『変化の兆候』
翌朝、目を覚ましたシルヴィアは、自分がベッドにいる事に驚いていた。恐らくエーレンフリートが運んでくれたのだろうが、それにも気づかないほどに熟睡するとはと。
ふこでふと、そう言えばエーレンフリートはどうしたのかと思い出し見回したが、彼の姿は既に部屋にはなかった。
例の男を見つけ出し、拘束するなり殺すなりできるまではノイエンドルフに残ると決めた事や、昨日の聴取の結果と今後の方針の話し合いなどをしなくてはいけない為、今日は訓練をする余裕はないだろう。今から少しだけでも体を動かしておきたいが、昨日の今日で単独行動をしては迷惑がかかるかと、諦める事にした。とりあえず昨夜の食器を片付けようと部屋を出たところ、シルヴィアの部屋の見張りを務めてくれているデュンバルト家の衛兵に声をかけられた。
「オルドリッジ大使。少しよろしいですか?」
「え?はい。何でしょうか?」
「失礼ながら昨夜の陛下との会話を聞かせていただきました。本来、だからといってその内容について口にするのは許されない事なのですが、曲げてご寛恕願います」
「私に話す分には大丈夫だと思います。それで、どのようなお話でしょうか?」
「私共デュンバルト家の護衛を務める人間は、大使の事を警戒しておりました。元来ギルベルト様は、陛下以外の他人に対して害の有無を除き、無関心なお方です。それが貴女には強く肩入れしているように見受けられる。故に冷静に物事が見られず、結果陛下を危険に巻き込む事があってはならないと思っていたのです」
「危惧の念を抱くのは当然だと思います。なにしろ私は過日、この国と戦った人間ですから」
「ええ。私もそう思っていました。が、昨夜の陛下との会話で、加えて貴女の独り言だと思われる言葉で、それが誤りであったと分かりました。このような事を直接告げるのも失礼と理解はしていますが、貴女のお立場上、心ない言葉も数多く聞かれたでしょう。であれば、逆の言葉も直接貴女に届けておきたいと考えたのです。我らが王の心に寄り添ってくださり、そして我が国の民を案じてくださり、ありがとうございます。貴女は尊敬すべき立派な騎士です」
衛兵は姿勢を正して頭を下げた。
衛兵も仕える家の色が出るものなのだなと思う。この人物はギルベルトとよく似ている。真面目でお堅くて、そして誠実そうだ。それが微笑ましくて、かけられた言葉が嬉しくて、シルヴィアは心からの笑顔を浮かべて頭を下げ返した。
「こちらこそありがとうございます。そのような言葉を頂けた事が、私にとってはこの上ない喜びです。昨夜は私の勝手な行動に対処までしていただき、感謝しています。お陰様で陛下に温かい飲み物をお渡しする事ができました」
「いえ。結果的に私もご相伴にあずかる事ができて、役得でありました。陛下も“よく寝た”と仰っていましたが、私も睡魔の襲来と戦う必要があったほどには、心が安らぐ優しいお味でした」
そう。昨夜、ハーブティーをエーレンフリートに届ける前に、この衛兵に「毒見が必要でしたらお願いします」と、見張りの労いも兼ねて飲んでもらっていたのだ。
「お口に合ったのであれば幸いです。また同じような機会があれば、今度は眠気覚ましのコーヒーをお持ちできればと思います」
衛兵の軽い冗談にシルヴィアも冗談で返す。自分がこのようなやりとりを出来るようになる日が来るとは、5年前には想像もつかなかった。昨夜エーレンフリートが寝ぼけて腰に抱きついてきた時も、一瞬の驚きはあったがすぐに落ち着く事ができた。たとえ寝ぼけていると分かっていても、亡き母の夢を見ての事だと分かっても、少し前までなら恐怖で混乱し、パニックに陥っていたであろう。あるいは相手がエーレンフリートであったゆえか。
