『怨恨』
マントを翻しながら端正な容貌の騎士が廊下を歩いていく。通りかかった者達が足を止め頭を下げると、その騎士は必ず片手を上げ、挨拶を返した。
現在アルヴァナ国騎士団の副団長という肩書を頂くこの騎士はグレンだ。彼はクリストフ王に呼ばれ、彼王の私室を訪れるところだった。
「陛下、グレンです」
『ああ。入ってくれ』
その返事を受けて、見張りの騎士達にしばらく下がるよう指示を出してから、グレンは部屋の中へと入った。政務室ではなく私室に呼ぶ以上、あまり人に聞かれたくはない話なのだろうと察した為だ。
「忙しいところを呼び出してすまないな」
「いえ。本日は通常訓練のみなので、後はレジェに任せてきました。それで、いかがなさいましたか?」
「うん。まあまずは掛けてくれ」
グレンが「失礼します」とソファーに腰を掛けると、ほどなくメイドがコーヒーを持ってきた。
現在グレンはシルヴィアに代わり団長の職務を行っているため、諸々の報告や確認事項があり、それらを済ませてから、ひと気のなくなった部屋で話し始めた。
「実は例の男の件なのだが、奴の仕業だろうと思われる国難があった国を調べたところ、やはり我が国とランズウィック、マドラルとノイエンドルフのみで、他にそれらしき国はなかったんだ。単独犯でなく、組織的なものだと踏んでいたものの、ならば何故この4カ国だけなのかと、ずっと考えていた」
「マドラルに関しては同盟国、ランズウィックは商取引のあった友好国家で我が国と繋がりがあったと言えばそうですが、同盟国も含め、友好的な交流がある国であれば他にも存在しますからね。ノイエンドルフに至っては国交すら結んでいませんでしたし。陛下は見当がついておられるのですか?」
「見当がついているとは言い難い。が、一つの考えには至った。首魁となっている者の動機は怨恨ではないかと」
「怨恨?」
「それも、恐らくはアルヴァナの人間の」
険しい表情で声を低くしてクリストフが言った、その内容にグレンは驚き、そして自らも声を落として続きを促した。
「そうお考えになった根拠をお聞かせ願えますか?」
「無論。まず先の話でランズウィックを国難があった国として数えたが、他の三つの国が自国を混乱させるものであったのに対し、ランズウィックだけは他国によるものであったゆえ、これは実はアルヴァナに仕掛けられたものだったのではないかと思ったんだ」
「我が国に……?そうか。前王ですね」
「その通りだ」
形だけの騎士団しか持たないランズウィックが侵略されなかったのは、資源の豊富さと、その中でも彼の国の技術によってしか資源化できないものが非常に貴重であった為、独占を防ぐ目的で手を出さないのが暗黙の了解であったからだ。下手に手を出せば、その国が他国から一斉に攻められかねない。アルヴァナが現在ランズウィックを統治下に置いていながら攻められていないのは、
『我が国が攻め入った事でランズウィックは現在統治者が存在せず、国も荒れた状態だ。ゆえに国の復興を我々の責任として執り行わせていただきたい。無論復興が進み、統治者が決まり次第、アルヴァナの人間は全てランズウィックから出て行く。以降の取引についても、ランズウィックの人々の意思にお任せする』
『もし復興について我が国のみに任せてはおけない、信用できないというのであれば、ランズウィックと取引があった国については監視の者を派遣していただいて構わない。その際は失礼ながら、これ以上の争いの種を撒かないようにする為、血気盛んな者は避けていただきたい。ランズウィックの資源は貴重な物であり、このまま手に入らなくなっては困る国も多いはず。であればこそ、国を荒らす行動は断固として慎むべきだと考える』
『アルヴァナ騎士団が駐在している間も、ランズウィックと他国との取引について我が国は一切の口出しはしない』
そうクリストフが明言したからだ。
