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俺は普通の高校生なので、 【序章】  作者: 雨ノ千雨
序章 俺は普通の高校生なので。
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序章29 失伝:眇眇たる涅色、その手にはなにも ⑤


 無事にモップを片付けた弥堂は「さて、今度こそ帰るか」と歩き出す。


 しかし、何歩か足を進めたところでやかましい集団の声が背後からまた近づいてくるのを感じ取った。

 うんざりしながら振り返ると一番に目に映ったのは先頭を走る希咲の引き攣ったような泣き顔だ。



 完全にパニックになっている彼女が真っ直ぐ自分に向かって走ってきているので、弥堂は一歩横に避けて道を譲る。すると、希咲は先程までのように広場の向こうまで走り抜けていくのではなく急旋回して弥堂の周囲を回る。


 その後に続く法廷院一同も当然彼女に追従しているので、複数の人間が弥堂の周囲をグルグルと走り続ける恰好となった。



 あまりにくだらなくて、あまりに滑稽なこの状況が、あろうことか自身を中心点として繰り広げられているという現実に弥堂は一瞬気が遠くなる。彼という男としては滅多にないことに怒鳴り散らしてやりたい衝動が湧きあがる。



 さすがにそこまでの醜態は晒したくはないので、ひとまず希咲に声をかけることにした。



「おい、きさ――」


 しかし、彼が呼びかけるよりも先に、急に方向転換した希咲が先程の戦闘時に見せていたような動きと速さで懐に飛び込んできた。



(しまった――)



 そう思ったのも束の間、弥堂が反射行動をとるよりももっと速く、希咲は視界から消え背後に周った。



「ちぃ――」


 あまりに馬鹿々々しい状況に完全に油断をした。最も愚かなのは自分であったと否応なく一瞬で理解する。

 このまま背中から刃物を突き入れられるであろうことは容易に予測ができた。


 己の油断の代償として内臓を抉られることは覚悟し、相打ちで相手の顔面に肘を打ち込むことを決める。



 しかし、想定していた皮膚を穿ち肉とともに裂きながら貫き別け這入ってくる既知の感触はなく、代わりに衣服を強く摑まれた感触を知覚する。


 投げ技を直感しその始動を潰すために、上体を回して半ば当てずっぽうに肘で頭部を狙った。



 しかしパニック状態にあるはずの希咲はそれに的確に対処する。重心を落とすことで器用に弥堂の肘を潜り、タックルを入れるように弥堂の腰に取り付いた。


 すぐに右を打ち落そうとした弥堂は、その的となる相手の顔面を視認して――握った拳を緩めた。



 視線の先にあった希咲の顏が――その表情があまりに情けないベソ顏をしていて、釣られて脱力したのだ。



 もはや自分が何をしているのかすらきちんと自覚出来ていないほどに泡を食った様相の希咲は、真正面から抱きつくように弥堂にしがみつく。


 勿論のこと愛情表現でもなければ、恐怖と混乱のあまり頼れる存在に縋りつくため――などでも当然なく、彼女の行動の目的は身を守る盾を得るためだ。



「むりむりむりっ! マジむりっ! あっちいって!」


 ガシッとしっかり弥堂のベルトを掴み相撲でもとるように向きを変え、彼らと自分との間に弥堂を押し遣る。


 弥堂の目の色が白んでいく。



 彼女を追いかけまわす不埒者どもは、希咲が「わーきゃー」と嫌がる姿を見るだけで楽しくてしょうがないといった乱痴気具合で、着かず離れずを保ったままで彼女の背後をとろうとまたも周囲を回りだす。


 すると、あくまでも彼らに対して弥堂で防御をしようと試みる希咲も彼らに合わせて連続してクルクルと向きを変えるので、ほぼ抱き合っているような恰好の二人は、まるで不出来なステップで拙劣な社交ダンスでも踊っているかのようであった。



