことを大賞に受賞するよう~、強~く推薦したんじゃ~。が、悪田川と編集の猛反対にあっての~、佳作にもならんかった~~~、本当に無念じゃ~、ヒック! 悪田川め、将来有望な新人に嫉妬して、反対したに違いないわ~! しかも、その後、君の小説の設定を少しいじっただけの……パクリ小説で~、悪田川め、大、大、大ベストセラー作家になりおって~! ますます許せ~ん! このワシが成敗してくれるわ~~~っ!」

 刹那、酔っぱらいとは思えないほど機敏な動作で枯木三五郎の脇をすり抜けると、玄関へ向かって突撃する川豚安男。

 玄関扉を蹴破って表へ出ると、悪田川龍助の仕事場である別邸へと、瞬く間に突進する。

 つまり、本邸と別邸は内部的には繋がっていない。

 それはともかく、会場の全員が呆然と見守るなか、我輩は素早く川豚安男のあとを追う。

 傍若無人にも、川豚安男は別邸の扉を外からこれでもか、というほど強烈に蹴りまくる。

「ゴルアッ! 出てこんかい~! 悪田川~! いつまでもテンプレ、二番煎じのパクリ小説を書いとんじゃないわ~! 貴様の小説には、いっつも、いっつもオリジナリティという物が無いんじゃ~! ボケ~!」

 とてもパーティーに招待された客とは思えない罵詈雑言の数々に、ついに国際バナナッツ警備員がやって来る。

 川豚安男はあっさりバナナッツ警備員に取り押さえられ連行される。

 バナナッツ警備員だから良かったが、これがもし、セコイムダ・ジャアクチック警備保障、略してセコムジャ警備だったら、ますます混乱に拍車が掛かっただろう。

 なぜなら、セコムジャ警備は経費削減の為、現在残っているセコムジャ警備員は経験の浅いバイトばかりなのだ。

 なぜセコムジャ警備が、そんな危機的状況に陥ったか? その理由は、間もなく始まるオリンピックの警備の仕事を受注するために、セコムジャ警備は政財官に多額のワイロを渡し、オリンピックの警備の仕事を不正に一手に引き受けたのだ。

 が、そのせいで会社の金は底をつき、絶望的な最悪の事態に陥った。

 背に腹は替えられない、とばかりに、給料が高くて金のかかる経験豊富で優秀な正社員をクビにして、どこの馬の骨ともつかないバイトばかりを、それも自公党の独裁者、暗倍首相の鶴の一声で成立した、改正出入国管理法、いわゆる、移民受け入れ法で移民してきた五十万人の外国人労働者を含め、質の悪いバイトばかりを安い給料で大量にかき集めたのだ。

 無論、ロクな研修もしない即戦力である。

 まっとうな警備会社なら一カ月は研修するところを、セコムジャ警備はたった三日で終わらせ、現場に配置するという超無謀な警備を実施した! 