クリストフは国交のある国全てに知られた最強の騎士であり、彼の率いる騎士団は世界一高潔な騎士団であると言われていた。同時に元国王は暴君として有名であった事から、彼がランズウィックの件で激怒した結果、叛乱したのだろうと誰にでも簡単に想像ができた。つまりあの件は彼の与り知らぬ事だったのだろうと。そのクリストフが明言したのであれば、ひとまず信用はできるのではないかと静観されているのが現状だ。もしアルヴァナが前言に反する行動をとれば、直ちにこの国は戦場になるだろう。
クリストフがこれほど諸外国への対応に気を遣ったように、あの愚かな前王とて、ランズウィックに下手に手を出せば世界中を敵に回すと分かっていたはずなのだ。そうでなければクリストフが団長になって以降の、アルヴァナ史上最強と謳われた騎士団を抱えていながら、あの時まで侵略行為を行なっていなかったはずもない。それが何故突然と考えた時、例の男が何らかの形で関わっていたと考えれば納得もできた。
「ランズウィックの時の侵略行為、過日内乱があったばかりのノイエンドルフに、今なら陥せるとばかりに布告もなく攻め入ったマドラルに協力した件といい……まあ自業自得でしかないが我が国にとっては不名誉な話でしかない。裏の事情がどうあれ、事実だけを見ればアルヴァナはたった5年ほどの間に二度、突然の侵略行為を行った国という事になるからな」
「つまりその首魁がアルヴァナの名誉を汚し、他国に不信感を抱かせて、やがては孤立させるか連帯した諸国から攻められるか、いずれにせよ我が国を滅ぼす方向に持っていこうとしている、という事ですね」
「我ながら飛躍しすぎた考えだとも思うのだが。何と言い訳しても、私が自らの打算からノイエンドルフに騎士団を派遣した事実は変わらないのだから」
「同盟関係である以上、それはやむを得なかったと思います。盟約を“気に入らないから”という理由で反故にも出来ませんから。それに陛下のお考えを飛躍しすぎだとは、自分は思いません。考えてみれば、事の始まりは我が国の騎士団員による民の虐殺未遂ですよね。その後間もなくマドラルの王が突然亡くなり、第一王位継承権を持っていたロワイエ様が王暗殺容疑で投獄されて自害されたと言われ、王子であった頃から悪評の絶えなかった前王が王位に就いた。大変失礼な言い様ながら愚王となるのは自明の理でしたから、同盟国である我が国が不利益を被るとの算段だったというのは、十分にあり得る話です」
「……結論ありきで推論を立てるのは、結果事実から遠のく危険性もあるが、奴に関する情報がないに等しい以上、少しでも可能性があると思われる方向で予想を立てるしかない。もし我が国を恨んでいる者であるなら…………」
そこでクリストフは言葉を切った。何を言おうとしていたのかは、その苦悩の表情を見れば分かる。
アルヴァナを滅ぼしたい。その為に国を孤立させようとしても、現在の王であるクリストフは自国の民のみならず、他国からも賢王として評価が高い。元高名な騎士で身を守る術があり、疑い深い一面もあるので、良からぬ事を唆そうとしてもそれに乗って愚策を取る事もない。敵からすれば非常に厄介な王であろう。が、そんな王にも弱点がある。容易く我を失わせる手段が。
“奴”がクリストフの推測通りアルヴァナに恨みを持つ者で、前王を唆す事が出来るほどこの国に近い、またはこの国の人間なのだとしたら、その弱点も知っているはずだ。
つまり現在最も危険なのはシルヴィアという事になる。
「……陛下。差し出がましいのは承知していますが、あえて申し上げます。命令してでも団長を連れ戻すべきです。そして求婚なさってください。団長のご両親への誓いを守る、それが一番の方法です」
『私は私の一生をかけてお嬢様を守り通す事を誓います』
騎士としてのクリストフの、最後の誓い。それは恐らく王にとって何にも替え難い最も大事なもののはずだ。そう。『シルヴィアの願いは、死以外全て叶えたい』という思いより。
「世継ぎの件は、陛下が任せられると思った者に継がせるなりするとでも仰ればいいでしょう。養子を迎えるという手段もあります。そう言って説得なさってください」
「………………」
