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俺は普通の高校生なので、 【序章】  作者: 雨ノ千雨
序章 俺は普通の高校生なので。
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序章03 白鍵上の短二度 ③


 ともあれ、時間を戻し現在。


 自席へと辿り着いた弥堂は椅子を引き着席をする。



 教材は基本的に全て机や個人ロッカーに置きっぱなしにしている。


 なので、通学鞄からノートと筆記用具だけ取り出してから、机の両側に付属している留め金に鞄を吊るすため身体を左に傾ける。



 弥堂 優輝という異物が混入したことで、他の生徒たちはすっかりと熱が冷めた様子だ。


 HR開始までもう時間が幾何もないこともあってか雑談の続きは諦め、各々の席へと帰り出しているようだ。



 この美景台学園で使用されている生徒用の机は、木材の天板に白の塗装をし漆加工を施して光沢を持たせている。


 誰も座っていない机が並んでいると、まるでピアノの白鍵が並んでいるようであった。


 

 弥堂は、通学鞄裏側にある留め具の輪に机の左側の留め金を通して鞄を吊るす。


 学校指定の通学鞄には机のフックに鞄を吊るすためのリングが付いているのだ。


 鞄が机に固定されていることを確認し、傾けていた身体の姿勢を元に戻す。


 すると、その工程の道すがら――ふと左隣の席が目に入った。



 その席は空席となっており、机の側面にはまだ通学鞄も吊るされていない。


 つまり、その席の主である女子生徒はまだ登校してきていないことになる。


 弥堂は左手首に巻いている腕時計に目をやった。



 現在時刻は午前8時39分07秒。


 始業まではもう1分もない。



 彼女を心配して時刻を確認したわけではない。


 ただ、それが日常とは異なる――つまり“異常”なことだったから、そうしただけだ。



 隣の席の女子生徒とは一年生時も同じクラスであった。


 その約一年間と、二年生に進級してからの一週間と少しの間。


 その期間で見た常日頃の彼女の行動では、学校のある日は毎日始業10分前までには登校を済ませており、遅刻や欠席などをしている事例を確認したことは一度もなかった。


 つまり、“そう”ではない今朝の状況は“異常”であると謂える。



 しかし未曾有の出来事とはいえ、たかだか学生が1人いないだけのことである。


 とるに足らないと弥堂はすぐに興味を失い、この間もなく後のHRに備えるべく教壇へと身体を向け姿勢を直す。



 そして今日の一限目からの授業予定に思考を巡らせようとしたところで――


 不意に、先ほど弥堂が閉めた教室前方の扉がガラガラガラっと大きな音を立てて開かれれた。



「……ま、間に合ったぁ――ひゃわぁっ!?」



 開いた扉から一瞬だけ女子生徒の姿が見えた。



 だが、余程慌てていたのだろう。


 勢いよく開きすぎた引き戸は滑りのよいレール上を駆け抜け、行き止まりの壁側にぶつかる。それでもその勢いは止まずに反動で跳ね返った。


 レールを逆走した挙句、今しがた開いたばかりのその戸は、まるで入室を拒むように彼女の目の前を通り過ぎる。



 そして、そのままパタリと、入り口を閉ざしてしまった。


 先程と同じく――しかし先程とは全く毛色の違う静寂に教室が包まれる。



 それから、1……2……3秒……。


 今度はカラカラと控えめな音を立てて再び戸が開かれた。



 その開いた隙間から「……えへへ……、ごめんねぇ……」 などと、ふにゃっとした曖昧な笑みを照れ隠しに浮かべつつ、その女子生徒は再び姿を現す。



 彼女はもたもたとした動作で教室内に入り、今度は丁寧に扉を閉める。


 それから彼女は振り返り、その表情にいっぱいの喜色を載せると――


 

