序章24 膠着瞞着 ④
「ちなみに、あたしがさっき言ってた、あんたの手が触れてからあたしの胸を押し込んできたっていうのはどう言い訳するの? あんた色々ごちゃごちゃ言ってたけど最初のこれに答えてないの、あたしちゃんとわかってんだからね」
「それは誤解だ」
「急に口数が減ったわね」
希咲に胡乱な目を向けられながら、何がどう誤解なのかについては語らないが、とりあえず誤解であるとだけ弁明した。
「そんなことはない。そうだな、押されたとお前が乳房で感じたという話だったか?」
「だから言い方っ! あとスルーしてたけど『にゅうぼう』って読み方やめて! なんかやだ」
「注文の多い女だな。じゃあ乳房と読めばいいのか? それで何か変わるのか?」
「胸でいいでしょうが……あんたいちいち単語のチョイス変なのよ…………てか、話そらすな!」
「逸らしたのはお前だろうが」
弥堂は己を客観的に見ることのできない、理不尽な物言いをする女を軽蔑した。
「あぁ、もうっ! じゃなくて! あんたの手が押してきた感触したって言ってんの! むにってしたもん!」
「『むに』だと? 『ぷに』でも『ふに』でもなく確かに『むに』だったのか? おい、どうなんだ?」
「だあぁぁぁっ! もう、あんたはあぁぁぁぁっ‼ そのパターンはもういいわよっ! その3つで何がどう違うってのよ!」
「さぁな。ただ物事は正確である必要があると思っただけだ」
「論点を正確なままにしといてもらえないかしら……んで? どう言い逃れるのかしら?」
腕組みをしながら見下ろすように強気な口調で問い詰めてくる希咲だったが、しかし、この時すでに弥堂は己の勝利を確信していた。
現在議題に上がっている件についてもどうにでも言い逃れが可能であるし、なによりも、先程希咲が見せた疲れて諦めたかのような態度。
弥堂の腐った経験上、口論相手があのような状態になった場合、かなりの高確率で相手の妥協を引き出すことに成功してきた。
彼の尊敬する上司である廻夜部長風に言うのならば、『パターン入った』というやつだ。
「お前の言うその手を押し込んだだか押し付けただかというのは、お前の乳房が形状を変えるほどの圧力を俺がかけた状態を指すということでいいのか?」
「は? え? まぁ……うん……」
「では、先程お前は乳の形状を変えたのだな?」
「だからそうだって言ってんじゃ……違うっ! あんたまたそうやって変なこと言わせてイチャモンつけようとしてんでしょ! あたしじゃなくて変えたのはあんたでしょ!」
「どういうことだ? 意味がわからんな」
「だーかーらーっ! あたしじゃなくて、あんたがあたしのおっぱいのカタチ変えたんでしょうが‼…………ちょっと待って……あたしなに言ってんだろ…………もうやだ……あんたマジでもう…………もうっ……!」
頭痛を堪えるように額に手をあてながら、文句なのか自問なのか不明なことをつぶやく少女に、弥堂は「お前が勝手に喋ったんだろ」と反射的に言いたくなったが自重した。
仕留めるのならばこのタイミングだと判断したためである。
ここまで長い時間をかけてこの面倒くさい女との問答に付き合ってきたが、それもようやく終わる。
しかし、あくまで目的は今後この女で金を稼ぐために友好的な関係を結ぶことにある。こいつを言い負かすことが目的ではない。とは云え、譲れないものもある。
こちらが痴漢行為を働いたという点は認めるわけにいかないが、こいつが気分を害さない程度の勝ち方に留めなければならない。それには――
(――そうだな)
騒ぐほどの大層なモノでもないくせに、頼んでもないのに勝手に乳を押し付けてきた痴女的行為を許してやる。
こちらからの譲歩する部分はこんなものでいいだろう。
奴からしてみれば、禁止薬物の使用を見逃してもらっている立場だ。この程度譲歩してやれば喜んでこちらに従うであろう。それに加えて、稼いだ売上げからきっちりとこの女にも分け前をくれてやるつもりだ。勿論それには口止め料も込められてはいるが、だがそうだったとしても――
(――俺も随分と甘くなったものだ……)
弥堂はそう自嘲した。
希咲は目の前で突然、フッとか言って遠い目をしだした男をとても不審に思った。同時に絶対にこんな男の言いなりにはならないと強く心に決める。
決める、が――
(――あたし……マジでなにやってんだろ…………)
希咲もフッと遠い目になった。
目の前のこのアホ男との口喧嘩に勝ったとしても、それが一体何に繋がるのだろうか。
希咲 七海は苦労性な女子高生だ。
彼女が生まれ育ち現在も共に生活をしている家庭環境で多少の、彼女と交友関係にある幼馴染たちや彼らのご実家関連で多大な、多種様々な苦労や迷惑を被ってきた。
今まで矢面に立たされてきたトラブルは、彼女の記憶にある限りは他から持ち込まれたトラブルで、そういった意味では現在直面してるこのトラブルは初の自身発のトラブルであるかもしれない。
そんなトラブル慣れしている彼女であっても、今日の放課後だけで起きた出来事は、今まで経験したすべてのそれをひっくるめても超えている――というのは過言だが、肉体的な負担はともかく、精神的な疲労度ではぶっちぎりでワースト1を更新したと、そのように今の彼女には思えた。
気分の浮き沈みの多い希咲ではあるが、割とポジティブな思考をしているので、ひどい目にあったと感じたとしても、意味のない出来事はなくどんな経験も後々なにか役に立つ日が来ると――そう考えてこれまで色々と乗り越えてきたのだが、今日のこいつらとのあれこれに関してはどう前向きに変換すればいいのか、そんな彼女を以てしてもその術は思いつかなかった。
何の為に今自分は戦っているのかさっぱりわからなくなったが、このクズ男の言い分を受け入れるのも癪なので退くに退けない。
(もう帰りたい……バイトも休んで、おうち帰ってお風呂入っておふとんでまるくなりたい……)
自分にとって今日の放課後は一体何の時間だったのだろう。
答えの出ない、出す必要のない無駄な問いが彼女を只管苛んだ。
遠い目をしながら無言で向きあう男女を、すっかりと存在感を失くした『弱者の剣』のメンバー達が居心地悪そうに見守る中で、4月16日の放課後の時間は誰からも確実に失われていく。




