序章16 公正なる執行者 ⑤
「くっ、こうなったら仕方ない――白井さん、西野君、本田君、『トライアングル・フォーメーション』だ‼‼」
「は? とらいあんぐる? なにそれだっさ」
何言ってんの? と胡乱な瞳を向ける希咲を置き去りに、法廷院の号令で自分だけは助かりたいと喚いていた同志3名は、訓練されたような俊敏な動作でバババッと弥堂を取り囲んだ。正確に描かれた三角形の中央に彼を閉じ込める。
「フフフ……油断したね、狂犬クン。キミはもう終わりだよ」
「なんだと?」
「おっと、下手に問答にのって逆転のチャンスなんて与えないよ――さぁ、同志たちよ、撃ち方よーい!」
法廷院のその言葉に弥堂を囲んだ同志たちはジリッジリっと僅かに間合いを詰める。
弥堂はその彼らを見回しながら重心を下げ、どんな攻撃にも対応できるよう油断なく備える。
「いまだ‼」
法廷院の号令がかかるや否や弥堂を囲んだ3名は口々に言葉を発する。彼らはそれぞれに自分はどれだけ辛い体験をし、いかにかわいそうな存在であるかを情感たっぷりに弥堂へと語る。
「フフフ……いいぞぅ」
「……ねぇ、何してるわけ? あれ?」
希咲は胡散臭そうに法廷院に問いかけた。
「ククク……希咲さん。さっき自分の身に起きたことを忘れたのかい?」
「はぁ?」
「単体の戦力としては上回るはずのキミが何故ボクらに圧倒されたかわかるかい?」
「それはっ……あんたたちが、わけわかんないことばっか……」
「クハハッ――ねぇ、希咲さん? キミは所謂カーストTOPってやつだよね? クラスでも友人間でもキミの発言や意向は常に優先されやすい――違うかい?」
「……否定はしないわ」
「そうだろぉ?」
法廷院は粘着いた視線を希咲へと絡み付ける。
「カーストってやつはねどこのクラスにもコミュニティにも存在する。もちろんそれぞれそのトップに立つ者が存在するわけだけれども。でもさぁ、結局は同じ人間で、ボクらに限って言えば同じ高校生さぁ。優劣は勿論あれども、そこに階級となるほどの、天と地ほどの人間性の差や能力の差があるわけじゃあない」
「…………」
勿論例外中の例外は居るだろうがね。と続ける法廷院に希咲は返す言葉が見つからない。
「じゃあ、何故そんな階級が自然に出来上がるのかというと、なぁに、難しい話じゃあない。ただの『多数決』さぁ」
「多数決?」
「あぁ、多数決。人間ってのはねぇ孤立したくないもんだから基本的には『多数派』に所属していたいものさ。例えばだ、数人の目端の利く者が一人の少しだけ優れた人間を見つける。こいつにくっついてれば得が出来そうだって人間をね。それでその人間の発言にその数人が同調してみせると、やはりそれを見た孤立を恐れる者たち――特に自分の意見なんてものがない奴は簡単にね、安易にね、追従してしまうのさ。それを数回繰り返してごらん? 学級・学校なんて閉鎖された空間じゃあっという間に、その特定の個人の意見に同調することが民意・総意になってしまうのさ。まるでそれと異なる意見を持つことが『異端』であるかのようにね。内心はどうであれその『正しさ』に皆従ってしまうのさ。少なくとも表向きはね。キミにならわかるだろぉ?」
「……わかるけど、それとこれがどう関係あるってのよ」
期待どおりの返答をくれる希咲に法廷院がクフフと満足気に笑うと核心に迫る。
「ボクたちはね基本的には異端側さ。クラスでもどこでも。孤立してしまった『弱者』さ。だけどね、この場に於いてはどうだい? ボクたちの方が『多数派』さ。ここではいくら言ってることが無茶苦茶でもボクたちの意見が民意であり総意となる。『正しさ』なんてものは簡単に揺るがせるし、簡単に作り出せるのさ。だってそうだろぉ? さっき経験したばかりなんだ。キミにならわかるよねぇ?」
