序章31 バイアスの種 ③
「――ちょっと待ってくれよぉ」
これまで大人しく黙っていた法廷院が口を挟んだ。
先程までの怯えようとは打って変わって、彼はその瞳に挑戦的な色を灯し、ニヤリと唇を歪めた。
「おいおいおい、勘弁してくれよぉ、せんせぇ。冗談で済まそうだなんてそれこそ悪い冗談だぜぇ。だってそうだろぉ? 既に現実で可視化されている『差別』を法制度によって合法化しようだなんて、そんなこと冗談でも口にすべきじゃあないぜぇ」
「……法廷院」
「おっとぉ。ボクのことは苗字で呼ばないでおくれよぉ。これは前にも言ったことがあったはずだぜぇ、権藤せんせぇ? なんにせよ、誰に権限がなくともこのボクが許さないぜ。その権限を誰もが持てるようにするのがボクたちの存在理由なんだ。差別をする者が許せないんじゃあない。だってそうだろぉ? 人が人を見下す。その思想と発想こそが! ボクの――ボクたち『弱者の剣』の倒すべき敵なんだぁ!」
「法廷院。俺はまだお前に喋っていいとは言っていない。もう少し黙っていろ」
「なんてこった! 教師の立場を利用して生徒の発言を封じるのかい? こいつはきっぱりと『言論統制』だぜぇ。だってそうだろぉ? 『言論の自由』と『発言の機会』は全ての国民に『平等』に与えられた『権利』なはずだからねぇ」
「そうか。だったら自由に選べ。自発的に黙るか、俺に顔面を掴まれて黙らされるか、だ。ちなみに俺はリンゴを素手で握り潰すことができる」
どこかで聞いたような論調の権藤先生の説得に対し、法廷院は自らの自由な意思のもと、お口にチャックをして大人しくすることを選択した。
権藤から見て法廷院 擁護という生徒は弥堂とは違った意味で厄介な人物で、生徒という立場を弱者という位置に置いて、こちらに反論しづらい状況を作った上で一方的に喚き続けるという卑劣な生徒である――そういう認識である。
前に一度、気の弱い同僚教師などは、上記の状況で授業中に噛みつかれ好き放題に騒がれた挙句、反論の機会を与えられないままに『論破した』などと言い周られ、悔しさと不甲斐なさからくる自責の念で休み時間に職員室で泣いていた。とても痛ましく同情をした。
この手のガキにはとにかく喋らせないことが重要だ。どうせ話などまともに聞きはしないのだ。
幸いにも彼の保護者からは、多少無茶をしても構わないから厳しくいって欲しいと許可は得ている。
ならば、とっとと脅して従わせるのがスマートな大人のやり方といえよう。
首尾よく法廷院を黙らせた権藤は弥堂へと向き直る。聞き捨てならないことはまだいくつもあるのだ。
「弥堂。おまえ――」
聴取を再開しようとして、聞こうと思っていた内容とは別のことがふと頭を過り、口を閉ざす。
顎に手を当て、数瞬思考する。
「なぁ、弥堂。先生な、先日こんな出来事があったんだが……」
「はぁ」
突然、世間話でもするかのような語り口に変わった権藤の様子を、怪訝に思った弥堂の口からは曖昧な声が漏れる。
「ある日の放課後にな、突然緊急で予定にない職員会議を開くと招集をかけられたんだ。先生な、その日はジムを予約していたんだが、それはまぁいい。で、だ。どうも学園への意見箱に極めて不謹慎なイタズラが投書されたと、生徒会経由で回ってきたらしくてな……」
「ナメられたものですね。俺に犯人を捜し出して断頭台に上げろとの要請でしょうか?」
「うちの学校にそのような不謹慎な設備はない。仮にあったとしたらとっくに俺がお前に使っている――いや……まぁ、聞け。その投書の中身がな、簡単にいうと、不良生徒を断罪するための法廷を学園内に設置しろだのというイカれた内容だったんだ。当然その内容に怒り心頭となった職員は多かった。そのせいか、会議は相当に長引いてな…………あれは長かった……本当に長かったんだ……クソッタレめ……!」
