『懐かしい安らぎ』
『王子……アルヴァナのような大国と組む気なら、何故俺達の方に来てくれなかったんですか?』
『俺達の考えに理解を示してくれるなら、貴方が陛下を説得してくださればよかったのに』
『死にたくなかった……生きて、ノイエンドルフに外国の品が並ぶ店を見たり、この国以外の文化を見たりしたかった…………なんで…………』
―俺だってお前達を殺したくなかった。そんな事を言うなら、何故いきなり父上に剣を向けた?話し合う気があったなら、いくらだって協力できたのに。
『あの頑なな王が、私共の話など聞いてくれたとは思えません』
―やってもみないで決めつけて、挙句問答無用で味方しない人間を斬りまくったのか。それほどに父上を憎む理由がどこにあった?
『ご存知でしょう?我々は操られていたんです。こちらも被害者なのに、貴方は生きて我々は死んだ。こんな理不尽が許されるとお思いですか』
―なら俺が死ねばお前達は満足なのか?アルヴァナとの不可侵条約を破棄して、ノイエンドルフが変わらないままいればお前達の死は報われるのか?
『…………………………』
―何故黙る?何か言ってくれ。どうすれば満足だというんだ?
『……今更国が変わったところで我々には恩恵などありはしませんよ。せいぜい我々の屍の上に築いたアルヴァナとの仲良しごっこを楽しめばいかがですか?その様子を呪いながら眺めてやりますから』
「……………………か。……エーレンフリート陛下」
「?!」
女性の声での呼びかけに目を覚ますと、心配そうにエーレンフリートの顔を覗き込んでいるシルヴィアの顔がそこにあった。その手にはハンカチがあり、汗を拭ってくれている。
「悪い夢を見たのですか?うなされていました」
「悪い夢……ああ。そうだな。最悪だ」
まだ夢の名残があり、頭を押さえて大きく息を吐き出す。すると背中を支えていたシルヴィアの手が、優しく宥めるようにポンポンとたたいてくれた。
「失礼します。私が悪夢を見ると、いつも我が王がこうしてくださっていたので」
「……昔、俺の母もそうしてくれていたな」
「陛下のお母様の話を伺ったのは初めてです」
「もう6年前に死んでいるからな。わざわざ話題に出すタイミングもなかったし、そんなもんだろ」
その後しばらく沈黙が続いた。その間もシルヴィアはずっと背中をたたいてくれていて、やがてエーレンフリートも落ち着き、笑ってシルヴィアの方を見た。
「すまないな。ガキみたいに」
「悪い夢を見て不安になるのは大人も子供も同じだと思います。それはそうと席を外した理由ですが、これをどうぞ」
そう言ってシルヴィアが差し出したのはハーブティーだった。
「リラックス効果があるハーブだそうです。これで僅かでも心が安らぐとよいのですが」
「わざわざこれを淹れに行ってくれたのか?」
「はい。私もフィリップ伯爵令嬢とお話しして大層疲れてしまいましたので、飲もうと思っていたのです」
「やっぱりそちらも話にならなかったか」
「元々ああいった方なので予想がついていた分、落胆もしませんでたが」
「そういやお前、珍しくかなり怒っていたよな」
「当然です。我が主君を愛称で呼ぶのみならず、他国の方々の前で侮辱されては、腹が立たないはずもありません」
「まあ、あれはな。確かに誰でも腹が立つな。それで、一応そちらの方の話を聞こうか」
シルヴィアによると、ギルベルトと二人でナディアにいくつか質問形式で話を聞いたという。
“密偵の名前を使って呼び出したのは何故か”
“あの場での話に出なかったが、見つかった例の男とは一体誰の事か”
“先ぶれもなくノイエンドルフを訪ねてきた真の目的は何か”
“いつテオドール達と知り合ったのか。また、あのように見えすいた嘘を吹聴する目的は何か”
“一連の行動からみて手引きした者がいると思われるが、それは何者か”
だがいずれの質問にも当然ながらまともな答えは得られず、
「アルヴァナ王妃となる私にこのような行い。許されるとお思いですか?!」
