『王と王』
マドラル国を後にし、シルヴィア以外の捕われていたアルヴァナの騎士達と、ギルベルトの随員を務めていたノイエンドルフの騎士達は、一足先にそれぞれの国へと帰った。クリストフ王がギルベルトに「後でゆっくり話したい」と言っていたので、馬を引いて歩きながら3人だけで話す為だ。
「陛下はロワイエ殿がそのまま王位に就けると考えておられるのですか?」
しばらく世間話的な会話を交わした後、ふとギルベルトがそう訊いた。
「普通に考えればね。そもそも彼の方が第一王位継承権を持っていたのだし。けど、まあ簡単にはいかないだろうね。生きていたのだとしても父王を殺した事に変わりはない、という言いがかりをつけてくる者もいるだろう。私の名で布告を出す事にしたのは、昔からの同盟国という事もあって、私に対する固定化されたイメージがあるゆえ、それを利用させてもらって事をスムーズに進めるためなんだ」
「固定化されたイメージとは?」
「良い方面では高潔と。悪い方面では簒奪者と。要約すると自分の都合が良いように物事を動かす為には強引な手段を採るが、その理由は私利私欲によるものではないといったところかな。事実だから返す言葉はないけれどね。私は2度王を殺した人間になったわけだから」
自嘲するような笑みを浮かべながら言う。
つまり場合によっては実力行使でマドラルを奪う事も辞さない人物と思われているという事だ。実際にそういうつもりはあるのだろうか?ギルベルトがそう思い王の方を見ると、口を開く前に答えが返ってきた。
「マドラルを奪う気はないよ。ロワイエ殿を救出して王位に就けるよう協力すると確約した事に、思惑がないとは言わないが」
「お聞きしても?」
「今後同盟関係を続けるにあたって、その方が我が国としても都合が良いからだよ」
なるほどとギルベルトは得心がいった。下衆な言い方をすれば、王になる人物に恩を売っておけば、今後マドラルが扱いやすくなるという事だ。何より今回のような茶番劇に付き合わされる事がなくなると。その為に被害を被ったノイエンドルフ側の人間としては、色々言いたい事もあるが、マドラルと同盟を結んだのはクリストフ王ではないし、不本意だろうが同盟関係である以上援軍を送らざるを得なかったという事情を察する事は出来る。
そういった事に煩わされないよう、ノイエンドルフはここ三代はどの国とも同盟を結ばず、交易も行っていない。ほぼ鎖国状態と言える。無論利点ばかりではないが、少なくとも戦争の協力に駆り出される事がないのは大きな利点だと思う。
アルヴァナとノイエンドルフ、それぞれの国へと分かれる分岐点にさしかかった時、クリストフ王は突然こんな事を言い出した。
「ファルケンマイヤー伯。実は私は君の主君に興味があってね。一度話してみたいと思っていたんだ。いい機会だから、このまま連れて行ってもらえないかい?」
「は?あの‥‥‥‥」
「陛下!突然、何を!」
「今回は極秘行動だから少しの間くらいなら大丈夫だよ。もちろん携帯している武器は伯に預ける。シルヴィを早く休ませてあげたいのだけれど、こんな機会は滅多にないんだし、一時間くらい、いいだろう?ね?」
「ね?ではありません、陛下。ギルバート卿も困っていらっしゃるではありませんか」
「ああ、いや。我が主も一度会って話したいと申しておりました。陛下がよろしければ、是非」
応えながら、随分型破りな国王だとギルベルトは思った。
配下である騎士団長を助ける為に自ら赴き、他国の国王を斬り伏せる。今まで特に国交のなかった国の国王に、出かけついでに会いたいと言う。そもそもが王になった経緯からして普通ではない。我が主も型破りだが……と考え、ふとある事に思い至る。
「陛下。我が主との接見に際し、ご留意いただきたい事がございます」
「何だい?」
「その、我が主は王になって日も浅く、何分まだ若い事もあり、陛下に対し何か失礼な態度をとるやもしれません。都度諫言はいたしますが、ご容赦をいただければ幸いです」
「あっははははは!なんだ、そんな事か。構わないよ。私の方こそ、王などという大層な肩書をいただいてから五年程度で、まだ自覚が足りなくてね。さっきみたいにシルヴィに注意される事もしばしばなんだよ。それに今回はお忍びで、この通り連れもシルヴィ一人だ。あまり大げさにされても逆に困るよ。それにしても君もまだ若いだろうに苦労性だね」
「は。恐縮です」
これが本当にマドラルの国王を斬ったのと同一人物であろうか?あの処刑場に立ち尽くす姿は、近寄りがたいほど美しくも恐ろしかったのに、まるで別人のように気さくで、有り体に言えばエーレンフリートとは違う意味で王らしくない。全く掴めない人物だとギルベルトは思った。
ノイエンドルフに帰り、エーレンフリートにアルヴァナ国王とシルヴィアの来訪を伝えると、驚くと同時にえらく喜んだ。すぐに食事の用意をさせると言ったが、今回はお忍びで時間がない旨を伝えると、ではお茶だけでもと、ギルベルトの部屋へ通した。
