『王殺しの王』
皆が身動き一つとれずに見守る中、アルヴァナ国王の、再び鞘に収められていた剣に手が伸びる。
「名乗りを上げたばかりで恐縮だが、お別れだ」
「アルヴァナ国王!待っ‥‥‥‥」
「永遠におやすみ。愚かな国王陛下」
ギルベルトの制止も聞かず、アルヴァナ国王の剣が目にも留らぬ速さで閃き、一瞬でマドラル国王の首を刎ねた。
この場だけ時が止まったようだった。自分達の国王が他国の国王に斬殺されたという異常事態にありながら、マドラルの騎士たちは剣を抜く事も出来ず、アルヴァナ国王のあまりの強さと存在感に、呆けたように立ち尽くしている。その中でただ一人、ギルベルトだけが眉をひそめてアルヴァナ国王の前に進み出た。
「何も殺さずとも良かったのではありませんか?これではこの国は……」
「おや?心外だね。私が考えなしに、単に私憤を晴らす為だけに、この国の国王を殺したと思うのかい?」
「は?」
先刻までとはまるで別人のようにニコッと微笑んで、アルヴァナ国王はギルベルトの横を通り過ぎた。それと同時に、聞き覚えのある声が広場に響く。
「陛下!仰せに従い、ロワイエ殿下を救出して参りました!」
「ああ、ありがとうシルヴィ。牢から出されたばかりですまなかったね」
「いえ。大した労力も必要ありませんでしたから」
不敵に笑う。返り血を白い肌に浴びたその顔は、間違いなくあの女騎士のものだった。
「アルヴァナのシルヴィア殿……だったか。無事だったのだな?」
「貴方は確かノイエンドルフの騎士殿。何故このような所に?」
「君を心配して来てくれたんじゃないかな?ね、ギルベルト卿」
「ギルバート卿?では貴殿が誉れ高い双剣使いの……」
「いや、それは結構だが、これは一体どういう事ですか?ロワイエ殿下は確か国王暗殺容疑で投獄され、後に自害されたと」
「公式にはね。実際はそこの国王が先の国王を毒殺して、その罪を兄であるロワイエ殿に被せたそうだよ。酒宴の席で私に自慢げにそう話していたからね。何故命を取らずに牢獄に十五年も閉じ込められておいでだったのかは、私も聞いていないから知らないけれどね」
皮肉な顔で笑いながら肩をすくめる。そんな仕草ですら美しい。
その後ロワイエに話を聞くと、十五年前、食事中に突然苦しみ出した父王に兄弟そろって駆け寄った際、父王が「ロワイエが…」と絶命寸前に口にしたのを聞き、それが元で嫌疑をかけられたという。ロワイエは食事を作った者、運んだ者にも話を聞くよう言ったのだが、その者たちが口をそろえて「ロワイエ様に、毒の入った食事を王に出すよう脅された。毒を持ってきたのもロワイエ様だ」と言ったもので、わけが分からない内に投獄されてしまったのだそうだ。
「先代の王は恐らく、単に当時王太子だったロワイエ殿に王権を譲る、と言いたかったんだろうね。あの方は真に国を思う良い王だったと聞いているから、自分が死ぬ事で混乱を招いてはいけないと、自分の口で伝えたかったのだと思うよ。それを利用されたと」
「しかし厨房の者達やメイド達の証言に関しては?」
「弟が、牢に入れられた私に言いに来た話では、暗示をかける妙な術を使う男がおり、その者の力によって誰もが私の仕業と信じて疑わない。故に私は一生、牢から出される事はないだろうと。あえて私を生かしておくのも、その者の指示だと言っておった」
「暗示の‥‥‥‥術?」
「陛下?ご存知なのですか?」
「確証はないが……しかしあの男が生きていたのだとしたら問題だな」
「どのような者なのですか?」
「私が団長になる前の話だ。商人風の身なりの男が城に入ってくるなり、何か妙な、笛のような音を聞いたんだ。その後、男は我々騎士団に近付き『民を虐殺せよ』と言ってきた。私は何をバカな事をと思ったけれど、団員の半数ほどが民を殺せと呟きながら城を出ようとしてね。団長は我々を指揮して、おかしくなった団員を止め、副団長は男を追って殺してきた……はずなんだけれどね。相手が催眠暗示か呪術か何か知らないが、そういったものを使う人間なのだから、副団長に殺したと思い込ませる事も可能だったわけだ。うかつだったな。そこに気付かなかったとは」
「つまりアルヴァナから逃げおおせてすぐマドラルに入り、今度はマドラルを混乱に陥れたという事ですか。暗示にかかる者とかからない者の違いは何なのでしょうか?」
「それは私も分からない。けどね、何故か私はかからない自信があるよ」
ああ、そういう感じがすると、これまた何故かこの場にいる者全てが思った。それは意志の強さから来るものか。どんな悪意も策略も、その身に届く前に跳ね飛ばしてしまいそうな雰囲気を持っている。
(そういう意味ではエーレンフリート様と似ているな。まあ、我が主は王としての資質は充分でも、アルヴァナ国王のような優雅さはないが)
立ち居振る舞いは堂々としていて、由緒正しい王族直系の血筋という事もあり、そこはかとなく漂う品もあるのだが、優雅と言うよりは動作が絵になるタイプとでも言えばいいのか。何はともあれ、残念ながら『風格』という点において、若い主はアルヴァナの国王にはまだ届かなそうだ。
その、美しく優雅で王者の風格漂う『元騎士』の国王は、配下の騎士団長を見やり、柔らかいバリトンの声で問うた。
「シルヴィ。城の中に、それらしき怪しい男は見かけなかったかい?」
「はい。私が見た限りでは」
「そうか。どの道まだ生きている可能性は非常に高いというわけだね。ロワイエ殿。王を殺した私が言えた事ではないが、城内が落ち着くまでしばらくかかるだろうし、充分に警戒された方がいいでしょう。取り急ぎ貴方が投獄されていた事も含め、今回の件に関しての事情は私の名で貴国の国民に布告します。この場で口にするのは憚られますが、この王は民の支持を受けてはおられなかったゆえ、混乱は多少あったとしても、ひとまず反発はないはず。貴方が無事王位に就く為に我が国も協力を惜しまないので、何かあれば遠慮なく言ってきてください。それと国内が落ち着くまでに近隣から攻め入ろうとする国がないか、こちらでも警戒しておきます」
「牢から救い出して頂いた上に、貴国を裏切った我が国に協力して下さるというのか」
「裏切りは王の独断でしょう。騎士は王に従ったまで。そして事情はどうあれ、私にはこの国の王と騎士を殺した責任がありますから。こうしてシルヴィは無事に私の元に戻ったのだし、それで充分ですよ」
アルヴァナの国王はそう言ってシルヴィアの頭に手を置いた。シルヴィアは恥ずかしそうに赤くなり俯いている。こうして見ていると、エーレンフリートと互角に渡り合った騎士とは、とても思えなかった。