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俺は普通の高校生なので、 【序章】  作者: 雨ノ千雨
序章 俺は普通の高校生なので。
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序章31 バイアスの種 ④

 怒りを堪え拳を握りしめた権藤の、その逞しい腕を収容したYシャツとその上に着込んだスーツの右袖が肩から弾け飛んだ。



 弥堂以外の全員がギョッとした。



 冗談の様に肥大化し二枚の生地を突き破って露わになったのは、膨大な時間と情熱の果てに完成した極上の肉だ。



 頭蓋骨より大きいのではと錯覚するほどの塊となった上腕二頭筋は誘うように艶めき、まるで別々の生き物のように蠢いた前腕の屈筋群と伸筋群が、持ち主の闘争心を暗喩するように固まる。



「せせせせ、せんせいっ! あのっ! このバカにはあたしがあとでちゃんと言い聞かせますんでっ! その…………ごめんなさいっ……ごめんなさい…………っ!」



 一戦交えだしそうな教師と生徒の雰囲気に危機感を覚え、希咲は弥堂を背後に押し遣るようにしながら、バカ息子が万引きで捕まったせいで呼び出しをくらった不運な母親のように必死にペコペコと頭を下げる。



 そのあまりに不憫な姿を見て、罪悪感に苛まれた権藤は拳を解いた。



 彼女はそのギャルっぽい見た目から自由に遊びまわっているように誤解を受けがちだが、実際はシングルマザー家庭で3人の弟妹たちの面倒を見ながらアルバイトまでこなして家計と家事を助けるという、同年代の他の学生よりも相対的に苦労がちな女の子だ。



 当学園に於いて生徒のアルバイトは、希咲のように家庭の事情などにより必要性があると判断がされた場合に許可がおりる。


 当然彼女はその申請の手続きをして正式に許可を得ているため、必然的に権藤のような教職員の幾人かは彼女の家の事情を把握している。



 チラリと弥堂を見る。



 長年教師をやっている自分にはわかる。


 こいつは間違いなく一級品のクズ男になる。



 ここで怒りのままにこのクズをぶちのめすのは簡単だ。しかしそれは根本的な解決法にはならない。

 教師としてはっきりと口に出してそう言うことは憚れるが、この男が改心し更生することは未来永劫ないだろう。



 チラリと希咲に視線を戻す。



 力を抜いた権藤の筋肉がわかりやすく半分ほどのサイズに萎んだのを、「人間ってそういう生き物だったっけ?」とどん引きしながら見ていた希咲は権藤と目が合ってビクっとなった。



 この苦労性でがんばりやの今時珍しいいいこに、そこのクズ男の保護者のような真似をさせるのは忍びない。権藤は鉾をおさめることにした。



「法廷院。お前らのそのナイーブ……なんとかってのはなんだ? 暴走族か?」


「あ~はぁん?」


 気分を入れ替えるために法廷院へ話を振ったら、イラつくイントネーションで返事が返ってくる。



「そうだねぇ。自由を求めて未来へ爆走するという点では暴走族と言えなくもないかもしれないねぇ。だってそうだろぉ? この道の先に広がる地平線は果てしなくまっ平らでとっても公平っぽいからねぇ。それなら征くさ、スピードの向こう側にね。ただし、ボクたちがご近所へお届けするのは排気音ではなく弱者の悲痛な叫びさ」


「……そうか。つまりサークルや同好会のようなもの……で、いいのか?」


「おいおいおい、せんせぇ~。勘弁してくれよぉ。そんな子供のお遊びと一緒にしてほしくはないねぇ。だってそうだろぉ? それらは学校という箱庭を卒業すればなくなってしまうものじゃあないかぁ。ボクたちは人生を賭して戦っていくと決めて活動をしているんだぜぇ」


