『彼女がやってきた日』
シルヴィアを迎える準備はスムーズには進まなかった。部屋の準備等に問題はなかったのだが、「今回の戦で、あいつに恨みを持った奴も兵たちの中にいるかもしれない」というエーレンフリートの懸念が現実のものとなったからだ。
「納得できません!」
「納得できない?何をだ」
「マドラル戦にいた女騎士……あんなに強い騎士など自分は他に見た事がありません。自分の隣にいた友人は一瞬の間に距離を詰められて、気が付けば斬られていました。我が騎士団の人間が、あの女一人に幾人殺されたか!なのにギルベルト団長の元へ来るなど危険すぎます!もしや隙あらば陛下のお命を狙うつもりなのかも……」
「あいつは、そういうタイプじゃねぇよ。それにあの場は戦場だったんだ。殺した殺されたで恨みごと言ってどうする?あいつだって殺らなきゃ殺られていたんだ。お前だってアルヴァナの騎士を殺したから、こうして今、俺と向かい合って話せているんじゃないのか?」
「そ……それはそうですが、他の皆もあの女騎士と顔を合わせるのを嫌がっています。弟を殺されたテオドールなどは、殺してやると言っているのですよ」
エーレンフリートに直訴をしに来た騎士がそう言った瞬間、隣に控えていたギルベルトが剣を抜き放ち、騎士の喉元に突きつけた。
「団長?!」
「貴様らに誇りはないのか?情けない。戦場での恨みを戦場以外の場所で晴らそうとするとは。もしシルヴィア殿に何かあれば、今度はアルヴァナとの戦争になるぞ。貴様らの短慮のお陰でまた無駄な死者が出る。それを、どう責任とるつもりだ?」
「そ、それは‥‥‥‥」
「シルヴィア殿が来られたら、あの方と向かい合ってみるがいい。あの方の騎士としての姿勢を見て何も感じないのであれば、貴様らは騎士失格だ。とっとと辞めてしまえ」
ギルベルトの瞳に本物の怒りがこめられていた。いつも冷静なこの男が、これほど怒る事があるのかと、ずっと共にいるエーレンフリートですら驚いたほどだ。余程あいつの事が気に入ったのか?と、ギルベルトがエーレンフリートに対して思ったのと同じ事を、今度はエーレンフリートがギルベルトに対して思った。
何はともあれギルベルトの気迫に押され、青ざめている騎士を解放してやらねばならない。エーレンフリートは剣を下げるよう手で示し、改めて騎士の方へ視線を向けた。
「お前達に戦えと命じたのも、今回の不可侵条約に関する事も、全て決めたのは俺だ。恨むなら俺を恨め」
「そんな!陛下をお怨みするなど‥‥‥!」
「そう思ってくれるなら、あいつの事も目をつむってくれ。恨むなとは言わない。ただ、あいつがいる三月ほどの間、我慢をしてほしい。剣を交えたから分かる。あいつは絶対に卑怯なマネはしない」
敬愛する国王にここまで言われ、騎士は返す言葉を失った。心の中には尚、釈然としないものがあったが。
皆を代表して直訴に来た騎士が政務室を退出すると、エーレンフリートとギルベルトが期せずして同時に溜息をついた。
「予想はしてたし仕方ねえとも思うが、なんか意外にショックだ。もうちっと皆、割り切って戦っていると思ってたんだけどな」
「あの方の力が圧倒的過ぎたのでしょう。申し訳ございません。鍛え方が足りなかったようです」
「今以上に厳しくしたら、みんな倒れてしまうだろ」
エーレンフリートが笑いながら言うと、ギルベルトは
「もし現状で厳しいと感じているのなら、それこそ鍛え方が足りません」
と、いつも通りの冷静な口調で言う。
「それにしても、お前があれほど露骨に怒るなんてな。そんなにあの女が気に入ったのか?」
「エーレンフリート様は想像がつきませんか?女性でありながらエーレンフリート様の剣を受け続け、尚も戦える力と体力。どれほどの鍛錬を積まれたか。元々体力のある我々男ならともかく、かなり辛かったはずです。でありながら更に己を高めたいと欲する向上心。同じ騎士として尊敬に値する方だと思ったのです。それを戦場での真っ向勝負の結果を持ち出して恨み事を言うなど、騎士の名折れではありませんか」
「‥‥‥‥‥‥‥‥確かにな」
シルヴィアの、女性としてはともかく騎士としては確実に小柄な体格で、鎧を身につけ剣を振るうのは、男の自分達では想像を絶するほどの体力の消耗を強いられるはず。考えてみれば当然のこと。それを考えさせない、感じさせない戦いぶりは見事と言うしかなく、ギルベルトをして「尊敬に値する」と言わしめるのも納得できる。それは誰しも認めざるを得ないはずだ。ただ大事な者を殺された悲しさ悔しさは、理屈でどうこうなるものでもない。それが理解できるだけにエーレンフリートは彼らを強く責められない。誰もがギルベルトのように強い精神力を持ち合わせているわけではないのだ。
