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俺は普通の高校生なので、 【序章】  作者: 雨ノ千雨
序章 俺は普通の高校生なので。
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序章23 掌球に刺さる牙 ④

 ズダンッ――と先程コンクリの壁を抉ってみせた時と同様の音が廊下に轟く。

 

 

 自分よりも速い相手との戦闘に慣れている弥堂と、自分よりも速い相手と戦ったことのない希咲。

 不測の事態による思考停止から次のアクションを起こすまでの反応速度に明確な差を齎したのは、その経験の違いであった。


 踏み抜く勢いで床を鳴らし、生じたエネルギーを各部関節の回転により余すことなく希咲の肉体へと徹す為に突き出された弥堂の拳。


 だが、その拳の先には誰もおらず、また一切の手ごたえを感じることもなかった。



「あっ……あんたっ……、むねっ……さわ……っ……」


「…………」


 本来であれば自分に打倒され足元に転がっているはずの敵の声が背後から聴こえてくる。

 弥堂は黙って振り返りながら、視線を一層鋭くさせる。


(こいつ……)


 至近距離で直接触れていたのにも関わらず、またも完全に見失った。


 彼女の胸に触れていた自身の手に伝わっていた感触が、離れたのではなく突然なくなった。そのように感じられ、また眼前に居た彼女を映していた弥堂の眼にもそのように視えて、視えなかった。


 まるで瞬間移動でもしたかのように。



 接地した足の爪先を捻って技を始動して身体の各関節部位を適切に稼働させることで、敵に触れた手から相手の身体の内部に直接威力を徹す。まるで大地からエネルギーを汲み上げて体内で運搬しそれを使用するような技法には、確かに複雑な工程と高度な肉体操作が必要とされるが、技を始動させてから威力が発揮されるまでの時間はそう長くはない。


 弥堂にこれを仕込んだ師である彼女ならばその一連に0コンマ1秒も要さないが、彼女に到底及ばない弥堂であっても1秒もかからない。


 その僅かな時間の間で、接敵している自分の目の前からそうと気付かせずに完全に消えてみせる。


 そんなことが可能だろうか。


(通常は、不可能だ)


 師である女から未熟だと評されてはいたが、だが、それでもあの状態から技を放ってこのように完璧に外されたことなど、弥堂の経験にはなかった。

 そんなことは不可能なはずだ。この業は――彼の師であるエルフィーネから教えられたこの『零衝(ぜっしょう)』とはそのようなものではない。


『普通は』不可能だ。しかし現実にそれは目の前で起こった。


 であるならば――


(――こいつ……何かやっている…………)


 しかしそれがわからない。


 弥堂は自身の眼の性能にも一定の信頼を置いていた。


 初見で敵が特殊な行動を起こしたとしても、それがどのような原理のものかまでは一見で看破することは困難だが、それでも『なにか』をやっている――『なにか』しらの力が作用しているということは、ほぼ100%に近い精度で視抜くことが出来ると自負していた。


 しかし、この希咲 七海という女に関しては、事実としてそれがまったく通用していなかった。


 彼女の体格からは考えられない打撃の威力。人間では考えられない速度。そして速度という概念すらも超越したかのような先程の回避行動。


 通常実現不可能なことばかり。


 それをどう実現しているのかがわからない。それを実現する為の何かを何時どう支払っているのかもわからない。


 紛れもなく難敵であった。



 弥堂は一層眼に力を込める。


 仕掛けのタネの尾すら見せずに、こちらの必倒の技法の一つを凌駕してみせた少女は、勝ち誇るでも余裕を見せるでもなく、何故か顔を紅潮させ焦ったような混乱したような様子で、言葉にならぬような声を発している。


(何故焦る必要がある……?)


 これがあの超常的な力の代償なのか、と推測する。超人的な身体能力の代償に正気を失うのだろうか。若しくは逆に――


(――まさか薬物か)


 薬物により脳のリミッターを外し人間の域を超える。そういう類の話は弥堂にも覚えがあった。


「貴様、校内での禁止薬物の投与は校則違反だぞ」


「はぁ⁉ なにいみわかんないこと言ってるわけ⁉ このセクハラ野郎! レイプ魔‼ しねっ!」


 自身の胸を守るように押さえ『あうあう』と紅潮しながら唸るだけの被疑者と会話を試みてみた結果、それなりに日本語として成立した返答が返ってきた。しかし、彼女が何を根拠にこちらを性犯罪者呼ばわりしているのかわからないし、薬物の使用に関する言及に対しての返答としては会話の流れ上は不適切な発言だとも判断できる。


 薬物の使用の有無の判断材料としては足りないと感じた弥堂は尚も対話を試みる。


「意味不明なのはお前だ、希咲 七海。お前には薬物の使用の嫌疑が掛かっている。袖を捲って腕を見せてみろ」


「何でいきなり薬物の話がでてくんのよっ! あんなことしといて意味不明ってなによっ! ふざけんな変態っ!」


「あんなこと? なんのことだ」


「なんのって……だって、さわったじゃないっ!」


「触った? 何に?」


「なにって……その…………」


 そこで酷く興奮した様子で怒りを捲し立てていた女が言い澱んだ。弥堂は希咲の目に理性の光が戻っているか確認しようと、彼女の顔を注視したが、目に浮かべた涙を緩く握った手でぐしぐし拭っている為よく視えなかった。


