序章31 バイアスの種 ⑤
ギスギスどころでは済まない弥堂と権藤の会話に、強制的に傍聴人にさせられている希咲はおなかが痛くなってきた。
希咲の記憶にある自身も経験してきた生徒と教師の会話とは、こんなに緊張感いっぱいなものではなかったはずだ。
『普通』に考えると、権藤の言っていることは相当に酷い。
およそ教師が生徒へと向けるような言葉ではなく、極めて相応しくない。仮にSNSなどでとりあげれば間違いなく炎上するだろう。
しかしそれは、ここに居る者の固有名詞を全て取り除いて、『登場人物A』『登場人物B』などの記号に発言内容を紐づけて語った場合の話だ。
弥堂なのだ。
生徒とはいえ相手は弥堂なのだ。それを考慮すると不思議と権藤の対応が適切なもののように思えてくる。
希咲は今日何度めかの、何が正しいのかという自身の価値観の揺らぎに眩暈を感じた。
弥堂 優輝。
高校二年生となったこの4月に初めてクラスメイトとなり、とはいえ今日まで然程は絡む機会がなかった男子生徒。
自身の親友である水無瀬 愛苗との関係性上、色々と彼女から彼について話には聞いていた。
しかし、彼女は頭にお花がピコンと咲いているような、ぽやぽやした女の子だ。基本的に水無瀬はポジティブなことしか言わないし、そもそも他人に対してネガティブな感情を抱くことすらないのだろう。
そのため、水無瀬自身が語る話の内容は、彼女以外の生徒から聞く弥堂の人物評とは大きく乖離をしており、彼に対しての個人的な興味が希咲にはまったくなかったことも相まって、今日までその人物像を上手くイメージ付けることが出来ないでいた。
ちなみに他の生徒からの悪評とは、まぁ、ひどい。しかし、それらをここで改めて頭の中に並べて思い浮かべる必要はないだろう。
なぜなら、さすがに盛っているだろうと今まで話半分で聞き流してきた噂ですら好意的な意見に思えるほどに、今日ここでこれまでよりも濃密に関わった弥堂 優輝という男は、その実態の方が噂よりも遥かに酷かったからだ。
たったこれだけの短時間でそう決めつけては、それは早計だとお叱りをうけるかもしれない。
だが、希咲は確信をしていた。
この男はきっとこんなものではない。
おそらく知れば知るほどに嫌いになる。
そうに決まっている。
だから、権藤の対応も、今自分が抱いている『弥堂だから』という――法廷院に謂わせれば差別的になるであろう――感情もきっと間違っていないはずだ。
弥堂の発言は一見すると筋が通っているように聴こえる。『登場人物Aさん』が発言してさえいれば。
普通に考えて、弥堂の言う通り、ただの高校生が何らかの道具もなしにコンクリの壁を破砕するなど、まぁ出来ないだろう。それは間違いない。
だが――
(――目撃、しちゃってるのよねぇ…………はぁ……)
どれだけ筋が通っていようとも、実際に現場に立ち会ってしまったのならばその限りではない。
これに関しては相手が『弥堂 優輝』であろうと、『登場人物A』であろうと関係ない。
現行犯で抑えてしまっている以上は、いくら相手が『登場人物Aさん』であっても、無実を信じてあげることは出来ないのだ。
(ごめんね、Aさん…………うぅ……)
誰とも知れないAさんに詫びて心中でおよよと泣く。
つまりこの場は、学校の建物を壊した生徒が先生に追及されているけどすっとぼけている――という構図だ。
ではなぜ、希咲がこのように煩悶憂苦しているのかというと――
(やっぱ……言った方がいいのかなぁ…………)
――教師である権藤に真実を告げるべきか、という問題のせいだ。
まず前提として、嘘はよくない。
ただ希咲とて潔癖なまでに、全ての嘘に対して即座にアレルギー反応を起こす程までに、『嘘』を否定するつもりはない。
今日この場に来る前に、放課後になってすぐに昇降口棟で思い悩んだ自分を取り巻く環境への憂いのように、希咲自身の言動についても思い当たることはある。
誰彼構わずという訳では当然ないが、しかし確かに自分もあちこちで真実ではないこと、心にもないことを日常的に言っている。
それについては、人間関係を円滑にするためという言い訳は出来るし、それを建前としてトラブルを未然に防ぐために使っているという正当性を主張することも出来る。
だが、それでも、嘘は、正しく、嘘だ。
ただ、一つだけ声を大にしても云えることがあるとすれば、決して悪意を以てその嘘を吐くわけではなく、人を傷つける意図もそこにはない。それだけは神にも誓える――ということだ。
対して今回の弥堂の言動はどうだろうか。
不可抗力の事故でもなければ、緊急性や必要性に駆られて仕方なく――というわけでもない。
ただ法廷院たちを脅しつけるためのショーとして、学園が所有する建築物を贄とし、悪意を以てそれを破壊して見せた。
その行動の中に正当性の存在を主張するのは難しいだろう。
つまり、彼はわるいことをした。
ならば、法廷院たちが今しがたそうしていた様に、希咲も教師である権藤へと真実を伝えるべきなのだが――
(――でもなぁ……こんなんでも一応クラスメイトだしなぁ……)
先述のとおり彼とは友人でもなんでもない。なんなら仲が悪い部類だったかもしれないし、今日の出来事のことを含めたら、脳内の『キライなヤツ』のフォルダにバッチリその名前が入った。
それでも、『クラスメイト』というだけでそうでない他の者よりは何となく特別な関係性のように感じてしまうし、何故だかわからないが庇ってあげなくてはいけないような気もする。
感じ方に大小はあるだろうが、おそらく学生特有の価値観だろう。
しかし、かと言って悪いことは悪いことだし、それをなかったことにするのが正しいことだとも思えない。
こんなことを――今月高校二年生となり、あと数か月で17歳の誕生日を迎える今の年頃に――改めて真面目に思い浮かべるのは、それ自体が恥ずかしいことだが、先生に嘘を言うのはいけないことだ。
相手が教師でなければ嘘を言ってもいいのかという問題では当然ないのだが、それでも教師が相手だと特別忌避感があるように感じられてしまう。
これも学生特有の価値観なのだろう。
去年の今時分には『クラスメイトだから――』とか『先生だから――』などと考えていられないくらいの酷い『事件』に巻き込まれ、それを乗り越えるために相当に形振りの構わないようなことをしてきた自覚がある。
それからたったの1年ほどで、このような学生らしい葛藤で躊躇うのは「なんだかなぁ」と思う一方で、くだらないことだが喜ばしいことなのかもしれないと、困ったような呆れたような不思議な感慨を得た。
そんなことを今この時に思い悩むのはもちろん、現実逃避なのだろう。
遅かれ早かれ、希咲も権藤から聴取をされる。その時にどう応えるのか、自分の返答を選択しなければならない。
そして、その時はくる。