 オリンピック警備が大失敗し現場で大混乱が起きるのは間違いない。

 が、経費削減の為には仕方がない。

 と、セコムジャ警備は開き直るであろう。

 こんな余裕の態度が取れるのも、セコムジャ警備の大株主が日銀だからである。

 官製相場のおかげでセコムジャ警備がどんな不始末をしでかそうと、その株は買い支えられ決して下がらない。

 セコムジャ警備は半ば社会主義の国営企業である。

 セコムジャ警備の無謀な即戦力の強気の理由がそれである。

 だがいつか戦争が始まるような有事の際はセコムジャ警備は国営企業なので真っ先に予備戦力として前線、地獄の戦場へ送られるはずである。

 それはともかく、

 その後、酒乱騒ぎは収まったが、これだけの事態がおきながら、悪田川龍助が部屋から出てくる気配がない。

 文句の一つどころか、何の反応も示さない。

 おかしな事態に違和感を感じた悪田川婦人が主人の身を案じ、

「おかしいザマスわ~、何で主人は、こんな騒ぎが起きているのに、別邸から出てこないザマスかしら~? おかしいザマスわ~」

 悪田川婦人が別邸の扉に手を掛ける。

 それを枯木三五郎が制し、

「奥様、合鍵は僕が持っています。少し下がって、お待ち下さい」

 枯木三五郎が扉を開けて部屋の中に入ると、

「うっ!!!」

 枯木三五郎が息を飲む。

 その声が我輩の耳にも聞こえた。

 我輩は素早く部屋に入る。

 部屋の中央、床の上に悪田川龍助が足を窓に向け、仰向けに倒れている。

 悪田川龍助の心臓には深々とサバイバル・ナイフが突き刺さっている。

 口からは吐血した血があふれ、上着をベットリと汚している。

 枯木三五郎が国際バナナッツ警備員に向かって大きな声で指示を与える。

「すぐに警察を呼んでくれ! 悪田川先生が死んでいる!」

 国際バナナッツ警備員が矢のように警察を呼びに行く。

 悪田川婦人の血の気が見る見る引き、喘ぐように、

「しっ! しし、死んだっ!? 主人がっ!? 死んだザマスかあああっ!!!」

 一声叫ぶと気絶する。

 炎華が部屋に入ろうとすると、枯木三五郎が炎華を制し、

「おっと、小さな探偵さん。入っちゃダメだよ。現場保存の法則を知らないのかい?」

 炎華が冷ややかに、

「それなら、ドア越しでいいから部屋を見せなさい。見るだけなら、現場を荒らす事にはならないでしょう」

 枯木三五郎が渋々とドアを全開にする。

 死体については先程、我輩が説明した通りである。

 他には、

「タバコと吸い殻、灰皿が室内に散乱しているわね。吸っている途中で刺されたのかしら? もしそうなら、他殺の可能性があるわね」

 枯木三五郎が反論する。

「そうかな? タバコを吸っているうちに、締め切りのプレッシャーが襲ってきて、発作的にタバコと灰皿を投げ捨てて、サバイバル・ナイフを手に持ち、発作的に自分の心臓に突き刺した。という可能性もあるんじゃないか? 出入り出来る扉はここだけだし、扉には鍵が掛かっていた。合鍵を持っているのは僕だけだ。となると、この部屋は密室で、外部の人間が部屋に入って犯行を行うのは不可能だね」

 枯木三五郎の言う通り、扉の鍵が施錠されていたなら、別邸は密室となる。

 当然、自殺しかありえない、という事である。

 炎華が我輩を抱きあげ、

「密室ではないわね。窓が数センチ、開いているわ」

 枯木三五郎が窓をチラリと見やり、

「窓の外には窓枠があるし、建物周囲にも槍のような高い鉄柵が並んでいる。この程度の隙間から犯行を行うのは不可能だよ」

 炎華が冷然と、

「とりあえず、あとの事は警察に任せるわ」

 そう言い残し、別邸の外壁に沿って歩き出す。

 我輩も炎華に続く。

 部屋の窓の外側、窓枠の前で立ち止まる炎華。

 蔦の絡まる窓枠と、そこから一メートルほど離れた場所にある槍のような鉄柵の間に入り込み、別邸の窓とその周辺を丹念に調べる。

 遠くのほうからパトカーのサイレンの音が聞こえる。

 やがてパトカーが鉄柵の外を通り過ぎる。

 鬼頭警部が乗車している。

 早くも警察が到着した。

 ほどなくして、炎華が美声を震わす、

「見つけたわよ、ユキニャン。見て、タバコの灰があるわ」

 窓枠に絡む蔦の、ほんの一部にタバコの灰と思われる粉が、わずかに付着している。

「犯行が行われる直前まで、悪田川龍助は窓を開けてタバコを吸っていたのよ」

「ウニャン!」

 我輩は同意する。

 同時に我輩の鋭敏な鼻が、ごくわずかながら、周囲に漂う血の臭いを嗅ぎつける。

「ウニャウ~」

 我輩は槍のような鉄柵の向こうへ突進する。途中、炎華を振り返ると、

「行きなさいユキニャン。私は門を回って行くわ」

「ニャウン!」

 炎華のゴーサインを受け、我輩は鉄柵をすり抜け、別邸の目の前にある廃屋、改修工事の途中で中断した半壊状態の屋敷へ向かう。

 そこで、我輩は散乱した鉄パイプから漂う血の臭いを嗅いで回る。

 案の定、内部に血の付着した鉄パイプを発見する。

 そのタイミングで炎華が駆けつけて来る。

 我輩の様子を見て炎華は鉄パイプを取り上げると、それを丹念に調べ始め、パイプの内部を覗き込む、

「大手柄ねユキニャン。鉄パイプの内側に紐状の血が付いているわ。これで全ての謎が解けたわ。早く鬼頭警部に会いに行きましょう。放っておいたら、事件をあっさり自殺にしかねないわ」

