『別荘にて』
翌日、出かける準備をしているとシルヴィアの部屋を誰かがノックした。ビアンカかと思いドアを開けたところ、そこにいたのはギルベルトだった。
「え?ビアンカが発熱?」
「ああ。それでも君との約束だからと無理をおして出ようとしたらしいが、かなりの高熱だとかで他のメイド達に止められたようだ。ビアンカと同室の者がそう伝えに来た」
「少し様子を見に行っても大丈夫でしょうか?」
「長居しなければ大丈夫だろう。私も行く」
こうして二人はビアンカの部屋を訪れた。
ひと目見ただけで熱が高いと分かる赤い顔に荒い息。シルヴィアがベッドのそばに行こうと動くと、ビアンカの看病に付いているメイドが慌てて止めた。
「シルヴィア様。ご心配はありがたいのですが、感染する病だといけませんので」
「そう……です。シルヴィア様……。私のせいでシルヴィア様がご病気になられたら……私は自分を責めます」
そう言って無理をして微笑むビアンカを見て、シルヴィアが心配そうな表情を浮かべる。今にも自分が看病すると言い出しかねない雰囲気だ。それを察したビアンカがギルベルトの方へと視線を移すと、彼は無言で頷いた。
「シルヴィア殿。我々がいてはビアンカも気を遣ってゆっくり休めないだろう。心配する気持ちは分かるが、ここは彼女に任せて、また病状が落ち着いてから見舞いに来た方がいい」
ことさら「ビアンカが気を遣う」という事を強調しつつギルベルトは言った。こう言えばシルヴィアも引かざるを得ないと分かっての事だ。そしてその意図を察しつつも、自分がここにいてはビアンカが気を遣って休めないのも事実だろうと、シルヴィアは頷いた。
「分かりました。ビアンカ。私の滞在期間はまだまだ残されている。次の機会には必ず一緒に出かけよう」
「はい。次は絶対に……当日になって病気になるなんて……ないようにします」
「では我々は失礼する。ビアンカ、シルヴィア殿の為にもしっかり治すように。早く良くなってくれ」
「ギルベルト様……はい、ありがとうございます!」
熱など吹き飛ばしそうな勢いで、嬉しそうにビアンカは返事をした。
長居しては眠れないだろうと、すぐにビアンカの部屋を辞したところ、ギルベルトがシルヴィアにこう言った。
「シルヴィア。せっかく今日は雪も降っていない事だし、もし良ければ二人で出掛けないか?その……遠乗りをすると言っていたので、実は私が休暇に使っている別荘に行こうと思い、掃除や食事等準備を管理人に頼んでおいた。それを無駄にしてしまうのも気がひけるのでな」
「そのような用意をしてくださっていたのですね。ありがとうございます。うかつにも雪の降る季節という事が頭から抜け落ちていまして、景色の良い場所まで走ってお弁当でも食べようかと計画していたのです。なので後になって雪が降ったらどうすればいいのかと、実は悩んでいました」
「この国に来てさほど経ってはいないのだから仕方あるまい。それはそうと弁当とは?」
「ノイエンドルフにはない文化だそうですね。ビアンカからそう聞いて私が今朝用意しました」
そう言ってシルヴィアは、持っていたバスケットに掛けられていた布を軽く持ち上げた。そこにはサンドイッチやキッシュやフルーツ等、美しく詰められた食べ物が入っていた。
「これは……そういえば聞いた事はあるな。栄養摂取が主目的ではない携帯食だとか」
「なるほど。お弁当はそういう言い回しになるのですね」
シルヴィアが軽く笑い、つられるようにギルベルトの表情も和らぐ。ここにエーレンフリートがいればからかわれただろうが、ありがたい事に今ここにはシルヴィアと自分しかいない。安らいだ気持ちのままギルベルトは「では行こうか」と、シルヴィアの持つバスケットを取り上げ歩き出した。
幸いこの日は天気が良く、道中でシルヴィアの作った弁当を食べてから別荘へ向かった。
キッシュという食べ物を初めて食べたギルベルトは、焼き菓子の時と同様その美味しさに驚き、改めてアルヴァナの料理に対するこだわりと、シルヴィアの料理の腕に感心した。
ノイエンドルフが他国との交流を極力避けているために、国民がこの国の食材で作った、この国の料理しか知らずに死んでいくのかと、エーレンフリートが憂慮した気持ちが分かる。恐らく食べ物の事だけではないのだ。個人での他国との交流は特に禁じてはいないが、だからといって生まれてこの方自国から出た事もないのに、知り合いもいない、ほぼ完全に未知と言える場所に行きたいと思う者などなかなかいない。興味はあったとしても、行動に移すのは難しい。難しいと考えてしまう事そのものを憂慮したのだろう。
