序章26 蠱惑の縄墨 ④
再び希咲の目が攻撃色に染まり切るその寸前に――
「ふざけないでちょうだい‼」
大音量で轟いた白井の金切り声にびっくりし、「お?」と目を丸くしてそちらに視線を向ける。
「敗け⁉ 今敗けと言ったの⁉ どういう意味なのかしら⁉」
「今日のところは、と言ったのさ。白井さん、これはキミのせいじゃあない。今回に限っては誰でもノーチャンスさ」
緊迫したような白井と法廷院のやりとりが聴こえてくる。どうやら少し目を離した隙に重要な局面を迎えているようだ。
状況を把握するために希咲は彼らの方に注目する。ただし、お散歩中の犬が勝手に走り出したりせぬようにリードを固定する体で、弥堂のネクタイをしっかりと掴んだままで。
「何を以て敗けだと言っているの? あの女のなにがそんなにいいって言うのよ!」
「だって仕方ないじゃないか! パンツまで可愛いんだもの!」
「希咲さんのパンツには勝てないよ!」
白井と激しく口論をする本田と西野の言葉に、何やら雲行きがおかしいことに気付き希咲が「うん?」と小首を傾げる。
「あんなガキくさいパンツの何がいいのよ! 私のパンツも褒めなさいよクソ童貞ども‼」
「いっ、いやだっ! 希咲さんのパンツをバカにするな!」
「僕は希咲さんのパンツの方がいいんだ!」
何やら自分が今現在着用しているパンツのことで真剣に争う人々がいるという事実が希咲には理解し難く、「は? え? なんなの?」と激しい困惑と羞恥から逃れるよう目線を彷徨わせると、自分をじーっと咎めるように見てくる昆虫男と目が合う。
「なっ、なによっ! 思いださないでっ! 想像すんなっ!」
「誰がするか。いいから放せ」
半ば八つ当たり気味に弥堂のネクタイをブンブンしながら非難してくる希咲に、弥堂は呆れた様子で身の解放を要求した。
完全下校時間まではもう十数分といったところだろう。今更その十数分を惜しんでこのギャーギャー煩い女と口論するよりも、もう時間いっぱいまでこのまま付き合ってやった方がマシだと、彼は諦めていた。
さらに、想像するなもなにも、そもそも鮮明にスカートの中を捉えた写真を証拠品としてしっかり画像保存しているのだ。故に思い出すまでもないのだが、それをわざわざ口に出したりはしない程度の賢明さは弥堂にも持ち合わせがあった。
場を調停すべき風紀委員が真っ先に匙を投げた中、状況は進む。
「どこよ! あの女のパンツが勝っている点はどこなのよ! 言ってみなさいよ!」
「色が可愛いっ! 布面積がちょうどいい! 希咲さんが可愛いっ! 足がすごいキレイ! あと柑橘系のいい匂いがしそう! パンチラしてるのに清潔感が一切損なわれないのが才能だね、才能っ! 僕は希咲さんの匂いならきっと白飯何杯でもいけちゃうよ!」
「リボン・フリル・刺繍の完全装備は言わずもがなで、可愛さメインの中でも品があって安っぽくないのもポイントが高い! だけど、僕が特に着目したのはサイドだね! サイドの布地がアクセントでピンクになっているのも可愛いけれど、何よりもパンツのゴムと腰周りのお肉の段差がパーフェクトだよ! 痩せすぎず肉感的すぎず! あれを見ちゃったらもう裏垢女子のモロエロ画像とかクソだね! クソ! だって希咲さんの方が可愛いもの!」
「……やめてぇ……いわないでぇ…………」
「イカ臭ぇこと言ってんじゃねぇぞ仮性童貞どもがああぁぁっ‼‼」
目の前で自分が今現在着用しているパンツについて、余りに審らかに寸評される地獄に希咲は羞恥が限界突破し両手でお顔を覆って悶えてしまう。
あんなに熱く詳細に語られるほどに、ばっちりしっかりあんな奴らに見られてしまったなんて黒歴史確定もいいところだ。
希咲が両手を離したことで解放された弥堂だが、すでに離脱は諦めていたので、ただ心底どうでもよさそうな顔で振り回されていたネクタイの位置だけを直した。
当然、落ち込む希咲を慰めてあげたりなどはしない。
希咲がか細い声でもうやめてくれるよう要請するが、激化する議論に敢え無く掻き消された。
「あんな色気のない下着でおっ勃ててんじゃねぇよキモオタが! 私のパンツの方が火力高いでしょう‼」
「オーバーキルすぎるんだよぉ! 今時極フリビルドでどこでもいけるなんて思わないで欲しいねっ!」
「バランスにもっと目を向けてくれよ白井さん……デリケートな問題なんだ。デリケートゾーンを覆うだけにね……」
「気取ってんじゃねーよ! 本音ではエロければ何でもいいって思ってんだろうが! 男なんてどうせみんなこういうのが好きなんだろ⁉ おらっ! 見ろよっ! 見ろよおおぉぉっ‼」
ヒステリックに叫んだ白井が、頼まれもしないのに羽搏く怪鳥の翼のように自らスカートをバッサバッサと捲り、その中身を見せつけてくる。
上げ下ろしされるスカートから垣間見える、あまりに奔放で暴力的なほどに色づいた性の毒花に、本田と西野は思わず「うっ」と呻き顔を背ける。
鎮痛そうな面持ちの彼らは心を痛めながらも彼女に真実を伝える。
