序章27 別たれる偏り ③
「あいつら勝手なことばっか……なによ、ランキングって……。もうあたし怒ったんだから……ちょっと弥堂?」
「なんだ」
「なんだ、じゃねーわよ、いい加減放しなさいよっ!」
「いい加減にするのはお前だ。ほっとけと言っただろうが。何べん同じこと言わせんだ馬鹿が」
「バカはあんたよ、ばーかっ! はーなーせーっ! はなせってばー! はーなーしーてーっ‼」
「お前ほんとうるせぇな」
「――もがぁっ」
「大人しくしろ」
実力行使に移行したい希咲が再び暴れ出すがついには弥堂によって実力行使で抑え込まれてしまった。背後から腕を回し彼女の口を無理矢理塞ぐ。
「むー! むー!」
「ええい、暴れても無駄だ。抵抗をするな」
「むみゅぅっ⁉」
背後から口を塞がれれば当然密着体勢になるので、それを嫌がった希咲が一層抵抗を強めると弥堂は襟首を掴んでいた手を離し、今度は彼女のお腹にその腕を回して身体ごと拘束する。
まるっきり後ろから抱きしめられたも同然の恰好になり希咲は驚き身体を一瞬硬直させる。しかし、すぐにより激しく抵抗をするべく藻掻き始める。
そうはさせじと弥堂はより強くしっかりと身の自由を奪うべく、希咲のその細くて薄い腹部をガッと乱暴に掴んだ。
「みっ⁉ むぁーーーーーーーっ‼ むっむむむっ! むむむむむっ、むむぅーむむっむむ、むむむぅーっ‼ (ヒッ⁉ ぎゃぁーーーーーーーっ‼ おっおなかっ! おなかダメっ、なのぉーはなっして、やめてぇーっ‼)」
「諦めろ。喚こうが足掻こうが逃げられはせん」
「むみぃーっ! むぃーっ! むぁーっ! (むりぃーっ! いぃーっ! やぁーっ!)」
まるで人攫いのような台詞を吐く弥堂に対して、口を塞がれた希咲は意味のある言葉を返せない。暴れれば暴れるほど弥堂の指が脇腹に食い込んでいく。
「むぅーーっ! むむっむむむむーっむっむむむっむぅー!」
身体を左右に捩りながらなんとか逃れようとする希咲の、言葉にならない叫びが抑えつけた弥堂の手の下から漏れる。
「うるせぇな、一体なんだってんだ」
弥堂からは往生際が悪いという風に見える尋常でない暴れ方に眉を顰め、より近く自分の方に彼女の身体を引き寄せると、背後から覗き込むように希咲の前面を確認する。
傍から二人の様子を見た時の犯罪臭さが5割増しになった。
希咲の口を抑えた手でそのまま彼女の頭を自らの肩あたりに押し付け、彼女の身体の前側を覗きこむ。大分顔と顔が近い位置になり彼女の髪と、弥堂の指の隙間から漏れてくるかなり荒くなってきた彼女の吐息が、弥堂の頬に触れる。
それが気に障った弥堂が横目で彼女の顏をジロリと見遣ると、涙目になった希咲の目と視線が絡む。目が合った瞬間、彼女はビクリと肩を震わせ何故か少し大人しくなった。
その様子を怪訝に思いながら目を逸らし、もう片方の手が押さえている場所に目を向ける。
また胸を触っただの尻を触っただのと大騒ぎされないよう、弥堂なりに配慮してその中間点を抑えつけたつもりだったのだが、一体こいつはなにが不満なのだと、その原因を探る。
どこかの下着メーカーが現代の技術の粋を施して偽装した割にお粗末な膨らみの向こうに、しっかりと希咲の腹部に当てた自らの腕が見える。あまりの暴れように誤って股間にでも手を突っ込んだかと思ったが、決してそのような破廉恥な事態にはなっていなかった。
「大袈裟に騒ぎやがって、何が不満なんだお前は」
「⁉」
乙女の尊厳など知ったことかと言わんばかりの弥堂のぞんざいな言い捨て方に、びっくりした希咲は即座に涙を浮かべながらも彼の顔を睨みつけ反撃を開始する。
「むーむー」唸りながら自由になっている両手を弥堂の頭部にまわし、片手で髪をひっぱり、もう片手で爪をたてすぎない程度に顔面をわちゃくちゃしてやる。
「む、貴様まだ抵抗するか」
「むぅーっ! むぅーっ!」
「やめろこら、鬱陶しい」
「むみゅぅーっ⁉」
頭を動かして希咲の手から逃れようとした際に無意識に弥堂の手に力が入り、人差し指が強く希咲の脇腹に食い込んでしまう。
