序章21 罪を補闕する罪 ⑤
「てかさ、裁判って何の裁判するのよ。あんたさっきからさ、あたしがその、なに? お、犯されたとか言ってるけど――」
「あぁ、もちろん婦女暴行、正確には強制性交等罪だな」
「強制せい……なんて?」
「要するに強姦だ」
「ごっ⁉ ――ア、アホかああ‼」
躊躇いもなく告げられる生々しい言葉たちにまた頭が混乱しそうになる。
「あんたそれで裁判って、絶対やめてよね! 大騒ぎになってあたしみんなに誤解されるでしょ!」
「そうだな。裁判ともなれば事件が公になり事を広く知られてしまうことにもなるかもしれない。それを恐れて訴えを出さない女性も少なくない。だがそれでは薄汚い犯罪者どもをのさばらせることに繋がる。希咲よ、どうかここは勇気を出して踏み出して欲しい。必ず最後まで俺が力になると約束をしよう」
「いや、だからそうじゃなくって! そもそもあたしそこまでされてないのに、そんな騒ぎにして変な目で見られたくないって言ってんのよ!」
「認めたくない気持ちはわかる。だが先程説明した通りお前は9割は犯されている。辛いだろうが現実を受け入れ共に戦おう」
「だからそのわけわかんない割合システムやめろ! 9割どころか1割も犯されてないわ! そういう話が広まったらどんどん内容盛られて全員に変な目で見られるようになるのは目に見えてるでしょうが!」
「落ち着け希咲」
「落ち着いていられるかアホ! そもそも訴訟するにもこの話スタート地点から完全にウソじゃ――」
「――希咲っ!」
「――ぎゃあああああああっ‼」
証拠品として提出予定の録音中のボイスレコーダーの前で、これ以上錯乱した被害者役に都合の悪い話をされては敵わないと、弥堂は希咲を強く抱きしめ物理的に黙らせにかかった。
「気を確かに持て。感情に流されてはいけない」
「あっ、あんたっ、なっななななななっなにして――ちっちかい、ちかいちかい――」
弥堂は以前に、人は他人の心臓の音を聴くとなんか安心して落ち着くとかいう知識を適当に聞きかじったことがあったので、片手で希咲の後頭部をしっかりと捕まえ無理矢理自分の胸に押しつけた。もちろん不意に股間などを蹴り上げられたりしないよう、もう片方の腕で希咲の細い腰をがっしりロックし、反撃を繰り出すためのスペースを消すため自身の身体に強く密着させ身動きを封じた。
派手な見た目とは裏腹にこうした異性との物理的な接触に免疫のない希咲は、落ち着くどころか大混乱に見舞われる。
大きな手で頭を抱えられ強く押し付けられた弥堂の胸元から、彼という人間性の冷たいイメージとは逆に、筋肉質な胸板は意外にも体温が高く、そこに密着した自分の頬に伝わる彼の温度が自身の羞恥で加速し、より熱くなって全身に伝播していくような錯覚を覚えた。
怒りよりも嫌悪よりも先に恥ずかしさで反射的に逃げようと身体を捩っても、力強い腕で彼の腰に押し当てられた自身の腰もピクリとも動かせない。
恵まれた容姿の為、中学に上がって以降からそれなりに異性から言い寄られる経験もあり、男女の線引き、異性との距離の保ち方にとり方、そして詰められた時の対処の仕方など、自分では出来ていると自信をある程度持っていた。
しかし、現状のように場の空気も状況も無視して脈絡もなくこのような暴挙に及ぶ男など今まで一人もいなかった。突然襲い掛かってくるような輩は大抵そういう気配を発しているものだが、この男に限っては自分に対する好意どころか欲情の欠片すらも感じられない。こんなものは防ぎようがなかった。
「お前の辛さはわかる。だが今後同じような被害者を出さないためにもどうか勇気を出して欲しい。もちろん責任は俺がとる」
「やめっ、ばかっ、はなしっ――」
「汚された女などと不当に貶められるかもしれない。今後の人生を考えればその可能性はとても不安に思うだろう。パートナー探しに支障を来すかもしれない」
「やめろっ、ばかっ、へんたいっ! あたしを汚してるのも貶めてるのもあんただ、あほっ!」
頬を押し当てさせられた弥堂の胸から伝わる彼の心臓の鼓動と横隔膜の動き。下に肌着を着ていないらしい Yシャツ一枚隔てた向こうから感じる他人の肌の温度と、否応なしに鼻腔から這入りこんでくる自分とは違う生き物である男性の匂い。知らない匂い。
彼が喋る度に呼吸をする度に蠢く腹筋が、密着した状態で拘束されている為に押し当ててしまっている自分の胸の形を細かく変える。下腹あたりに触れている、自身には備わっていない得体の知れない何かの感触。腰を抑える彼の手の指の何本かは境界のあやふやな場所に置かれ、もしかしたらお尻に触れられてしまっているかもしれない。