 その有様に苛立ったのは弥堂だけではない。



 床に這ったままで口惜しそうに様子を見ていた白井が、嫉妬の心が唆すままに希咲の足をガッと掴む。



 バタバタと動いて連続して重心を移し続けている最中にそんな危険行為をされれば、当然の如く希咲はバランスを大きく崩すことになる。


 そしてさらに必然的に、その彼女に腰に腕を回してしがみつかれている弥堂もその道連れとなった。



 急激に体勢が崩れたことで運動能力・反射神経に優れる二人はそれぞれに対処をしようとする。


 身体を斜めに倒しかけている希咲は弥堂のベルトをより強く掴み直立を維持しようとし、弥堂は転倒しかけたダンスパートナーを放り捨てることで己だけは難を逃れようとした。



 結果――



「ふぎゃっ⁉」

「ぅぐっ」



 希咲の片手だけは外すことに成功したものの、もう片方の手にはバッチリとベルトを摑まれたままの状態で、弥堂が希咲を押したせいで余計に横方向への力だけが増幅された形になり――結果的に二人仲良く並んで顔面から壁にぶつかった。



 弥堂が顏を抑える横で、希咲はズルズルと壁を滑るように腰を落とすと、ペタンとお尻を着けて床に女の子座りになる。



 そして――



「――うえぇぇぇぇ……もぅやだぁぁぁぁぁ……」


 ただでさえ追い詰められていた希咲さんは、物理的なダメージにまで後押しされ本格的に泣きが入った。



「なんでころぶ方にいっしょにとぶのっ⁉ ひっぱってくれてもいいじゃんっ! ――はれ?」


 床をバンバンしながら気の利かないパートナーに向ってダダをこねていたが、突如として身体に感じた浮遊感に気を取られる。



 ビキビキと大量の青筋を浮かべた弥堂が、元から悪い人相をさらに険しく歪め、希咲の襟首を掴んで持ち上げていた。



「ちょっと! これやめてってゆったじゃん! あんたなんべんおんなしこといわせんのよ、このばかっ!」


 すぐに彼へと抗議の声をあげるが――



「……ナメやがって……クソガキが……」



 彼は大層お怒りの様子であった。



 そういえばこいつが感情露わにしてるの見るの初めてかもー……などと場違いな感想を呑気に浮かべた希咲だったが、その顔色をすぐに変えることになる。



 弥堂が暴徒たちの方を目標に、手に持つ自分を振りかぶるような体勢を作ったからだ。


 とてつもなく嫌な予感がして希咲はサーっと顔を青褪める。



「ちょ――ちょっとまって! やだやだやだっ! うそでしょっ⁉」



 信じたくない。冗談だと言ってほしい。



 そんな願いをこめて叫ぶが、横目でこちらに向けられた弥堂の眼を見て、最悪の未来がこれから自分に降りかかることを確信する。



「なんでっ⁉ なんでっ⁉ やだっ! やなのぉっ! それだけはやめてぇっ!」


 必死に泣き喚き懇願をするが彼はあくまでも非情で無慈悲だ。



「せいぜい楽しんでくることだな――」



 先程の高杉との戦闘時に法廷院に対して弥堂が投げた爆竹と同じような感覚で、ポイっと投げ放たれた希咲は放物線を描くようにふわっと軽く天井付近にまで上がってから、自重に従い今度は落ちながら落下地点へと近付いていく。



 運動能力に優れる彼女だ。着地をすること自体は別段造作もない。



 しかし着地可能な範囲には、狂った形相の男たちが今か今かと空の手を伸ばして待ち構えていた。


「ヒッ――」



 漏れだしそうになる悲鳴を懸命に堪え、どこか逃れることの出来る道筋を空間を賢明に見出そうとする。



 しかし、非情で非常な現実には必ずしも正解となる生存が約束されたルートが用意されているわけではない。



「いっ――」



 彼女の向かう先は、複数人の密集した男たちで埋め尽くされていた。



 受け入れ難い未来が訪れるまで、考える時間も覚悟を決める時間も逃避をする時間すらも与えてはもらえない。時間は決められたとおりに平等に誰しもに等しい速度で流れていく。



「――いやあぁぁぁぁぁぁっ!」



 そして重力は――その法則を定めた『世界』は、哀れな少女を狂った男たちへと与えた。



 それは悲運故か、それとも――


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