「…………無茶苦茶言ってるって自覚はあったのね、驚きだわ」
ニタァと粘着いた哂いを見せる法廷院に、希咲は先程の屈辱を想起しまた身が囚われそうになるが、かろうじてそれだけ言い返した。
「いやぁ、惜しかったねぇ。狂犬クンがあと少しだけ来るのが遅かったらキミを完全に折れたのにさぁ。もうちょっとだったのに……あ、でも、パンツ見せろは完全に行き過ぎた行いでした。白井さんが怖かったんです。これだけは未遂に終わって本当によかったです。申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げ謝罪をする法廷院に、やっぱり見られてなかったと大きく安堵するとともに、同時に希咲はそんな自分を恥じた。
「さぁ、かの悪名高い風紀の狂犬が折れる瞬間が見れるぜぇ。どうか邪魔しないでそこで大人しくしていてくれよう」
法廷院と話している間に弥堂を囲んだスリーマンセルは「謝れ」コールへと移行していた。
希咲はさっきの自分も傍から見たらこんな絵面だったのかと別の意味で恥ずかしくなる。
「うーん、でもさぁ。あれってそんな上手くいくかしら」
「へぇ。キミは狂犬クンは折れない、と?」
「だってさぁ、あれって。あたしには血に飢えた狂犬の前で美味しそうなチワワが3匹キャンキャン吠えてるだけにしか見えないんだけど。あんたたちも大分『アレ』だけど、あいつも話が通じないじゃない?」
「負け惜しみだねぇ。吠え面かくのはキミたちの方さ!」
法廷院が自信満々に言い放ったその時に弥堂に動きが見えた。
「――おい」
弥堂は自分を囲む3名の内の1人、謝罪しろコールの合間に狂ったように腕に抱えたポテチョを喰らい続ける本田へと近づき見下ろした。本田は答えず血走った目でスナック菓子を口に放り込み続ける。
「聞いてるのかデブ野郎。貴様、特別な許可がない限りは校内では菓子類の飲食は禁止されていることを知らんのか? 俺の前でそれを食うとはいい度胸だな、今すぐ全て床に置け」
「おいおい、狂犬クン。彼の話を訊いてなかったのかい? 彼は過食症なんだ。キミが強いストレスを与えたせいで彼はこうして菓子を食べているんだよ。心の平穏を保つためにね。これは仕方ないんだ。強いて言うならキミが悪いよ。だってそうだろぉ? 彼にそうさせる程のストレスを与えたのはキミなんだか――」
弥堂は本田を擁護する法廷院の言葉には耳を貸さず、本田が指示に従う様子がないことを確認すると彼の胸倉を掴んだ。
「ぶひぃっ」
本田はそれに怯え豚のような鳴き声をあげて口から菓子を溢すが、弥堂はそれに構わず胸倉を掴んだまま彼を窓際まで引き摺っていくと空いてる方の右手でガラっと窓を開け放った。そしてそのまま目算で100㎏はあるかと思わせるような本田の肥満体を、胸倉を掴んだまま片腕で持ち上げる。
「うぐぇっ」
身体を吊り上げられ、弥堂の掴む制服に喉を締め付けられた本田が喉の閉塞感から解放された次に感じたのは浮遊感だった。持ち上げられた時に反射的に瞑っていた目を恐る恐る開けて頼りなくなった自身の足元を見ると、その下にあったのは屋外の地面だった。ただし、その地面は足元から5・6m程下にある。
本田はパニックに陥る中でしかし、正確に自分の状況を理解した。自分は現在、学園内文化講堂の二階連絡通路の窓から弥堂によって片腕で屋外に吊るし上げられている。
「ひぃっ、ぶひぃっ」
「貴様程度が暴れたところで俺の拘束を解くことは出来ないが、誰にだってミスはある。もしかしたら手元が狂ってしまうことも……なぁ、そうだろう?」
