序章23 掌球に刺さる牙 ②
「…………」
弥堂は彼女へと視線を向けたまま、無言で足を降ろすと半身になる。
希咲もまた、この立ち合いが始まる前と同じ姿勢で、片足の踵を軽く浮かせた状態で弥堂を見ていた。
再び場に静かな重圧が満ちる。
緊張と目の前の光景に耐えかねて、西野と本田が法廷院に取り縋った。
「だ、代表っ! 何かいきなり本格的を通り越した超人バトルが始まって困惑どころじゃないんですけど!」
「まずいですよ! 希咲さんめちゃくちゃ強いじゃないですか! あの弥堂が吹っ飛んでましたよ! てか、人間って飛べるんですね! リアル空中コンボですよ!」
「僕ら希咲さんにとんでもないことしてますけど、大丈夫なんですか⁉ あんな蹴りくらったら普通に死にますよ⁉」
「あははー……やだなぁ二人とも、落ち着きなよぉ。死ぬだなんて大袈裟な。だってそうだろぉ? ねぇ、白井さん?」
「…………」
白井さんは青褪めた表情でプルプルと震えていた。無理もない。希咲さんに一番とんでもないことをしでかしたのは、考えるまでもなく彼女だからである。
たった今、希咲が目の前で見せた――見せたというか、白井を含めた彼らの動体視力では先程の高杉と弥堂の戦闘以上に、何が何だかわからないほどの――女子高生離れどころか人間離れをした戦闘能力に、これまでのように軽口を叩いて惚けるような余裕を失くしてしまっていた。
つまり白井さんは完全にビビリ倒していた。
「……解説の高杉クン、これはどんな感じかな?」
法廷院はそんな白井の様子は見なかったことにして高杉へと問いかける。しかしその頬には一筋の冷や汗が流れた。彼もまたようやく危機感を感じ始めていた。
「…………圧巻、ですね」
問われた高杉は少し言葉を探してから端的に答えた。
「ほ、ほう? ……あの、もしかして希咲さんってキミより強かったりする? そこまではないよね? ね?」
「……もしも自分が弥堂の立場でしたら、すでに床に沈んでいるでしょう……」
不安気に尋ねられた問いに高杉は正直に、しかし悔し気に事実を言った。
「なんてこった」
法廷院は諦めたように顔を覆い天を仰いだ。
「あの、代表? これって弥堂が敗けたら次は僕らが蹴られるんでしょうか?」
「で、でもさ、西野くん。弥堂にやられるよりはマシじゃないかな? 希咲さんなら本気で謝れば許してくれるかも……で、ですよね? 代表」
西野と本田が不安気に問いかける。
「うーーん……ボクも希咲さんに一票かなぁ……どうかな、高杉クン?」
「はい。一応は見たとおり希咲が現状優勢でしょう。しかし弥堂もほぼ完璧に近い形で凌いでいます。素晴らしい技術です。ですが、彼女のスピードは圧倒的です。弥堂が勝つには彼女を摑まえるしかないですが、追って捉えられるとは思えません。持久戦に活路を見出す他ないでしょう。希咲の体力が尽きるまで凌げば弥堂の勝ち、それまでに仕留められれば希咲の勝ち。恐らくそういう勝負になります」
「なるほどー。まぁ、どっちが勝つにせよ、終わったらみんなで希咲さんに土下座だね、あははー」
「もしも弥堂が介入してこなかったら僕ら彼女にボコボコにされてたかもしれないですね、ハハハ」
「敵とはいえ、風紀委員さまさまですねー」
元空手部の高杉が詳しく解説してくれたが、素人であり特に運動を普段からするわけでもない法廷院たちにはよく理解できなかったので、とりあえず彼らは朗らかに笑った。
彼らは後輩の女子にボコボコにされるかもしれないという現実から逃避したのだ。
謝ったところで到底許されないレベルで希咲にケンカを売った白井さんはガタガタと震えている。
弥堂と希咲もまた、今の立ち合いの戦果から互いを考察する。
(以前から、身体能力は高いとは見ていたが……ここまでとはな)
弥堂もまた希咲 七海の戦闘能力を高く評価していた。元々運動神経の優れた少女だとは思っていたが、想定していたよりもはるかに彼女のクオリティは高かった。
ナメていたわけでは勿論ないが、まさか同じ学校の同じクラスに身体能力のみで己を圧倒する者がいるとは想定していなかった。
そう――
――身体能力『のみ』である。
弥堂は彼女に強く不自然さを感じていた。
(立ち姿は綺麗だが、格闘技や戦闘術を学んだ者のそれではない……だが、闘いにはそれなりに慣れている雰囲気はある。よくわからん女だ)
立ち姿、歩き方、振舞い。
そこに戦闘を生業にする者の匂いは感じられない。あれほどの猛威を奮った後の今現在でさえ、こうして弥堂の目の前に立つ彼女の姿からもそれは同様だ。
