『真夜中のお茶会』
(……やはり眠れんな)
夕食の後、真面目なギルベルトとシルヴィアは、結局戦術論について語り合い、そのまま0時を過ぎるまで盛り上がってしまったもので、アルヴァナの話どころではなくそれぞれ寝室に引っ込む事になってしまった。
すぐに横にはなったものの、現在この別荘にいるのがシルヴィアと自分の二人きりだと思うと何となく落ち着かないギルベルトは、読書をしながら眠気が来るのを待って1時間ほど経つ。
(仕方ない。少し頭を冷やすか)
部屋を出て廊下の冷気に当たる。窓の外を見ると、まだ雪は降っているが昼より小降りになっていて、どうやら明日には帰れそうだと安心する。自分の精神状態の問題もあるが、何よりシルヴィアが男と二人きりの家にいては不安だろうと、そちらの方が気になるからだ。
どうせ寝られないならコーヒーでも飲むかとキッチンへ向かうと、そこから明かりが漏れていた。不審者が侵入している可能性も考え警戒しつつ中を覗くと、そこにはシルヴィアがいて、ミルクを温めている様子だった。
「シルヴィア。やはり貴女も眠れなかったのか?」
「ギルバート様。起きていらっしゃったのですか」
「ああ。何となく目が冴えてしまってな。どうせ眠れないならコーヒーでも飲もうかと」
「普段からギルバート様ご自身で淹れられるのですか?」
「いつもではないが、妙な時間にふと飲みたくなった場合は。料理は作った事もないが」
「あ、ノイエンドルフは騎士の方でも遠征の経験はないのでしたね。訓練で国内の遠方へ赴いて野営をしたりは?」
「あるにはあるが、食事は私のような立場の者が作るものではないと言われるのでな。そういった際には部下が作っている。アルヴァナの騎士団にも貴族はいるようだが、その者達は作っているのか?」
「我が王の治世になってからは、そうですね。前王の頃には違ったかもしれませんが」
レイナルドの話を聞いた今となってはそうだったのだろうと分かる。国王派の人間はクリストフを団長とは呼ばず、名で呼んでいたようであるし、そのような者達が自分より下位の人間(だと思っている)者と一緒に調理をするとは思えない。しかし今は作っているという。現在の規律が厳しいアルヴァナ騎士団に在籍している人物なら、貴族であろうとそんな事で不平を鳴らすの者はいないのだろう。内心はさておくとして。
それはそうと……。
「……そんな話を聞くと、自分に調理経験がないのは傲慢な気がしてしまうな」
「私は傲慢とは思いません。国によって事情は異なるのですから。ましてやギルバート様は公子様でいらっしゃいますし、代々王の側近という特別なお立場の方です。そんな方が自ら食事を作ろうとなさっては、周りの方々も気を遣われるかもしれません」
「なるほど。そういうものか」
「可能性の話です。が、もしギルバート様が何か作ってみたいとお考えなら、今から私と一緒にクッキーを焼いてみますか?」
「クッキー?」
「昼にスープを温める為にキッチンに入った際、砂糖はもちろん、卵と小麦粉とバターもあるのを確認していたのです。なのでこれは使ってよいものなのか、お聞きしようと思っていました。もし良ければ帰りの小休止の際に軽くエネルギー補給をしようと、何か焼菓子を作るつもりだったのです」
「吹雪いて足止めをくらった場合に備えて、念の為に用意していた食材だ。無論使っていただいて構わない。しかし貴女は本当に菓子作りが好きなのだな」
「何かしていないと落ち着かない性分なのです」
時間があれば剣を振っていたというシルヴィアである。現在室内に閉じ込められているような状態で剣が振れないので、手持ち無沙汰になっているのだろう。どの道眠れないのであれば、これは自分にとっても良い気分転換になるかもしれない。ギルベルトはそう思った。
「この後眠られるのであれば明朝に。起きていらっしゃるなら今からでも。いかがでしょう?」
「そうだな……手間を取らせるが頼むとするか」
ギルベルトがそう応えると、シルヴィアは笑顔で「はい、かしこまりました」と返事をした。
そうして二人は寝られない時間を利用してクッキー作りを始めた。
シルヴィアが「とても作りやすいのでドロップクッキーにしましょう」と言い、耳慣れない単語に首を傾げながら、ギルベルトは彼女の指示通りに材料を用意し、下準備をした。とても作りやすいとは言うものの、この時点で細かい作業だと初心者のギルベルトは思う。そして思いの外時間がかかるものだった。
「室温が低いので、なかなかバターが柔らかくなりませんから」
との事だ。