「限度ってものがあるよ! そこまでいくともう怖いんだよ! そんなのお尻を包むパンツじゃなくてもはやケツに貼り付いた変な布切れじゃないか!」
「そんなものが許されるのは映像作品の中だけだよ! それも痴女ものだけだ! リアルとフィクションは違うんだよ……白井さん……」
二人はそこまで反論をすると「ごめんなさい」などと口にしながら、さめざめと泣きだした。白井にとっては屈辱極まりない謝罪だ。
白井の価値観が大きく揺らぐ。己の中に建てた偏見という名の牙城が音を立てて崩れていくような危機感を覚えた。
もしもこの童貞どもの言う通りなのだとしたら、自分が今まで毎日欠かさず行ってきた、想い人に過激な下着に包まれた尻を見せつけるという行いは何だったというのだ。
また自分の中から何か大切なものが喪われるのでは――そんな恐怖感に囚われ、白井は対立中であるにも関わらず思わず自分たちのリーダーへと縋るように視線を向ける。
裁定を求められた『弱者の剣』の代表者である法廷院 擁護は、その白井の視線を受け止め車椅子に座りながら膝の上で手を組むと厳かに目を閉じた。
数秒ほど何かを噛み締めるように瞑目するとカッと目を見開く。
「いいだろう! 此度の勝負の裁定、このボクが執り仕切ろう‼ 審査員集合っ!」
審査委員長である法廷院の号令に応えて、西野と本田が機敏な動作で彼の元へ駆け寄る。
彼らは唇の動きを読まれぬよう口元を手で隠しながら、真剣な表情で議論を開始した。
「ちょっと! ひっ、人の……ぱ、パ…………を勝手に比べて審査とかやめてよっ!」
また勢いと雰囲気だけでおかしな方向に展開しだした状況を打開すべく、希咲が一人の女性として当然の要求をした。
その希咲の言葉を受けた法廷院は片手を上げて迫真の論議を重ねる審査員たちを制止すると、フッと悲し気に目を細め希咲に言葉を返す。
「キミの言いたいことはわかるよ、希咲さん……。みんな違ってみんないい……どんなパンツにも貴賤はない。そういうことだよね?」
「全然ちがうわよっ!」
全力で否定するがどこか遠くを見つめて語る法廷院にその声は届かない。
「ボクもね、基本的にはその意見に賛成さ……。敗者を作らない構図ってのはつまり弱者を作り出しづらくするってことだからね。だってそうだろぉ?」
「きけっつーの!」
「でもね、ボクはこうも思うんだ……。時には白黒はっきりさせることも必要なんじゃないかって……。確かにその瞬間だけを切り取れば敗者が存在することになる。だけど、そうすることで前に進めるってこともきっとあるはずさ……」
「誰も頼んでないってば! やめてっていってんでしょ!」
「大丈夫。キミはベストを尽くした。あとは自分を信じて判定結果を待つといい……。ただし、結果には忖度しないぜぇ? ボクは公平で公正な男だからね。だってそうだろぉ?」
「もぉーーっ‼」
親指を立ててキラリと爽やかな笑みを浮かべてくる男との意思疎通の難易度が絶望的に高すぎることに憤慨し、その場で地団太を踏む。
室内シューズのゴム底が床と擦れる音が、キュッキュッと悲しげに鳴った。
「ねぇっ!」
「…………なんだ?」
堪らず傍らに居る弥堂の袖を引っ張りながら話しかける。
「なんでそんなイヤそうな顔すんのよ!」
「……気のせいだ」
「うそつけっ。てか、あんた意外と顏に出るのね」
「うるさい黙れ」
「ふふ~ん、図星で悔しいのかしら~?」
「……何か話があったんじゃないのか?」
ここぞとばかりにマウントをとり始めた希咲に指摘をしてやると、「あっ」と声をあげて彼女は本来の目的を思い出した。
「あれやめさせてよっ」
「……大丈夫だ。自分を信じろ」
「誰も勝ち負けの心配なんかしてねぇってのよ! あいつらどうにかしてよ!」
「ほっとけ。大したことではないだろう」
「軽く言うなっ! セクハラだし変態行為だし迷惑行為でしょ! あんたの仕事じゃない!」
「俺の仕事がセクハラと変態行為と迷惑行為みたいな言い方をするな。連行されたいのか貴様」
「うっさいっ、へりくつ言うなっ!」
「お前の方がうるせぇだろうが」
制服の袖を掴まれてるため結構な近距離から突き刺さる希咲の声が、頭の中にまでキンキンと響いてきて弥堂はうんざりとしてくる。
「別に好きに言わせておけばいいだろうが。それでお前の何が変わるというわけでもあるまい」
「そういう問題じゃないのっ! やなもんはやなのっ! ねぇーってばぁっ!」
大分形振り構わなくなってきた希咲は、間違いなく彼女の言い分の方が正当なのだが、傍から見ると駄々をこねて男に甘える女の姿のようにしか見えなくなっていた。
八つ当たり気味にグイグイと力任せに弥堂の制服の袖を引っ張ったり、ブンブン左右に振り回したりし出して、そのせいで弥堂の左肩が開けて上着が脱げかけていた。
普段から死んでいる弥堂の眼が二割増しで死んだ。
本人たちにはそんな気は欠片もないが、傍から見るとイチャついているようにしか見えない、そんなじゃれあいをしている内に――
「結果はっぴょーーっ‼」
希咲だけにとって取り返しのつかないところまで事態は進んでしまった。