その瞬間に希咲は背筋を反らすほどに大きくビクンと身体を硬直させると、続いてヘナヘナと弥堂の顔面を揉みくちゃにしていた手から力を抜いてしまう。
「ふむ……」
脱力した希咲の顔を押さえる自身の手に彼女の鼻から「ふぅーっ、ふぅーっ」と漏れる熱くなった鼻息が当たる。
弥堂はその様子を無感情に見下ろしながら、ふと今日の放課後ここに来る前に水無瀬 愛苗とした会話の一つを思い起こす。
『――……でねー、おなかとかもやわらかいのにシュッとしててツルってしてるの! 私ちょっとぷにぷにしてるからななみちゃんのおなかいいなーって思ってて。でもね、ななみちゃんおなか擽ったいみたいであんまり触らせてくれないんだけどね、お風呂の時は……――』
小一時間ほどよりもう少し前に、正門前で訊いてもいないのに聴かされた水無瀬の話だ。所詮は女の無駄な長話と適当に聞き流したがなかなかどうして、こうして役に立つこともある。
しかしだからと云って、これからはたとえ興味のない内容であっても人の話はしっかりと聞こうなどと、彼が自らを省みるようなことは決してない。
要領の得ない話を聞き取るのに無駄に労力を払わなくてもこのようにしっかりと記憶に記録が出来ているのならば、これからも他人の話など真面目に聞く価値などはないと改めて感じた。こうして彼のコミュニケーション能力は日々着実に低下の一途を辿っているのだった。
ともあれ――
「――なるほど。そういうことか」
「みむぅっ(ひぅっ)」
合点がいったと口の端を僅かに釣り上げ思わず漏れた弥堂の呟きは、図らずとも希咲の耳元にて囁かれた。先程の再現のように希咲が過敏に反応するが、弥堂はそれには構わず彼女の耳元から顔を離し、彼女の口元を抑えた手でこちらを向かせお互いの顔が見えるようにさせる。
「むぃむぃむぁむぁめめっめむぃっまめもっ! (みみはやめてっていったでしょ!)」
「むぃむぃ」と抗議の声を出す彼女の表情をよく視ながら告げる。
「そうか。お前は耳も弱いのか」
「も?(も?)」
言われた意味が理解し難く希咲は目を丸くして小首を傾げる。
目の形だけで感情の変化を表現してくる器用な彼女に対して弥堂はあくまで無表情で、こちらはお前の決定的な弱点を把握しているという旨を伝える。
「なぁ希咲よ」
「むぁみもっ(なによ)」
勿体つけるように彼女の名を呼んでから再び耳元に顔を寄せる。
「お前、腹も弱いらしいな」
「みっ⁉」
そっと低い声で耳輪と鼓膜に微細な振動を当てられる擽ったさと、彼の知るはずのない事実を告げられたことによる驚愕で身体も思考も硬直させる。
弥堂はその一言だけを囁くとすぐに顏を離し、再度希咲と顔を合わせ彼女の目をジッと視詰めた。弥堂の眼に映った彼女のその目は一切の光を失い、怯えと絶望の色に染まっていた。
希咲の手が彼女の腹部を抑える弥堂の手に添えられる。もちろん親愛の情を示すためなどではない。
無駄だと知りつつも次に起こすであろう彼の行動を阻止するために、そうせざるを得なかったのである。それは無意識下での抵抗と拒絶だったのかもしれない。
「さて。再三に渡り大人しくしろと勧告をしたわけだが、随分と俺を煩わせてくれたな。このあたりで抵抗をやめる気はないか? ちなみにこれは最後通牒だ」
冷たい目で告げられるその言葉に希咲は声も出ない。ただ力なくふるふると緩慢に首を横に振った。
「そうか。脅しには屈しないと。あくまで抵抗を続けるというか。立派だな」
「⁉」
『やめてほしい』と、そう意味を込めて希咲は首を振ったつもりだったが、弥堂は自分からの要請に対する拒否だと受け取った。嬲るように希咲の腹を柔く撫でながら言葉を続ける。
「立派な心がけだとは思うが、しかし俺には関係ない。先程も言った通りだ。口で言って従わないのであれば俺もやり過ぎるだけだ。わかるか?」
身を捩りながら「むー! むー!」と何かを訴えてくる希咲を無慈悲に見下ろす。
「俺は今からお前にやり過ぎる」
「――っ⁉」
弥堂はそう言って、それから指に力をこめた。




