序章19 剥き出しの幻想に包まれし者たち ②
冷淡にすぎる弥堂の言い捨て方に法廷院は激昂し、そして弥堂の味方的なポジションの希咲は、その味方のような関係でいることが恥ずかしくなってきて両手で顔を覆ってしまった。
厭味ったらしい減らず口で人を怒らせることに関して天才的だと思った法廷院が、まさか口下手だと思っていた弥堂にいいように煽られて冷静さを欠き言い負けてしまうとは。
とは謂え――だ。このまま放っておくわけにもいかない。
口で負けてしまった以上、暴力で戦えない彼らではもう弥堂に対抗できる手札は何一つないであろう。情に薄く、融通なんて概念自体持ち合わせていなさそうな弥堂が、彼らに対して譲歩することは絶対にありえないだろうし、あれだけ熱くなってしまった法廷院には最早引き際が見えていないだろう。
おそらくもう少ししたら全員弥堂に問答無用に殴り倒されて終わりだ。
(無茶苦茶な理屈で被害者ポジ確保してわけわかんないマウントとってくるあいつらもすっごいやりづらかったけど、それ以上に身も蓋もなさすぎて、ついでにモラルもない弥堂の方が厄介って……てか、一番話が通じない奴が勝つってどうなのよ……)
暴力も含んだ荒事と呼べる種類の揉め事には慣れていたが、今回の彼らのようなタイプは初めてで自分は対処の仕方がわからなくすっかりと彼らに翻弄されてしまった。もしも次に同じような状況に巻き込まれた場合、今回の弥堂のやり方は参考になったと言えなくもないが――
(あれをあたしがやるの……? うぅ……それもやだなぁ……)
――とてもではないが、良心が咎めて真似をするのには相当な開き直りが必要そうだ。
(まぁ、今はそれは置いといて――)
彼らとは一悶着あって希咲としても思うところは多分にある。だが、だからといってこのまま状況を静観し続けて、見た目からして貧弱そうな彼らや女の子である白井が、高杉のような大男を一撃で殴り倒した弥堂の情け容赦のない暴力に曝されるのは、いくらなんでも可哀想だと思うし見殺しにするのは忍びない。
希咲は「はぁ」と気が重そうに溜め息を一つ吐くと介入をすることに決めた。
「ちょっと法廷院、落ち着きなさいよ」
大分熱くなって弥堂に対して声を荒げている法廷院に声をかける。身も蓋もなさすぎる弥堂よりも敵である法廷院の方がまだ話が通じると思ったからだ。しかし――
「やめろおおぉぉ! ボクを苗字で呼ぶなと言っただろおぉぉっ⁉」
「わっ、びっくりした。えと、ごめん、悪気はなかったの」
「ふん、敵の嫌がることをするのは当然だろ、法廷院よ。そんなこともわからないのか法廷院。だからお前らは負け犬なんだ法廷院。わかったか法廷院。どうした? 返事をしろ法廷院」
「こらっ、どうしてあんたはそうやってすぐ煽るのよ! やめなさいって」
助け舟を出すつもりで話しかけた希咲だったが、図らずに地雷を踏んでしまったようであった。そしてそれが効果的と見て取るやすぐさま相手の嫌がることを連呼して攻撃する弥堂。そんな彼を希咲は窘めるがすでに遅く――
「うああああああっ! 殺してやるうううぅぅっ‼‼」
「ていっ」
法廷院は血眼で弥堂に飛び掛かった。ゴンっと鈍い音が鳴った。
それは法廷院が弥堂に攻撃をヒットさせた音ではなく、弥堂が法廷院にカウンターを見舞った音でもなく、希咲に突き飛ばされた弥堂が先程自分が高杉を叩きつけた壁に、今度は自身の顏を強かに打ち付けた音であった。
弥堂が向かってくる法廷院を情け容赦なく迎撃するであろうと予測をした希咲が、彼がカウンターを放つ前に弥堂を突き飛ばしたのである。弥堂を壁際に追いやったことで空いた弥堂と希咲との間のスペースを法廷院は通り抜けて、そのままその奥に倒れている高杉の足に躓いて無様に転んだ。
びたーんっと床に貼り付く音がした。
「ギャアアアアアァッ‼ 足があぁっ! 足があああぁぁっ‼」
「だっ代表っ!」
――マリーシアだ。
法廷院は足を両手で抱えながら、まるでペナルティエリア内で自分で勝手に転んだのに相手のファールをアピールする南米出身の選手のように転げまわった。高杉を介抱していた西野と本田が倒された味方選手に駆け寄るが、しかしこの場にレフェリーは居ないので特に誰にもカードが提示されることはなかった。
顔面から壁に突っ込んだ弥堂は当たる瞬間に額で受けるようにしたので、鼻などを打ち付けることはなく特にダメージはなかったのだが、何か言いたそうな不満顏で希咲を見遣る。
「あはー。さっきの仕返しぃー。これでおあいこね」
希咲は悪びれることなく、そう言ってぱちっとウィンクして悪戯げに笑った。
弥堂は彼女に対して何か言ってやろうかと口を開きかけるが、転げまわっていた法廷院がPKはもらえなかったと判断して、何事もなかったかのようにスクッと立ち上がったので、チッと舌打ちをして希咲から目線を移した。
「やってくれるじゃあないか、この『差別主義者』どもめ。名前のことで弄るなんて典型的な『いじめ』の始まりだぜぇ」
「それがどうした、法て――ぐむっ」
「――あははー、ごめんねぇ。悪気はなかったのよ。もう言わないから許してね」
今しがたアホみたいなパフォーマンスをしていた割に立ち上がった法廷院の目が完全にガンギマリしていたので、希咲は弥堂がまた余計なことを言い出す前に、彼の口を右手で塞ぎ法廷院へと謝罪した。左手で弥堂の身体を突きながら「あんたももうやめなさいよねっ」と小声で注意する。
「ボクにだって許せないものはある。自分の姓のことで弄られるのは我慢がならないんだ! それこそ呼ばれるだけでも虫唾が走るほどに‼ どうしてだかわかるかい?」
「えっと……どうしてって…………ごめん、わからないわ」
何かしらの家庭の事情なのだろうかと思いついたが、安易に口に出して触れるのはデリカシーがないと判断し、希咲は回答を控えた。顔を振って希咲の右手から逃れた弥堂が口を開いて何か言いかけたので、今度は左手を素早く彼の口元へやり人差し指と中指で弥堂の唇を挟んで黙らせた。
「いじめだよ」
「えっ」
「ボクは小学校時代からずっとこの苗字をバカにされていじめられていたのさ‼」
「……それは、その……えっと……」
センシティブでヘヴィな話が飛び出してきて希咲は気まずそうに眼をキョロキョロさせた。
無意識に弥堂の口元を抑えていた手にきゅっと力が入る。希咲の指の隙間から弥堂の唇がうにょっと無様にはみ出した。弥堂の瞼がピクピクと震え険しい視線で希咲を見るが彼女は気付かなかった。
先程彼女の指を掴んでどかしたら足を蹴ってきたので、この女にどう対処するかと弥堂は内心で考え始めた。




