序章24 膠着瞞着 ②
「はぁ……もういいわ……」
やがて諦めたように溜め息を吐いた。
弥堂はその様子に一定の満足をした。
どんな相手であろうとも、例え相手が激昂していようとも、こうして時間をかけて丁寧に我慢強く論点を逸らし続けてやれば、やがては相手は疲れて諦めこちらの言い分を認めてくれるのだ。
弥堂は自身の交渉術にまた一つ自信を得た。
「ではこの話は終わりだな。たくさん喋って喉が渇いただろう。あとで飲み物を買ってやるからそこの隅で座って大人しくしているがいい」
「……うぅーー…………わかったけどぉ……でも触ったのは認めて謝って。それで今回は許したげるから」
チッと思わず舌を打ちそうになる。
しつこい女だ。弥堂は内心で眉を顰める。
だが――と。
脳裏でこの女の価値を計上する。
見た感じ現在は薬物による興奮状態からは抜けて落ち着いているようだ。弥堂としても、何も何が何でもこの女を殴り倒して打ちのめしたいわけではない。あちらに戦闘の意思がないのであればこのまま収めることも吝かではなかった。
今回は失敗したが先程に法廷院たちにそうしようと考えた通り、この女を使って愚かな男を釣り上げ金を巻き上げるというビジネスは計画ごと頓挫した訳ではない。十分に成功を望めるプロジェクトであるとまだ考えている。
それに加えてこの女の服用している薬物についてだ。
上手いこと入手先を聞き出して売人を攫うことが出来れば、相手によっては麻薬の販売ルートごと奪い取ってこちらで運用することも可能かもしれない。
やはりこの希咲 七海という女からは金の匂いがする。
少々情緒不安定で煩いところがネックだが、恐らく地頭は悪くない。薬物を止めさせ更生させればそれは解消されるかもしれないが、しかし頭の良すぎる女というのも逆に厄介になる。先程見せた戦闘能力も魅力だが、これがどの程度クスリに依存したものなのかも不明だ。
このまま薬漬けにして依存させた方が扱いやすいか、更生させて精神的に依存させた方が都合がよいかは、まだ検討と検証が必要そうだ。
おまけとして、何かと絡んできて厄介な水無瀬の緩衝材として便利に使えるかもしれない。
因ってこの女とは友好的な関係を結んだ方が自分にとって利益になると、対面でこちらに不満顔を向ける希咲を見つめながら弥堂はそう考えた。
一方、無言のまま無感情な顏で自分を無遠慮に見てくる男に、希咲は多大な不快感を示した。
「あんた、今絶対ロクでもないこと考えてんでしょ。段々わかってきたわ。超無表情だけど下心満載でしょ。えっちな感じじゃないけどなんかもっとサイテーな感じの下心」
やはり聡い女だ、と弥堂は評価した。そして同時にこの女と和解をすることを決める。
この女がどの程度使えるのかは現段階では未知数だが、有能すぎる味方は後々に目障りになることも確かに多い。そこは自分が上手く使えばいいとも考えられるし、それが難しいのならばその時は処分すればいいだけのことだ。
「おいこら、無視すんな。ったく、もう今回は色々と目つむったげるからさっきのことはあやまって。それで終わりにしましょ」
そして、その為には絶対に過失を認めるわけにはいかない。常にイニシアチブをこちらが握っている必要がある。
この手の女はこうして手打ちにしてやるなどと宣いながら、先々に何かあるごとにこのことを蒸し返してくるのだ。
一度でも過失を認めてしまえば、過去の罪状を掲げて次々と別のことを要求してくるに違いない。『あの時は私が折れた』『あの時は私が我慢した』などと。
故に、絶対に、断固として認める訳にも謝罪する訳にもいかない。
弥堂は自身の不健全な過去の人間関係からそのように判断をし、やはり薬物乱用の件で脅迫をして縛りつけることによって友好関係を築くことがベターであると、不健全な決断をした。
「下手な誘導尋問だな。そうやって譲歩したように見せかけても俺から自供はとれんぞ」
「あ、あんたってやつは……」
お互い折れようと提案しているのに、1ミリも譲歩する姿勢を見せないめんどくさい男の態度に、希咲は拳を握りしめワナワナと震える。
「頑固なのか、疑り深いのか、それとも駄々をこねてるだけなのか……せっかく人が大幅に譲ったげてるのにどこに着地させようとしてんのよ……」
「そう言われてもな。やってもいないことをやったなどと言わされてはかなわんからな」
「むーー。まだ言い張るかあんたはぁ」
本心で言えば希咲とてもうめんどくさい。このままなかったことにしてこの場を収め、さっさとバイトに向いたいというのが本音ではある。本音ではあるが、だがだからといって本当になかったことで済ますわけにもいかない。
ここで簡単に退いたら本当に泣き寝入りした気分にもなるし、なによりも、気軽に胸を触っても適当にあしらえる簡単でお手軽な女だとは思われたくない。
