『不安から初心へ』
「ノイエンドルフの事は俺に任せろと言ってるだろう。大使としての任務どうこうを気にしているなら、事が解決してからもう一度来ればいい」
「違うんです。勿論この国が心配だという事はあります。ですがそれとは別に自分の問題なのです」
「自分の問題?」
「恐らく……陛下もそう推察しながら頭をよぎったはずです。先ほどのお話の通りだとするなら……私が術にかかっていないと言い切れますか?」
「!?」
「今なら大丈夫かもしれません。ですがランズウィックにいた時点で、あの騒乱の中で、アルヴァナを陥れる事前準備として私を利用するため、術をかけられそれを忘れるよう暗示をかけられている可能性を否定できますか?私の……陛下とレイモン様が神様から遣わされた方々のように思えた、あの時の気持ちがそう仕向けられたものだとしたら……少しの可能性でも私は陛下の騎士として排除しなければなりません」
「騎士をやめてアルヴァナを離れるつもりか?それで“レイモン様”か。確かに俺達はお前の望みは死以外であれば叶えたいと誓った。だからクリストフもギルベルト卿への弟子入りを認めたんだろう。本来ならば自分のそばから離したくはなかった。そこを曲げての事だ。お前は騎士としてではなく、ただのシルヴィア・オルドリッジとしてクリストフの願いを叶えてやる気はないのか?」
「私も言いたい。シルヴィア。君は死ぬ気なのか?そんな事は私も許容できない。そのつもりがあるなら事が解決するまで君をこの部屋に閉じ込めて監視をつけるぞ」
「少なくとも自ら死を選ぶ気はありません」
「では、どうするつもりなんだ?可能性の話を言っていたら、たとえ術者を殺したとして術や暗示が解けるとは言い切れない。とっ捕まえて解く方法を聞いてもまともな答えが得られるとは思えねえ。解いたと言われてもそれが本当かどうか、どうやって確認できる?つまりはそういう事だ。キリがねえんだよ。今の状況では、そうやって自分を疑う事こそ最も危険だ」
「分かっています。ですから自らけりを付けます。術者が私を利用する気なのであれば、陛下のいらっしゃらないここで何か行動を起こすはずです。そこで私がアルヴァナの名誉を傷つける事をするようになるか、そうでないか。これ以上の判断基準はないでしょう。ですが万が一術にかけられていたとしても、私はみすみす陛下の、アルヴァナの災いとなる存在に甘んじる気はありません。陛下にはそうお伝えください」
祈るように合わされたシルヴィアの両手は震えていた。当然だ。ランズウィック以降の自分が否定されるかもしれない……誰よりも敬愛するクリストフを害する存在であるかもしれない恐怖はどれほどのものか。
恐らくクリストフは自らの身に危険が及べば、やむを得ずシルヴィアを殺すだろう。王になった以上、個人的な感傷で命を差し出すわけにはいかないからだ。しかしそうしてしまえば、彼は人間らしい感情を捨てて一生を過ごすのではないだろうか。ただ淡々と王としての務めを果たし、後継者を育てる為に結婚もするかもしれない。表面上は変わりなく、後に賢王として名を残したとしても、彼自身の人生はシルヴィアを殺した時点で共に終わる。そうした危惧は二人の関係性を知る者であれば誰しも抱く。シルヴィアが何より怖いのはそこなのだ。
レイナルドはクリストフがシルヴィアに求愛するつもりである事を知っている。グレンからそう聞いた。シルヴィアがノイエンドルフへ来ていなければ、今の時点でそんな決断はしなかったであろう。彼女を城に迎えてから初めて長期間離ればなれになった事で、改めて自分にとってシルヴィアの存在がいかに大きいか気づいたのか。実は前から機会を窺っていたか。グレンは詳しく語らず「陛下が団長に求愛するつもりらしい」としか言わなかったので分からない。レイナルドにせよグレンにせよ複雑でないはずもないのだが、それ以上にシルヴィアが心から幸せになれる日を願っているため、二人して軽くやけ酒を飲んで納得したのだ。ようやくその段階に辿り着いたのに……。
「シルヴィア。ハッキリ言うぞ。俺はお前を疑っている。術どうこうじゃねえ。自ら死を選ぶ気はないと言った言葉をだ。場合によってはお前はそれを選ぶ。……話のついでだ。クリストフからお前宛の手紙を預かってきている。これを読め」