「自分は団長に、幸せになっていただきたいのです。無論陛下にも。貴方が何故踏み切れないのか、理由はある程度承知していますが、もうよろしいのではありませんか?過去は変えられませんし、それ故に未来をも縛るというのでは、誰も幸せにはなれません」
クリストフは何も答えなかった。そうして無言のまま立ち上がり、しばしの逡巡の後「来てくれ」と、外に出る事を促した。
「これは……」
グレンが案内されたのは城の庭園の一角だった。
元々前王は花などに興味はなく、城の敷地面積を大きく取る為にあるだけのもの程度にしか思っていなかった。故に整えられてはいるものの、正に「そこにあるだけ」であったのだ。しかしクリストフが王になり、シルヴィアが花好きであった事から、彼女の為に花の種類を増やし、随分華やかになっていた。
そんな場所に、シルヴィアがノイエンドルフへ行く前には無かった望楼のような物が作られており、その周囲に新しく花が植えられている。
「団長の為の場所ですか?」
「私は無粋者ゆえ、シルヴィが喜ぶ美しい庭園がどういうものか想像がつかない。いや、ただ花が咲いているだけでも喜びはするだろう。だがそうではなく、この城の中にあの子が安らげる場所を作りたいんだ。無論、庭園を見栄え良くする事で、他国に対してアルヴァナが軍事国家から脱しようとしているという宣伝効果的な意味もある。だから庭師や行商人から色々話を聞いてね。まずは花を見ながら寛げる望楼を造る事にした」
「あの花は?冬に咲く花は珍しいですね」
「実は前から冬に咲く花を作れないものかと、そういった分野に詳しい人物を探していて、それを知った行商人に紹介してもらってね。寒さに強い品種をその人物に作っていただいた。ここは比較的温暖ゆえに手入れも難しくはないらしく、暑い時期以外は花をつけている強い花という事で、いくつかの注意点に気を付ければ庭師でなくとも世話は可能と聞いて、私が植えて育てた」
「陛下がご自身で?」
「ああ。花など育てたのは初めてだから、本当に咲くのかと気が気ではなかった。が、どうしてもあの花だけは私が育てたかったんだ。……シルヴィが帰ってくる頃に満開になるよう、丁度いい具合に育ったものを植えた」
その時、風が吹いてクリストフの長い銀髪がなびいた。シルヴィアが幸せになるまでは切らないと、伸ばし続けている髪。
グレンは悟った。求婚しろとのグレンの言葉の返事がわりにここへ連れてきた理由。シルヴィアの為の場所を作り、そこへクリストフ自らが育てた新品種の花を植えた理由。恐らくシルヴィアが帰ってくる頃に満開になるよう時期を合わせて育っている花を植えたのだろう、その理由も全て。
この場所そのものがクリストフからシルヴィアへのプロポーズなのだ。
「……お忘れかもしれませんので、改めて言わせていただきます。髪が短いと何かと楽ですよ」
グレンは多くを語らず、ただそう言った。
「そうだな。私はものぐさだから洗うのも乾かすのも煩わしく思っていたんだ。早く切りたいと思う」
クリストフはグレンが察した事を理解して、そんな言葉で彼の推測を肯定した。
シルヴィアをすぐに連れ戻すかどうかの明言を、クリストフは避けた。迷っているからではない。事はそう単純ではないからだ。当然グレンもそれは分かっている。
ここ100年ほど、どの国とも公に国交を結ばなかったノイエンドルフが、アルヴァナとは不可侵条約を結んだ。あの頑ななノイエンドルフが信用した国という事で、諸外国のアルヴァナを見る目にも多少なりとも影響を与えたことだろう。
が、親善大使であるシルヴィアを途中で連れ戻しては、やはりあの国と国交を結ぶのは不可能だったのだという印象を抱かれてしまう恐れがある。それは内乱を経て国を少しでも良い方向に変えようとしているエーレンフリートには大きな痛手だろう。向こうからの誘いとはいえ、シルヴィアが望んだ事でもあるのに、それではあまりにも義理を欠く。
連れ戻すとしても『機』というものがある。まだひと月も経っていない現状、その機とは言い難い。せめてもう少しでも、男の情報を掴まなくては。
(レイモン。頼んだぞ)
恐らくは同じ思いを抱え、クリストフとグレンはノイエンドルフの方角へと顔を向けた。




