序章10 善意の洞 ①
「――やはり角度が合わないか」
弥堂 優輝は学園正門前から伸びる並木道の、桜の木の上で望遠カメラを構えていた。
放課後の時間を利用して『希咲 七海おぱんつ撮影事件』の現場検証を行っている。
本日の放課後は風紀委員会の見廻り当番のシフトに組み込まれているのだが、この『希咲 七海おぱんつ撮影事件』はまだ同委員会には報告をしていないのであくまで弥堂個人での非公式の調査となる。
そのため正門付近の見廻りという名目でこの場に来ていた。
正門付近から2年B組の教室内を撮影できるポイントはないかという検証で、高さを合わせるために木に登り、写真部から捜査の為にと強制的に徴収してきた望遠カメラを校舎二階相当の高さの何ヶ所かの枝から構えてみたのだが、Y'sから送られてきた画像のようなアングルの再現は出来ないでいた。
どうやら敷地内の高所からでは不可能なようだ。
(敷地の外でもそれは同じように思える……やはりドローンか、それとも――)
遠距離狙撃か。
狙撃銃とやらの有効射程距離というものがどの程度のものなのか弥堂は寡聞にして知らないが、もしも数㎞ほど先の距離からでも狙うことが可能なのであれば敷地外も捜査するべきなのかもしれない。
頭の中で捜査の順序を組み立てていく。ドローンの線と外部からの狙撃の線、この二つを同時に調べていく必要がある。
ドローンの方は警備部に乗り込んで撮影データの開示を要求したい所だが、今の所は風紀委員として公式に行っている捜査ではないのでそれは難しい。
それに警備部の中の誰かが、もしくは警備部自体がクロだった場合はこちらの身が危険になる。まずは警備員を何人か攫って尋問をしてみるべきか……どちらにせよこれは今日すぐには行動に移すのは厳しいだろう。準備が要る。
次に狙撃の線だが、これについては専門知識がないのでとられる手段が大分限られてくる。
せいぜいが帰り道でついでに狙撃が可能だと思われる地点を捜す程度か。それと問題になるのが、『一体誰を狙ったものなのか』という点だ。
クラスメイト達の中で生命を狙われる覚えがある者がいるか調べる必要がある。
自身にも後ろ暗い事情がたっぷりとある弥堂には、大人や警察に相談をするという方針は選択肢に浮かび上がることすらなかった。
現在はもう放課後だ。今からすぐに全員を調べることは難しいだろう。
今日これから出来ることがあるとすれば、風紀委員の見廻り業務を行いつつ、見かけたクラスメイトがいれば都度聞き取りをしていく程度か。
「びっ、弥堂くんっ‼ 何してるの⁉」
「む?」
ちょうど自らの行動プランがまとまったところで声がかかる。
現在は桜の木の枝の上だ。眼下の正門から昇降口へと伸びる並木道へと目を向けてみれば、木上の自分を見上げる形で幾人かの生徒達が騒ついていた。
無理もない。本人には一切の自覚がないが、木に登りやたらとごつい望遠レンズなどをとりつけた物々しいカメラを構え、校舎へと鋭い視線を向けているその姿は、客観的に見れば言い訳のしようもなくただの盗撮犯であった。
声をかけてきたのは水無瀬 愛苗だった。木の下で騒ついている生徒達に紛れやたらと血相を変えた様子で声を張り上げてくる。
「あ、あぶないよ弥堂くんっ! そんなところ登っちゃだめなんだよ!」
「ちぃっ」
弥堂は舌打ちをした。
下に数人集まっていることには気が付いていたが、わざわざ自分に声をかけてくる者などいないだろうと決めつけ、特に気にせず無視をしていた為に最も厄介な者の接近を許してしまった。
「舌打ちされた⁉」と、心配して声をかけたのにも関わらず、その相手にあんまりにもあんまりなリアクションをされ、まるで頭上にでっかく『が~ん』とでも文字が浮かび上がった様が幻視できそうなほどショックを受ける水無瀬を尻目に、弥堂は周囲の状況を確認した。
自分が現在登っている桜の木の周辺だけではなく、校舎と正門をつなぐ並木道にも全体的に下校のために通行をする生徒たちが増えてきていた。どうやら大分時間が経過して下校のピーク時間となっているようだった。
「――潮時か」
これ以上注目を集めて騒ぎになるわけにもいかない。
満足するような情報は何も得られなかったが、騒ぎを聞きつけられて他の風紀委員や警備部に見つかっても面倒だ。
弥堂は調査を打ち切ることにした。
「弥堂くんっ、弥堂くんってば!」
眼下からはまた水無瀬の喧しい声が呼びかけてくる。
「なんだ、水無瀬」
下手に無視をして騒がれても面白くない為、弥堂は簡潔に返事をかえした。
「は、早く降りなきゃ危ないよ! このままじゃ落ちちゃうかも…………え⁉ 落ちちゃう? 落ちちゃうのっ⁉ あわわわわ、大変だぁ――」