乙女の威信に懸けてここは退くわけにはいかないのだ。めんどくさいけど。
どうやってこの口の減らない無口な男を黙らせてやろうかという日本語として破綻した思考を巡らせようとするが、すぐに自身の記憶から閃きを得る。
「そうだ、繊維よ、化学繊維」
「なんだと?」
「こないだ動画で見たの。痴漢対策的なのでバズってたやつ。あんたも知らない?」
「バズ……? 意味不明な言語で煙に巻くつもりか? ナメられたものだな」
「えぇ……そっからかよ……」
動画内容どころかバズるという概念から知らない、こいつホントに高校生かという点から怪しい共感能力皆無のクラスメイトに意気を削がれて、希咲はガックリと肩を落とす。
しかし、すぐに気を取り直すとその細長い指を一本キレイに伸ばして立てて見せ、弥堂に向って解説を開始する。
「まぁいいわ……コホン。えっとね、化学繊維なんかで作られてる洋服を触るとね、目に見えないけど触ったとこに繊維? が付着するんだってさ。服に指紋も着くし」
「ほう。それは初耳だな」
「つまり! きっちりちゃんと調べればあんたの手にあたしの制服の繊維が着いてるし、あたしの制服にはあんたの指紋が着いてるってわけ。このままごねても行き着くとこまで行ってホントに調べることになれば、最終的に困るのはあんたなのよ」
ビシっと指を突き付け、痴漢の下手人にドヤ顏で通告をした。
「その動画とやらは何かそういったことの専門家や機関が投稿しているものなのか?」
「ん? え? どうだったっけ……SNSのTLに流れてきたやつだし、多分なんかよく知らん人だったかも」
「よくもそんなものを信じられるものだな」
「あによ」
ふふーんと得意げに勝ち誇っていた希咲に、弥堂は呆れの色を込めた視線を向けた。
「だって動画に付いてる他の人のコメントでもこれは間違いとか、嘘の内容だとか、そういう指摘のコメントなかったし、Goodも多かったもん。だから合ってるでしょ」
「コメントしてるそいつらが全員バカだったらどうするんだ?」
「はぁ? じゃあ、あんたはこの情報が間違ってるっていう根拠があるわけ? そうやってすぐに否定から入ってケチばっかつけるやつは嫌われんのよ、ばーかばーか!」
件の投稿にしっかりGoodと拡散を押して、ご丁寧に『貴重な情報ありがとうございます』的なコメントまで付けていた希咲さんはムキになった。
しかし、意外にも弥堂はそれには反論をしなかった。
「まぁいい。科学的にそれを否定する材料や知識も俺には持ち合わせがないし、仮にそれを事実とするとしよう。実際調べれば俺の手からはお前の制服の繊維とやらが検出されるだろうな。だが、それがどうした?」
「はっ、はぁ⁉ なんなのその開き直り方! どうしたもなにもあんたがあたしの胸触った証拠じゃないの!」
「それは違うな」
「な、なんて往生際が悪い男なの…………なにが違うってのよ。あんたの手にあたしの服の胸の部分から剥がれた繊維が着いてて、あたしの服の胸のとこにあんたの指紋が着いてたらもう何をどうやっても言い逃れできないでしょうが!」
「ふん、素人め」
「その論調でいくとあんたはプロの痴漢なのかしら?」
「今のは言葉の綾だ」
「こ、こいつ……」
希咲はこのロクでもない男に声を大にして怒りをあげたかったが、圧倒的な疲労感からそれは叶わなかった。
彼女のそんな様子を表情には出さずに確認をし、弥堂は思惑通りだと満足をする。そのまま休ませないように畳みかけていく。
「いいか。確かに俺の手からはお前の服の胸部の繊維が検出されるであろう。しかしそれは俺がお前に痴漢行為を働いたという証拠にはならない。なぜならば、あくまで俺はお前の服に触れたのであって胸に触れたわけではないからだ」
「こっこここここのやろうっ! なっんっなっのっよっ! あんたはぁっ‼」
彼女の経験上類を見ないほどに口の減らないクソ男の屁理屈に、希咲は床をダンっダンっと踏みつけて強烈な怒りを示唆した。
「服の上からならセーフとかぬかすつもりか! このクズっ! それがオッケーなら毎年こんなにいっぱい痴漢で捕まる人が出るわけないでしょうが!」
「ふむ。確かにそうだな。では次にどこからがアウトなのかを話し合おうか。そのあたりお前はどう考えるのだ?」
「えっ? えっ? な、なんなのこの会話……」
「だから服の上から触れた場合、どこから犯罪になるのかという点だ。何も意見はないのか? ないのであれば俺の見解を話すぞ」
「だめっ! なんかよくわかんないけどだめっ! あたしが話すっ。あんたはちょっと黙ってて」
「そうか。早くしろ」
「えっと……ど、どこから……?」
マジでなんなのこの議論、と希咲は首を傾げるが、このクズ男に自由に話をさせることに強い危機感を覚えたので必死に思考を巡らせる。




