序章29 失伝:眇眇たる涅色、その手にはなにも ④
「びとーっ! びとー! びとーってばぁっ‼‼」
頼れるもののない彼女はいよいよ追い詰められ手に持った盾に縋りつく。
「……なんだ? というかお前いい加減にしろよ」
いいようにぶん回されていた彼は当然の如く不機嫌だ。
「あれっ! あれっ! やっつけて! ぶっとばして!」
「自分でやれ」
「むりぃっ! やなのっ! きもいのっ! 校則違反だから捕まえて!」
「何の違反になるんだこれは?」
「きもいから校則違反っ!」
無茶苦茶なことを言い出したクラスメイトの発言内容に弥堂は眉間に皺を寄せた。
「独善的なことを言うな。いいか? 生理的な反応は誰にでもある。それは仕方がない。だが、それを理由にして他者を排斥することは決して社会的に許されることではない。それは差別だ」
「急にまともっぽいこと言うんじゃないわよっ! ぶっころすわよ⁉」
「殺す……だと? 貴様、殺人は校則違反だぞ」
「うっさい! へりくつゆーなっ!」
過激思想に囚われた少女に対して呆れながらも、弥堂は辛抱強く説得を試みる。
「希咲よ。気持ちはわからないでもない。だが、何事も暴力で解決を図るべきではない。それは野蛮人の発想だ。わかるな?」
「どの口が言ってんのよ! あんたそれしかできないんでしょっ⁉」
「うるさい黙れ。それに……いいか?」
「なによっ⁉」
「もうすぐ18時になる。今からこいつらをぶちのめして身柄を処理していたらサービス残業だ。つまり無駄な行いだ。俺の師が言っていた。神は無駄をお許しにはならないそうだ」
「どこの神よそれっ!」
「どこにでもある、どこにもいない神だ」
「いみわかんないことゆーなっ!」
「チッ、めんどくせぇんだよ」
「それが本音かクソやろーっ‼‼」
聞き分けのない小娘に、弥堂はついうっかり本音を漏らした。希咲は激昂し彼の制服をさらに強く握る。そして――
「――どいつも、こいつも――」
彼女の怒りや混乱に恐怖といった様々な感情のボルテージは、螺旋状に絡み合いながら昇りつめ終に最高潮へと達した。
「――い、い、か、げ、ん、にぃ――しろおおおおぉぉぉっ‼‼」
未だ高速でグルグルと周り続ける連中へ向って、何の役にも立たないクソ野郎を力いっぱいにぶん投げるように押し出した。
その細身の一体何処に――といった強い力で突き飛ばされた弥堂は、馬鹿笑いをしながら回る4人の内の誰かにぶち当たると、手を繋いでいた彼ら全員を巻き込んで派手に転倒をし、揃ってもみくちゃになりながらいくつもの鈍い音を立てて、男5人密に絡み合いながら床に倒れた。
ようやく場に静けさが戻ったが、彼らが倒れた際にちょっと引くくらいのヤバい音が出たので、すぐに希咲も我へとかえった。
「あ……っと…………その、ごめん……つい…………だ、だいじょぶ……?」
もしかして怪我をさせたかもしれないと、気遣わしげに声をかけるが――
「ひゃっはああぁぁぁっ!」
「ヒッ」
何事もなかったかのように彼らは順番にびょーんと跳び上がり次々に立ち上がってくる。
「おいおい、なにやってるんだよぉ狂犬クゥン。ほらっ、立てよぉ」
ついでに、縺れ合って倒れ込んだ際に本田の下敷きとなり、床に顔面を強打していた弥堂へと爽やかに手を差し伸べ助け起こそうとしてやる。
弥堂は強い屈辱を感じ、その手を振り払った。
ベシンとそれなりな音をたてて叩き落された自分の手を見下ろした法廷院は仲間たちと顔を見合せると、深夜の通販番組に出演する外国人のようなオーバーリアクションで肩を竦め、揃って「HAHAHA!」と笑い出した。
弥堂は思わず目の前にある彼らの足首を引っ掴んでへし折ってやりたい衝動に駆られたが、寸でのところで、過去に自分の身に起きた屈辱的な出来事の内の第五位を思い出し正気を保つことに成功する。
『あの時よりはマシ』『だから問題はない』と厳しく己を諫めた。
やがて不揃いに笑うのをやめた男どもは、ゆっくりと希咲を見た。
ビクっと肩を揺らした彼女は再度の襲撃に備えて構えようとし、ハッと自身の両手を見下ろす。
「たっ、盾が――ないっ!」
なんたることか、先程敵を一掃する為に投擲してしまったので唯一の装備を彼女は手放してしまっていたのだ。
今も床に打ち捨てられたままの盾は口の端をビキっと引きつらせて、過去に起きた屈辱的な出来事の内の第三位を頭に浮かべる。
途端に頼りなさから不安に見舞われた希咲はおろおろとして周囲を見回す。
代わりの兵装を見つけるか、逃走経路を探すか――敵はそんな彼女の準備が整うのを待ってくれなどはしない。
「よおっし! こうなったら希咲さんを胴上げだぁっ! いくぞぉ、みんなぁっ!」
どうなったら、なのかは誰にもわからなかったが法廷院の号令のもとに、彼らは手をワキワキとさせながら希咲へとにじり寄り包囲しようする。
変態どもに迫られる焦燥から彼女は「やだっ……やだっ……」と呟きながら尚も周囲を必死に見渡し、やがて――逃走を選択した。
踵を返し走り出す彼女に対して、変態たちはその本能に従うまま追走する。
「いやああぁぁぁぁぁっ! こないでってばあぁぁぁぁっ!」
現在のこの場所は学園内東側に所在する文化講堂2階の、隣接する他の各棟へ連結をしている連絡場所だ。その為にちょっとした広さのある空間となっている。
その広場内を複数の変態を引き連れた女子高生が縦横無尽に走り回る。
希咲 七海は身体能力に優れている少女だ。とりわけスピードに関してはこの場にいる他の誰の追随も許さないほどに圧倒的なものだ。
故に、どこか別の建物に向って一目散に真っ直ぐ走り去ってしまえば、余裕で不埒な追手を振り切ることは可能である。
しかし、彼女は相当にいっぱいいっぱいになってしまっているのだろう。まるでこの広場から出てはいけないというルールでもあるかのように同じ空間内をあっちこっちに走り回っている。
苛々としながら立ち上がった弥堂の目の前を、変態を引き連れた半べその女子高生が「きゃああぁぁぁっ――」と必死に走り抜けていき、ややすると今しがた走っていった方向から「わーーっ――」と楽しそうに声をあげる変態どもに追われながら戻ってきて、今度は弥堂の背後を通り過ぎていき先とは別の方向へ逃げていく。
弥堂はふぅと一息を吐くと脱げかけていた制服のブレザーの袖に腕をとおす。
そして面倒な事故などが起きぬようにと念のため、今も蹲ったままで浜に打ち上げられたワカメのように床に髪を拡げてシクシクと泣いている白井の腹に足の甲を当てると、引き摺って壁際に押しやった。
人権をまるで無視されたに等しい非道な扱いを受けたモップ女は、昂る自らの業に嘘はつけず涙は流したままで蕩けた笑みを浮かべた。