いずれにせよ、やはりアルヴァナを離れた事で、気持ちの切り替えが徐々に出来るようになっていってるらしい。お陰でこの先、過去に囚われず生きていけるようになる日も来るかもしれないとの希望も持てる。それは喜ばしい事なのだが、ノイエンドルフのお陰で変わったとクリストフに思わせたくはない。クリストフがずっとそばにいて守り、支え、慰めてくれたからこそ、今の自分が在るのだから。ここまで立ち直る事が出来たからこそ、先の事も考えられる。この気持ちが変わる日など来ないのだという事を、彼には分かってほしかった。
朝食後、昨夜の騒動について聴取した者達が集まって情報交換をした。とは言っても、皆一様に「話にならなかった」という点に変わりはなかったが。
「つまりそもそもの呼び出しのメモを書いたのはフィリップ伯爵令嬢である事は間違いない。“例の男が見つかった”の文言は、本人によると意味などなく、単にそう書くと呼び出しに応じてくれやすいと考えたため。エーレンフリート様をあの場に呼び出したのは、これから同盟関係になろうというのに、クリストフ王の婚約者たる自分に挨拶がないのはおかしい。これはシルヴィア殿の妨害によるものとしか思えない。なので直接出向いてやったまで。シルヴィア殿に対しては、度重なる無礼をあの場で詫びさせ罰し、必要であればノイエンドルフ騎士団用の情婦として国交の役に立てと命令しに来た。これは王の意向である……一貫してこういった主張だった」
「伯爵令嬢に何か吹き込んだ奴は、“不可侵”ではなく“同盟”だと教えたというわけだ。そいつはもしかして本当に同盟だと勘違いしてやがんのか?」
「どうでしょうか。伯爵令嬢は不可侵条約と同盟の違いなど気にしないと思いますので、単にアルヴァナとノイエンドルフが手を組んだというくらいの認識のような気がします」
「あ〜……まあ、あれじゃあな」
「オルドリッジ大使。そもそもあの方は何故あれほど自信満々に王や国の騎士団長である貴女を侮っているのですか?術にかかっているのだとしても、そもそもの思想を利用、増幅させているのではないかというお話でしたよね?」
こう訊いてきたのはギルベルトの弟ヴェルナーである。これに対しシルヴィアは苦笑しながらナディアの祖父であるダゲール伯爵の逸話と、入団テストの際のナディアの話を語った。初耳のロイスとアヒム、そしてデュンバルト公爵とヴェルナーは驚き呆れ、信じられないと首を横に振った。
「それは元々の人格に問題がありそうですな」
「祖父であるダゲール伯の影響が強いのも原因でしょうが……ダゲール伯が傷つけられたと思った自尊心を保つために、伯爵令嬢に意図的に嘘を教えたのか、もしくは自身が真に我が王を凌ぐ実力があると思い込んでいたのか、私はそこから疑問を覚えています」
「つまり伯が先に術にかかっていたと?」
「俺も昨日あの女の話を聞いていてチラッと頭をよぎった。しかしその頃には催眠術野郎はマドラルにいたはずで、それなら無理かと一度は打ち消した。が、シルヴィアと話していて術を使える奴が複数人いる可能性に思い至って、あり得る話だと納得した。そうなるとこの国の先の内乱にもそいつらが噛んでいた可能性も浮上する。つまり少なくともノイエンドルフ、アルヴァナ、マドラルにそれぞれ現在もいる、という事になる」
「……私もそう考えています」
エーレンフリートの言葉にシルヴィアも同意する。
二人の推測が正しいとすれば、表面化しているかどうかはともかく、アルヴァナも現在危険である事になるが、帰ろうにも伝令役が戻ってこず、あちらの状況が分からない。せめてレイナルドが顔を出してくれれば何か分かるかもしれないが……。ギルベルトがそう考えていたところで、タイミング良く彼の来訪が伝えられた。