「みんなぁ、おはようっ!」



 教室中の全ての生徒へ届けるように、快活に挨拶の声を上げた。


 すると――



「水無瀬さんおはよう」

「おはよう水無瀬」

「おはよう!」

「愛苗っちはろぉー!」

「おはよう水無瀬さん」

「よぉーっす水無瀬ー」

「おはよう!」

「ご機嫌よう愛苗さん」

「おはよおおおぉっ‼」

「うおおぉぉぉぉっ‼ 水無瀬さああんうおおおおぉぉっ‼‼」

「おはよー! 愛苗」

「まなちゃんおはよぉ」

「おはよう」

「おはようございます。水無瀬さん」

「愛苗ぁ! あんたおっそいのよっ‼」

「……おはよう……」

「愛苗ちゃんいそいでぇー」

「おっ、おはよう、水無瀬さん」

「おはよう」

「うーっす」

「おはよー」

「やぁ、水無瀬くん!」

「けほっ、けほっ……おはよぅ……」



 先程の誰かとは対照的に、次々に挨拶のお返しが木霊していく。



 それはまるで、声が一つ上がる毎に花が一つ開くようで――


 開花の連鎖は教室中を駆け巡り、瞬く間にその空間を煌びやかに彩った。



 その光景は何も特別なものではなく、この2年B組では毎朝恒例のものであった。


 この新クラスが編成されてからの期間は元より、彼女が昨年度に所属していたクラスでの1年間もそうだった。


 この学校だけでなく彼女が居る場所なら、どれだけ時間と機会を繰り返し重ねようとも、飽くることなく色褪せず、常に周囲を明るくする。



 水無瀬 愛苗(みなせ まな)とはそういった少女であった。



 彼女が登場したことで、この場は一転して弾むような空気と笑い声に包まれる。



 そんな教室の中、水無瀬は目線を彷徨わせた。


 自席へと向かうルートの選択に逡巡したのだ。



 数秒考えてから、彼女は急いで教壇の方へと足を向かわせる。


 始業までの時間が残り僅かとはいえ教室内で走るのは禁止事項だ。


 品行方正な水無瀬は少々焦りつつもそのルールを守る。



 そんな彼女が早歩き以上小走り未満といった中途半端な動作で一所懸命に進むその仕草は、少々不安定で危っかしく、ともすれば鈍くさくも見える。


 だが、その姿を目に映した殆どの者に、愛らしさと庇護欲を感じさせた。



 クラスメイト達からの歓迎と心配の声を浴びながら、水無瀬は窓際側の自席の前まで来ると足を止める。


 そのまますぐに席には着かずに、隣の席――



――つまり弥堂の方へと身体を向けた。




 その少女は真っ直ぐに真っ直ぐに輝く二つの瞳をその男へと向ける。

 

