序章06 となりの戦場 ②
声の方向からすると恐らくは一階だ。
このまま外の壁沿いに歩を進め手前から順に窓から室内の様子を確認していく。慎重に一部屋ずつ作業を熟していくとそうはかからずに現場に行き着く。手前から3番目の部室、ラグビー部だ。
弥堂は意図せずして口の端が吊り上がるのを自覚した。
所属人数の多いラグビー部は大教室を部室として割り当てられている。大教室には窓が3つ付いている。弥堂は気配を殺し自分から見て手前の窓より室内の様子を窺う。
去年、サバイバル部の活動として運動部を中心に工作を仕掛け廃部に追い込んでいった。そうして始末した部活動の内訳は主に格闘技系の部活動であった。
この平和な日本社会の中でわざわざ暴力の手法を覚えようなどという連中だ。血気盛んで気の短い者も多く、陥れてやるのは実に『イージーな仕事』であった。特にこちらが何もしなくても勝手に弱みをそこらにばら撒いてくれることも多いし、そうでなくても奴らが練習中に乗り込んで行ってこう言ってやればいい。『暴力行為の現行犯により制圧する』と。
そんな雑なイチャモンでも充分であった。後は勝手に襲い掛かってくる連中を叩きのめしてやればいい。元が腕に自信があるという触れ込みの部活動だ。たった一人にやられたなどとは言えずそのまま消えてくれる。
格闘技系の部活は数年程前に空前の格闘技ブームが国内で起きた影響で、この学園内にもやたらと乱立し、顧問教師の数も足りずその殆どが兼任という形でほぼ名前だけの監督となっていた。
その為実際はまともな部活動としての体裁を保てていないようなものも多く、その分付け入ることも、事後処理に関しても楽ではあった。
しかし、その他の昔からこの学園に存在している歴史もあり、どこの学校にもあるような定番とも謂える種目の部活動に関してはそう簡単には尻尾を掴ませては貰えなかった。このラグビー部もその中の一つだ。
弥堂は降って湧いたこのチャンスに逸りそうになる気持ちを自制した。慎重に窓から状況を確認する。
室内には屈強な体格の男達が4名いる。178㎝と長身な方である弥堂と比べても二回りほど大きく見える男達だ。その彼らに囲まれるような形で男子生徒の制服を着た女子生徒のような体格の生徒が1名いた。目を細め気配を入念に探る。どうやら死角に潜んでいるような伏兵も、廊下に立てた見張りもいないようだ。
(ふん、素人どもめ)
弥堂は胸中でほくそ笑み、推定被害者に目を向ける。
小柄な男子生徒だ。こちらからは顔は確認できないがその手には大きめの袋を所持している。袋を注視すると学園内の食堂で販売されるテイクアウト用のランチパックを入れるのに学園側が用意している物で、それに使用されているロゴが入っていることがわかった。
状況としてはこうだろう。
複数のラグビー部員がその大きな体格の威容と多勢に任せ、小柄で気弱な生徒を脅迫し学食で弁当を買わせてきたのだろう。
ラグビー部員と思われる生徒の一人が顔を真っ赤にし被害者生徒に何やらまくし立てている。
恐らくは購入してきた物に難癖を付け弁当代を被害者に払わせようとしているのだろう。卑劣な男だ。
『パシリ』と『カツアゲ』は許されざる罪だと自身の上司である廻夜も熱弁していた。実体験があるかのような熱の入り様であった。
卑劣な犯行に晒された哀れな被害者を風紀委員の責務に従って救出する必要がある。状況に介入するだけの理由は充分だと弥堂は判断した。
