序章19 剥き出しの幻想に包まれし者たち ③
過去にいじめを受けていた。
そう告白をした法廷院の言葉に希咲は何も言えなくなり、またそれに追い打ちをかけるような非道なことを喋らせないように弥堂の口を物理的に塞いだ。
そんな中、法廷院の独白は続く。
「その経験があってからね、例え悪気がなかろうとも、姓を呼ばれるだけで当時の体験がフラッシュバックして恐怖と屈辱で胸が痛むのさ! なぁ、狂犬クンさぁ、これはボクが悪いってのかい? 弱いからいじめられるんだとか言うのかい? それとも運がなかったと諦めろと⁉」
「ちょ、こらっ、あんたは黙ってなさいっ――え、えっとね、ほ、じゃなくて、んーと、せ、先輩? 先輩は悪くないと思うわよ。うん。悪くない……あと、こいつには話振らないで。悪気しかないから」
怒りをぶつけてくる法廷院に弥堂がすぐさま言い返そうとしたが、希咲はまたも言葉のパスコースに入りインターセプトをして勝手に代弁をした。いくら喧嘩をしているとは言っても、過去のいじめ体験を貶めるような無神経なことを言わせるのは彼女のモラルが許さなかった。
「小学・中学とこの名とボクの名誉を貶められ続けて、ボクは地元から離れたこの高校へと逃げるように進学をしたのさ。そして過去の傷は癒えないまでも痛みが少しひいた頃に思ったのさ――ボクのように苦しめられている『弱者』は他にもたくさん居て、ボクはそんな人達を一人でも多く救いたいと……ボクのような想いをする人を一人でも減らしたいと」
「その考えはとても立派だけど、ちょぉーっとやり方が、そのぉ、少しだけアレかなぁ、とか……」
完全にやり方を間違えていると希咲は考えていたが、いじめ体験を引き合いに出されると強くは指摘できなかった。
七海ちゃんは気まずそうにお口をもにょもにょさせて、弥堂の口を抑えてる指をうにょうにょさせた。彼女の手の下の弥堂の口の端がビキっと吊った。
「で、でもさ……その、あんたの苗字、確かに珍しいとは思うけど、そんなバカにされるような――「ホーケーインポ」――へぁ?」
法廷院の顔色を窺うように話を切り出し、「変な名前とかじゃないし気にすることないよっ」といった着地点に持っていこうとしたのだが、耳を疑うような単語が聞こえた気がして希咲はフリーズした。
「ホーケーインポだよ。小中学時代のボクの渾名さ……ひどい名前だと思うだろぉ?」
「んーと、えーと……ごめん、ちょっとあたしわかんないかなぁ……」
「カマトトぶってんじゃないわよおおぉぉっ! ヤリ〇ンのくせにっ‼」
希咲は性的なワードについての言及を避けたが、何故か暫く大人しくしていた白井さんがキレた。
「『ほうていいん』を『ホウケイインポ』。なんとなく語感を合わせただけの実に小学生らしい下らないネーミングさ。覚えたての下ネタワードを言いたいだけのクソガキどものやりそうなことだよ‼ 小学校の間だけならばまだいい。百歩譲って許そうじゃないか。だけど! 色々と性に目覚めるお多感な中学時代まで、ずっとこんな渾名で呼ばれ続けた惨めなボクの気持ちがキミにわかるかい⁉」
「えぇ……なんというか、その、大変痛ましく思います……」
「男連中だけじゃなくて終いにはキミのようなギャルたちにまで弄られる始末さ! 経験人数がそのままステータス値になると勘違いしてるようなメス猿に囲まれて、こんな名前で侮辱される気弱な童貞の心の痛みなんてキミたち『強者』にはわからないだろおぉ!」
「いやだから、あたしはそういうのじゃ――」
「インポはまだいいよ! ボクは逆境の中でも勃ち上がれる男だってことはボク自身よくわかっているし、それは毎晩自分で確認してるからね!」
「そういう情報マジでいらないんだけど」
「でもね! 包茎は仕方ないだろ!? 身体的特徴なんだからしょうがないじゃないか! それとも手術しろとでも言うのかい? 関係ないんだから放っておいてくれよ! だってそうだろぉ? ボクが包茎で、男が包茎でキミたちに何か不都合があるっていうのかい? どんな不都合か具体的かつ詳細に説明してみなよ!」
「そ、そんなのわかんな――っていうか、あんたそれ普通にセクハラよ!」
