序章29 失伝:眇眇たる涅色、その手にはなにも ②
「その…………いいかい? 話の総括が欲しいんだけど……」
恐る恐るといった様で会話から消えていた法廷院が進言する。
なにも弥堂や希咲に遠慮して沈黙をしていたわけではない。法廷院――そして仲間である西野や本田も一様に弥堂へ向ける視線の色が変わっていた。
その目に宿るものは――畏敬だ。
ここまでの弥堂の論を全て理解したわけでも共感したわけでもない。
だが、明らかに自分たちとは違った視点を持ったその考え方に、一定の説得力を感じてしまったのも否定はできない。
彼らが感じた、自分とは違うと思ってしまった弥堂のその視点とは――明らかに実戦を潜り抜けてきた者のみが持ち得るだろうと思わせる価値観である。
『持たざる者』であるというコンプレックスが、『持つ者』への嫉妬と恐怖で心身に異常を齎してくる。
しかしだ。
『童貞を捨てる』という慣用句がある。
それならば――
相手もまた、ある意味『持たざる者』であり、自分もまた『持つ者』たり得ると。
法廷院は己をそう叱咤し、平等で対等だと認めた好敵手へと向ける視線に敬意と敵意を混めた。
「総括だと……? そうだな…………アレだ」
「どれよ?」
口を挟んできた希咲のジト目に目線を合わせしばし彼女と見つめ合う。
そして無言で彼女の肩を軽く突き飛ばした。
「あいたっ――」
「――つまり冒頭に戻る。効率的だという話だ」
「あんたね! 反論できないからってそういうことすんじゃないわよ!」
その言葉に彼は応えない。応える必要性を感じなかったからだ。
つまり図星ということである。
キャンキャン喚く女を無視して締めに入る。
「要は、そのつもりもないのに戦術的で効果的な装備と行動を選択できるそのセンスを気に入った。掴みやすくて簡単にズリ下ろせるおぱんつを選ぶこの女は極めて性的な女だと認定する。それは便利な女で効率的な女だということだ」
「んなっ――⁉」
あまりに酷すぎる結論に希咲は絶句し、法廷院は興味を示した。
「ほう……効率が」
「あぁ。便利だ」
「10億シコ?」
「10億シコだ」
法廷院はその答えを噛み締めるように瞑目した。
「なっなななななな……」
「おい、服を引っ張るな。服の上からでもアウトだぞ痴漢女め」
「うっさいっ! なっ、なによ、ズリお……って⁉ あんたあたしとそーゆーそーぞーしてるわけ⁉ きもいんだけどっ! へんたいっ!」
「なんの話だ」
「絶対させないんだからっ! きもいっ! きもいきもいっ!」
「うるさい」
「きもい!」
弥堂からの自分の下着に対するあんまりな感想に、効率のいい便利なおぱんつを好む性的な女子であると評された希咲さんは『きもい』以外の語彙を吹き飛ばされ、弥堂の制服をグイグイひっぱることで非難の感情を伝える。
すぐに気安く触れてくる、そんな同級生の女子に弥堂はうんざりとした。
弥堂としてはこのような押し問答にしかならない不毛な会話は早々に打ち切りたいのだが、最低最悪なセクハラを受けた希咲としてはそうはいかない。
怒りと羞恥で目元を真っ赤にしながら涙目で言い募る。しかし――
「あんたね! そういうのマジでキモイから女の子に言うんじゃないわよっ! ガチでサイテーなんだけど! ってか、想像するのも絶対禁止なんだか――って、ちょっと⁉ なんなのあんたたち」
勢いよく捲し立てていたが、そこに感極まった様子の法廷院たちが雪崩れ込んできて会話を切られた。
「なんだよおぉぉっ! わかってんじゃぁん。実は結構イケるクチだね狂犬クゥン? だってそうだろぉ⁉」
「やっぱりフリルとリボンは正義だよね⁉ 推せるよね⁉」
「いやぁ、なかなか考えさせられる論説でしたよ、ジャッジ弥堂。聞く者によっては誤解を与えかねない乱暴な言葉でしたが、しかしとてもシンプルでそしてなにより本質をついている。感服しました」
自分と同じ嗜好を持っている。そう判断をした同担歓迎のオタクたちは唐突に懐いてきた。
意味のわからないことを羅列しながら馴れ馴れしく自分を称賛してくる連中に対して、弥堂は死んだ目で宙を見上げながらただ時が過ぎるのを待った。
「だからあんたらそれやめろっつって――」
興奮のボルテージが上がり過ぎた彼らを希咲は止めようとしたが、それは叶わなかった。それどころか、彼らは称賛の矛先を弥堂から希咲へと変える。
先程の再現のようにまたも口々に思い思いの言葉で、希咲のパンツに対する思いの丈をそれぞれが語った。
希咲も精一杯言い返そうとしたのだが、もはや順番もクソもなく3人同時に訳のわからないパンツ論を大声且つ早口でぶつけてくる勢いに呑まれ、完全に劣勢となる。
正気を失くしたかのような血走った眼で、正気とは思えないようなことを叫んでくる。なに憚ることなく己が性癖を完全開放して発表してくる集団に希咲は羞恥した。
やがて顔を紅く染め、目に涙を浮かべてプルプルと震えながら俯いてしまう。
誰も謀ったわけではないが、弥堂がこの場に乱入してくる直前の『パンツみせろコール』のシーンと同じ構図になってしまった。
「……べっ……べつに、あんたたち喜ばせるために選んだんじゃないし……見せるために穿いてきたんじゃないから……かんちがい、しないでよ……」