 その男は身体を教壇へと向けたまま目線だけをその少女へと遣った。




 目線をまず彼女の目へと合わせる――


 くりっとした丸い目の中に少し色素の薄い大きな黒目。


 世の穢れなどそれに映したことはないのだろう、その純心さが溢れ出したような輝く瞳。


 目の大きさが目立って隠れがちだが、形のよい瞼に載り緩めに反るまつげは意外と長く、ぱちくりとしてコロコロと変わる彼女の表情の表現において重要な一因を担う。



 次に口元へと眼を遣る――


 彼女は笑っていることが多い。


 その特別薄くも厚くもない均整でやわらかな肉感の唇はゆるやかに綺麗な弧を描いていることが常だ。


 だが、今は薄くわずかに開かれており、その桜色の唇からは細く細かく息が漏れ出していた。



 もう一つ視線を下げ眼を胸元へ――


 彼女の耳の裏あたりからは、その栗色に近い色の髪がゆるくラフに三つに編まれ、身体の前側へと二つ結びのおさげが垂らされている。


 小柄で華奢な背格好で、年齢よりも幼げな容貌をした彼女の――やや不釣り合いに大きく見えてしまう乳房の上に、その“おさげ”の毛先が載っていた。



 胸に載った毛先が上下に揺れている。


 少し息が弾む唇の動きと上下する胸の動きから、呼吸を乱すほどの運動量を強いられたのだと予測をし――



 弥堂は少し眼を細めてから再び視線を上げ、もう一度水無瀬の顔を視た。



 少女は呼吸を落ち着けるように胸に右手を置くと、軽く瞼を伏せる。


 気持ち大きめに息を一度吸って吐いた。



 そしてパチッと目を開けると、まるで花が開いたかのようなイメージをこちらに幻視させるような――そんな満開の笑顔をその表情に咲かせた。



「おはようっ、弥堂くん!」



 愛想笑いにも作り笑顔にも視えない。


 心底から嬉し気で、楽し気に視える。



 そんな満面の笑みで向けられた彼女からの挨拶に対して――



「おはよう、水無瀬」



 愛想笑いも社交辞令もなく、弥堂は機械的にそう返した。



 無感動で無機質で愛想の欠片もない弥堂の挨拶だ。


 だが、水無瀬はふにゃっと相好を崩すと「えへへー」と緩く笑い、弥堂の冷淡さを機にした風もなく上機嫌な様子で席に着いた。



 白い机を並べて弥堂 優輝と水無瀬 愛苗は隣り合って座った。



「な、なんでいつもあいつばっかり……ッ!」

「……おい! あの野郎、水無瀬さんのおっぱい真正面からガン視してたぞ……ッ! ヤロウただ者じゃねぇ……、やっぱりぬ――」


「あんなに愛らしい子に相変わらずの塩対応……、どんなメンタルしてるのよ……」

「い、今絶対まなちゃんの胸見てたよね……⁉ やっぱり性欲が……、さすがぬか――」



 そんな風に騒めく周囲の生徒達のヒソヒソ話には気付かずに――


 水無瀬は楽し気に、しかし若干もたつきながら通学鞄から筆記用具・ノート・教科書類を取り出していく。



 一通り机の上に鞄の中身を広げると「うん」と満足げに一つ頷き。


 次はそれらを机の中に収容すべく、まず一限目で使われる予定の数学Ⅱと書かれた教科書を左手で持ったところで、彼女は何かを思い出したのか思いついたのか――


「――あっ!」と声を上げる。



 そしてぐりんっと頭を右に回して、お顔を隣の席の弥堂の方へと向けた。



「ねえねえっ弥堂くん! あのね――」



 先程と変わらぬ輝きを浮かべた瞳のまま、先を続けようとする彼女の言葉を遮るように――



「――時間だ」



 弥堂は彼女の眼前に左腕に着けた腕時計の文字盤を突きつけ、短くそう言った。



 喋ってる途中で突如視線を塞がれたことで、水無瀬は「ひゃわっ」と小さく奇怪な悲鳴を上げる。


 それからぱちぱちと瞬きをして、彼女は眼前の無骨な時計を見た。


 愛想のカケラもないデジタル表示の時刻の秒数が、無機質にカウントアップしていく様が彼女の瞳に映る。



――57……58……59……00…………と映り変わる時刻が午前8時40分となった瞬間――



 学園中に響く音量で時計塔の鐘の音が鳴った。


 始業の時間だ。



 美景台学園では予鈴と各授業開始時の合図は、校内各所に設置されたスピーカーから電子音でのチャイムで時間を報せる。


 だが、朝の始業のHR開始、昼休みの開始、終業のHR開始、完全下校時間――この4回だけは時計台の鐘で報せるようになっていた。



 当初は全ての合図で鐘を鳴らしていたのだが、その音量があまりに大きいため――


「鳴り終わるまでは煩くて授業が始められない」「やるならせめて開始10秒前に鳴らせ」といったクレームが教員から入り、さらには近隣の住民の皆さんからも端的に「煩い」とクレームが入り――


 そういった経緯で現在の形となった。



 鐘が鳴ってもまったく動く気配のない目の前の少女の顏を、弥堂はジロリと見遣る。


 そんな彼の視線を受けた水無瀬は、腕時計と彼の顔との間で、不思議そうに何度か視線を往復させた。


 そうしてから、漸く彼女は何かに思い当たる。



 “ぱちくり”と一度大きく瞬きをすると、水無瀬は一際その瞳を輝かせた。



 何か楽しいことでも思いついたのか――慌てた風な彼女は、わたわたとした動作で左手に持った教科書を机の上に置き直す。


 それから何故か、弥堂の左腕に向き合わせる形で自身の右腕の手首の内側を見せてきた。



 左手で右腕の袖を軽く引き、露出させたその細い手首には可愛らしい腕時計が巻かれていた。



「見せっこじゃねえんだよ」



 思わずといった風に、弥堂の口から彼らしからぬ口調の声が漏れる。


 だが、ボソッと口にしたそれは鐘の音でかき消されたようで、目の前の少女には聞こえておらず――彼女はとても楽しそうに目を細めてニコニコと笑っていた。



 弥堂には知る由もないが――


 彼女の腕に内向きで巻かれたのは、女子中高生に人気の時計メーカー製の物で。ライトブルーの細い革ベルトにシルバー製の台座があり、その上に小さく丸い時計盤が載っていた。