「例の男など知りません。私はただ、正式にクリスと私が婚約したので、貴女は用済みだという伝言を彼から預かってきただけです!」
「嘘など申した事はありません!全て真実です!」
「手引きした者などおりません。私ほどの人間になれば、異国の地でも皆が自ら協力を申し出てくるのです」
などといった事を繰り返すばかりであったという。
「ある程度予想はしていたが、ヤバい奴だな。で、実際のところシルヴィアはどう思う?」
「判断が難しいのですが……テオドール殿の発言を聞いて思ったのは、フィリップ伯爵令嬢もテオドール殿も、件の騒動を起こしている者と接触したのではないかと」
「お前もそう思うか」
「あまりにも話が通じないので。伯爵令嬢は初めてお会いした時から思い込みの強い方でしたが、あの時点でそれが増幅させられていた可能性も疑っています」
「ちょっと待て。そいつはその頃にはマドラルにいたんじゃ……いや、そうか。組織的に行動しているなら可能か。つまりあんなヤバい術が使える奴が複数人いるって事か?冗談じゃねえな」
テオドールやナディアですらあの調子だ。術を操る人間そのものが簡単に口を割るとは思えない。ましてや人心を操る相手である以上、自分が無事で済むとは限らず、また捕まえる事そのものが至難の技だろう。
「いずれにせよ、そいつを見つけ出さないことには手の打ちようがないか。実際にこの国でそれらしい奴も目撃されているというから、しらみ潰しに探せば見つかるものなのか……再度の内乱は絶対に阻止しねえと……」
また厳しい顔をして俯いてしまう。堂々と顔を上げ前を向いているイメージの強い彼が、とシルヴィアは思う。まだ記憶に新しい内乱の場面が頭を過ぎるのだろうか?それとも夢の影響か……。
普段は明るくて飄々としたところもあるクリストフの、あの苦悩の表情を思い出す。シルヴィアに、ランズウィックに何をすれば償えるのかと苦しんでいた彼に何も言えなかった。今も思い出しては誰にも何も言わず、エーレンフリートのように悪夢を見て一人苦しんでいるのかもしれない。王であるゆえに弱音も吐けず。そう思うとシルヴィアは無意識に動いていた。
「陛下。お隣、失礼します」
「あ、ああ」
シルヴィアはエーレンフリートの隣に腰掛け、もう一度「失礼します」と声をかけてから、彼の頭を自分の膝へと導いた。そうしてその頭を撫でる。
「窮屈な場所でこのような事をしてすみません。ベッドなら広いのですが、その……」
「…………そこまで無理をしなくていい。これで十分すぎるほどだ」
突然の行動に驚いていたエーレンフリートは、シルヴィアの意図を理解すると、微笑みながらそう言った。
頭を撫でてくれる手は微かに震えている。無理もない。1ヶ月ほど滞在し慣れたとはいえ、知り合って日も浅い男に触れるのは、余程の覚悟と勇気が必要なのだろう。なにしろこんな事をすれば、いつエーレンフリートがその気になってもおかしくはないとの認識はあるはずで、なおかつ異国のとはいえ『王』相手にそれを拒絶するという事は、『騎士』であるシルヴィアには出来ないであろうから。
「陛下。どのような夢を見られたのですか?よろしければお聞かせください」
静かな優しい声で、シルヴィアがそう聞いてきた。
部屋中に漂う花のような香りと、シルヴィアが淹れてくれたハーブティー、その膝の柔らかさと撫でてくれる手のお陰で安らいだ気持ちになる。これも一つの人心を操る術かもしれないなと、もしそうなら自分も簡単にかかってしまっているではないかと、エーレンフリートは笑いそうになった。だが今はこの心地よさに浸っていたいと思う。恐らく自分で思っていたよりも疲れていたのだろう。
そうして夢の内容を話した。
「皆は死にたくなかったと、ノイエンドルフで異国の品が並ぶ店を見てみたかったと言っていた。国交を結ぶつもりがあったなら、何故前王にそれを主張してくれなかったのかと。今更それをしても自分達に恩恵などありはしない、せいぜい我々の屍の上に築いた仲良しごっこを楽しめばいい、我々はそれを呪いながら眺めているとも言われた」
「…………」
