序章30 その福音は唯独りの勝利者の為に鳴る ②
「なにモタモタしてんだよ! こいよ、弥堂っ!」
快活な声で男らしく豪快に手招きをしながら、本田に命令された。
その態度が無性に癇に障った弥堂は、この場に居る者どもを20秒以内に皆殺しにする具体的な手順を瞬時に頭で組み立て、しかしそれを速やかに実行に移す寸前で、意図的に自身の知能を低下させることで踏みとどまることに成功する。
弥堂 優輝は、こうした幼稚で意味不明な者たちが多く在籍する頭のおかしい学園で過ごす中で、ナメた態度をとるガキどもをうっかり殺害してしまわないように、意識して自身のインテリジェンスを下げて――なんなら思考の全てを放棄することで――手を汚さずに場をやり過ごす術を身に付けていた。
弥堂が自身で編み出した数少ないオリジナルの技法のひとつである。
思考能力をドブに捨てて白目になった弥堂はオートモードとなり、言われるがまま狂気の円陣に近づいていく。
「ちょっと! あんたまさか参加する気っ⁉ 正気なの⁉」
残念ながら今の彼は自ら正気を捨てている。
「なんであたしのいうことは聞いてくんないのに、こいつらのいうことは聞くわけっ⁉ ていうか――たすけなさいよおぉぉぉっ!」
希咲の必死な訴えも虚しく、白目の男は着実に近づいてくる。寄ってきた弥堂を迎え入れるため、法廷院と西野がいそいそと彼の手をとり背を押して、手厚く輪に入れてやる。
必然、一時的に希咲を胴上げするメンバーが半減してしまっているが、元々彼ら二人は貧弱なので、胴上げの動力としては大して足しにはなっていなかったので問題なかった。
「やだやだやめてっ! さわんなっ、あほ弥堂っ!」
受け流し力に強烈なバフの入った状態の弥堂にはどんな悪口も届かない。無事に円陣の一部となった彼はあらゆる思考を放棄して、希咲の胴上げに参加した。
屈強な動力を得て胴上げの勢いと『優勝コール』も心なしか増した。
「もうやだあぁぁぁっ! たすけて愛苗ぁぁっ!」
ここに現れるはずのない親友へと縋る、完全に泣きの入った希咲の声の悲痛さも極まる。
「弥堂っ! 絶対へんなとこさわんないでよねっ!」
せめてもと、抗議と願いという本来混じり合うはずのないもののハイブリッドで仕上がった文句を言い終わるかどうかというその時――この狂乱の場の騒音以上の大音量が廊下に、いや学園中に響き渡った。
時計塔の鐘の音だ。
ついに完全下校時間となったのだろう、美景台学園の一日の終了を告げる恒例の知らせであり、学園に通う生徒や教師に他スタッフのみならず、近隣の住民にも須らく迷惑がられている鐘の音である。
しかし、本日のこの場に居る何名かについては様子が違った。
「――福音だっ!」
「はぁっ⁉」
「これは希咲さんを祝福する福音なんだ!」
そう叫んだのは、今日の放課後のわずかな時間のみで七海ちゃん信者となった本田だった。もはやこの世の全てのものは彼女のために存在していると、そう思いこむような領域にまで足を踏み込んでいた。彼はガチ勢なので仕方ない。
そして本田が創り出した流れにすかさずその仲間たちがノる。
「おめでとう! おめでとう希咲さん!」
「世界が! 世界がキミを祝福してる!」
「またっ! いみわかんないこといわないでっ!」
「MVPだよ! キミこそがMVPにふさわしい! 神がそう決めたんだ!」
この場合のMVPとはもちろん、『Most Valuable Panty』の略だ。
自分たちの仲間――彼らは勝手にそう思っている――からMVPが選出されたことに彼らは興奮を禁じえない。怒号は際限なく高まっていく。
「――うるさっ! もうっ! うるさいっ! みんなうるさい! みんなしねっ!」
狂ったように鳴る鐘の音と狂ったように騒ぐ男たちに、希咲は憤りを隠せない。
その時、あまりに煩い周囲の音に、ハッと弥堂が我に返った。
大音量の鐘の音と男たちの叫び声に迷惑そうに顔を歪めながらも、惰性で落ちてきた希咲を受け止めてまた放り上げる。宙を舞いながら喚く彼女を見上げ『なにしてんだこいつ?』と怪訝に思った。
そこで、オートモード中に彼女に何か言われていたような気がしたと記録を参照する。
『弥堂っ! 絶対へんなとこさわんないでよねっ!』
それを彼が思い起こしたその時に奇跡が起きる。
落ちてくる希咲を受け止めるために手を構えていたが、『へんなとこってどこだ?』と僅かに躊躇いから身動ぎをしたために、位置がずれる弥堂の指先と――
悲鳴をあげながら天井付近から落下してきた希咲の背中が――
天文学的なタイミングで邂逅を果たし――
――ぷちっ
「――へっ?」
大騒乱の中でその音を聴力によって捉えることは難しく、弥堂と希咲だけがその指先と背中で、手応えによってのみ聴き取った。
「――えっ? え? えっ⁉ うそっ⁉ うそっ⁉」
自身の胸周りの締め付けが急に頼りなく感じられるようになり、希咲は茫然自失する。
そして次に落下してきたタイミングで、自身の背骨に沿うラインで上背と下背の中間あたりに置かれた手の持ち主の、その無機質な眼と自分の目があった瞬間に何が起きたかをはっきりと認識する。
「びっ、びびびびびとうっ! あんたっ! なにしてっ! なにしてくれてんのおぉっ!」
言葉と同時、スカートのお尻を抑えていた左手をバッと素早く胸にまわし、必死に守るように抑えつける。
「くそやろうっ! ころすっ! ころすっ! ぜったいころしてやるっ!」
騒音の中で聴き取りづらいが、ポンポンと宙に浮かびながら涙目でこちらを睨み、何やら怨嗟の声を出す少女を弥堂は怪訝に思い首を傾げた。
「コテンってするな! かわいくないのよっ! ――てか、ねぇっ! もうこれやめて! マジでやばいの! だめになったの!」
弥堂だけでなく今度は胴上げをする全員に向けて緊急事態が起こったことを知らせる。しかし会場の大歓声にその訴えは掻き消される。
「きけっ! きいてってばぁ! もうだめなの! あたしの…………ブラが――ブラがあぁぁぁぁぁっ!」
奇しくも、またも神がかったタイミングで規定の回数を鳴らし終えた鐘の音が止み、最後の『ブラがあぁぁぁぁぁっ!』の叫びがやけに大きく響いた。
今回も例により彼女の願いは叶わない――そう思えたが、
「お前らっ! 何をしとるかっ‼‼」