公爵家の長男であり、自らも伯爵の称号を持つギルベルトだが、彼の生まれたデュンバルト家は代々王の側近としての役割を持っていて、騎士として独り立ちできると認められれば家を出て王の居城に住む事になっている。立場としては貴族と言うより王の補佐官的な色合いの方が強い。
今回そのギルベルトの個室を客室代わりにしたのは、客人がお忍びの身なので、あまり人目に付かない場所をとの配慮と、さすがに今まで国交のなかった国の人間を、易々とエーレンフリートの個室に通すわけにはいかない、といった事情からである。
「おまえ、無事だったんだな。良かった」
エーレンフリートはシルヴィアの顔を見るなり彼女に近付き、肩をポンと叩いた。
「ありがとうございます。やはりギルバート卿がマドラルにいらしたのは、エーレンフリート陛下のご意思によるものだったのですね」
「いや。ギルベルトの独断だ」
ニヤッと笑って言う。
無事で良かったと言っておきながら……見え見えの嘘に、シルヴィアは改めて頭を深く下げた。
「あんたがアルヴァナの国王か。王になった経緯を聞いて、一度会ってみたいと思っていた」
「エーレンフリート様!他国の王に対し、何という口のきき方を!」
「あははは。気にしないでいいよ。今回は正式な会談ではなく個人レベルでの面会だしね。私の方も君には是非会ってみたいと思っていた。残念ながら今回はあまり時間がないけれどね」
随分気さくな国王だなと、自分の事は棚に上げてエーレンフリートは思った。それに騎士団を率いて国王に対する反乱を起こし、自らが玉座に座った騎士団長という話を聞いた限りでは、もっと筋骨隆々の偉丈夫を想像していたのだが、それがこのような優男だったとは。
(優男と言うか美人……なのか?異常にキレイだな)
紅茶を飲む姿も非常に優雅だ。女性でもこれほど綺麗な顔立ちの者はなかなかいないだろうと思う。
この品の良さがあればギルベルトの気苦労も少しは減るのだろうが、と自覚しながらも、改めようとは考えないエーレンフリートである。
「あんた、なんか生まれついての王って感じだな。剣を振るってる姿なんか想像つかないぜ」
「そうかい?ファルケンマイヤー伯にも言った事だけれど、私はまだまだ王としての自覚が足りないんだよ。未だに一人の騎士でいたい気持ちを捨てられない」
「へえ。何でだ?」
「じっとしているのが性に合わなくてね。自らの剣で救えるものがあると信じて騎士になったものだから……なんてね。実は単に人を斬るのが好きなだけなのかもしれない」
「違います!陛下は‥‥‥‥!」
「冗談だよ。落ち着いて、シルヴィ」
優しく言ってシルヴィアの頬を撫でる。その様は、とても王と騎士団長には見えない。
ギルベルトはマドラルから見ているが、クリストフのシルヴィアを見る目の優しさ、シルヴィアのクリストフを見る憧憬の目など、誰かが間に入る事はとても出来ない雰囲気を醸し出している。端的に言えば、単なる主従関係以上の間柄にも映るのだ。
とりあえずそれは気にしないようにして、ギルベルトが話を続ける。
「エーレンフリート様。クリストフ陛下は恐ろしい程の剣技の持ち主なのですよ。私など一撃を受け止めるだけで精一杯でした」
「何?ギルベルトが押されたと言うのか?」
「信じられない。ギルバート卿は、陛下の剣を受け止められたのですか?」
エーレンフリートとシルヴィアが、驚いて同時に言葉を発した。思わず二人して顔を見合わせる。
「我が国でギルベルトとまともに撃ち合えるのは俺だけなんだぞ?そのギルベルトが、二撃は耐えられないというのは信じ難い話だな」
「事実です。反射的に受け止めただけで、陛下の太刀筋が見えたわけではありませんから。陛下の剣は、目で追えるものではありませんでした」
「しかし反射的にでも陛下の剣を止められるとは……。ギルバート卿は噂に違わぬ実力の持ち主なのですね。指南いただきたいほどです」
「へえ。そんなにか。それなら俺も剣を交えてみたいな」
「エーレンフリート殿の剣技は烈しくも美しいと聞いた。私も是非やり合ってみたいね」
「いけません、陛下!」
「なりません、エーレンフリート様!」
今度はギルベルトとシルヴィアが同時に言う。
たとえ軽い手合わせ程度のものだとしても、ケガをしないという保証はないのだ。何しろ国王同士。その辺の一般兵と同じというわけにはいかない。それ故にクリストフ王は「一人の騎士でいたい」のだろうが。
騎士団の筆頭でありながら、国王のお目付け役のような二人を見てクスッと笑い、クリストフ王は「残念」と肩をすくめた。エーレンフリートは「はいはい。分かってる」と、呆れ調子で頬杖をつき苦笑している。
国王二人にからかわれたと分かり、部下である二人はそれぞれ気恥ずかしそうに、ギルベルトはコホンと咳払いをし、シルヴィアは赤くなって「お人の悪い」と呟いた。
「そう言えばファルケンマイヤー伯は一流の騎士でありながら、軍師のような役割もこなしているんだったね」