「おい、落ち着け」
自分で自分の言葉にパニックになっていく水無瀬の様子に弥堂は一抹の不安を覚えた。
「もっもももももしかして降りられなくなっちゃったの⁉ 公園とかにいる猫さんみたいに!」
「馬鹿にしてんのかお前」
一度この少女には自分のことを何だと思っているのか厳しく問い詰めたい、弥堂はそういった衝動に駆られた。
「どっどどどどうしよう! どうしよう? …………はしご? ……はしごとか――ダメ。どこにあるかわかんない‼ ……あっ、そうだ! 体操マット! 体操マットなら――」
「待て水無瀬。おかしなことは考えるな」
「あのっ! この中で誰か手伝ってくれる人はいませんか⁉ 体操マットをここまで運ぶのを手伝って欲しいんです!」
「水無瀬よせっ! 余計なことはするな!」
もはや弥堂の声など聞こえていない様子で、即断即決し周囲の野次馬から協力者を募りだす水無瀬に思わずこちらの語気も上がる。弥堂はここに至り、突如として自分が窮地に追いやられようとしていることを察した。
静観して状況が好転することは決してないであろう。水無瀬を説得するべく慎重に声をかける。
「いいか、水無瀬。聞いてくれ。俺はだいじょう――」
「――大丈夫だからね弥堂くんっ! 私に任せて。落ち着いてじっとしててね! 絶対に助けてあげるからねっ」
「聞けよてめぇ」
弥堂を不安にさせないようにとの配慮なのだろう。彼女も慌てているだろうにも関わらず、健気にも優しい笑顔を向けてくれる。しかしそれが弥堂を激しく苛立たせた。
ちなみに今この時が、二人が出会って一年ほどであるが、常は受動的に言葉を返すだけであった弥堂から水無瀬へと、正真正銘初めて自発的に話しかけた瞬間であった。
しかし弥堂 優輝の声も言葉も真意も彼女へと届くことはなく、無情にもその事実に水無瀬 愛苗が気付くことはなかった。
「あの、あなたC組の金子さんだよね? えへへ……私、B組の水無瀬 愛苗です。あのね? これから私、体育館に行ってマットをとってくるからその間ね? 弥堂くんが落ちちゃわないように見ててあげてほしいの」
「は? え?……あ、はい」
周囲の野次馬の中から目敏く名前を知っている顔を見つけた水無瀬はその女生徒の手をやんわりと取り、彼女の顔を見上げるとその目を見つめて真摯に懇願した。
C組の金子さんは下校の通りすがりに人が集まっているのを見つけ、何の騒ぎだろうと軽い気持ちで覗いてみただけであったのだが、この場の状況には全くついていけていないにも関わらず、人のいい彼女は思わず流れで承諾してしまった。
「いきなりごめんね、ありがとう……あとねあとね? 弥堂くんが怖くて泣いちゃわないように励ましててあげてほしいの。お願いできる?」
「えっ⁉」
了承した途端に重ねられた無茶ぶりに激しく動揺しながら、金子さんは「はげ……ま……す……?」と木の上の要救助者へと目を向けた。
すると人の生命など塵芥にも等しいとでも思っているに違いない、血も涙もない殺し屋のような冷酷な眼と視線が合い、通りすがりに巻き込まれてしまった憐れな女生徒は「ひっ」と短く悲鳴をあげた。
元から鋭く無機質な眼をしている弥堂ではあるが、着実に悪くなっていくこの場の状況に普段よりも何割か増しで視線を険しくさせていた。
要救助者が怖くて泣いちゃわないように励ます係の金子さんが怖くて泣いちゃったのだが、既に他の野次馬に助力を求めて声をかけている水無瀬さんがそれに気付くことはなかった。
「それじゃあ、私は急いで体育館に向います! もしも手伝ってくれるって人がいたらどうか追いかけて来てくださいっ! 大したお礼はできないけど、私にできることならなんでもしますから、どうか弥堂くんを助けてあげてくださいっ」
「ん?」
「いま?」
「なんでもって?」
集まった野次馬たちの前に立ち丁寧にペコリとおじぎをしてお願いしつつ、元気いっぱいに声を張り上げる水無瀬の勢いにか、彼女が振りまくお花畑な雰囲気につられたのか、何人かは彼女の手伝いを申し出そうな勢いだ。若干数名は邪な思惑を抱いていそうだが。
ご両親の教育がよかったのだろう、『良いこと』、『正しいこと』をしようと無責任に声をあげるだけではなく、自ら率先して行動を起こし、自身はその行動の結果なんの報酬も得られないであろうにも関わらず、自分の身を切ってまで協力者には報いようと、そこまでして『人助け』をしようと、水無瀬さん家の愛苗ちゃんはやさしくりっぱなお子さんに育っていた。
そしてその善意が確実に弥堂を追い詰めていく。




