『王を殺せ』
団員の一人が突然意味の分からない事を叫び連行される様を見た他の団員達は、それぞれ理由は違えど一様にざわざわとしている。騎士歴が10年以上になる者達は、前にあった騎士団員による民の虐殺事件に至る騒動を思い出したし、その騒動を知らない者達はクリストフ王やグレン副団長を実際に見ていて、何故あのような発想に至るのかと不思議に思っていた。そもそもクリストフが騎士であった頃は子供だった者でも、彼がどれほど前王の蛮行から民を守ってくれていたかは目にした事があるはずで、それ故に『英雄クリストフ』に憧れて騎士になったという者も数多いのだ。
それにクリストフの治世になってから、前王の時代には軽視されてきた手に職を持つ者達などは豊かになり、殊に医療技術を持つ者は重宝されて、それを学ぶ為の施設も作られた。お陰で地方にも医療施設が置かれ、今まで診てもらえさえすれば治る病気でも、距離的、あるいは金銭的に医者にかかる事ができず死んでいた民が多くいたものが激減した。これには地方領主も心から感謝しているという。
このように王としても民に寄り添った善政を敷いており、今まで悪評など不満分子である貴族以外からは聞いた事がない。騎士団の中でも王は勿論、グレンにも不満を持っているという話は誰からも聞いた事がなかったのだが。
「副団長。彼のあれは前の時と同じものでしょうか?」
「そうとは言いきれない。しかしその可能性はある。とりあえず皆には言葉で説明する以上に分かり易い例を見せる事が出来た。現在誰もが彼のようになる危険性があると言えば、実感は湧かなくともある程度理解はできるだろう。そもそもそれが皆を集めた理由だからな」
グレンとレジェの会話が聞こえる位置にいた団員達は、その内容に「まさか」と思い顔を見合わせた。あのように王や副団長を誹謗する事があるはずがないと。
一人の男が広場から少し離れた場所でその様子を眺めていた。身を潜めていたのだが、グレンが自分の方を向いた気がしたので念の為に急いで場を離れ、そのまま地下牢のある方へと進路を変える。そうして歩いていると前方から歩いてくる人影に気付き、その人物へと軽く会釈する。が、男の意識はそこで途切れ、自分でもそれと知る事はなく地面に倒れ伏した。
アルヴァナの牢獄は懲罰用と重罪を犯した者用に分けられていて、それぞれ場所も違う。地下牢には重罪人が入れられているのだが、現在は先刻連行されてきたダゲール伯爵のみが入っている。そしてそこでは見張りのリシャールとベルトランが窘めるのも聞かず、ダゲール伯爵がずっと喚き続けていた。見張りの二人が(老人なのに体力があるな)と、いっそ感心してしまう程に。
と、そこへ靴音を響かせ、誰かが階段をゆっくり下りてくる音が聞こえてきた。見張りの二人はグレンかと思ったが、やがて姿を現したその人物を見て姿勢を正した。
「すまないが牢を開けてくれるか?私は片手が塞がっているものでね」
「はっ!陛下!」
やってきたのはクリストフだった。彼は一人の気を失った男を肩に抱えており、その男の目は布で縛られ目隠しされており、両手足はロープで縛られている。
リシャールが牢を開け、中のベッドに男を下ろしたクリストフはそのまま目隠しも拘束も解かずに牢を出て鍵を厳重に閉めた。そこでようやくベルトランが男が何者かとクリストフに訊いた。
「私が答えてもいいが、そこの伯爵もご存知ではないのかな」
「え?」
鋭い目つきのまま、口だけ薄笑いを浮かべてクリストフが言う。どういう事かとリシャールとベルトランが伯爵へと視線を移すと、彼は呆然としてワナワナと体を震わせていた。
「何故だ?何故ヴァレリーが捕まっておるのだ?クリストフ、貴様。どのような卑怯な策を使った?」
「ほう?ヴァレリーという名なのか。捕まえるのに卑怯な手段を用いる必要があるとは、大した人物のようだな」
「儂を愚弄しておるのか?!捕らえたからには全て分かっておったのだろうが!」
「どうやら貴殿の中の私は全てを見通す事が出来る人間らしい。高い評価を頂けて光栄の至りだ」
「ふざけおって!儂らをどうするつもりだ?」
「ここに入れられる者はどの道処刑すると決まっている」
「処刑だと?……アルヴァナ繁栄に多大な貢献をしてきた、このダゲール伯爵を!?」
