『無知の知』
ギルベルトは今呆然としていた。
テオドールの聴取の後、気晴らしにレイナルドと二人で飲もうという事になったのだが、部屋で飲もうとしたギルベルトに対し、「あんたも一度城下の飲み屋に行ってみないか?」とレイナルドが提案してきて、半ば強引に引っ張っていかれた。
その店は彼が過去にも利用していたらしく、入るなり店主に愛想良く声をかけられただけでなく、客の中にも気やすく「レイナルド様、こんばんは〜」と声をかける者もいる。とはいえ同行者がギルベルトと知ると途端に皆静かになったが。
(そう言えばシルヴィアも城下に出ると皆に声をかけられていたな。メイド達とも親しいようであるし。アルヴァナの人間は異国の者と接する機会も多いがゆえに、コミュニケーションをとる事に長けているのだろうか?)
『庶民の飲み屋』のシステムを知らないギルベルトを後目に、レイナルドはカウンターで酒を頼んでいる。そういうものなのかと真似をしようとするが、どの酒がいいものなのかも分からない。困り果てているギルベルトに気付いたレイナルドは、自分が頼んだ酒と同じものをもう一つ頼み、金を払った。
「あんた、本当にこういう店で飲んだ事ないんだな」
「あ、ああ。そもそもレストランで食事をした事もないので、外で飲む機会もなかった」
「まあ、そりゃそうか。公子ともなりゃ色々あるわな。しかし王家の直近にいる立場なら、民の生活は知っておいた方がいいと思うぞ。エーレンフリート陛下の為にもな」
「……そうかもしれないな」
内乱前はエーレンフリートと共に城下へ視察に来ていたが、確かに直接民の生活に触れる機会は作ってはこなかった。ギルベルトの父親からも、前王と実際に店に入ってどうこうといった話は聞いた事がない。考えてみれば、王家の人間と民が親しく言葉を交わせる関係とはいっても、身分や立場が違うのだからと、お互いに線は引いていたように思う。
「クリストフ王も城下で飲んだりしていたのか?」
「当然だ。あいつは庶民に近い立場の出だからな。頻繁に騎士仲間で飲みに行ってたぞ」
そう言われ、クリストフの姿を思い出す。あの貴族的で優雅な雰囲気の人物が、こういった酒場で飲んでいるところは俄に想像がつかない。まさかシルヴィアも?と思ったが、彼女があまり酒に強くない事を思い出し、まず王が許さないだろうと思い直した。
そんな事をギルベルトが考えていると、レイナルドと店主の会話が耳に入ってきた。
「で、最近例の外国人を見かけたという話は聞いたか?」
「いえ。少し前は食料品を買いに来ていたそうですが、ここ数日は見なくなったという話です」
「宿屋にも泊まっていないんだな?」
「はい。少なくともこの近辺の宿屋にはいないようです」
「そうか。すまないが今度は外国人の貴族の令嬢がノイエンドルフに来た日と、件の外国人の姿が最終的に目撃された日を調べておいてくれるか?」
そう言ってレイナルドは現金とメモの入った袋を店主に手渡し、それからは酒を飲みながら雑談を交わして、15分程度でその店を出た。
「付き合わせてすまなかったな。城に戻って飲み直すか」
出て数歩進んだ所で、ギルベルトを振り返り見たレイナルドが言った。この一言で、ギルベルトを飲み屋に連れて行ったのは『民の生活は知っておいた方がいい』ということ以外の意図があったのだと確信する。
そもそも今日は昼にもナディアの要求してきた『バカみたいな物語』の本を買いに一度城下へ出てきたのだが、その時にもレイナルドは街の人々に気軽に声をかけ、言葉を交わしていた。その時は気さくな性格なのだなと思っただけで深く考えていなかったが、あれにも恐らく意味があったのだろう。
「今日は貴殿には驚かされてばかりだったな」
レイナルドに与えられた部屋に着き、改めて飲み始めたところでギルベルトがそう切り出した。
「そうなのか?」
「まず私などは伯爵令嬢の示す『バカみたいな物語』とやらも見当がつかなかったからな。まさか恋物語の類だったとは」
「俺もあれで良かったのかどうかは分からん。あのお嬢様はダゲール伯に騎士になるよう育てられていたみたいだし、あの性格じゃあな。恋物語など頭の弱い人間が好むものくらいは思っていそうだ。しかし、だからこそ頭を空っぽにして読める話としては最適なんじゃないかと思って、店員にどれが人気があるのか訊いて購入しただけだ」
「なるほど。私では対応できないところだった。それはそうと、あの飲み屋の主人は情報屋も兼ねているのか?そんな情報はどこから仕入れてくるものなのか、後学のために聞かせてもらえるとありがたい」
「初めてこの国に来た時に、あんたに紹介してもらった女だ」
「……え?」
レイナルドが初めてノイエンドルフに来た時、確かに彼から「一人寝はしない主義だ」と言われ、貴族や騎士の相手を専門としている娼婦を紹介した。しかし彼女はあくまでも娼婦だと思っていたのだが、情報屋としての側面もあったのだろうか?それならそれで、ギルベルトが紹介した女性がそういった情報を持っていると何故分かったのか?
目に見えて困惑しているギルベルトを見て、レイナルドは声をたてて笑った。
「ああいった商売をしている女や飲み屋の店主は、得てして情報通なんだよ。客から色々話を聞いているからな。俺はあんたに紹介してもらった女に、ノイエンドルフで一番情報収集できる場所を聞いて、あの店を教えてもらったわけだ」
「まさかその為に女性を?いい女だと言っていたのはそういった意味だったのか」
「それこそ“まさか”だ。俺が聞いたのは店の件だけで、他には何も聞かなかったぜ。そもそもベッドの上でそんな無粋な話を延々するわけねえだろうが」
「いや。だから私も“まさか”と言ったわけだが……なかなか怖い話だな。自分も何かの弾みに余計な話をしていなかったかと冷や汗が出る」
「その辺は心配すんな。彼女らは様々な情報を握ってはいるだろうが、誰にでも漏らすようなマネはしねえよ。何よりそんな事をしたら自分の身が危ない。例えば先の内乱だが、彼女らの耳にもきな臭い話は入ってきていた可能性はある。もしそれを事前にあんたに知らせたとしたら、当然、内乱を未然に防ぐ為に策を打つだろう。反国王派は何故情報が漏れたのかと考え、真っ先に疑われるのは……」
「……それが事実でなくても彼女達というわけか」
「そういう事だ。つまり残念ながら俺がやっているような事は、あんたには出来ない。公子という立場が邪魔をする。王の側近に知られると思えば、下手な噂話もできたもんじゃねえだろうからな」
「つまり私は不穏な噂話すら知る事ができないのか。いや。そもそも貴殿やシルヴィア殿と会う前の私であれば、噂話が耳に入ろうものなら、くだらぬ流言で国を混乱させるなと一喝していたかもしれんな。もしや私がもっと気やすい性格であれば、内乱に関しても事前に何らかの情報を得られた可能性もあったのか……」
「それはどうだろうな。さっき言っただろう。立場が邪魔をするとな。ましてや術が絡んでいるとしたら余計に、まともな思考回路で事に及んだとも思えねえ。あのテオドールとかいう奴を見ていれば分かるんじゃねえのか」
テオドールの名を出され、ギルベルトは険しい表情を浮かべた。
レイナルドと共に再び聴取をしたのだが、彼の口から出てきた言葉はナディアと同じく荒唐無稽で、聞くに耐えないものばかりであった。それゆえにシルヴィアが来た当初と現在までの間に術者に接触したのだと確信を深めたわけだが……。