語りながら当時の心境を思い出したのか、権藤は隠しもせずに毒づく。本当に長かったのだ。スポーツジムの予約をキャンセルしなければならなかったほどに。
「で、だ。先生さっきな、お前と話していてこのことをふと思い出したんだが。なぁ、おい弥堂」
「はっ」
「あのタチの悪いイタズラはお前の仕業か?」
教職に就く者とは到底思えない殺気のこもった鋭い視線で弥堂を刺す。
「イタズラか――と問われれば答えはNOですが、裁判所の設立を要請したのは俺か――と聞かれればその答えはYESです」
それでもなお何ひとつ悪びれる様子もなく堂々と自白する隣のクラスメイトに、希咲は目を見開いて信じられないものを見るような目線を向けた。
もうこれ以上彼に何か喋らせるべきではないのだが、驚愕のあまり止めに入ることを失念する。
「ところでその件の実施はいつからに? 可及的速やかに、と要請をしたはずですが?」
悪びれるどころか、まるで「お前らの決済が遅いせいで現場が迷惑してるんだが?」と言わんばかりに、逆に権藤を追及するような態度をとる弥堂に他の生徒たちの顔色は悪くなるばかりだ。
「いつからもなにもあるか。あれは否決された。当たり前だろうが」
「バカな――⁉」
「――ぶっ」
信じられないとばかりに弥堂は目を見開き驚愕する。
普段表情に乏しい男が不意打ちでかましてきた迫真の顔芸をすぐ隣で見てしまった希咲は、場の状況的には不謹慎なのだが、その顏がちょっと面白かったのでつい噴き出してしまった。
当然、ギロッと権藤に睨まれてしまったので、バッと素早く俯いて誤魔化す。小さく腰を横に振って弥堂の腿を尻で小突いて八つ当たりをした。された本人はまったく意に介さない。
「なにを悠長に平和ボケを…………っ! 手遅れになっても知らんぞ」
「お前……まさか本気なのか……? イタズラじゃなく? 頭イカレてんのか?」
「うるさい黙れ。貴様ら教員どもは、四の五の言わずにこちらが持ってきた書類に阿呆のように判を押していればいい」
「コ、コラっ! 口調っ……!」
「中学時代のお前の担任は一体どんな教育を施したというのだ……」
ついに敬語を使うことすらやめた問題児を目に映し、権藤先生は昨今の義務教育の現場に疑いをもつ。
「そんなことよりも、弥堂。お前さっき、こいつらが迷惑行為をしているという情報を予め掴んでいたと言ったな? 昨日委員会の集会に参加したが、俺はそんな報告を受け取ってはいないぞ。どういうことだ?」
「あぁ……それなら難しい話ではありません。俺が個人で所有している情報網に掛かっただけで、裏どり前だったのでまだどこにも情報を共有していなかっただけの話です」
「……それは、つまり、お前が私的な目的で他の生徒たちの個人情報を誰かに収集させて保管している、ということか……?」
「必要なことです。詳細や協力者については話す気はありません」
希咲が隣でハラハラと見守る中、弥堂と権藤のやりとりは段々と剣呑な空気になっていく。
「……それは、どうしてだ?」
敵兵を射程に収めた兵士のような表情で問い詰める権藤に対し、弥堂は心底くだらないことを訊かれたとばかりに「ふぅ」と、わざと大袈裟に溜め息をついてみせる。
「……いいか、権藤教師。俺はこう言っているんだ。お前には知る資格がない」
「ばかっ……ばかっ……! なんでそんなこと言うのよぉ……っ!」
あわあわしながら顔面をぺちぺち叩いて止めてくる希咲を無視して弥堂はそう答えた。
それに対して、権藤はすぐに言葉を返す様子もなく無言だ。だが、思わず、なのだろう。グッと右の拳を握りこんだ。
そうしたら――グバッと、その逞しい腕を収容したYシャツとその上に着込んだスーツの右袖が肩から弾け飛んだ。