 時計盤の周囲はピンクゴールドの縁となっており、その丸い縁の上部は猫の耳のように見えるデザインとなっている。


 白い背景の上を短針と長針のみが回っていて秒針は無い。時計盤の中心で猫のシルエットの装飾が針を留めていた。


 時間の区切りとなる目盛りは『3』『6』『9』『12』の4つだけで、細かな時刻などは把握出来ようもない代物であった。



 水無瀬には知る由もないが――


 彼の腕に外向きで巻かれたのは、ミリタリーウォッチで有名なメーカーがアウトドア用に開発販売をした製品で。ナイロン製の黒いベルトに光沢のない耐久性の高い素材で作られた黒いデジタルウォッチが載っていた。


 時計のサイドにはいくつかのスイッチが付いており、現在は愛想のカケラもない字体で時刻と日付が表示されている。他に気温・湿度はともかくとして気圧・水圧から脈拍まで、各種の数値を計測出来る機能が備わっていた。


 多機能性と実用性を重視した、見た目に全く遊びのない時計である。



 どちらの時計も、その持ち主の性格をよく表していて――


 それだけで彼と彼女の噛み合わなさを解りやすく表現していた。



 こういったチグハグな光景もまた、この教室では日常と謂えるものになりつつあった。



 弥堂は何かを諦めたような心境で腕を降ろし、無言で目線を教壇の方へと動かした。


 水無瀬はそれを気にする風でもなくクスクスと可笑しそうにしながら、自身の机上の片づけに戻る。

 


 弥堂は水無瀬 愛苗という少女を思った。



 弥堂 優輝にとって、水無瀬 愛苗は一言で表すなら『理解不能』であった。



 先述の通り、この学園の生徒の殆どと、一部の教職員にとって『弥堂 優輝』とは異物だ。


 異常であり扱い辛く、忌避され畏怖され嫌厭され遠ざけられるか遠巻きにされるか――そういった存在だ。


 そしてそれは、弥堂自身も自覚していてさらにそう在ることを望んでさえいる――そんな事実だ。



 この在り方は学園内だけではなく他のあらゆる場所であっても、事務的な、或いは業務的なもの以外の他人との関わりを避けている弥堂にとって、非常に都合のいいモノであった。



 だが、この水無瀬 愛苗という少女だけは、何故かそんな自分に臆せずに構ってくる。


 そしてその意図が全く見えない。


 先程のように話しかけ、笑いかけ、脈絡もなくじゃれついてくる。



 それは二年生に上がってからのことだけではなく、去年の一年生時――弥堂がこの学園に転入して来て暫くしてからの席替えで、偶々隣の席になって――からずっとのことであった。


 彼女とは特に部活動も委員会も一緒にしているわけでもなく、教室内でだけの関係であった。


 それ故に弥堂は、『自分に近づく理由など何一つ無いだろう』と不審に思っていた。

 


 ただ、それでも目立った実害があるわけでもない。



 そのうち席が替われば飽きるだろうと見込み――


 そしてその目論見が外れ――


 座席など関係ないとばかりに付き纏われるまま一年生が修了し――


 それならクラスが変わればもう接点もなくなるだろうと見込み――


 またもその予測が外れ――



――その挙句に辿り着いたのが、現在のこの在り様である。

 


 裏表なく屈託なく含みもなく悪意もなく厭味もなく利益もなく意図もなければ目的もなく――



 単純に考えれば好意しか見えない。


 だが、そうである理由もない。



 親し気に楽し気に笑いかけてきて、弥堂にどんな対応をされようが嬉しそうにまた笑う。


 この学園で唯一、いや現在の弥堂 優輝にとってはこの『世界』の中でただ一人自分に笑いかけてくれる。



 そんな彼女を――



 水無瀬 愛苗を――



 弥堂は――



 そこまで思いを巡らせたところで鐘の音が鳴り止み、同時にガラっと扉が開かれた。


 今度現れたのは担任教師の木ノ下だ。


 低めのパンプスを履いてカツカツと床を軽く鳴らしながら教壇へと向かう彼女に、生徒たちの挨拶が飛び交う。



 弥堂の隣からも元気いっぱいに挨拶の声が上げられており、それを横目にしながら弥堂は思考を戻し、そして結論を確認する。



 そう――



 弥堂 優輝は――水無瀬 愛苗を“警戒”していた。




 隣り合った白鍵の音は、その響きは――決して調和することはない。


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