『たち』という表現に対して、高杉以外の『弱者の剣(ナイーヴ・ナーシング)』のメンバーが「えっ?」と法廷院の方へ驚愕の視線を向ける。



「……冗談、ではない、のか……そうか…………いいか? 極力、うちの卒業生であると言うんじゃないぞ? 我が校の教育が疑われる。あと他の生徒には迷惑をかけるな」


「迷惑だって? なんてこった。そうやって少数を切り捨て続けてきた結果が――はい、わかりました」


 勢い勇んで口上を述べようとした法廷院だったが、権藤先生の左袖がハジケ飛んだのを見て了承の意を唱えると、お口を閉じて自由な意志のもとに『きをつけ』をした。



 権藤は重苦しく息を吐く。



 どうしてこの学園はこんな奴らばっかりなんだ、と。



 ここ1.2年は特に酷い。しかし、一部のもはや手の施しようのない連中はともかく、他の極めて一般的な生徒たちだけはどうにか無事に社会に送り出してやらねばならない。



 己の責務の重大さを再認識する。



 そして今日はもう遅い。



 この場はもう有耶無耶に済ませてでも生徒たちを帰宅させるべきだろう。最近は街の治安にも不安がある。


 そしてこの後にスポーツジムの予約をしていることを思い出し、己の予定の逼迫さを再認識した。



「まぁいい。おい弥堂。今日はもう見逃して――」


『――やるから明日反省文を提出しろ』


 このように告げるつもりが、途中であるものが目に入った権藤の言葉が止まる。



 その様子を怪訝に思った希咲が「ん?」と彼の視線を追う。



 権藤はコンクリート製の壁の一点を見て立ち尽くしていた。



 その一点には大体成人男性の拳大ほどの大きさの破損があった。



 希咲は「ぅげっ」と小さく呻きをあげると、慌てて目線をそらしキョドキョドした。



「弥堂。これはなんだ?」


「これとはどれのことでしょうか?」



 弥堂は背筋を伸ばし目線を自分の正面から一切動かすことなく聞き返す。



「俺の目線を追え。わかってるんだろう?」


「これは――⁉ 気付きませんでした。壁に破損が見られますね」



 希咲は思わずバッと弥堂の方を見てしまった。



 表情に乏しいなりに、軽く目を見開いて「驚きました」といった雰囲気の小芝居をしつつ、正々堂々とすっとぼける隣の下手人を地球外生命体に向けるような目で見た。



「嘘だっ!」

「先生っ!」

「こいつがやりました!」


 ここぞとばかりに法廷院、西野、本田が弥堂を指差して教師に真実を伝えようとする。



「――と言っているが?」


「冤罪ですね。胸が痛みます。いいですか、先生。こいつらは普段からこうして在りもしない罪と加害者をでっちあげて一般人に絡んでいるのです。事実、先程も希咲に対して同様の犯行に及んでおり、それを俺が現行犯で押さえたというのが本日この場での事件です。つまりこのような前科者どもの証言は信用に値しません。常軌を逸した精神構造です。恐らく薬物――でしょう。責任を持って俺が追及をします」


「……急に口数が増えたな? 俺はお前がそんなに饒舌に喋っているところを初めて見たぞ」


「誤解です。必要があれば喋るし、逆に必要がなければ――それは当然のことであり、先生、貴方も同じでしょう?」


「……では、何故壁が壊れているのかをお前は知らない。そう主張するんだな?」



 自らの生徒のことを微塵も信用などしていないという鋭い視線で嫌疑を投げかける権藤に対し、理路整然風に嘘を並べたてる弥堂。


 その二人の問答を聞きながら、弥堂の隣に立つ希咲はダラダラと汗を流す。



「俺を見てください、先生。丸腰です。これでどうやってコンクリを砕けと? 仮に俺が犯人だったとしても、その証拠を出すどころか破壊に至った手段すら挙げることが出来ないのであれば手落ちでしょう。カーテンやガラスならまだしも、まさか一介の高校生が素手でコンクリートを破壊したとでも? 先生、あなたは疲れているんです。有給休暇をとられてはいかがでしょう」


「弥堂。俺は『犯人』の話など一言もしていないぞ。俺は『何故壊れているか知らないのか?』と訊いただけだ。語るに落ちているぞ」


「まだるっこしい話はなしにしましょう。効率が悪い。権藤教師――あんたは俺を疑っている。そうだろう?」


「そうだ。俺は、お前を、疑っている。確かに普通に考えて素手でコンクリを砕くなど無理だろうな。状況的に実行は難しい。動機もわからん。証拠は何もない。だが――いいか、弥堂。それでもだ。それでも俺はお前が犯人だと確信している」



 ギスギスどころでは済まない弥堂と権藤の会話に、強制的に傍聴人にさせられている希咲はおなかが痛くなってきた。

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