恐怖により口から食べかけの菓子をボトボト階下に溢しながら身を捩った本田だが、自身の生殺与奪を握る男から告げられたその言葉に彼を見て――その冷たい瞳を覗いてしまい、身体から力が抜ける。もはや彼には震えることしか出来ない。
「ちょっ、ちょっと弥堂っ」
屋内から響く希咲の焦りを含んだ制止の声も本田にはどこか遠い世界の言葉に聞こえた。
「俺は風紀委員だ。その責務により、校内で菓子類の飲食を禁ずるという規則があれば、校内から菓子類とそれを持つ人間を放り出さなければならない。それはわかるか?」
本田はすぐに勢いよく頷いた。頷いたつもりだったが、恐怖に縛られた身体が果たしてしっかり頷いてくれたのか、彼にはもうそれすら定かではなかった。
「選ばせてやる。今すぐ自分でその菓子を手放すか。それとも、それがそんなに大事ならそのまま抱えているかだ。俺はどっちでもいいぞ。ただし、後者を選ぶのなら――その時は俺がどうするか……もうわかるな? ゆっくり慎重に選択をしろ。このまま10分でも1時間でも考えさせてやる。なに、気にするな。腕力には少しばかり自信があるんだ……だが、ミスは誰にでもある。そうだろ?」
普段の彼からは考えられないようなその長い台詞を、弥堂が言い切るよりも前だったか後だったか、選択肢を考慮するまでもなく本田は全ての菓子を手放した。階下へとスナック菓子がその袋から撒き散らされながら落ちていく。
「ふん」
弥堂はそれをつまらなさそうに見て本田を窓の中へと運び床へと放り捨てた。
床に打ち付けられた本田はハッハッ――と過呼吸寸前のように短く早く息を吐き出しながら、恐怖に染まり切った目で弥堂を見上げた。
「よかったな。学園が指定制服の素材をもう少しケチって安物にしていたら、お前の体重に耐えられずに破れてお前は地面の染みになっていたかもな。偉大なる理事長と生徒会長閣下に感謝をしろよ」
彼なりのジョークなのか、無表情のままその口の片側の端だけ持ち上げて見せる弥堂に、本田は涙でぐしゃぐしゃになった顏で卑屈にへらっと笑い返した。
「笑ってんじゃねえよ、クズが」
すぐに表情を落とした弥堂は本田の腹を爪先で蹴り入れた。
「うぼえぇっ」と無様に嘔吐いた本田は口から胃液と逆流したスナック菓子の成れの果てを戻しながら、腰が抜けたのだろうガクガクと痙攣する下半身を引きずり這いつくばって弥堂から逃げようとする。彼の向かう先には同じく腰を抜かした西野がみっともなく尻もちをつきながら震えていた。
「ちょっと弥堂っ、やめなさいっ!」
弥堂のあまりの所業に茫然としていた希咲であったが、本田が蹴られた様子を見てハッと我に返り、彼らと弥堂の間に入るようにして止める。
「なんてことすんのよっ」
言葉とともに弥堂へ鋭い視線を向けるが、彼に追撃の意志がないことを見て取るとすぐに振り返り、涙と鼻水と吐しゃ物に塗れて震える本田へと駆け寄ってその傍らにしゃがみ込む。
「ちょっとあんた大丈夫? ほら、顔拭きなさい」
そう言って彼の肉厚な背中を擦りながら、カーディガンのポケットから取り出したハンカチを渡してやる。
ハンカチを受け取った本田は先程自分が彼女に対して行った所業を心の底から悔やみながら、ハンカチで顔を拭うことなくその手でハンカチを強く握りしめ、さらに多くの涙を流すと彼女へと必死に頭を下げた。気が動転して声が出せないのだろう、そんな本田の様子を見て取った傍らの西野が代わりに「ありがとうございます、ごめんなさい」と何度も繰り返した。
希咲は何であたしがこいつら守ってんだろ?という疑問を抱えながら、しかしこのまま弥堂の蛮行を放置するわけにもいかないので、仕方なく立ち上がり弥堂へと向き直る。




