序章24 膠着瞞着 ①
「ふん……さっき胸を触っただのと言ったな。それは確かか? 痴漢冤罪は許されざる大罪だと俺の所属する部活動の部長が仰っていたぞ。確かな話なのか? 勘違いでしたでは済まされんぞ」
「かっ、勘違いって、さわったじゃん! 自分のことでしょ! しらばっくれるつもり⁉」
「俺の記憶にはないな。そんな証拠があるのか?」
「しょ、証拠って……そんなの…………なんであんたたちクズってすぐ証拠とか言うわけ⁉ そんなのズルいっ! 男に触らしたことなかったのにっ‼」
放課後の私立美景台学園の廊下にて、まるで通勤時の駅のホームで稀に見かける光景のように、一人の男と一人の女子高生が『触った』か『触ってない』のかと言い争っていた。
「はて。ズルいと言われてもな。本当にお前の勘違いではないか? 先程からお前はひどく興奮している様子だが、正常な判断は出来ているのか? 一部始終をはっきりと記憶しているか? 俺がお前の胸部を触ったというのならば、いつ、どこで、どのように触ったのかを言ってみるがいい」
「えっ? いつって……さっき、そこでぶつかりそうになった後に! えっと……ど、どのように……?…………どのようにもなにも正面から堂々とガッてしたじゃないっ! くそへんたいっ!」
「『ガっ』だと? 間違いないか?」
「ないわよ! てか、あんたのことでしょ! いい加減認めなさいよ!」
「ほう。『ガっ』ということはつまりこういうことだな」
弥堂は言いながら鍵爪のように開いた手を希咲の方へガッと向けてみせる。
「こういったカタチで俺が触ったという主張だな? 間違いないか?」
「えっ? いや、そうじゃないけど……てか、その手こっち向けんなっ! なんかやだ!」
尋ねてくる弥堂に対して希咲は自身の胸を腕で覆うようにして隠した。
「お前の言い分がわからんな。『ガっ』と言うからこうして俺がお前の胸を掴んだと言っているものだと思ったんだが。どうなんだ? お前の認識している事実を言え。俺はお前の胸を鷲掴んだのか、鷲掴んでいないのか。答えろ」
弥堂は尚も言い募りながら差し出した手の五本の指を閉じたり開いたりして見せる。
「だからその手やめろっつってんでしょ! 指動かすな! なんかやらしいのよ、へんたいっ!」
問われた希咲は弥堂の生々しい指の動きが気になり過ぎて事実確認どころではなかった。
「む、貴様誤魔化したな。答えると何か都合が悪いのか? おい、どうなんだ」
希咲の嫌がる様子に効果的とみたか、弥堂は高速で手を『ぐっぱぐっぱ』してみせた。
「答えるけど、きもいからそれやめろっつってんのよ、あほっ!」
「ふん、いいだろう」
弥堂は割と素直にぐっぱぐっぱするのをやめ、希咲へと向けて伸ばしていた腕も降ろした。
「えっと……なんだっけ…………あ、手の形か。んと……あんたあれよ。手はグーにしてたでしょ」
「そうだな。ということは先程の貴様の証言と矛盾したな。拳を握ったままでは『ガっ』とはいけない。つまり冤罪だ。恥を知れ」
「こまかっ! そんなことどうでもいいでしょ! ……てか、あれ? なんでこんな話になったんだっけ……」
弥堂 優輝という男はどうでもいい細かい部分をしつこく追及して話を長引かせ、本質部分である自分に都合の悪いことを有耶無耶にする術に長けていた。
「どうでもよくはないな。事件として立証するには細部に渡ってしっかりと事実を確認せねばならん。これは常識だ」
「あんたが常識とか言うなっ! 事実ってんならそれで触ったのも事実でしょ!」
「違うな。さっきお前が言ったように、『ガっ』とは触っていない。それではまた最初の質問に戻るが、俺がどのように触ったというのだ?」
「はぁ? 擬音なんてどうでもいいじゃない、さわったくせに…………えっと、手がグーだから、こう……グッて感じ?」
現状に疑問を大いに感じながらも、七海ちゃんは基本的にいい子なので素直に考えながら答える。若干自信がなさそうに首を傾げながら弥堂へ向けて自身の手で作った握り拳を押し込むような仕草を見せた。
「つまり俺がお前の胸に拳を接触させて押し込んだというのか? 間違いないか?」
「あんたまだしらばっくれるわけ?」
「勘違いではないのか? 手の甲が当たっていたのかもしれんぞ」
「手の甲だったらなんだってのよ。それでも触ってるのは変わんないでしょうが」
自分でも何の話をさせられているのかわからない長い問答に、希咲は知らずの内に最初の怒りをどこかに置き忘れてきていた。そしてそんな彼女の様子に弥堂は思惑通り薬物の効果が切れてきたのだと、内心ほくそ笑んだ。
「俺の知人のとある有識者によると、『手の甲はセーフ、手の甲は合法』という論説があるそうだ。故にどの部分が接触していたかという情報は実に重要な論点となる」
「はぁ? ふざけんじゃないわよ! どこで触れようと触ったは触ったでしょ! それに絶対手の甲じゃなかったわよ。あんたさっき壁壊した時の変態パンチしてきたじゃない!」