「キャンキャンと何かと煩いくせによく言葉を濁す女だな、お前は。面倒だからさっさと言え」


「なによっ! あんたが悪いんじゃないっ‼」


「だから何が悪いのかとっとと言え」


「な、なにって……だって……むっ、むむむむむむねっ! むねさわった!」


「は? なんだと?」


「さわったもんっ!」


 顔を紅くし眉を吊り上げ目尻に涙を浮かべながらも、そう言って睨みつけてくる希咲に、弥堂はこいつは一体何を言っているんだと訝しむ。


 別の方向からはチッと舌を打つ音が聴こえた。もちろん白井さんだが弥堂はそれには関心を示さなかった。


 うー、と咎めるようにこちらに視線を向けてくる希咲の――敵の言っていることがまるで理解できない。


 弥堂の認識によれば現状はこの女と戦闘状態のはずだ。敵を無力化する際に、人体が活動する上で重要な器官である心臓を狙うことなど何もおかしなことではない。


 ましてや、そもそも先に戦闘を挑んできたのはこの女の方だ。


 まさか無抵抗でやられろとでも言うのか。自分から攻撃を仕掛けておいて反撃されることに抗議を、それも敵にするのか。支離滅裂だ。


(やはり、薬物か……)


 クラスメイトの普段は割と明晰な思考をすると思っていた女子生徒の論理の破綻した様子に、弥堂は彼女の薬物使用に関する疑惑を強くした。


「おい、もう一度言うが、袖を捲って腕を見せてみろ。靴下も脱いで足も見せろ」


「いやよっ! なんでそうやって見ようとすんのよ! 変態っ!」


「変態だと? 意味のわからんことを言うな」


「いみわかんないこと言って変なことしてくんのはあんたでしょ!」


「何言ってんだお前」


「したじゃんっ!」


 いよいよ会話が成立しなくなってきた被疑者の様子に、弥堂は幻覚系などの妄想拡大する類の薬物の可能性に見当をつける。おめめをうるうるさせながら必死に捲くし立ててくる希咲に、以前に見た中毒者たちの姿を重ねる。彼らはもっと目がイッていたような気がしたが、その程度はまぁ誤差であると弥堂は判断をした。


「したもんっ! ス、スカートめくってパンツ見せろって言ったし! え、えっちなこともしてきたしっ!」


「なんのことだ」


「したじゃんっ! 勝手にぎゅってしてきたし……お、おしりもさわった! あ、あと……みみっ! みみに…………したじゃんっ‼」


 若干幼児退行したような口調になってきている彼女の姿と、弥堂の記憶にある薬物の重篤な中毒者である中年男性が副作用が齎した幻覚の中の母親に「ママー、ママー」と甘えていた姿が完全に一致した。


「あ、あと、見せてきたし! 変なもの見せたじゃんっ!」


「変なものだと? なんのことだ?」


「なにって……言わせようとすんなセクハラ魔! ってか、見てない。見てないのよ七海。見てないから見てないって言ってんでしょ! このバカっ! ばかばかばかっ‼」


「…………」


 ついには喋りながら自己否定を始めた彼女の容態に、弥堂は薬物の使用を確信した。


「おい、腕か足首あたりに注射痕があるだろ。見せろ。それとも吸引しているのか?」


「きゅっ、吸引っ⁉ は、はぁ? いっいいい、いみわかんないこと言わないでよね、くそへんたいっ! あっ、あたしふつうに胸あるしっ! でも絶対見せないんだからっ! しねっ‼」


「……どういう意味だ」


「どっ、どういうって…………うっ、うるさいばかしねっ! かっ、勘違いしないでよね、あたし吸引マッサージ機なんて持ってないし、使ったこともないんだからねっ!」


「…………まぁいい。協力的でないのであらば、あとで拷問部屋に連れ込んで無理矢理にでも剥いて隅々まで調べてやる。俺の目を欺けると思うなよ」


「れっ、レイプ魔っ! やっぱりレイプ魔じゃんっ! 誰があんたなんかにやらせるか、しねっ!」


「…………」


「しねしね」連呼するばかりでまるで要領を得ない会話だったが弥堂は辛抱強く対応をしていた。


 薬物の興奮状態により意味のある言葉のやり取りは既に不可能であったが、彼女の力がクスリによって得られているものなのだと仮定した場合、それは時間の経過でクスリが抜ければ失われるはずだ。


 確実にこの薬中女を仕留めて拷問部屋に連行し尋問を行うためには、ここで会話を引き延ばすことによって時間を稼ぎ、余力を残した状態で勝利をする必要がある。慎重な対応が求められた。


 難しい状況ではある。しかし弥堂には自身はプロフェッショナルであるという強い自負があった。この程度の駆け引きなどこれまでに踏んできた場数を考えれば造作もない。


 いつも通り無表情で無感情ながらも、弥堂はその眼の奥に誰にもそれとは悟らせずに挑戦的な色を宿した。


 すっかり放置されていた恰好の『弱者の剣(ナイーヴ・ナーシング)』の面々はというと、一時は突発的な超人ガチバトルにドン引きしていたものの、現在の緊張の緩んだ二人のやりとりに安心をし、またも仲間内でスマホゲーを再開していた。


 白井の歯を噛み締めるぎりぎりっという音がやけに鮮明に廊下に響いていた。


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