ギルベルトの手際は、初めて作るにしては非常に良かった。何しろ真面目でキッチリとした性格なので、シルヴィアの指示を、何をさせられているか分からないながらも正確にこなしていき、途中で失敗をする事もなく無事生地をオーブンに入れるところまで到達したのだ。
バターと卵を室温に戻している間、生地を焼いている間、それぞれに待機時間があったので、ギルベルトはシルヴィアに今までどのようなケーキを焼いたのか、話を聞いた。クッキーひとつで大変だと感じたギルベルトにしてみれば、工程の想像がつかないようなケーキもあり、つくづく何故彼女は騎士になったのか、ケーキ屋でも務まったのではないかと考えてしまう。そして……
「でも一番得意なのは、母から教えてもらったラズベリーのパイなのです。長く作っていませんが……忘れないうちにまた作りたいと思っています」
「それは……。ああ。もし作る時がきたら私も是非いただきたいものだ」
忘れないうちにまた作りたい……つまり今はまだ作れないという事だ。元々は母親と共にケーキを焼いていたのだろうか。ラズベリーパイを焼くと、その時の母親の姿と共に殺された時の姿も思い出してしまうのかもしれない。しかしその場面を忘れる日が、そうでなくとも記憶が薄れる日は本当に来るのだろうか?そんな事を考えながらシルヴィアの方を見ると、苦笑しているシルヴィアが目に入った。
「我が王も私と話しながら、よく辛そうなお顔をなさるのですが、ギルバート様もよく難しいお顔をされます。きっと私は言葉選びが下手なのですね」
「そのような事はない!その、私の表情が気になるのであれば改める。貴女に気を遣わせるのは本望ではないのだ」
「……前にギルバート様をお優しいと評した時、貴方は困惑していらっしゃいましたが、やはりお優しいと思います」
改めてそう評され、ギルベルトは我知らず赤面してしまった。その様子を見たシルヴィアが微笑ましそうに笑う。己にも他人にも厳しく生きてきたギルベルトにとって、これほど穏やかな時間を過ごすのは初めてだった。
その後、二人は焼き上がったクッキーと飲み物を持って居間へ移動した。初めて自らが焼いたクッキーを、恐る恐るギルベルトは口に入れる。
「!」
「お口に合いませんか?甘過ぎたとか……」
クッキーをかじった後驚いた表情をしたギルベルトが、そのまま何の感想も言わないもので、不安そうにシルヴィアがそう訊ねた。
「……ああ、いや。失礼。貴女に教えていただきつつだとはいえ、これを自分が作ったのかと驚いてな。ちゃんとクッキーの味がする」
「そうお聞きして安心しました」
ギルベルトの表現にシルヴィアは笑いながら応じる。しかし彼はまだしげしげとクッキーを眺めながら不思議そうな表情を浮かべている。
「たったあれだけの材料で、しかも野菜や肉といった固形物ではなく、粉や卵を混ぜ合わせてこのように美味な物が出来上がるのだな。不思議なものだ」
「是非持って帰って、エーレンフリート陛下にも召し上がっていただきたいですね。ギルバート様が作られたと知った時、どのようなお顔をなさるのか拝見したいです」
「それは私も多少気になるが、勘弁してくれ。あの方の事だ。どうせ団の皆に話すに決まっている。“鬼のギルベルトが焼いたクッキーを食べた”と。それはさすがに気恥ずかしい」
「そうですか。残念です」
言いながらシルヴィアは笑った。
そうして二人は深夜の茶会を開き、そのまま徹夜をして語り明かした。
今度こそアルヴァナの話をと、住んでいる人や文化、ここ5年の間に起きた出来事などをシルヴィアは話してくれたのだが、それは他国の話を、大きな変化があった場合のみ知識として入れておく程度で詳しくは知らなかった(知ろうとも思わなかった)ギルベルトにとって、新鮮な驚きに満ちていた。ギルベルトは非常に優秀であるため、他国についての情報は他のノイエンドルフの人間より、歴史込みで頭に入ってはいるが、それは実感を伴ったものではない。『アルヴァナがランズウィックに攻め入り、その後領地として治めている』『騎士団長だったクリストフが暴君を倒し、自らが王となった』という事を知ってはいても、そこに至る経緯、背景に何があったかを知らなかったように。ランズウィックの惨劇から王位簒奪までの流れは、伝聞だけではただのクリストフの英雄譚でしかないが、そこにいた人々にとっては血生臭く、怒りと憎悪に満ちたものであったように。当たり前の話だが、他国にもそこに生きて生活を営んでいる人達がいるのだと、改めて知ったのだ。
この別荘での一夜は、ギルベルトにとって楽しい思い出であり、様々な物事に対しての考え方を改める大きな転機となるのであった。




