『天性の才能』
「シルヴィア嬢ちゃん、訓練について……いや、クリストフの事でか。何か懸案事項でもあるのか?」
自室にシルヴィアを連れて行き、レイモンはそう切り出した。
「懸案事項と申しますか……」
「何だ?」
「陛下……お辛そうなので。私を大切にしてくださっているのに、厳しい指導に当たるのはやはりご負担なのだと思います。私が騎士になりたいなどとワガママを言ってしまったために」
「それはあいつが自分で決めた事だから気に病む事はない。まあ、それは置くとしてだ。この際だから正直なところを聞きたいんだが」
「はい」
「騎士になりたいと思った本当の理由は何だ?復讐でないのは分かる。嬢ちゃんの目に殺意が宿った事はないからな。が、なら何だ?嬢ちゃんを一生守るというクリストフと俺の言葉は信用に値しないか?」
シルヴィアは真っ直ぐな目でレイモンを見つめ、静かに首を横に振った。
「お言葉はありがたいのです。ですがお二人の一生を縛ることは私には出来ません。ランズウィックで被害に遭ったのは私一人ではありませんし、私だけ逃げて……こんなに良くしていただいて、国の人たちにも申し訳なく思っています」
「強くなって、まさかランズウィックに戻るつもりなのか?」
「…………」
「ハッキリ言う。やめておけ。侵略者側である俺が言う事じゃないのだろうが知ったことか。俺はランズウィックの民に申し訳ないという気持ちはあるが、だからといって全てに寛容になれるわけじゃねえ。嬢ちゃんだけが被害者じゃない、それは確かにそうだ。だが嬢ちゃんだけを国から連れ出したのにはそれなりの理由がある。分からないはずはないだろ。今のランズウィックの民は嬢ちゃんの知っているものとは違う。そんな場所に帰すわけにはいかねえ」
「分かっています。私が国に帰っても、立ち直ろうとしている人たちにあの日の事を思い出させてしまうだけです。ですから、違うんです」
「じゃあ何だ?」
「あの時……レイモン様はランズウィックの街の人たちの救助に出て、陛下が私のそばに残って守ってくださっていた時、仰っていたのです」
『貴女に、この国に何をすれば償えるのか。我が王を弑したとて、この身を差し出したとて、ランズウィックが平和であった時は戻らない。一体、私に何が出来るというのか……』
「あれほど深い苦悩の表情を、かつて見た事はありません。私を抱きかかえる腕は震えていました。そして私は思ったのです。何故この方が苦しまなければならないのか、何故この方が犠牲にならなければいけないのかと。助けてくださったのに。貴方は悪くないのです、苦しまないでくださいと言いたかったのに声が出ませんでした」
あの状況でそんな事を考えていたのかと、レイモンは驚いた。もはや何も見えず聞こえずといった風に見えていたのに。自らが絶望を覚えていたであろう中で侵略国家の騎士の事を思いやっていたとは。
「強くなって私の為に誰かが傷つく事のないようにしたい、そう思ったのは事実です。侵略する為でなく、救う為に戦ってくださった陛下に憧れたのも。ですが一番の理由はきっと知りたかったのです」
「知りたかった?何を?」
「騎士になる事で分かる何かを。すみません。言葉にするのは非常に難しいのです。ランズウィックを攻めた方々……両親を殺し私を襲った方々は、私の目には狂っているように見えました。王の命令を受けた騎士とはそのようなものなのかと。しかしながら陛下やレイモン様たちは、その王の意向に逆らう行動だと分かっていながら私たちを救ってくださいました。どちらも同じ国の騎士でありながら、何故ああも違ったのか。騎士とは一体何なのか……。自分はそのいずれの人間なのかを知りたい」
「そうする事でランズウィックで起きた事、今の境遇に至るまでの事を受け入れられるようになると、そういうことか?」
「かもしれません。少なくとも自棄や復讐心などというものではありません」
ある意味、それは狂気だと思った。
騎士というものに理想や夢を抱いていたら、現実とのギャップに悩んだり苦しんだりするだろう。クリストフや自分のように。だがシルヴィアは違う。クリストフのような騎士になりたいのだとしても、『騎士』そのものに理想や夢などはない。むしろその対極の思いすら抱いている可能性もある。それでも騎士になり、自らの命を危険にさらし、あるいは人を殺してまで知りたい事があるという。理想の入り込む余地のない純粋な思い。それが故に戦場では冷静でいられるかもしれない。
正気のまま冷静に人を殺す……それは狂気でしかない。
(クリストフは嬢ちゃんの動機を知っても騎士にするのか?この子の願いだからと。それは結果的にこの子の人生を狂わせるんじゃないのか?)
