『クリストフさんのような騎士に』
一体何が起きたのか。誰もが我が目を疑った。剣を握っていたはずの腕が落ちた騎士は、振り下ろした腕の先がない事に気付いて絶叫している。そうしてその騎士がしゃがみ込んだ事で後ろに立っていた人物の姿が見えた。
クリストフが男性を殺そうとしていた騎士の腕を斬ったのだ。
「俺のいた場所から見たら、その騎士が女性の恋人を斬ろうと腕を上げた瞬間に、突然その腕が落ちたように思えたから、本当に何が起きたか分からなかったんだ。その隊の隊長がクリストフさんに抗議の声を上げて初めて、ずっと鞘に収めて腰に提げられていた剣が、いつの間にかクリストフさんの手に握られているって気付いた。衝撃的だったな。訓練の時とは動きが全く違ったから」
「俺も最初に本気のあいつを見た時は、こいつは本当に同じ人間なのかと驚いたからな。攻撃に入るモーションが全く分からねえし、剣を握ってから斬るまでの速度が速すぎて見えねえ。生まれてから今までで、俺が唯一恐怖をおぼえた瞬間だった」
やはり入団当初から頭一つ抜けた実力を持っていたレイナルドですらそうだったのだから、並の騎士では歯が立たない。それでも一度に多人数でかかれば勝てると思ったらしい隊長が命令した。
「女は後でいい!今は命令違反としてクリストフを処刑するぞ!」
隊長は女性を離して剣を抜き、皆でクリストフを取り囲んだ。
クリストフは間違っていないのに、このままでは殺されてしまうと、グレンが助けを求めるように団長を見上げると、言葉を発する前にクリストフの声が飛んだ。
「お二人とも急いで離れてください!皆さんも!」
襲われていた二人と、周囲で見ていた野次馬達に鋭い声でそう言うと、皆が指示通り急いで距離をとった。女性だけは恋人を助けてくれたクリストフの身を案じて「でも……!」と、なかなかその場を動かなかったが、断腸の思いで男性が女性の手を引っ張って走った。それを目の端で確認したクリストフは安心したように頷き、それから…………
「あなた方が揃いも揃って愚かで良かった。お陰で迷いなく斬れる」
そう呟いたと思うと、自らが斬りかかられる前に問答無用で十数人いた同隊の者達を瞬殺した。全て一撃である。
正に瞬殺だった。グレンが団長に、彼に加勢しましょうと言う間すらなかった程に。斬った直後に彼は心底侮蔑を込めた声色でこう言った。
「取り囲んだところで、一斉に斬りかかれなくては意味がない。が、このように狭い範囲では、誤って仲間を斬ってしまいかねない。動きが鈍くなる道理だろう。バカめ」
周囲から歓声と拍手が巻き起こる。
助けられた男女が泣きながら礼を言うと、クリストフは逆に頭を下げた。
「行動するのが遅く、女性には公衆の面前で怖く恥ずかしい思いをさせ、男性には怪我をさせてしまいました。申し訳ありません」
その光景を、グレンは信じられないものを見る目で見ていた。と、謝罪を終えたクリストフがグレン達のいる方へ視線を向け、軽く驚いた表情を見せた後にこちらへ来て頭を下げる。
「団長。勝手をして申し訳ありませんでした」
「いや。本来であれば私がやらなければならない事だった。礼を言う」
「事情は分かりますのでお気になさらないよう願います。それよりこの場にいたと知れると、団長が騒動の責任を問われるやもしれません。ですから通りかかったのは全て終わった後という事にしてください」
この発言で、クリストフが決して衝動的にではなく、自分が罰せられるのを承知の上で行動したのだと知った。
そんなバカな話があるかと、クリストフは何も間違っていないのにおかしいじゃないかと、我慢できずにグレンは団長に詰め寄った。
「団長。何故クリストフさんが罰されなければならないのですか?おかしいでしょう?大体もっと早く団長が止めるべきだったのではありませんか?」
その抗議に、クリストフは優しい微笑みをグレンに向けた。
「心配してくれてありがとう。でも団長は君達の身を案じて動くに動けなかっただけなんだ。そもそも彼らは王の命令で女性を連れ去ろうとしたのだろうし、となるとそれを邪魔しては命令違反になるのはこの隊だ。それと恐らくは俺が動くと信じてくださっていたから」