「ナーーーウ!」

 我輩は大いにうなづく。

 殺人を自殺にされたのでは、残った家族は救われないのである。


   ☆6☆


 我輩と炎華が別邸へ戻ると、扉の前で鬼頭警部と枯木三五郎が事件を自殺で片付けようとしている。

 鬼頭警部が銅鑼声で、

「ウムッ! まず自殺で間違いないのだ! なにしろ、あなたがタバコを買い出しに行かれた午後四時まで悪田川龍助先生は存命でいらした。しかも、別邸、本邸、調理場の通用口、この三箇所の入口には、それぞれ防犯カメラが設置されていて、その映像を調査した捜査員からは不審な人物の出入りはない、と報告を受けているのだ。つまり、午後四時から川豚安男先生が別邸で騒動を起こした午後七時まで、この屋敷の中にいた人間は全員アリバイがある、という事になるのだ。しかも、別邸は不完全ながら密室なのだ。つまり、悪田川龍助先生の死は自殺以外考えられないのだ!」

 我輩はズッコケそうになる。炎華が反論する。

「なんていう短絡的な思考なのかしら、この駄目警部は? それでよくキャリア試験に合格出来たわね。あまりの馬鹿さ加減に、キャリア制度その物を廃止したほうが良いんじゃないかと、一瞬、本気で考えたわ」

 鬼頭警部が目を丸くして驚き、

「やや、炎華くん、相変わらず君は手厳しいのだ。というか、相変わらず事件の影に名探偵ありなのだ」

 炎華が呆れながら推理を展開する、

「くだらない事を言ってる場合じゃないわ、鬼頭警部。この事件は他殺よ。犯人は目の前にいるその男、枯木三五郎よ」

 周囲に戦慄と恐慌が巻き起こる。

 息を吹き返した悪田川夫人が枯木三五郎に食って掛かる。

「こ、このっ! 人殺し~~~っ! よっ、よくも主人をっ! キ~~~ッ! ザマス!」

 枯木三五郎に襲いかかる悪田川夫人を捜査員が取り押さえる。

 メイドもそれに加わって、夫人を上手くなだめながら屋敷へ連れ戻す。

 枯木三五郎が涼しい顔で、

「夫人のヒステリックな態度には驚いたね。だけど、君の破天荒な推理にも驚いたよ。一体何を考えているのかな? 小さな探偵さん? 僕が殺したという確かな証拠でもあるのかい? 事によっては、子供の妄想と笑ってすますわけにはいかないよ」

 芝居がかった様子で両手を広げ、眼光鋭く炎華を射抜く。

 枯木三五郎は役者のほうが向いているようだ。

 炎華が冷淡に、

「猿芝居は終わりよ、枯木三五郎。死亡推定時刻を教えてくれるかしら、鬼頭警部」

 鬼頭警部が遺体をつぶさに観察し、

「検死の結果を待たねば正確な所はわからないが、死後硬直から見て、だいたい、最後にタバコを受け取った映像後、約一時間後、午後五時ごろなのだ」

 枯木三五郎が余裕の笑みを浮かべ、

「さっき鬼頭警部が言っていたけど、防犯カメラの映像には不審な人物はおろか、屋敷の中にいた僕の姿も映ってないよね」

『屋敷の中にいた』

 をことさら強調して話す枯木三五郎。

 炎華が澄ました顔で、

「あなたは厨房の通用口から抜け出したのよ。今日は悪田川龍助宛の赤猫便が無数に届いているわ。あなたのリバーシブルのジャンパーは裏返すと裏地は赤色。赤猫便の制服である赤いジャンパーに似たジャンパーになる。その上、帽子もリバーシブルで裏地は赤色。あなたは赤猫便に変装して五時前後に屋敷を抜け出したのよ」