本日最高にヒートアップしている法廷院はこれまでの己の中に蓄積した負の感情を全て吐き出さん勢いだ。
「大体さぁ! 包茎はボクだけじゃないだろぉ!? 日本人男性の7割だか8割だかは包茎だってデータがある! 念入りに調べたからね! ボクをそう呼んでバカにしてた奴らも計算上ほぼ全員包茎なはずだし、この学校の男子だって7割以上は包茎なんだ! クラスに15人の男子が居れば10人は包茎なはずなんだよ! みんなみんな包茎のくせにボクだけバカにしやがってちくしょう‼」
高度に医学的な統計データを用いた法廷院の弁論に、彼の脇に控えていた本田君と西野君が俯き気味に目線を逸らしソワソワした。何かしら身につまされることでもあるのかは不明だが、彼ら二人は可能な限り自身の存在感を薄めて早くこの話題が終わってくれることを心から願った。
「キミにならわかるだろう⁉ 希咲さん! 毎晩別の男の上でスクワットをして、様々な棒状の器官を取り扱ってきたキミになら! 包まれた器官と包まれていない器官のリアルな比率をキミは膨大な回数の臨床試験の中で目撃してきたはずだ‼」
「見てねぇっつってんでしょーが! あんたたち何べん同じこと言わすのよっ‼」
「嘘つくんじゃないわよ、この救命セックス病棟24時が! ギャルとはそういうものだって臨床データが上がってるのよ」
「白井てめー、調子こきやがって――」
またも在りもしない不名誉な性経験とレッテルを押し付けられ、この手の話になると必ず絡んでくる白井への怒りで思わず手に力が入る。そのせいで無意識だが、弥堂の口を抑えていた左手の指が強張り彼の顏に爪が食い込んだ。
弥堂は額に青筋を浮かべいい加減我慢の限界だと、彼女の指が動いたことで拘束が緩んだ唇の隙間から舌を出し、舌先から押し付けるようにして希咲の指を舐めあげた。
「――ぶにゃああああああああああああぁぁぁぁっ⁉⁉」
希咲は白井へと反撃の罵詈雑言をぶつけてやろうとしていたが、突如意識外から左手の指に感じた他人の舌の体温の熱さと、ねとっとした湿めった感触に驚き奇声をあげる。反射的に背筋を反らしながら伸ばしてつま先立ちになり、足先から順番に上半身の方へと背筋を急速にブルブル震わせ、髪のサイドのしっぽをぴーんと上に伸ばす。
彼女の性格的に怒り狂って反射的に殴りかかってくるかと弥堂は備えていたが、体験したことのない感触に驚きすぎてしまって、希咲はへなへなっと腰から脱力をすると、その場の床にぺたんとお尻を着けて座り込んでしまった。
「なんでなめたのぉ……?」
女の子座りでへたり込んでしまった体勢のまま右手で左手の手首を力なくつかみ、左の掌を向けて弥堂が舐めた指の湿った部分をこちらに見せながら、気の強い彼女が見せたことのない表情で放心したようにこちらを見上げてくる。
ふにゃっと眉と大きな猫目の目尻を下げて、その瞼に涙を浮かべながら情けない声音で抗議をしてくる希咲 七海の姿に、弥堂は胸の奥底の方から何か得体の知れないドス黒いものが湧き上がってくるような気がしたが、気がしただけなら気のせいだろうと彼女を無視し、法廷院へと向いた。
「おい、ホーケーインポ」
「あああぁぁぁん⁉」
初手から躊躇することなくNGワードを使用していく。
「ふん、弱いからだなんだと、日頃から自分がやらなくてもいい、出来なくてもいい理由を探すことにだけ四六時中全力を注ぐ、腑抜けのお前にぴったりの名だ。そうだろう? ホーケーインポ」
弥堂の血も涙もない煽りに法廷院は怒声を爆発させそうになるが、寸前で飲み込み湧き上がるものを必死に抑え込むと、ガクンと上半身を折り曲げ、そこから頭だけを上げて前髪の隙間からギラついた視線を妖しく輝かせる。
「フッフフフッフ……つっつつつつつつつよがるのはやめたまえよ、狂犬クン」
「なんだと」
自分に煽られ怒りに翻弄されるばかりであった法廷院の様子が変わったのを弥堂は敏感に察知した。
「ククク……見えたぜぇ、勝利への道筋ってやつがぁ……キミはもう終わりだよ、狂犬クン」
「…………」
不敵に眼を光らせる法廷院の言葉に弥堂は慎重に真意を探る。