「……俺だって、あいつらの仲間を殺したのに」
「その事に関しては、彼らはエーレンフリート様は被害者だとの認識がありますから。もう触れなくてよろしいのです」
「ああ。分かっている」
こんな調子で、シルヴィアを迎えるまでに何度も説得を重ねなければいけなかった。皆、戦の中での事で仕方がなかったのだと頭の中では理解しているのだが、いざ彼女の顔を見れば怒りが込み上げて来ないか、自信が持てないのだ。
シルヴィアの方とて目の前で部下をエーレンフリートに斬り殺されたにもかかわらず、恨み事など一切言わなかったのに。いい加減そう腹が立ってきた頃、シルヴィアを迎える日がやってきた。
その日は、その年最初の雪が降ってきていた。皆を刺激しない為の配慮として、随員はレイナルド一人にすると事前に連絡があったので、その際に訓練場などから離れている城の庭で出迎える旨も、エーレンフリートの方から伝えておいたのだが、この天気では広間にした方が良かったかと少々思う。
「エーレンフリート様。そろそろ刻限です。庭へ参りましょう」
「ああ。分かった」
ギルベルトに促され外へ出てみると、風花が舞う程度の天気で、とりあえずホッとする。シルヴィアもどれほど勇ましくても女性なのだから、城周辺でも特に見通しが良い分冷える庭で待たせては、体を冷やしてしまうのではと心配したのだ。
庭へ行くと、そこには一人の女性がいた。もう着いていたのかと声をかけようとしたが、この季節になってから咲く紅い花の傍にしゃがみ、柔らかい表情で花を眺める女性はとてもシルヴィアとは思えず、ギルベルトと二人、そのまま立ち尽くしていた。
それにしても綺麗な女だなと、エーレンフリートは思わず見とれた。白い肌と背中の中ほどまでに届く黄金の髪に、彼女が着ている真紅のドレスが映えて、ハッと目を惹かれる。チラッと隣に立つギルベルトを見ると、彼も彼女の姿に見惚れて呆然とすらしているようだった。今まで、どれほどの美女に言い寄られても表情ひとつ変えなかったこの男がと驚く。
ふと、花を見ていた女性が離れた場所に立ち尽くしている二人に気付き、そちらへ視線を向け近付いてきた。
「すみません。いらしていたのですね」
「え?あ‥‥‥‥」
「少し早く着いたので、庭を見させて頂いていました。雪の時期に、このような美しい花が咲くのですね。我が国にはないので驚きました」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「どうかなさいましたか?あ、もしや私の格好がどこかおかしいのですか?こういった服は着なれないもので。不快なら申し訳ない」
「いや、ドレスはとても似合っておいでだ。が、失礼ながら一つ確認させて頂きたい。あなたは……シルヴィア殿なのか?」
「?はい」
不思議そうに首を傾げながら返事をする。どうやら本人に間違いはなさそうだ。が、そうと分かってもどうにも信じられない。シルヴィアを美しいと言っていたギルベルトですら。
そうして、それぞれの理由で戸惑っている三人の所へ、レイナルドがゆっくりと近付いてきた。
「シルヴィア。お前の馬と荷物、預けてきたぞ……と、どうした?」
「ああ、ありがとうレイナルド。何でもない」
「何でもないという雰囲気ではないが」
と言って、今度はエーレンフリート達の方を見る。が、二人の少し呆けたような表情を見て事情を察し、ニヤッと笑うと、シルヴィアの肩に腕をまわして自分の方へと引き寄せた。
「なるほど。『カリスマ』エーレンフリート陛下も、名高い『双剣使い』ギルベルト卿も、うちの団長に見とれていたわけだ。そりゃあな、うちの国で一番の美人である我が王が、ドレス姿のシルヴィアを見て可愛い可愛いっつって抱きしめて離さなかったくらいだからな」
「レイナルド!エーレンフリート陛下もギルバート卿も、私などに見とれるはずがないだろう!無礼な事を言うんじゃない!」
あえて否定しない所を見ると、クリストフが抱きしめて離さなかったのは事実なのかと、あの王の溺愛っぷりを改めて知った。本当に王と騎士団長だけの関係なのだろうかと、少々下世話な事を勘ぐってしまう。さりとて自分達がシルヴィアに見とれたのも事実であるわけで。
それにしても本当にシルヴィアだったのだなと改めて思う。エーレンフリートなど、彼女が女だという意識すらなかったのに。女性は髪型と着る物で雰囲気が変わるとは知っていたが、これほど極端な例は初めて見たと、そう言えるほどのインパクトだった。