 意外なことに、枯木三五郎が黒いジャンパーを裏返して赤色のジャンパーとして羽織り、帽子も裏返して赤い帽子として、かぶって見せる。

 完全に赤猫便の姿である。

 が、悪びれた様子もなく、

「昔、赤猫便でバイトをしていてね。赤猫便のファンなんだ。似たような服装をするのは、ファン心理って奴さ。それに、どんな格好をしようと僕の勝手だよね」

 鬼頭警部がうなづき、

「ムム、確かにファッションは人それぞれ、個人の自由なのだ」

 なるほど納得、とばかりに納得する駄目警部である。

 炎華が呆れながら大きなため息をつき、

「犯人の言う事を真に受けてどうするの? それでも警部なの?」

 枯木三五郎がさらに追撃する。

「ついでに言うと、もし僕がこの格好で上手く外に抜け出したとしても、辻褄の合わない事が起きるんじゃないかな?」

 阿呆警部が動揺を隠さず、

「な、なんですと! そ、それは、一体、どういう事なのだ?」

 枯木三五郎がいけしゃあしゃあと、

「つまりですね。僕が赤猫便に変装して外に抜け出す」

「ウム、そして犯行を犯す」

「そして、また僕が屋敷に戻る」

「ウム、そして? 何なのだ?」

 炎華が呆れながら、

「わからないのかしら鬼頭警部、彼が言いたいのは、赤猫便として抜け出して犯行を犯したら、その後、彼が屋敷に戻ったあと、もう一度、赤猫便として外に出ないと、出入りの数が合わない。と、そう言っているのよ」

 鬼頭警部が頭を抱えながら、

「赤猫便として出て、赤猫便として屋敷に戻る。すると、なるほど! 屋敷の中には赤猫便が一人残るのだ!」

 ようやく事態を理解した鬼頭警部が部下に通用口の監視カメラの映像をチェックさせる。

 結果は、

「ムムム~、赤猫便の出入りの数は合っているのだ。屋敷には赤猫便の赤の字も残っていないのだ。一体これは、どういう事なのだ? 炎華く~~~ん?」

 ノビ君がドラちゃんに泣きつくように、鬼頭警部が炎華に泣きつく。駄々っ子である。炎華が情けなさそうに、

「今回は事件そのものより、鬼頭警部に混乱させられるわね」

 炎華が一息つき、

「枯木三五郎は赤猫便の配達員の中にトイレを借りる者がいる事を知っていたのよ。そして、それをアリバイ作りに利用した」

 鬼頭警部がキョトンとしながら、

「つまり! どういう事なのかね? 炎華く~~~ん!?」

 炎華が苦々しげに、

「本物の赤猫便の配達員が屋敷に入る」

「ウム、そして、トイレを借りる」

 炎華が続けて、

「その間に枯木三五郎が赤猫便を装って屋敷を抜け出す」

「ウム、そして、犯行を犯す」

「赤猫便の変装のまま枯木三五郎が屋敷に戻る」

「ウム、そして? 何なのだ?」

 炎華が呆れながら、

「進歩がないわね、もう答えは出ているでしょう。枯木三五郎が戻ったあと、トイレを借りていた本物の赤猫便の配達員が外に出る。これで出入りの計算が合うわけよ」

 しばらく、つぶらな瞳をパチクリとさせていた鬼頭警部だが、ようやく事を理解して、歓声をあげる、

「オオッ! それなら計算が合うのだ! そ、そんな子供騙しな方法で警察を欺くとは! 枯木三五郎! 何という卑劣な男なのだ!」

 それに気付かなかった鬼頭警部は子供にも劣るのだ! が、枯木三五郎に与えアリバイ崩しのショックは大きい。

「グ、ヌヌ。ケド、マダ、密室のトリックがアルだろう」

 変な片言になる。

 しかも、馬鹿警部が枯木三五郎を援護する。

「その通りなのだ! ワシが密室の説明をするのだ。本邸厨房の通用口を出た場所から別邸に行く事は出来ないのだ。なぜなら監視カメラがあるのだ。さらに、監視カメラこそ無いものの、裏通りから屋敷に入ろうとしても、屋敷を囲む槍のような鉄柵の隙間は5センチ。子供でも通れないのだ。しかも別邸の窓の窓枠には3センチ間隔で柵が付いているのだ。その上、別邸の窓から鉄柵までの距離は一メートルも空いているのだ。とてもサバイバル・ナイフを使って別邸の室内にいる悪駄川龍助先生を刺し殺す事は不可能なのだ。確かに、窓は数センチ開いているから完全な密室ではないが、不完全ながらも、この別邸は一種の密室なのだ! だから裏通りからの犯行は不可能なのだ!」