気の毒な被害者のまるで少女のように小柄な彼は酷い怯えようだ。膝と肩を震わせ泣いているようにも見える。職務と校則に基づいて速やかに救出せねばなるまい。
だが――
(まだ弱い)
これまで中々手が出せずにいたラグビー部を追い込む千載一遇のチャンスだ。出来ればこの機会に一気に廃部まで持っていきたい。おまけに今は新学期が始まったばかりの4月だ。
ラグビー部に割り当てられている予算は多額である。この時期にその予算を丸ごと浮かせてしまうことが出来れば、それを現存する部活動へと再分配する、そのような方向にも持っていけるかもしれない。
(確実に仕留める)
だがそれには昼食代程度の少額の恐喝などというしみったれた罪状では弱い。
これだけでは廃部まで持ち込むのは無理筋であろう。そのまま勢い余ってそのひ弱な男の腕の一本でもへし折ってくれないだろうか。そんな期待を寄せる。被害者には気の毒だがこれは必要な犠牲なのだ。心が痛む。
だが、欲をかきすぎて機を逸してしまうわけにもいかない。犯人グループの一人が被害者生徒の胸倉を掴み上げた。
(あと20秒)
弥堂はそうリミットを設定した。
薄く上唇を舐めると突入プランを立てていく。
(まずは部室前方の窓に石でも投げ入れガラスを割り犯人の注意を集める。直後に現在地の後方窓をぶち破り強行突入する。一手目、扉に一番近い男まで駆け抜け、奴を一撃で沈めその巨体で出入口を封鎖、退路を断つ。二手目、もう一人手近な男の膝でも蹴り割って動きを封じる。ここではまだトドメまでは必要ない。そうすれば被害者に近い男は人質をとるか考えるだろう。三手目、その間に三人目を一対一で仕留められる。あとは残った男を人質ごと壁まで蹴り飛ばしてやれば四手で状況は終了だ)
弥堂は制服の内ポケットを服の上から探る。手に伝わる感触から携帯灰皿を所持していることの確認が出来た。放課後の風紀委員会の活動の一環で、学園近隣の美化と銘打って行っているボランティア活動の際に拾い集めたタバコの吸い殻がそれには入っている。
(被害者ごと制圧してしまえば目撃者はいない。後はこれを室内にばら撒いてやれば喫煙の罪状も追加できるかもしれん。少々弱いが何もしないよりはマシか……)
学園の治安を守るはずの風紀委員の男は、備品を複数破壊した上で警告も勧告もなしに被害者の生徒ごと暴力を以って鎮圧をし、ありもしない罪を捏造することを固く決意した。
周囲に目を配って窓ガラスを割ることが可能な大きさの石、もしくは代用できる物を探す。
勤労意欲に溢れた清掃員さん達の仕事は完璧でゴミ一つ落ちてはいない。
舌打ちをしかけたところで自身の左手にある重みに目がいく。
青空の下でなかよくピクニックをする笑顔のどうぶつさんたち。その中の若干目つきの悪い犬の顔を、折り曲げた指の第一関節部で軽く叩く。コンコンと返る音と感触から中々に丈夫な鉄製の素材で中の弁当箱が造られていると思える。袋の縛り口の紐から弁当箱本体へと持ち手を移す。重さは十分だ。
弥堂 優輝はクラスメイトの女の子が、一定期間練習をしてまで自分の為に一所懸命作ってくれたお弁当を振りかぶり、学校のガラスを叩き割るために室内に投げ入れようと――
――したところで初めて室内の男子生徒の顔が見えた。あれは……
(山田君――だと……?)
そこに居たのは間違いなく、弥堂自身が所属をする『サバイバル部』の同僚である、隣のクラスの山田君だった。
山田君はサバイバル部の名簿に記載された正式な部員であり、しかし部の集会には顔は出さない、潜入工作に特化した優秀な諜報員だ。
(その彼が何故ここに……?)