そう言って一つの封筒を手渡されたシルヴィアは、中から手紙を取り出した。そこには間違いなくクリストフの文字でこう書かれてあった。
『シルヴィ。私からの命令はひとつだ。
必ず無事に帰ってくること。
それ以外の事は君の判断を尊重する』
たったこれだけの短い文章。だがここに込められた意味をシルヴィアは正確に受け取った。
クリストフもレイナルドが言ったものと同じ懸念を抱いたのだろう。恐らくはシルヴィア自身が術者の仕掛けた罠である可能性を考慮しながら、それでも帰ってこいと言うのはそういう事だ。
―必ず無事に帰ってくること
それがたとえクリストフを殺すためであっても―
「陛下は……無茶を仰います」
手紙を持つ手はまだ小刻みに震えていた。いや、手だけではない。肩も声も震えている。そしてその頬には一筋の涙が伝っていた。ランズウィックの惨劇以来、決して人前では泣かなかったシルヴィアが。
「……シルヴィア。クリストフ王のような騎士になると誓ったんじゃなかったのか?術だろうが暗示だろうが、そんなものは跳ね除けちまえ。逆に自分には術など効かないと暗示をかければいい。王から無事に帰れと命令されたんだ。お前には出来るはずだ」
レイナルドもギルベルトもかける言葉が見つからず黙る中、エーレンフリートがそう言った。
「さっきお前は、クリストフ王とレイナルドを神の遣いのように感じたのは、そう仕向けられたからかもしれないと言ったな。もしそうだとしてもだ。今はどうなんだ?」
「……今……?」
「アルヴァナに行ってから5年だったか。ずっと近くで見ていたんだろ?少なくともそれを経ての今の気持ちは仕向けられたもんじゃないと思うがな。そっちを信じてりゃいいんじゃねえか。お前が慕ってんのは神に見えた王じゃなく、今の王なんだろ」
この言葉に、シルヴィアは目を見開いてエーレンフリートを見た。
そうだった。救われた時は『神の遣い』に見えたあの人は、何をすれば償えるのかと苦悩し、悪夢に魘されるシルヴィアを安心させようと手を握り、いつもそばにいて守ってくれていた。そして完璧に見えても、どこか不器用な所がある『人間』だった。
『リディアーヌと兄妹のように一緒に育てられたお陰で、女性と接する事には慣れているけれど、どうにもいい加減なこの性格が災いしてね。女性に対する気遣いの方向性を間違えている事もあるかもしれない。もし何かそういった事があれば、指摘してもらえると助かる』
『もう30時間以上寝ていない?そんなに経っていたのか。何しろ自ら望んで無理やり王の座に就いた身だからね。専門外だったから、などと言い訳をして政をおろそかにするわけにはいかない。分からない事は勉強して頭に入れておかないとね』
『シルヴィ。果たして私は本当に君の願いを叶えられているだろうか?君は優しいから無理をしているのではないかと心配になる』
いつも優しく穏やかな顔と声で話しかけてくれた。シルヴィアを怖がらせないように、少しでも安らげるようにと。
慕っているのは救ってくれたからではなく、ずっと見てきた彼の人柄によるもの、その通りだ。ならば今の気持ちを強く信じていればいい。不安をおぼえる必要などない。シルヴィアは改めて心に誓った。
「私の命はクリストフ陛下、そしてアルヴァナに捧げたもの。アルヴァナに栄光あれと、そう誓いました。なのに私は何をバカな事を……」
苦笑し、自らを戒めるように一度強く左胸を拳で叩いた後、シルヴィアは真っ直ぐエーレンフリートの方を見て頭を下げた。
「見苦しい所をお見せして申し訳ありません。そしてありがとうございます。エーレンフリート陛下」
「いや。気にすんな。俺としてはお前が泣けた事が重要だと思っている。やっぱり辛い事があったらまず泣かねえとな。気持ちの切り替えもできねえだろ。俺もそうやって切り替えたからな」
そう言ってエーレンフリートはシルヴィアの肩をポンと叩いた。シルヴィアは表情を和らげ再び頭を下げる。その様子を見ながらレイナルドはエーレンフリートがノイエンドルフの人々から慕われ、彼の涙を見て反国王派が剣を下ろし投降したという理由を理解した。