 鬼頭警部。

 貴様はどちらの味方なのだ? 枯木三五郎から賄賂でも貰っているのか? 炎華が余裕の表情を浮かべ、

「何度も言うけど、窓は数センチ開いていたのだから密室ではないわ」

 鬼頭警部が唇を尖らせ、

「し、しかしだね~、炎華く~ん。例え窓が少しぐらい開いていたとしてもだね~、刃渡りわずか二十五センチのサバイバル・ナイフで一メートル以上離れた部屋の中にいる被害者を刺し殺す事は不可能なのだ」

 炎華が微笑を浮かべ、

「お生憎様。そのトリックもお見通しよ。枯木三五郎は悪田川龍助がタバコを吸うタイミングを完全に把握していたのよ。しかも、窓を開けて、窓際で吸う事まで知っていたはずよ。なぜなら、窓の外の蔦の葉に、ほんのわずかだけど、タバコの灰が落ちていたわ。悪田川龍助が窓際でタバコを吸っていた証拠よ」

 枯木三五郎の顔が紫色になり声に怒気が籠る、

「ソレだけじゃ説明にならないなっ! 一メートル以上離れている距離から刺し殺した事を、ドウ説明するのかな? 小さな探偵さんっ!」

 炎華の口元に少女らしからぬ凄絶な笑みが浮かび、

「その前に、あなたは『ジェボーダンの獣』という、奇怪な事件のことを知っているかしら? 獣と戦った少女の伝説よ」

 それと事件とどう関係があるのか? という疑問の声を無視して、炎華が『ジェボーダンの獣』について語り出す。

 極力、簡単に我輩が『ジェボーダンの獣』について要約して説明しよう。


   ☆7☆


 ジェヴォーダンの獣とは、

 一七六四年から、

 一七六七年にかけて、

 フランス・ジェヴォーダン地方に出現した狼に酷似した未確認生物である。

 獣に襲われた犠牲者は約六十人から百人ほど。

 獣は巨大で子牛ほどもある。

 全身が赤毛におおわれている。

 背中に黒い縞模様が一筋ある。

 巨大な胸。

 長い蛇のような尻尾。

 尻尾の先端まで毛が生えている。

 顔付きは小さい。

 耳がピンと尖っている。

 グレイハウンド犬に酷似している。

 巨大な犬歯を持っている。

 獣は複数存在している。

 同類をもう一匹。

 子連れの可能性もある。

 一七六四年、六月一日。

 ランゴーニュからジェヴォーダン地方へ少女が一人で用事のため徒歩で来る。

 すると、

 木々をすり抜け、

 狼に似た巨大な獣が少女を襲う。

 少女は牧場へ逃げる。

 獣がそのあとを追う。

 牧場にいた数十頭の雄牛の群れが少女を守るように獣の前に立ちふさがる。

 雄牛を恐れた獣はやむなくその場を立ち去る。

 同年、六月三十日。

 十五歳の少女。

 アンジュ・レイバックがランゴーニュ近郊のレイゴート村付近で行方不明となる。

 翌朝。

 少女は腰から胸まで腹部を全て食い荒らされ死体となって発見される。

 獣による一人目の犠牲者である。

 同年、八月。

 ピュイ・ローラ教区の十二歳の少女が襲われる。

 その十日後。

 ジョンラック教区の少年が襲われる。

 二人とも内臓を獣に食われ死亡する。

 獣の捕食方法は異常である。

 通常の捕食動物が第一に狙う獲物の脚や喉を完全に無視。

 人間の頭部を第一に狙う。

 攻撃方法は獲物の頭を巨大な爪で砕く。

 あるいは犬歯で食いちぎる。

 不思議なことに獣は家畜ではなく明らかに人間を狙う。

 成人男性が獣に襲われる事は滅多にない。

 成人男性は草刈りの鎌を武器として使う。

 牧場での作業を集団で行う。

 などの理由で襲いにくいためだ。

 一七六五年、一月十二日。

 クラウンと五人の子供たちが獣の襲撃を撃退する。

 フランス王、ルイ十五世は、クラウンたちに多額の褒賞金を与える。

 ルイ十五世は獣に絶大な興味を持つ。

 ルイ十五世は狼狩りの猟師ダンテとその息子に獣討伐を命じる。

 同年、二月十七日。

 ダンテ父子がジェボーダンに到着。

 ダンテ父子は獣が狼であると信じ数ヶ月に渡って狼を狩る。

 その間もジェヴォーダンの獣による犠牲者は増える一方だった。