「仮にお前の言うことが事実だとして、俺がお前に零衝を放ったとしよう。だがお前は回避したではないか。本当に触れていたか? 気のせいではないか?」
「なによ、ぜっしょうって……名前があるような技なわけ? なんてもん女の子にぶっ放してんのよ。頭おかしいんじゃないの」
「お前も大概だろうが。常人があの蹴りを頭部に受けたら簡単に首が折れるぞ」
放課後の学校内で繰り広げられるおよそ普通の男女の学生の会話に似つかわしくない物騒な内容に、傍から聞くともなしに聞いていた、この二人にケンカを売った恰好になる身体能力的には普通の高校生である法廷院たちは震えた。
「お前は俺が拳を押し込んだようなジェスチャーをしたが思い違いではないか? 俺が触れる前にお前が避けた可能性はないのか?」
「ないわよ! 自分の身体だもの、触られたら感触でわかるに決まってんでしょ!」
「ほう、それは確かか? 肩でも鎖骨でも肋骨でもなく確実に胸か? 勘違いではないか?」
「ちがうわよっ! 絶対胸だったもんっ! 感触したから!」
「そうか。ではお前は確かに胸で感じたのだな?」
「そうよ! あたしは絶対に胸で感じたわよっ!」
勢いよく断言した希咲であったが自身の発言内容に違和感を感じ「……ん?」と首を傾げると、すぐに何かに思い至りカァーッと顏を紅潮させ慌てて訂正をする。
「ちっ、ちがうわよっ! なんてこと言わせんのよっ! 感じたってそういう意味じゃないから! 触られた感触がしたって意味だから! 勘違いしないでよね!」
「何言ってんだお前」
情緒不安定な女の様子に弥堂は呆れたような眼を向けるが、その彼に対して希咲もまたジトっとした視線を返した。
「ねぇ、てかさ、あんた。さっきから事実確認とか言ってネチネチ尋問みたいな真似して、あたしにえっちなこと言わせようとするセクハラしてんじゃないの?」
「ひどい言い掛かりだな。お前が一人で勝手に騒いでいるだけだろう」
「ホントかしら。さっきのあんたじゃないけど、訴えたら100%勝てる気がするわ」
「そう思うならそうしてみるがいい。だがこの程度のことで大騒ぎしているようなお前に、果たしてそんなことが出来るかな」
「はぁ? なにそれ。バカにしてるわけ?」
今度は剣呑な色を瞳に宿す希咲の顔を見て、こいつもよく表情の変わる女だとどうでもいい感想を浮かべながら、弥堂は彼女に無機質な眼を向ける。
「馬鹿になどしていない。ただの事実だ。いいか? お前が俺を強制わいせつだかなんだかで起訴するというのであれば、法廷で俺の罪を問うことになる検察官はより詳細に原告であるお前に事件当時の様子を細やかに問うだろう。触られたかどうかを感触によって判別したお前の胸の感度がどれほど正確かを数値化する為に、お前を裸に剥いて実際に触って確かめるだろうな。サンプル数は一つでは足りないからお前は複数人の相手をすることになるだろう。お前はその検証作業に耐えられるのか?」
「んなわけあるか! それっぽい口調で適当なことばっか言うんじゃないわよ! そんな検察官いるわけないでしょうが!」
遵法精神など欠片も持ち合わせていない風紀委員の男がぶちまけた、日々この日本国の法を守る為に真面目に働いておられる検察の方々へのアツい風評被害に、見た目に似合わず意外とよい子なギャル系JKは憤慨した。
「それに裁判沙汰ともなれば事は公のものとなる。俺は構わんがお前は友人も多いだろう? その関係者すべてにお前は校内で男に乳をいいようにされた女として周知されることになる。そうなれば今後の人生を快適に過ごすことは難しくなるぞ? 愚かな民衆どもはどうしてもお前をそういう目で見続けるだろう。仮に勝訴したとしても割にあわんと思わんか? なにも犯されたというわけでもないんだ。多大なデメリットを抱えてまで意地を張ることはお奨めしない」
「こっ……こっのクソやろう……あんたさっきと言ってること180度変わってるじゃない……勇気をもって訴え出ろとか言ってたくせに!」
「そうだったか? 記憶にないな」
「俺だけは最後まであたしの味方だとかも言ってたわね」
「状況が変わった。俺はそのつもりだったがお前が自発的に敵に回ったからな。そうなると話は変わってくる」
「こんのクズやろう……あたしが悪いみたいに言いやがって…………あれ? てか、あたしたちなんでケンカしてたんだっけ……? もうやだ……あんたと話してると全部わけわかんなくなってくる……」
「俺が知るか。お前が衝動的に襲い掛かってきたんだろうが」
「人を暴漢みたいに言うな……絶対あんたが悪いんだからね……」
こちらの罪を咎める口調とは裏腹に希咲は疲れたように肩を落とした。実際に疲れたのだろう。
それも無理はない。『弱者の剣』に『風紀の狂犬』弥堂 優輝、このおかしな学園でもトップクラスに頭のおかしな連中を立て続けに相手にしたのだ。何かと苦労性な彼女でもここまでの地獄のような連戦はそうそう経験したことはなかった。