震え声でせめてもの負け惜しみを言うと、それまでは何を言っても聞こえていなかった彼らが何故かその言葉だけはきっちり拾って、さらにわっと盛り上がる。
希咲は恥ずかしいのか、ムカつくのか、それとも悔しいのか――多分その全部だ――とにかく自分でもよくわかんない感情でグチャグチャになって、何故か自分が泣きそうになっていることだけは自覚できた。
もういっそ泣いたら満足して帰ってくれるかな? などと見当はずれで自暴自棄な結論を出しそうになったところで、勢いよく捲し立ていた法廷院が語彙のストックが尽きたのか言葉に詰まる。
「――とにかく希咲さん! キミはサイコーだよ! だってそうだろぉ? 可愛くてスタイルもよくって、一見気が強そうで口も悪くて怖そうだけど、でも実はボクらみたいなオタクにも優しくって、それでそれで……えーっと、遊んでそうだけど実際あんまり免疫なさそうですぐ恥ずかしがっちゃったり泣いちゃったりして……そんなの……そんなのさぁっ! ……えーっと、何て言えばいいか……ああぁぁぁっ! クソっ! なんだ⁉ これってなんなんだ⁉ ちくしょうっ‼‼」
高速で好評価ポイントを並べ立てていくが、しかし結論部分の表現をすることが出来ずに謎の怒りが湧き上がる。それは西野と本田も同じ様子で、推しを褒めたいのにその為の最適な言葉が自らの裡にない。彼らは自身の不甲斐なさに激しく苛立ち限界化した。
だが、己の裡にないのであれば余所から借りてくればいい。自分の足りない部分を補完してくれる、それが仲間だ。そしてその仲間が自分には居るのだ。
「狂犬クン!」
「……なんだ?」
「なんだ?じゃないだろぉっ! ボォーっとしてんじゃあないよぉっ、ここは戦場だぜぇ! 素人かよ⁉」
「俺はプロフェッショナルだ」
特にムキになったわけではなかったが、弥堂は脊髄反射でそう言い返した。
「希咲さんだよ! どう言い表わしたらいいかな⁉ キミの知恵を貸しておくれよぉ!」
「あ?」
必死な様子で助力を乞われるが、その求めているものが理解出来ずに眉根を寄せる。
「やめて弥堂っ! あんたまで参加しな――」
「――だからさっ、ほらっ! 何て言えばいいのかってことだよっ! かわいいんだけどパっと見遊んでそうで恐そうだけど、実は優しくて友達思いで男慣れもしてなくてちょっとした下ネタで照れちゃったりとかしちゃって! 極めつけにさ、派手っぽいからパンツもいやらしそうなのに実際スカートという名のその秘密のベールを捲って見たらなんと! やたら可愛らしいフリフリなおぱんつが隠されていてさ! おまけにそのおぱんつ見られて恥ずかしくて泣いちゃったりとか! そんな感動を! そんな彼女を! どう言い表わしたらいい⁉ どう称賛すべきなんだよおぉぉっ⁉ ただでさえ尊すぎて軽率に死にたくなっているってのに、この感情をどう表現すればいいかもわからないだなんて、そんなのとっても『つらみ』じゃあないかぁっ! だってそうだろおおぉぉぉっ⁉⁉」
『知ったことか』
目の前で絶叫しながら悶絶する軽蔑すべき限界オタクに対して、またも脊髄反射でそう返答しそうになったが、寸でのところでその言葉を呑んだ。
彼らが直面している問題に対して関心があったわけでも、何か助け舟を出してやろうと気まぐれを起こしたわけでもない。
ただ、やたらと早口で捲し立てられた法廷院の言葉の中のいくつかに既視感があったからだ。
それは最近に聞いたことがあったような内容で、全くを以て奇遇にも今日その出来事を思い出して記憶の中の記録を閲覧しており、そしてそれは今しがた法廷院の口から語られた内容と多分に一致するものであったからだ。
さらにその記憶の中の誰かは、目の前の彼らでは辿り着けなかった結論までをも語っていたはずだ。
軽く目を瞑り本日の昼休みに脳裡に浮かべた記録の中の、該当する内容を記憶から思い起こす。
それを語っていたのは誰であっただろうか。
廻夜 朝次だ。
――――要するにそれってさ――――
――――流行ってるわけだよ。ギャルが実は優しくていい子で――――
――――見た目派手で遊んでそうで怖いけど、実は――みたいなさ――――
――――とどのつまりこれってさ、おぱんつなんだよね、おぱんつ――――
――――あいつら遊んでそうで何かいやらしいから黒でTバック――――
――――でもね弥堂君。そんないやらしい黒のローレグTバックが出てくると思ってスカートを捲ったらさ、なんかやったらと可愛いおぱんつが出てきたらどうだい?――――
――――派手なスカートでも地味なスカートでもその中身は捲ってみるまでわかんないわけじゃん?――――
――――そんなわけない。わかってる――――
――――だけどね弥堂君。夢はさ――捨てたくないなって。可能性は――追いたいなって――――
――――考えてもみてよ弥堂君。パっと見遊んでそうなギャルで気が強くて口が悪くて怖くてさ、でも実は友達思いで家族思いで実際男慣れなんかしてなくて純真な照れ屋さんとかさ、ありえないよ? ありえないけれども。でももし、そんなのが実在したとしたらそりゃあもう――――
「――『優勝』、だな」
カっと目を開いてその言葉を弥堂が宣言した瞬間、発狂寸前のように藻掻き苦しんでいた男たちの動きが、まるで落雷に打たれたかのようなショックでピタっと止まる。
狂乱の様相を呈していた場に突如静寂が訪れた。