 同年、六月。

 ルイ十五世はダンテ父子を更迭。

 歩兵隊の隊長アントニーが獣討伐の任務に就く。

 同年、六月二十二日。

 ル・マルジュに到着した三か月後。

 アントニーは巨大な灰色狼を射殺。

 狼を剥製にしてヴェルサイユへ送る。

 ヴェルサイユに戻ったアントニーは英雄として迎えられる。

 ルイ十五世から多額の褒賞金を与えられる。

 パリ新聞は、

『ジェヴォーダンの獣は死んだ』

 と、公式に発表する。

 だが、

 同年、十二月二日、

 獣は再びラ・ブイッスル・サン・マリーに出現。

 子供を含む十人以上の犠牲者が出る。

 ジェヴォーダン地方は豪奢を極めるパリの街とは違う。

 農民は都市の繁栄を支えるため重い税金に苦しみ収入の全てを簒奪される。

 農民はその日の食べ物にも事欠く乞食のような想像を絶する貧困に身をやつしている。

 獣が襲撃しようと食い扶持の家畜の世話は欠かせない。

 家畜の世話は少女の仕事である。

 獣の最も好んだ獲物は少女である。

 少女が牧場で一人で家畜の番をしている時。

 狙ったように獣は少女を襲う。

 獣への自衛手段として農民は少女にバイヨネットを持たせる。

 バイヨネットとは長い棒の先端にナイフを括りつけた単純な槍だ(ジェボーダンの槍)。

 少女が狂暴な獣と戦うには貧弱すぎる武器だが、当時、十三歳の少女、ランジュ・レイバックは、獣を倒す一助を担う。

 一七六七年、六月十九日、

 ジェボーダンの猟師ジャストはランジュ・レイバックと協力し獣を射殺する。

 事件は終焉を迎える。


   ☆8☆


「す、すると……は、犯人は、長い棒の先にナイフを括りつけた。という事なのかね? ほ、炎華くん!」

 頭の鈍い鬼頭警部も炎華の話を聞いて、ようやく頭を働かせたようである。

「し、しかしだね、炎華くん、実際に現場に落ちていたのは、そのような槍ではなく、ごく普通のサバイバル・ナイフなのだよ」

 炎華が謎解きを始める、

「別邸の窓の向かいに、工事途中で放棄された廃屋があるわ。そこには鉄パイプがたくさん放置されているのよ。槍はその鉄パイプを使って作ったのよ」

 鬼頭警部が困惑顔で、

「いやいや、炎華くん。ワシには君の言う事がサッパリ分からないのだ」

 炎華が駄目警部に分かりやすく、かつ懇切丁寧に説明する。

「ちょうど鉄パイプを持ってきたから実際に槍を作るわ。サバイバル・ナイフをちょうだい」

 鬼頭警部が戸惑いながら、

「さすがにナイフはちょっとマズイのだ、これで頼むのだ」

 と言いながらペットボトルを渡す。

 炎華がジト目でにらみながら、

「仕方がないわね。まず、鉄パイプの中に∪の字に曲げた釣り糸を通す。次に鉄パイプの先端から飛び出た∪の字の曲がった先端にペットボトルを上手くひねりながら括り付ける。鉄パイプの逆側から出た二本の糸をしっかり引っ張ると、ペットボトルが鉄パイプの先で固定されて槍が出来上がる、というわけよ」

 おおっ! と、周囲から歓声があがる。

「この槍を使って、タバコを吸おうとして窓を開けた瞬間、悪田川龍助の心臓を一突きにする」

 炎華が鬼頭警部の胸を突く。

「その後、∪の字の片方の糸だけを緩めて引っ張ると」

 ペットボトルと槍から糸がスルスルと離れ、ペットボトルが引力に従い地面に落ちる。

 鬼頭警部が驚愕の表情を浮かべ、

「な、なんと、こ、こんな方法で悪田川先生を殺害したとは、枯木三五郎! 貴様を悪田川龍助先生殺しの容疑者として現行犯逮捕するのだ!」

 枯木三五郎がそれでもフテブテしく、

「ま、まって下さい警部! なるほど、小さな探偵の推理は、なかなか興味深いものです。もしかしたら、小さな探偵の言った通りかもしれません。ですが、証拠はあるのですか? サバイバル・ナイフや、その鉄パイプに私の指紋でも付いているんですか? 何も証拠がないのに逮捕するなんて、そんな事が出来るのは、自公党が作った共謀罪だけですよ!」