しかし、攻撃に移る瞬間からそれが変わる。
人間が人間を打倒する技を行使するのに最適な身体の使い方をする。攻撃を実行しているその時だけ。
(意図的か? だが、ここに至ってはそんな擬態はもう意味を為さない)
不自然な動き、不自然な身体能力、不自然な攻撃力。
(だが、問題はない)
敵である以上倒してしまえばそれで済む。弥堂は自分が勝てないなどとは少しも考えていなかった。
希咲 七海もまた弥堂 優輝を考えていた。
(う~ん、やっちゃったなぁ……)
そして彼女は少し困っていた。
(ムカつきすぎて勢いでケンカしかけちゃったけど、どうしよっかなぁ)
自分のとんでもない姿を写した画像をクラスメイトの男の子が持っている。その事実についカっとなり、写真を消去させようと飛び掛かったものの、全然摑まえることが出来なくてムキになってしまい、攻撃を仕掛けてしまった。
しかし、割とさっぱりとした性格で理知的でもある彼女はよくも悪くも怒りが持続しないのだ。
全力ではないが、ガードの上からとはいえ、結構本気で何発か蹴りを入れたので、それでもう大分すっきりしてしまっていた。
先程の立ち合いで彼をKO出来ていたらそれはそれでよかったのだが、怒りが醒めてしまうと、ここからさらに攻撃を仕掛けて彼を蹴り倒すのはちょっと躊躇してしまう。
写真のこともそうだし、今日ここでの色々を踏まえて最低なヤツだとは思うが、それでも彼はクラスメイトだし、親友の好きな人だし、別に本気で嫌いなわけでも憎いわけでもなく、ましてや絶対に倒さなければならない敵、というわけでもない。
ただ、それでもやはりあの写真だけは消してもらわないと乙女的には大変困る。
(……あの写真出してきたってことは、あいつもう見たのよね……あたしの、ぱ、パンツ……うぅ……くそぉー……)
彼氏でもなければ好きな人でもない、自分との特別な関係があるわけでもない男の子に見られてしまったことが悔しいし恥ずかしい。
もちろん、制服のスカートを標準よりも自分で短くしているので、常日頃最大限に気を付けてはいるのだが、自分の与り知らぬ時にどこかでチラっと披露してしまったことがある可能性が絶対にないとは言い切れない。
希咲 七海はプロフェッショナルなJKだ。自分的に可愛さを追及する上で、それに伴うある程度のリスクを覚悟はしている。
でも、あんなに思い切り捲れた状態で――というかどんな状態であれ、男の子に下着を見られてしまったのは――見られてしまったと認識をしたのは初めてだ。
怒りで忘れていた羞恥が湧き上がる。
(ダメよ、七海。それを考えるのはあとよ。まずはここを終わせなきゃっ……くっそ、アホ弥堂ぉ……っ)
落しどころを考える。
『あたしすっきりしたしもういいやー。あ、写真は消してね』とかで引き下がってくれるだろうか。
先程までの『弱者の剣』への彼の対応からすると、とてもそうは思えない。
弥堂の様子は変わらない。
自分がケンカをしかけた前も後も、高杉と戦っていた時も、もっと言えば普段の日常を過ごす彼の表情とも一切変わっていない。いつも通りの無表情・無感情だ。
ケンカをしかけられて怒っているという雰囲気も一切ないが、とにかく融通の利かない彼はだからといって鉾をおさめてもくれないだろう。
(てか、人のパンツ見といてなにケロっとしてるのよ……さっきだって……)
思考が逸れて今日ここでの色々が思い出される。
(あんだけ色々やってくれやがって顔色一切変えないとかなんなわけ……!)
怒りが持続しない彼女は、怒りが醒めるのも早いがしかし再燃するのも早かった。
人、それを怒りっぽいと云う。
(あたしのこと好きでもないくせに、今日だけでどんだけ色々あたしのはじめてを……っ!)
『パンツ見られた』『抱きしめられた』『耳元でこしょこしょされた』、極めつけに『間接べろちゅー』。
脳内で並べた、弥堂に奪われた『はじめて』。そしてそれはそのまま全て奴の罪状となる。
(あ、やっぱすんげぇムカついてきたわ。あんにゃろ、泣かしたる)
乙女裁判により弥堂 優輝の死罪が確定した。
親友の好きな人だとはいえ許せないことはある。というか、親友の好きな人だからこそ、彼女の友達である自分にこんだけしでかしてくれたのは許しがたいのだ。
女の子同士のこういった色々はとっても複雑でセンシティブなのだ。この落し前はきっちりとつけさせねば。
希咲の視線の先、こちらの戦闘続行の意志を感じ取ったわけではないだろうが、弥堂が動きを見せる。




