序章23 掌球に刺さる牙 ③
希咲の視線の先、こちらの戦闘続行の意志を感じ取ったわけではないだろうが、弥堂が動きを見せる。
高杉と戦った時の最終幕、その時と同じように、地に根を下ろすようにずっしりと構える。
(ま、そうくるわよね)
先の高杉との対決の際は後ろ手に隠していた右手は腰だめに置かれている。
(今思えば――だけど、あの時制服の汚れ払ってるフリして、爆竹とライターをポケットから取り出してたのかしら)
卑怯で悪辣だと糾弾したが、抜け目がないとも謂える。自分に対しても、もしかしたらすでに何かしらの罠を張っている可能性は十二分にある。
競技や試合ではないのだ。いくら卑怯だとはいっても、罠に嵌って負けてから文句をつけたとしても、何も意味を為さない。
希咲もまた戦闘用に再度意識を切り替える。
弥堂の目が自分を見ている。
見た目ではいつもの無機質で無感情な目と変わらないように思えるが、たまに彼に見られていると何か不安で不快に感じることがある。今のこの時のように。
(また、あの目……なんて言っていいかわかんないけど、なんか――気持ち悪いっ……)
時折彼の視線に感じる違和感、不快感。特に自分や水無瀬を見ている時に稀に正体不明の不安を感じる。普段と何が変わっているということもないのだが、何か自分の奥底が、根底が見透かされるような、覗かれているような不愉快さがある。
(考えたってわかんないもんはしょうがない。今はもっと目先のこと考えなきゃ)
一部始終を見学していた高杉との戦い、そして直接やり合った上でわかった弥堂の戦闘能力。それを踏まえての自分との戦力差。
(当たり前だけど戦う技術はあいつの方が全然上。でもスピードで押し切れる……まぁ、基本あたしそれしかできないけど)
希咲もまた自分が負けるとは少しも考えていない。
(さっきの壁を壊した変なパンチ。どうやってあんなことしてんのかさっぱりだけど、あれはさすがにもらったらやばい)
先程弥堂が法廷院たちを脅す為にやってみせた、壁に拳を押し当てた状態のまま打ち込んだ拳撃。コンクリートの壁を砕く程の馬鹿げた威力を持っていた。
(でも、それよりも注意しなきゃいけないのは――)
これもまた弥堂VS高杉の決着シーンのスタート場面。思い出すのは今目の前の弥堂と同じような構えをしている状態から、高杉に対して先手をとって懐に入ったシーンだ。
(あの時高杉は先に仕掛けようとしてた。でもそれより先に弥堂が距離を詰めた。そこまでは別にいい――だけど)
あの時の高杉の反応と表情が浮かぶ。
(高杉のあの顔……弥堂が接近するまでまったく反応できてなかった。後ろに居たあたしには弥堂はそんなに速く動いたように見えなかったのに……一瞬見失ったみたいなリアクションしてた)
自分と戦った相手があの時の高杉のような顏をするのを何度も見てきた。圧倒的な自分のスピードに着いてこられない相手がよくする反応だ。
特別弥堂が速かったわけでも、特別希咲の動体視力が優れているから見えた――という理由からでもないだろう。客観的に見てもあの時の弥堂の速度は遅いわけではないが、人が人を見失うようなレベルのスピードでもなかった。
(多分、何かタネがある……けど、あたしじゃ今ここでそれを解き明かすのはむり。真刀錵や蛮ならわかるのかしら……)
今ここに居ない、高校生のくせに何故か戦いに深く精通している幼馴染たちを思い浮かべるが、すぐに振り払う。
(もしも、あたしも高杉みたいに反応できなくなるような、そんなタネがあるなら……その時はあのいみわかんないパンチを打たれる。最悪、一発だけならもらっても平気だけど、なるべくそれは避けたいわね)
スピードなら圧倒的に自身が有利、体力にも自信はある。だが、相手にも自身を倒しうる攻撃があり、そしてそれを当てる為の手段があるかもしれない。
(何をされるかわかんないなら――何かするよりも速く近づいてその前に蹴り倒す――っ!)
プランが固まる。
(てか、普通はさっきので終わってるはずなのに、なんであれぜんぶ避けられるのよ……どうなってんのよ、あいつ)
まぐれなどではなかった。あの時彼は確かに自分の蹴り足を目で追って捌いていた。
高速で振り回される足が見えていたのなら――そのもう一つ先にある事実に今の彼女は気付いておらず、普通の女子高生にあるまじきスピードで一撃で人間を昏倒させる蹴りを放つ自分自身を棚上げして希咲は心中で憤った。
(悪いけど、あれでキマんないんならもっと本気でやらせてもらうわ……あとで謝るから恨まないでよね……っ!)
あれだけの強さがあるのなら、当然それに対するプライドもあるはずだ。これから彼を蹴り倒すので、その後根に持たれて気まずくならなければいいな……と脳裏に過るが、今は余分なことだと頭から追い出す。完全に戦う為だけの思考に変える。
希咲の瞳が再度戦意に煌めく。
弥堂の眼は芯に鋭さを佩びる。
数瞬か、数秒か。
ほんの僅かな時を見詰め合い、そして次の瞬間――ちょうど二人のそれぞれ立っていた場所と場所を繋いだ直線上、その中間点にてぶつかりあってしまいそうなほどに肉薄し、弥堂と希咲は邂逅した。
驚愕に目を見開く。
弥堂も。希咲も。
両者とも先手をとろうと先に仕掛けたつもりで、両者とも相手を一瞬見失い、そして思いがけない地点で、タイミングで、両者ともに間合いを破壊され己の指し手の失敗を感知する。
弥堂もまた希咲と同様に先手をとることを目論んでいた。圧倒的な彼女のスピードの最大値がわからないため、先に高杉にそうしたように、希咲が動き出す直前に彼女の自分への認識を切り、その間に接近し殴り倒そうと、そう考えていたのだ。
間違いなく彼女の認識から自分を外したはずだった。
彼女が自分を見失い、自分が先に動いた。
しかし、思ったよりも早く回帰した彼女が遅れて動き出し、弥堂の視界から完全に消えた。
視認することが不可能な速度で視界から消えた彼女を、見失ったと認識した瞬間には、彼女は弥堂の目の前に現れていた。
奇しくも、それまで二人が立っていた場所のほぼ中間点で。
お互いに相手を見失い、お互いが突然に眼前に現れたことに驚き足を止めてしまった。
コンマ数秒の自失――そこから先に行動を起こせたのは弥堂だった。
握った右の拳を彼女の心臓を狙って胸に押し当てる。
ふにっ――
「えっ……? やっ……」
分厚い下着のパッドの向こうの柔らかみに触れたと弥堂が、或いは希咲が触れられたと感じたその瞬間――
ズダンッ――と先程コンクリの壁を抉ってみせた時と同様の音が廊下に轟く。