「理由が必要か?」
冷たい目で言い切るクリストフを見て彼が本気であると理解した伯爵は、ここで初めて自分の立場を知った。途端に青ざめ、その場にへたり込む。その様子を見ながらクリストフは言葉を続けた。
「貴殿は以前私を殺そうとし、その後も何かと迷惑をかけられてきた。前者の際は前王により咎めなしとされたので私にどうこう言えるものではなかったし、後になって罪に問うというのも筋としておかしい。後者は、私個人には迷惑な存在ではあったものの、貴殿のその型にはまる事を良しとする性格が良い方向に働いて、領主としては悪いものではなかった。直接的な害がない以上問う罪もない……と思っていた。が、組んだ相手が悪かったな」
「……本当に儂を殺す気か?」
「ああ。そうしなければ貴殿以上に罪のない民の命が大量に奪われるからな」
「大勢の民を生かす為に罪のない儂を殺すだと?王の分際で命の選別をするのか?!なにが英雄クリストフだ!貴様も所詮前王と同じく気に入った者を贔屓し、気に入らない者を粛清する暴君ではないか!」
「私は自らを英雄と名乗った事もなければ、その呼称に相応しいものだと思った事もない。そうありたいと思ってはいたがね。確かに私は貴殿にとって暴君なのだろう。しかし、それが何だというのだ?」
「何?」
「私は貴殿の言う“気に入った者を贔屓する”為の力が欲しかった。だからそれを力尽くで奪った。手に入れたからには責任がある。私は私の考える責任のとり方を実行しているまでだ。それが貴殿には気に入らない、それだけの事だろう。なるほど。私のこの考え方は暴君のそれかもしれないな」
クリストフが喉を鳴らして笑う。このような笑い方をするところを初めて見る。歪んだものの見方しか出来ないダゲール伯から見ても、クリストフは他人を小馬鹿にするようなタイプではないと思っていたのだ。それが今、明らかに自分を馬鹿にしたように笑っている。これほどの屈辱はない。
「何がおかしい?!貴様、このダゲールを侮辱するのか!」
「貴殿が侮辱されていると思うならそうなのだろう。私が否定したところで意味などない。つまりはそういう事だ。私が何を為そうと万人にとって都合の良いものにはなり得ない。良かれと思ってした事も、相手にとっては迷惑でしかない場合もあるだろう」
クリストフの脳裏に、この国に連れてきたばかりの頃のシルヴィアが浮かぶ。
あの頃彼女は死ぬ事ばかり考えていたのだと言った。クリストフの知らない所でアルヴァナの民から心無い言葉も投げかけられていたはずだ。起きていても眠っても“あの時”の記憶が鮮明に浮かび、恐怖と苦痛でたった16歳だった彼女の心はどれほどボロボロであったか。死んだ方が楽になれると考えても仕方がない。だがクリストフは死なせたくなかった。自分が償いたいが為に。再びあの頃に時が戻ったとしても、同じ選択をするだろう。それがシルヴィアにとって残酷な選択だとしても。
「私は前王のやり方が気に入らなかった。だがあの方の治世の方が良かったという者もいる。全ての人間にとって都合の良い世界などありはしない。王制を採っていない国とてそうだ。ならばどうする?私は私が幸せでいてほしいと願う人々が少しでも暮らしやすくなる国を造るまでだ。そしてその範囲が広くあればいいと思っている。が、あなた方はその範囲にいない。たったそれだけの事だ」
「たったそれだけの事だと?」
「先刻貴殿は大勢の民の命と引き換えに自分を殺すのかと、命の選別をするのかと訊いていたな。その大勢の命を危険に晒す行為をしようとしている人間と、罪のない人々の命は天秤にかけるまでもない。それとも己の大義の為には皆が命を差し出すのは当然との考えか?……ああ、だからあのような人間と手を組んだのか」
もはや何を言っても考えを覆す気はない。淡々と言葉を紡ぎながらも表情がそれを物語っている。この状況でクリストフを罵ったところで処刑は避けられない。それどころか余計に心象が悪くなる。今更ながらダゲール伯爵は恐ろしくなった。
伯爵が黙った事で場が静まり返ったその時、口笛のような音が聞こえてきた。続いて気絶していた男の牢から声が聞こえてくる。
「クリストフ王を殺せ。そいつは悪だ。生かしておいては世界が破滅する。王を殺せ」