弥堂は動揺しかけた呼吸を無理矢理沈め、投げ入れようとしていた弁当箱をそっと降ろし、自身も身を沈める。
一呼吸置いて改めて室内を覗き込み状況を整理しなおす。山田君を注視する。
彼の様子は以前に弥堂と邂逅した時と同様、酷く怯え少女のように華奢な身体を震わせており、男子の制服を着ていなければ少女と見紛うような可憐な面差しを青褪めさせ、長いまつ毛に覆われた大きな瞳から大粒の涙を零し泣いている。
まるで、人間相手でも欲情をするような醜悪な魔物に囲まれ、言葉が通じないとわかっていても許しを懇願し続ける哀れな村娘のように泣き叫んでいる。一見して絶体絶命のようにしか見えないがしかしこれは……
その時、あまりに山田君が五月蠅いものだから業を煮やしたのだろう、犯人グループの男の一人が彼の口をその大きな手で塞いだ。
「うー、うー」と唸り声を上げることしかできなくなった哀れな山田君は必死に身を捩る。その時、窓の外から状況を窺う弥堂と目が合った。
弥堂は山田君が反応を見せる前に自身の口の前で人差し指を立てるジェスチャーを送った。
目を見開いた山田君はそれを見て小さく頷いた。
弥堂は口に当てた手を下すと、山田君の目をしっかりと見据え安心させてやるように大きく頷いてやる。
山田君の瞳から安堵したように涙が一筋流れた。
それを見て弥堂はゆっくりと静かに、踵を返した。
山田君の目が大きく見開かれる。
窓の外の、ザッザッと立ち去っていく弥堂の姿を見て山田君は「うーっ! うーーっ‼」と唸り声を上げながら抵抗を一際強めた。
男達からは死角になるよう位置取りに気を付けながら弥堂は確信を得ていた。
一見山田君がカツアゲをされているかのように見えるがこれは間違いない――
(――仕事中だったか)
自分を見つめ頷いた山田君。あれは『邪魔をするな』そういうサインに違いない。危うく自分の早計で彼の『仕事』を台無しにしてしまうところであった。
背後の室内からは「な、なんだこの野郎⁉ 急に暴れ出しやがって、大人しくしやがれ‼」といった怒鳴り声が聞こえる。
弥堂は風紀委員の巡回報告用に作られたチャットグループに『西側部室棟周辺で騒ぎあり』と報告を入れようとして、送信ボタンに触れそうになった指を寸前で止める。そのままその文章を削除した。
(被害者に成りすまして犯行を誘発する罠なのかと思ったが、もしかしたらあのラグビー部員達はこちらのスパイで、彼らと何らかの物資の受け渡しをしていたのかもしれない……カツアゲに見せかけて――)
思わず身震いをしそうになる己の身体を意志の力でもって抑えつける。
もしもあれらがスパイだったとしたら。手出しが難しいと思われていた大手部活動に既に『仕込み』を済ませていたとしたら。
弥堂は己の上司と同僚の手腕に畏敬の念を覚える。
いずれにせよ、トラップかスパイか現時点ではそれは自分には判断のしようがない。余計なことは何もしない方がいいだろう。
ここは自分の『仕事場』ではない。
高揚しようとしている自分を認め、弥堂は立ち止まる。空を見上げる。手に持ったふざけた弁当袋と似たような色のよく晴れた空だ。
他人の出来不出来で自身の仕事への意欲を左右するなど三流のやることだ。しかし――
友軍が頼もしいことは悪いことではない。
予感があった。
そう遠くない未来に、必ず自分が立つべき『戦場』が訪れる。
根拠はない。しかし、何故か確信があった。
「その時は、俺の『仕事』を見せてやろう」
弥堂は歩き出す。
『共犯者』
もしもそんな者が自分に居るのであれば、それは彼が、山田君が望ましい。
いつかの未来で、『あの時はいい仕事をした』と酒でも酌み交わしながら……彼とはそういう『共犯関係』でいたい。そう思った。
「なんでええぇぇぇぇっ⁉ ねえっ! なんでええぇぇぇっ⁉ たすけてよおおぉぉぉぉっ‼」
『相棒』が立ち去った部室棟にそんな悲痛な叫びが響き渡った。