「あの時とは状況が変わった、などと言っても仕方ない。お前と戦った事で話してみたいと思った、などと言ったら、今度はマドラル戦で死んだ奴らに呪われるだろうしな。ではどうすれば良かったのかといくら考えても、結局答えは変わらねえ。内乱では反国王派の味方は出来ないし、アルヴァナと不可侵条約を締結した事も間違っているとは思わない。いずれは文化的交流を図りたい気持ちも変わらねえ。ここがブレたら何もかもが無駄になっちまうからな」
「……私が言えた事ではないとは思いますが、陛下は間違っていないと思います。そもそも陛下と戦う事でノイエンドルフとの対話の道筋を作って欲しいと、我が王が私に告げたのです。なので実は私はずっとあの戦場で、陛下をお探ししていました」
「そうだったのか?って事は、お前本気で戦っていなかったな?」
「まさか。本気でなければ私は今頃この世にはおりません。それに本気だったからこそ、陛下も私に興味を持たれたのではありませんか?」
「そりゃそうだ。しかしそうか。俺はまんまとクリストフ王に乗せられたわけだな」
「その為に私は命を賭けましたが」
「俺も下手すりゃ命を落としかねなかったぞ。これは二人でクリストフ王に文句を言ってやらねえとな」
「ふふっ。そうですね」
いつの間にかシルヴィアの手の震えは止まっていた。エーレンフリートもテオドールと話した事による徒労感と、悪夢により沈んでいた気持ちが随分楽になり、代わりに急激に眠気が襲ってきた。
「……なあ、シルヴィア……俺も本当は、お前にもう少し……ノイエンドルフにいて欲しいんだ」
「陛下……」
「なあ……催眠術野郎の件が片付いたら……またここに…………来いよ」
「……はい。必ず」
シルヴィアの返事を聞いたかどうか。エーレンフリートはシルヴィアの膝に頭を預けたまま眠ってしまった。
「今度は悪夢を見ませんように。現実の方も」
そう言って頭を撫で続ける。
自分とたった2歳しか違わないのに国を背負って、その判断ひとつで他人の人生を良くも悪くも変えてしまう立場にいる人。それはどれ程に重いものだろう。十分な準備も出来ないままその立場になったエーレンフリート。自らの行いの責任として、本来は立つはずのなかった場所に立つ事になったクリストフ。二人とも既に両親はなく、甘える相手もいない。自分も両親を亡くしているがクリストフとレイナルドが甘えさせてくれている。ゆえにこうせずにはいられなかった。クリストフとはお互いの事情もあり、このような事は出来ないが、せめてエーレンフリートにはと。
「我が王……クリストフ陛下。申し訳ありません。やはり私は今回の件が解決するまでこの国に残ります。再び内乱が起こればこの国は立ち直るのが困難になるでしょう。そうなれば他国から狙われ、ランズウィックのような事に……。私一人で状況を変えられると驕っているわけではありません。ただ騎士として目の前にいる人達を守りたいのです。貴方のように」
それにどのような形であるにせよ、ナディアがこの件に関わっている以上、例の人物がノイエンドルフとアルヴァナ共に混乱に陥れようとしている可能性もある。この二国が思いもよらず不可侵条約を結ぶ事になったので、これ以上の歩み寄りを阻止したいのか、単にこの状況を利用して両国同時に損害を与える気か。
考えなければ。ありとあらゆる可能性を。どんな事態にも対応できるよう小さな事でも見逃さず……。そう思い詰めそうになった時、シルヴィアの膝に頭を預けたまま体の向きを変えたエーレンフリートが、片腕をシルヴィアの腰に回して抱きつく体勢になった。一瞬驚き恐怖を覚えかけたが、腹部の辺りにあるエーレンフリートの顔が穏やかに微笑んでいるのを見て少し落ち着き、更に彼の寝言を聞いて安心した。
「俺は大丈夫……母上……みんながいるから……」
(……はい。今は私もおります)
エーレンフリートの寝言に心の中で応えた後、シルヴィアもそのままソファーで眠ってしまった。レイナルドがいないにもかかわらず、途中で目を覚ます事もなく。




