序章14 悲運に捧ぐアーシャーム ③
「ふん、まぁいいわ。ここからが本題よ。偶然その日、たまたまその日、よりにもよってその日にね! ――ねぇ、希咲。この学園の室内シューズ、なんで靴紐がついてるのかしらね……?」
「えっ……っと……なんでだろう……?」
声のトーンを落とし問いかけられた質問に、希咲は自身の足元に目を遣り自分が履いている室内シューズのその靴紐を見た。当然ながらそこに答えが書いてあるわけもない。
「ふふっ、別にね理由なんてなんでもいいの……それ自体に別に意味はないわ。でも、ね。時々思うの……もしも学園指定の上履きが、靴紐のないタイプのものだったならって……」
「えぇーっと……えっ! ……それって、まさか……あ、ううん、なんでもな――」
希咲は白井の話すその先が見えてきたような気がする。だが、それに気付かないフリをした、しようとした。
「――私はその日、いつもよりちょっとだけ気分がよくて、だからかな? ちょっとだけ浮かれていたのかもしれない……いいえ、認めるわ。私は浮かれていた。だからね……気が付かなかったの……想像もしていなかったの……まさか、自分のシューズの紐がほどけているなんて……っ」
「あっ……あっ……そんな……そんなのって……」
残酷な結末が、想像をしたとおりの結末が近づいてくる。気付かないフリをしたい、見えないフリをしたい。しかしそれは、その残酷な出来事の当事者たる――被害者たる白井が許さない。
「ふふっ、私ね。運動神経があまり良くなくてね。壊滅的ってわけじゃないんだけど、でも運動は得意ではなくて。でもね、何もないところで転んだりとか、そんなことは今までなかったの。ホントよ?……その時まではね――」
「あぁ……いやっ……いやぁっ…………」
両手で左右の耳を塞ぎ首を振って続きを聞くことを拒絶する希咲に白井は近づき、彼女の両腕を抑え耳を開けさせると下から覗き込むように顔を寄せる。顏の横に垂れる髪が口の中に入っても構わず、希咲の耳元で「ダメよ……聞きなさい」と囁く。狂気を孕んだ彼女の瞳が妖しくゆらめく。
「やっぱり浮かれていたの。運動の得意でない私がね、多分いつもよりも少しだけ速いペースで走って彼を追って、そして追い抜いたの。フフフフフ……もうわかってるでしょうけど、でもダメよ。許さないわ。最期まで聞いてもらうわよ」
「やだっ……やだぁっ……もうやめてぇ……」
涙を流し許しを懇願する希咲を白井は決して許さない。最期まで追い詰めていく。
「彼の前に、大好きな彼の前に躍り出た瞬間だったわ。タイミングなんてもっと前でもよかったじゃないっ、もうちょっと後でも、彼と別れた後でもよかったじゃないっ。そもそも、たまたま、普段穿かない下着を穿いたその日じゃなくてもよかったじゃないっ! でも、その日だったの。その時だったの。偶然、たまたま、彼の目の前に出た、そのタイミングだったの! ……私は靴紐を踏んだわ。思い切りね。もちろん転んだわよ……彼のっ、目の前でっっ‼ 恰好悪いでしょう? 笑ってちょうだい……アハハハハハハ……」
「そんな……そんなのって……そんなのってないわ……」
白井は希咲の手を離すと壊れた笑みを浮かべよろよろと後退った。その頬には涙が流れている。
「転んだ私はどうなっていたと思う? 運動神経の鈍い私がどんな姿で……彼の目の前で……っ」
「もういい……もういいのよ白井さん……もうやめてぇ」
白井にはもう希咲の声は聞こえてはいないのだろう。壊れた笑みで光のない目でどこも見てはいない。しかし、その口は、その口から出る言葉は止まらない。
「私ね、無様にね、顏を床に擦り付けて、彼の方へとお尻を突き出して這いつくばっていたわ。彼の――ずっと大好きだった彼の前にっ! 黒のローライズTバックを穿いたお尻を突き出してっ! まるで……まるで――浅ましくおねだりでもするみたいにねっ‼」
「し、しらいさあぁぁんっ」
そこまでを言い切るともう限界だったのだろう、白井さんは両手で顔を覆うとワッと泣き出した。痛ましすぎて耐え切れなくなった希咲は、「おわりよ……私はもうおわりよ……」と譫言のように呟く白井さんに抱きつきワッと泣いた。二人しばらく抱き合いながら、わーっと泣いた。
彼女らのやりとりに我関せずでソシャゲのスタミナ消化のノルマを熟していた男子たちだが、高杉君以外の3名は「お尻を突き出して――」の部分で若干そわそわしていた。自分以外の男が持て囃される話には一切興味がないが、下ネタ部分だけは聞き逃さず反応をするのが男という生き物であった。
「じら゙い゙ざん゙~、づら゙がっ゙だね゙ぇ゙~、がな゙じがっ゙だね゙ぇ゙~」
スンスンと鼻を慣らし希咲が言った。
「わ゙だじの゙だめ゙に゙な゙い゙でぐれ゙る゙の゙ぉ゙? あ゙り゙がどね゙ぇ゙~、あ゙り゙がどね゙ぇ゙~」
スンスンと鼻を鳴らし白井さんも言った。
「――でもね」
白井は突如泣き止むとスッと表情を落とし立ち上がって、床に尻をつけて座りながら号泣する希咲を見下ろす。
「でもね、これでまだ話は終わりじゃないのよ――」
「え――」
希咲の目から光が消え、その表情は絶望に染まる。尻もちをついたまま床を擦り白井から逃げるように後退る。