「え?ああ、いえ。軍師というほどの大層なものではありません。立場上軍議には参加しますし、現場の指揮を取る役目も負っているだけです」
「謙遜すんなよ。今回のマドラル戦も突然の侵略だったのに、おまえの冷静な作戦立案と指揮とで、大きな被害が出なくて済んだんだからな」
「似た事態に陥った場合、私もそうあらねばならないのですが、現状は副団長に助けられる事ばかりで。もっと学ばなければなりませんね」
残念そうにシルヴィアが言った。そんな彼女の頭をクリストフがポンポンと叩く。
「ファルケンマイヤー伯は特別だよ。誰もが出来る事じゃない。君は君に出来る事をすればいい」
「ふ〜ん。ならギルベルトに弟子入りでもするか?」
「エーレンフリート様?!」
突然の提案にエーレンフリートを除く3人は驚き、提案者に視線を集中させた。
「限定された期間とはいえ騎士団長を王の側から引き離す事になるからな。事は簡単ではないだろうが、本気で学びたいなら思い切ってそうしてみるのもありなんじゃないか?ノイエンドルフは長く他国との交流を避けてきて外の世界に疎い。こちらとしてもお前が来てくれれば、それを知るいい機会になる。どうだ?」
こちらもこちらで型破りな国王である。国交のない国の騎士団長を自国の騎士団長に弟子入りさせようというのだ。王のこのような言動に慣れているはずのギルベルトもさすがに呆気にとられ、すぐには言葉が出なかった。
「やはり無理か?」
しばらく考え込むような様子を見せていたクリストフ王は、シルヴィアの方へ一度視線を向けた後、エーレンフリートを見た。
「彼女がそうしたいと言うのであれば、私は構わない」
「陛下?」
「ただ我が方としては、過日攻め入った立場である事から、彼女の身の安全に対する不安はある。なので私の信頼する者を定期的に寄越す事になるが、それを承知してもらいたい」
つい先刻までの、どこか飄々とした雰囲気は消え失せ、怖いほどに真面目な表情で言う。王がいかにシルヴィアを大事にしているかが分かる。
「それは無論だ。ところで当の本人とギルベルトの考えはどうなんだ?」
「私は……ギルバート卿さえよろしければ、教えを乞いたいと思います」
「いや、私は構わないが、君は本当にいいのか?」
「はい。私はまだまだ未熟です。学べる事は全て学んで騎士団長という肩書を戴くにふさわしいものでありたい。アルヴァナの、そして陛下のお役に立ちたいのです」
「なら決定だな。で、名目をどうするかだな。一応公式に迎える形にしねえと。が、戦争したばかりの国同士で即同盟ってのもな」
「そんな事は問題にならないよ。例えばこんなのはどうだい?君と私が王である間に限り、不可侵条約を結ぶというのは?」
「不可侵条約?」
「そう。同盟ではなく不可侵。どの道、領土拡大など望んでいない我が国と貴国なら、何の問題も無く締結できるんじゃないかな?しかも君と私、どちらかが死んだ時点でこの条約は失効する、という形にしておけば、次の王に恨まれる事もないだろう」
実際そんな条約を結ばなくても、エーレンフリートにせよクリストフにせよ、相手の国に攻め入る気など毛頭ない。いずれ単なる形式にしか過ぎないのだが、あえてそれをすると言う。理由は明白だ。
「なるほどね。それで、さしずめ条約締結の為の大使にそいつを任命して、ノイエンドルフに来る大義名分を作るってわけか」
「御明察通り。どうだい?」
「ま、いいか。別に戦争協力する関係にないなら、俺とあんたの代で国交を樹立するってのもありかもな。ギルベルトはどう思う?」
「は。エーレンフリート様とクリストフ陛下がよろしいのであれば、私に否やはございません。しかしエーレンフリート様と対等に戦えるのであれば、今更私などに剣の指南を受けることもないと思うのですが。謙虚な方だな、貴女は」
ギルベルトにそう言われ、シルヴィアは頭を下げる。どこまでも真面目な奴だとエーレンフリートは苦笑した。
戦場で何十、何百と撃ち合った間柄でもあり、奇妙なほどシルヴィアが女であるという意識が、この時のエーレンフリートにはなかった。ただ、今まで戦以外であまり他国の者と関わってこなかった彼は、初めて城に客人を迎えるという事に、しかもそれが己が好敵手と認めた相手だという事に、胸躍るものを感じた。変則的で天才的な剣技を持つエーレンフリートにとって、ギルベルト以外まともに剣の稽古の相手が務まる者もいない現状で、この客人であれば、その相手になってもらえるだろう期待もある。恐らくギルベルトには小言を言われるだろうが。
こうしてシルヴィアの、ノイエンドルフへの短期派遣が決まった。牢での日々を余儀なくされていた彼女の慰労の為、そして派遣の準備もあるので、実際に彼女がノイエンドルフに来訪するのは一月後になる。
その頃になると、この国には雪が降り始める。その雪が落ち着くまでの三月ほどの間、緊急の事態でも起こらない限り、それが彼女の滞在期間として定められた。