序章25 庭へは續かない道 ④
「…………恥ずかしいと、言ったな? だがキミはギャルだろう? ギャル種というのはおぱんつを対価にして金を得ることを生業としていると識者に訊いた。この程度を恥ずかしがっていたら商売にならんだろう。違うのか?」
「あたしそんなことしないもんっ! なんでみんなすぐそういう風に決めつけるの⁉」
「だが、事実として実例がだな――」
「――ねぇ、しんじて? あたし、そんなことしない。あんたも、あたしがそういうことするように見えるの……?」
『見える』
そう答えたかったし、反射的に即答しそうになったが、この場面でそんなことを言おうものならば、また彼女が大泣きして対話不能になることはいくら弥堂と云えども予測出来ていたので、それを避けて口を噤んだ。
弥堂 優輝は焦っていた。
事ここに至って彼はやはり一切の罪悪感も感じていないし、泣いている希咲に同情もしていない。
だが、何故か彼女に対していつものように冷酷な対処が出来ない。そんな自分に起こっている原因不明の異常が大変に首の据わりを悪くした。
その為、余計な一言を口走ってしまう。
「しかし俺がここに介入した時、キミは自分からスカートを捲って奴らにおぱんつを見せようと――」
だが、半ば苦し紛れのその言葉は最期まで言えなかった。
希咲は何も言ってはいない。発言の途中で彼女に口を挟まれ遮られたわけではない。
ただ、彼女を見て――彼女の貌を、彼女の表情を、彼女の瞳を見て、その右の眼窩から大粒の涙が一雫だけ溢れ、瞼から漏れて頬を伝い零れ落ちたのが見えて、思わず言葉を止めてしまった。
彼女が――希咲 七海が傷ついたと、自分が傷つけたと弥堂にすら解るほどに、弥堂の眼に写った彼女の表情は傷ついているように見えた。
だが、弥堂が言葉を途中で切ったのは、言の葉のナイフのその切っ先を彼女の裡へと力づくで押し込むのを躊躇し踏み留まってしまったのは、なにも彼女を傷つけたことに罪悪感が生じたわけでもなければ、なにかしらの配慮をしたわけでもない。
なんのことはない。
ただの既視感からであった。
記録を取り出し広げて再生するまでもなく、はっきりと記憶をしている過去の――既に通り過ぎたいつかの情景と重なって、或いは重ねてしまって、それを最後まで刺しこむことが憚れてしまったのだ。
この既視感こそが先程から希咲に対して感じていた言い知れない遣り辛さの正体であることに気付き、そしてたかだかその程度のことで手を緩めた自分を強く恥じ、同時に激しく苛立った。
「チッ」と思わず舌を打つとそれに肩を跳ねさせて希咲が怯えたような仕草を見せる。それに益々苛立ちを募らせるが、それ以上にやはり遣り辛さが勝った。
普段あれだけ強気で生意気な口をきく癖に、こうして急にしおらしい態度を見せたり、泣くと言動が幼くなったり、こういった部分を彼女と――かつての師であり最も自身に近しい女であったエルフィーネと重ねてしまい、弥堂は段々と投げやりな気分になっていく。
この状態を彼はよく知っていた。
彼の敬愛する上司である廻夜部長風に表現するのならば、『パターン入った』というやつだ。勿論『敗けパターン』である。
なので彼は諦めた。
諦めて彼女を――記憶の中のメイド女ではなく、目の前の希咲 七海を見る。
じっと見つめられて、彼女はぐしぐしと鼻を鳴らしながら「なによぅ」と情けない声を出して上目を遣う。
変わらず涙を目に溜めて眉を下げる彼女の表情を見て、弥堂は一度だけ物凄く嫌そうな顔をしてからわかりやすく溜め息を吐いた。
そして希咲の顏に手を伸ばす。
左手は変わらず希咲の足を拘束したままで、右手の開いた掌を見せながらゆっくりと顔に近づけてくる。
またもこの迷惑男が突然脈絡のない行動を見せてきて、希咲は「えっ? えっ? なにっ?」と激しく混乱した。
少し前の正門前での騒動の時に水無瀬に対して同じような行動をした際と同様、弥堂としては触れられるのが嫌なら勝手に避けろという意味を込め、拒絶する猶予を与えるためにわざとゆっくりと手を近づける。
一応は頭のおかしい男なりに女性に対する配慮をしているつもりなのだが、やはりその意図は誰にも伝わらない。
というか、避けろも何も希咲の足を拘束したままなので、例え彼女が逃げようとしてもそれは叶わないのだが、そういった細かいことはこの男にとってはどうでもよく、その配慮はやはりどこにも行き届かない。
この時、希咲は首を絞められると思い咄嗟に身を捩るが、片腕でもがっちりロックされた足が外せなくて恐怖した。
ついでに周りで二人の様子を見ていた法廷院たちにも、頭のおかしい風紀委員が突然同じ学園の女生徒の殺害に及んだようにしか見えなくて、彼らも目玉を剥いて驚愕した。
そのように勘違いをして首に意識が向いていた希咲は、とうとう弥堂の手に捉えられ、しかしその触れられた箇所が思っていた場所ではなかった為に今度は驚きで硬直する。
開いた右手の親指と人差し指で頬を挟むように顎のラインから触れ、そのまま撫でるように上げていく。
親指で先程彼女が流した涙の痕を拭うようになぞる。
やがて彼女の下眼瞼へ辿り着くと今度は人差し指で、まだ涙が残ったままの左の瞼の下の縁をなぞりその雫を掬う。
その作業が終わると一欠けら程の未練も見せずに彼女の顏から手を離した。
暴挙とも云えるほどに好き勝手されている希咲だが、怒るでもなく只管に頭上に『⁉』を多数浮かべて混乱していた。
そんな彼女にも興味を示さず、弥堂は人差し指の爪に載せた彼女の涙を見詰める。
エルフィーネが自分に何と言っていたか。
やはり記録を起こさずともはっきりと記憶している。
『敵でさえないのであれば基本的に女には優しくしなさい』
『男女問わずやはり敵でないのであれば年下には優しくしなさい』
これだけではないが、弥堂に人間の皮を被せることに躍起になっていた彼女からは、特にこれらをうんざりするほど聞かされたように憶えている。
彼女の台詞を彼女の声で浮かべながら、彼女ではない少女の顏を目に映す。
腹いせに指を弾いて彼女の前で彼女の涙を放り捨ててやると、涙は虚空に溶けて『世界』の一部になった。
――ような気がした。
「おい、希咲」
「はっ、はいっ」
唐突に声をかけられ希咲は何故か緊張したように強張った返事をするが、彼女の様子を気にも留めず彼は言いたいことだけを言う。
「お前は俺の敵か?」
「え?」
「まだ敵対する意志はあるのか、と訊いている」
突然投げかけられた質問の意図が掴めない様子の彼女に重ねて問う。
「え、えっと……ない、もうしない。元々どうしてもケンカしたいくらいあんたのことキライってわけじゃないし……だからもうこれやめて? ホントに恥ずかしくてやなの」
「そうか」
ひどいめに合わされて泣かされた挙句にわけのわからないことまでされて、ここで彼と会ってからこっち散々に振り回されている。そんな混乱の最中でも質問に対して先に答えを述べ、それから理由や自身の気持ちを伝えるという、極めて理性的で理知的な回答を希咲はする。
にも関わらず、自己中心的な風紀委員の男は至極どうでもよさそうに相槌をした。
弥堂にとっては質問に対しての返答が『YES』か『NO』のどちらなのかが重要であり、その答えに至った相手の経緯や心情などにはこれっぽっちも関心がないのだ。