 これには鬼頭警部もグウの音も出ない。

 理論上は間違いない。

 が、証拠が無くては逮捕は出来ない。

 さて、そろそろ我輩の出番である。

 我輩は枯木三五郎の足元に近づき低い唸り声をあげる。

「ニャル、ルル、ルウゥオ!」

 そして枯木三五郎の胸元に飛びつく。

 が、あっさり避けられた。

 炎華がこの我輩の行動にピンときたようだ。

 薔薇色の頬に自信のみなぎる赤味が差す。

「ユキニャンは血の臭いに敏感なのよ、鉄パイプの中に残った血の臭いですら嗅ぎつけるぐらいにね」

 枯木三五郎が不審そうに、

「どういう意味かな? 小さな探偵さん?」

 炎華が淡々と続ける、

「悪田川龍助は心臓だけでなく、肺も傷ついていたのよ。だから、彼は口から大量の血を吐いていた」

 それがどうした? と言わんばかりに枯木三五郎が、

「続けたまえ、小さな探偵さん」

 炎華が美しい瞳を細め、

「あなたが鉄パイプの中に通した糸をたぐり寄せる瞬間、糸に付いた血液が、あなたの、その赤いジャンパーの上に飛び散っても、おかしくはない、という事よ。たぶん、その赤いジャンパーじゃ血が付いても、見た目は分からないでしょうけど、ユキニャンの嗅覚は誤魔化せないわ。ユキニャンは、あなたのジャンパーから漂う血の臭いを嗅ぎ付けたのよ」

 正解である。

 枯木三五郎のジャンパーからは、かすかに血の臭いがする。

 突然、我輩は枯木三五郎にすくいあげられる。

「ウニャッ!」

 迂闊である。

 枯木三五郎が瞳を閉じる。

 鬼頭警部が怒気を孕んだ声を上げ、

「君っ! いい加減にしたまえっ! ユキニャンを離すのだ!」

 枯木三五郎が初めて自然な笑みを浮かべる。

「フニャ?」

 我輩を優しく撫でると、

「クスクス。僕は君たちを、ちょっと侮り過ぎた。君たちは最高の名コンビだよ。完全に僕の負けだ」

 枯木三五郎が我輩を解放する。炎華が我輩を抱き上げ安堵し、

「悪田川龍助の盗作を恨んでの犯行ね」

 枯木三五郎が首肯し、

「その通りだよ。名探偵・雪獅子炎華ちゃん」

 枯木三五郎が少し肩を落とす。

「でも、それにしても……デビュー作になるはずだった推理小説以上のトリックを思いついた。と思ったんだけど。まさか、こんなに見事に、完全にトリックを暴かれるとは、思いもしなかった」

 枯木三五郎が銀髪を微かに揺らしながらつぶやく、

「現実は、原稿のように、思い通りにはならないものだね」

 自重気味に笑う。

 炎華が残念そうに、

「現実は、推理小説のパズルとは、わけが違うわ。現実は、何の答えも出ない。全てが思い通りにならない、残酷な世界よ」

 枯木三五郎が遠い目をし、

「それでも、僕は……仇が討ちたかったんだ。作品という名の、僕の大切な子供の、ね……」

 炎華が苛烈に反論する。

「仇が討ちたいなら作品で勝負しなさい。今度こそ私でも謎が解けない素晴らしいトリックを考えなさい」

 そう言い残し炎華がその場を去る。

 珍しく炎華が怒っている。

 とても珍しい事である。


   ☆9☆


 炎華が珍しく本を呼んでいる。

 タイトルは、

『ジェボーダンの槍』

 作者は枯木三五郎。

 あのあと、枯木三五郎は有罪が確定し、懲役三十年の刑に服した。

 しかし、逆境にもめげず、枯木三五郎は獄中で推理小説を書きまくった。

 その結果、作品のいくつかが編集者の目に止まり、ほどなく出版される運びとなった。

 推理小説界の大御所、超人気ミステリー作家の悪田川龍助殺しの犯人が書いた推理小説。

 というだけで話題性は充分ある。

 その功罪はともかく、現在、枯木三五郎の推理小説はベストセラー街道を爆進中である。

 炎華が本を読み終え作品を絶賛する。

「ユキニャン、『ジェボーダンの槍』を読み終わったわ。超・面白かったわよ!」

「ウニャーーーッ!」

 炎華にしては、超・シンプルな感想である。


   ☆完☆

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