が、そうなると昨年の反乱を起こした者達の主張が正しかった事にはならないか?ならば何故内乱に発展したのか。前王が頑なに他国との交流を拒否したせいだとでもいうのか。
(いや。奴らの要求は外交の問題だけではなかった。王族に連なるもの、貴族達にもっと特権を与えろとも言っていた。そんなものを認められるはずもない)
「ギルバート様?何か気になる事でも?」
思案に沈んでいたところ、シルヴィアが心配そうに声をかけてきた。
「ああ、いや、失礼した。大した事ではない。それより予想以上に吹雪いてきたな。今日の天気なら夜までは保つと思っていたのだが」
途中で弁当を食べ、昼頃には別荘に着いた。予定ではここで夕方まで過ごし、早めの夕食をとってから帰るつもりだったのだが、別荘に着いて2時間ほど経った頃から急激に天気が崩れて現在に至っている。
「例年この時期はまだこのような降り方はしないので大丈夫だろうと高を括っていた。すまない」
「そもそも私がこの国の気候をよく理解せずに、ビアンカを遠乗りに誘ったのですから。むしろギルバート様が別荘の用意をしてくださっていて助かりました。もしビアンカを伴っていて途中で吹雪いていたらと思うとゾッとします」
「そう言っていただけると救われる。なにしろエーレンフリート様には、女性同士の交流によく混ざれるなと窘められたからな」
「それも私が自分の立場も弁えず、護衛もつけずに行動しようとした事が原因です。ギルバート様がお気になさる事ではありません」
「そうか。では、こういう場合何と言うのだったか……そう、『おあいこ』だな」
ギルベルトの口からそのような言葉が出てきた事にシルヴィアは驚いた。しかも彼は明らかに少々照れ臭そうに言っているもので、思わず笑いが漏れた。
「ええ、そうですね。おあいこです」
微笑みながらそう返され、ギルベルトは益々気恥ずかしい思いをしたが、シルヴィアの笑顔につられて自らも笑みを浮かべた。
しかしすぐに現状を思い出し、ある提案をしなければならない事に思い至ると、表情を改めざるをえなかった。
「ところでシルヴィア。非常に言いにくい事ではあるが、このように吹雪いている以上、無理に動くのは危険だ。そこで今日はこちらに宿泊しようと思うのだが、その……大丈夫だろうか?」
「え?はい。お気遣いありがとうございます。私は大丈夫です」
「無論寝室は分けて用意する。しかしそれだけでは……貴女に安心して休んでいただく為にはどうすればいいか。そうだ。寝室に入った後、貴女に私の手足をベッドに繋いでもらうというのはどうだろうか?」
大真面目な顔でギルベルトは提案した。
シルヴィアはしばし困惑した顔でギルベルトの顔を見つめ、それから再び、今度はハッキリと声を立てて笑う。
「そのような提案をする方を疑いはしません。部屋を分けていただくだけで十分です」
「そうか。ならいいが」
シルヴィアが自分の前でこのような気安い笑い顔を見せてくれている。普段より少し幼くも見える、可愛い笑顔だ。それを嬉しく思うが、あまり可愛い様を見せられても困る。まだ輪郭を成していない感情がはっきりとした形になってしまうから。
(このような事を思っている時点で、私はすでにシルヴィアに好意を抱いているのだろうな。が、どうにもならぬ相手だ。この辺で止めなくては)
エーレンフリートも言っていた。これが十年であろうが、彼女の中からクリストフ王を追い出す事は不可能だろう。ましてやたった3ヶ月では、真に信用を得る事すら難しい。そして自分も、王を支える一族の者として家系を絶やすわけにはいかない立場で、彼女を望む事は出来ない。つまり縁がなかったのだ。
「また何か考えていらっしゃるのですか?私の事でしたら本当にお気になさらないでください」
(正に貴女の事なのだが)
心の中ではそう思いつつ、口に出して言えるはずもなく、別の事を口にした。
「いや。ここに泊まるとなると、エーレンフリート様の事が気になってな」
「ふふっ。エーレンフリート陛下はああ仰っていましたが、やはりギルバート様の頭の中はいつも陛下の事でいっぱいなのですね」
「エーレンフリート様が何か?」
「はい。前に私がギルバート様も陛下の事ばかり考えているのでは?と言ったところ、女性の事も考えていると」
この言葉にギルベルトは口をつけていた紅茶を噴き出しそうになった。エーレンフリートは明らかにギルベルトのシルヴィアへの好意を知っていて、面白がっているとしか思えない。ここにいない主君に対し、心の中で恨みの言葉を吐きつつ、目の前のシルヴィアに対しては
「陛下はそういう事をふざけて仰る方なのだ。本気になさらぬよう」
そう言ってごまかす事しか出来なかった。