クリストフが団長に、全てが終わった後で通りかかった事にしろと言った理由が分かった。考えてみれば確かにそうだ。この場にいたというだけで連帯責任を問われかねない。王はそういった人物だ。ましてや団長が動いてしまえば、明らかにグレン達も責任を問われ、十年単位の投獄で済めばマシで、下手をすると一同処刑などと言い出しかねない。それを案じたのだ。が、クリストフの行動に対して責任を取るのであれば、自分の身ひとつで済む。それでクリストフも謹慎程度で済ませる事も出来ると考えたのだ。団長はそういう人だった。
そしてクリストフはそんな団長を巻き込んでしまった事を申し訳なく思ったのだが、それで終わらせる気はなかった。
案の定、女性を連れ帰ってこなかった事で不機嫌な王が、騎士達が殺された事に関しては全く意に介していないにもかかわらず、余の大事な臣下を殺した罪が云々と言い出した。が、団長が「責任は私が」と言うのを制止して、クリストフが言ったのだ。
「陛下ほどのお方であれば、女性の方からいくらでも寄って来られるでしょう。であるにもかかわらず市井の女性を見つくろい、無理やりに連れて行こうなどと、民から見れば“王はそれほどに女性に不自由されていらっしゃるのか”と思われる可能性があります。陛下に対し奉り不敬極まりない噂を立てられかねない、そのような行動を見逃すわけにはまいりませんでした」
そのように言われてしまっては、クリストフを罰せようものなら“王は女に不自由して市井の女にちょっかいを出した挙句嫌がられた”という、事実でしかないが不名誉な噂が広がってしまう。人の口に戸は立てられない。噂をした者を片っ端から処刑していては民がいなくなってしまう。その程度の事はこの王でも理解できた。故にクリストフがこのような詭弁を弄したという事も。
結局クリストフの仲間殺しの罪は、王の名誉を守った事で不問に付され、当然団長の責任も問われずに済んだ。そればかりでなく、そういった前例ができた為に、以降は王の名の下による女性の連れ去りは激減した。それら一連の行動の鮮やかさに、グレンは心底尊敬の念を抱いた。
「この人がいれば、もう家族が危険にさらされる事はなく、殺されたお姉ちゃんのような目に遭う人もいなくなる。そう思ったし、何よりクリストフさんという目標が出来て、初めて騎士になって良かったと心から思えるようになった。いつか『クリストフさんのような騎士になる』と」
「……クリストフのような騎士に?」
「そう。だから全て同じではないにせよ、俺にはシルヴィアさんの気持ちが分かる気がするんだ。自分が無力で大切な人が殺されるのを見ているしか出来なかった悔しさと後悔。自分では変えられない現実に絶望した時、救世主のように現れたクリストフさんへの尊敬と憧れ。……自分があのようになれたなら、助けられなかった大切な人への償いになるのではないか、その魂も救われるのではないかという、それが錯覚でしかないと分かっていても、そうであればと願う気持ちが今の騎士としての自分を形作っている。恐らくシルヴィアさんも似た思いで騎士を目指しているんじゃないかと思うと、彼女を応援……違うな、多分過去の自分に重ねて見てしまうんだよ。とても同列には語れない経験をさせてしまった相手なのに」
淡々と語っているが、恐らく色んな思いが渦巻いているに違いない。殺されたという近所の女性はもしかするとグレンの初恋の人だったのかもしれないとも、その人がシルヴィアに似ていたのかも……とも思ったが、それを知る事に何の意味もない。
レイナルドは黙ってグレンの持つグラスにコニャックを注いだ。と、
「ありゃ。空になっちまったな」
「そんなに飲んでいたのか。どうりで必要以上にお喋りになってしまうわけだ。で?順を追って聞くと言っていたが、次は何を聞きたいんだ?」
「いや、もういい」
グレンの「全てをかけて」という言葉の意味も、常は紳士な彼が怪我をした女性の胸ぐらを掴むという行動に出た理由も、シルヴィアを抱き寄せ泣かせてやろうとした理由も、今の話に全て含まれていた。彼がクリストフやレイナルドと同じほどに、シルヴィアを思いやっているという事も分かった。そうと知っていて、クリストフはグレンを副団長にしたのか。そうなのだろうと思う。つくづくクリストフもグレンも水くさいと言うか、あまり思いを口にしない奴らだと思う。
苦笑しながら、最後にもう一つ聞いた。
「ところでグレン。シルヴィアに対する気持ちは、本当に過去の自分と重ね合わせているだけなのか?」
「さあな。違うんじゃないかな」
グレンは薄く笑った。
このような表情も珍しいと思いつつ、レイナルドは「なんだ、そりゃ」と笑い返した。