より密着するためにか、弥堂の心づもりは希咲には知る由もないが、両の足と足の間に彼の足が挿しこまれている。驚きで身体が硬直した際に無意識に、決して自分で望んでそうしたわけではなく、左右の内腿で挿しこまれた彼の腿を挟んでしまい、不本意にも彼の太ももに股が半ば乗るようになってしまっている。
抵抗しなきゃいけない。拒絶しなきゃいけない。やめさせなきゃいけない。離れなきゃいけない。ぶっとばさなきゃいけない。文句を言わなきゃいけない。
今すぐにしなきゃいけないことがいっぱいあるのに、しかし彼の力の強さにそして、今まで触れたことのない未知の情報の嵐が目から鼻から耳から肌から、全身のあらゆる場所から伝わって纏めて脳に叩き込まれてしまっては何一つとして正しく実行できなかった。もしかしたら、今まで生きてきた中で一番のパニック状態かもしれない。
「だが――」
「ひゃあぁんっ」
まったく落ち着く様子が彼女に見えないため、弥堂は徐に希咲の耳元へと口を寄せ囁くように声を静めた。耳元で静かに低く話すと落ち着くとか以前に他の女が言っていたような気がしたからだ。
希咲は今まで聴いたことのないような自分の声が口から漏れたことに驚き、より硬直を強める。
「だが、もしも、お前が一人になるようなことがあれば、その時は俺がずっとお前に寄り添っていよう」
「やっ、んっ――だめっ、みみっ、だめっ」
もしかしたら唇が触れているかもしれない、直接吐息が鼓膜まで届くような距離で彼の低い声が耳輪を耳垂を震わせる振動に腰から力が抜けていく。自身が耳が弱いことを希咲はこの時初めて自分で知った。
「最後まで責任を持つとはそういう意味だ。わかるな?」
「わわっ、わかった! わかんないけど、んっ、やぁ……もうわかったぁ!」
「わかったのかわからないのかどっちだ? はっきりしろ」
「あんっ――やっ、だめっ、むりっ……」
「無理だと? つまり逆らうということか?」
「ちがっ――はぁ、んっ……もうわかっ……たからっ、離してっ……そこでっ……しゃべっちゃ、だめぇ……んっ……」
了承の意を唱え全身から力を抜く彼女の様子にもはや抵抗の意思はなしと弥堂は判断をし、用は済んだので彼女への拘束を解き雑に解放した。それと同時にヘナヘナと希咲が脱力した為またもや彼女は床にペタンと尻をつけて座り込んでしまう。
傍目から見ると適当に言いくるめた女を雑に床に放り捨てたようにしか見えない最低の絵面だった。傍目から見なくてももちろん最低なのだが。
「あんたパーソナルスペースとかどうなってるわけぇ……?」
「よし、後は任せておけ」
両手で散々嬲られた耳を抑えて息を荒げながら、希咲が涙目で恨みがましく睨みつけて抗議の声をあげてくるが、弥堂はとりあわなかった。
「今までけっこう告られたりとかしたけど、こんなに気持ちも誠意もなくて、されて不快になった告白は初めてよ……っ!」
疑いようもなく自覚してしまうほどに、全身に熱が灯り顔が真っ赤になっていることがわかってしまって、今すぐこの男をぶっ飛ばしたいけれど、今はとにかく恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなく身体が言うことをきかない。
その為、何とか少しでもやり返そうと弥堂へと毒づくが、肝心の彼は『告白? 法廷で告白するのはお前の仕事だろう。何言ってんだこいつ?』と不思議がりながらもしかし、また話が長引くと面倒なので無視をした。
この女にはもう用はないので今度こそ邪魔者はいなくなったとばかりに、犯人を追い詰めにかかる。
「さぁ、これでもうお前らは終わりだ。観念することだな」
「あのさ、狂犬クン。これは皮肉でも何でもなく本当にキミを心配して言うんだけど。キミさ、ほんと刺されるよ?」
バキンっと音を立てて爪を噛みちぎって眼を血走らせる白井と、床にへたりこんだ希咲を交互に横目で見つつ、法廷院が気まずそうに、彼にしては珍しく親切心から弥堂にそう告げるが、
「下手くそな脅迫だな。罪を重くするだけだぞ。刺されたことなど何度もある。その程度で今更この俺が怯むとでも思ったか」
「いや…………全然伝わってないけど、まぁ、キミがそれでいいなら……」
「よくも俺の大事な女を傷つけたな。俺はお前らを絶対に許さんぞ」
頼まれもしないのに代理人ヅラをしていた男が図々しくも友達ヅラを経て、そして今ついには彼氏ヅラをし始めた。総ては慰謝料を巻き上げるために。
「あたし……あんたの女じゃないわよ……」
ぐったりと疲れたように希咲がなんとかそれだけ否定する中、いよいよ対決は最終局面を迎える。