そう考えて即座に(何を言ってるんだ)と思った。シルヴィアの人生は、あの時に取り返しのつかないほど狂ってしまったではないか。自分たちの国が狂わせてしまった。だからクリストフは、せめてシルヴィアが自分で選んでしたいと思った事を出来るように、それが何であれ手を貸そうと思ったのだろう。
平和に生きなさいとも、人を殺せば後悔する事になるとも、少なくともアルヴァナの前王周辺にいた人間に言う権利はない。国を滅ぼされ、目の前で両親を惨殺され、人間としての尊厳を穢され、同じ国の民から「お前のせいでこうなった」と責められ国を追われた十六歳の女の子の気持ちなど、同じ境遇を味わった者しか分からない。自分たちに出来る贖罪など、確かに本人の望みを叶える事以外にはない。
ここにきてようやくクリストフの気持ちが分かった気がした。シルヴィアには幸せになってもらいたい。が、本人は騎士になる事を望んでいる。ならばせめて生き延びられるよう全力で鍛えなければならない。その為には容赦なく叩きのめす必要がある。
幸せを願っている相手を、ボロボロになるまで鍛えるのは辛いだろう。しかし辛いなどとは言えない。シルヴィアもそれを感じ取っているから、レイモンがその負担を半分引き受けると言い出した事に感謝した。そういう事なのだろう。
そうして基礎訓練を積み、騎士団が行う通常訓練程度なら難なくついていけるレベルになった頃、シルヴィアは実戦の訓練に入った。そしてその天性の才能にクリストフもレイモンも驚かされる事になる。
(速い?!)
懐に入る速さが予想をはるかに上回っていた。そして何より異常なまでの戦いにくさ。クリストフに教えられているので型は彼に似ているのだが、それとは違う戦いにくさがあった。これはもちろん彼女が女だからといった理由ではない。
「急所だな」
「急所?」
訓練後クリストフの部屋で、レイモンがシルヴィアとの戦いにくさの理由について尋ねていた。この時シルヴィアは訓練の疲れから眠っていて、そんな彼女の頭をクリストフが撫でている。
「この子は感覚的に武器の急所が分かるらしい。そもそもの作りが良くなかったり、手入れの足りないような武器であれば、何度か打ち合っている内に同じ所を何度も打たれて破壊されるだろうね。そうでなくても握りが甘いと一合で弾き飛ばされる。戦いにくい道理だよ」
「それは足りない体力と筋力を補ってあまりある能力だな。この子のスピードがあれば、相手がそれでもたついている間に二撃目が入れられる」
「それに瞬発力と加速力が予想以上というのも武器になる。なにしろ華奢な女の子だからと、大抵の場合は侮ってかかるだろうからね。理解が追いつく前に倒されるだろう」
賞賛しつつクリストフの表情は冴えない。レイモンも複雑だった。
騎士になる為に生まれてきたような天性の才能。今日このような事態にならなければ表面化しなかったものだ。シルヴィアが騎士を目指しているがゆえに、この傑出した才能は自らの命を救うだろうし、代えるもののない武器となるが、本当は一生表面化せずに隠れたままでいるべきものだった。
しかし二人の騎士としての一面が、この才能をいかに伸ばし、どのような騎士に育て上げるかに興味が向いてしまうのは否定し難い事実で、結果その心境を複雑なものにしている。
「私がシルヴィアさんを守りたかったのに、彼女が騎士になれば私が守られる立場になるのだな」
そう自嘲するように呟いてシルヴィアを見ると、彼女は寝返りをうって「クリストフ様……」と寝言で名を呼んだ。その顔は薄く微笑んでいる。クリストフはシルヴィアの手を握り額に口付けた。
「私はここにいるよ。ずっと君のそばに……」
それはまるで神聖な愛の誓いであった。
シルヴィアをこの国に連れてきてもう三年になる。その間ほぼ片時も離れず一緒にいたレイモンもクリストフも、彼女に対する気持ちは贖罪するべき対象から進んで、愛情を抱くようになっていた。それを男女間でいうところの愛情と呼ぶには、あまりにも罪の意識が強すぎて、同情や贖罪の気持ちが一切入り込まない純粋な想いだと言える自信が二人にはない。特にクリストフに関しては、もはやシルヴィア以外の女性を愛する事などあり得ないだろうと思えるほど、いつも彼女の事を考えているのだが。
(愛情か。シルヴィアはこの先、誰かを愛する事ができるようになるのか?普段は大丈夫だとしても、基本的に男が恐怖の対象である事に変わりはないだろう。クリストフもだ。もしシルヴィアを女として愛しても抱けないだろう。俺だって無理だ。あの時の光景が忘れられない限り)
幾人もの騎士に犯され、死んだように動かなかったシルヴィア。その視線の先には自分が犯される所を父親に見てもらえと、可愛い娘が犯される所を死んでからでも見続けろと言うように置かれた眼球。あれ程おぞましいものはかつて見た事がなかった。戦場で死体などいくらでも見てきたし、必要以上に酷い殺し方をする人間もいたが、そういったものとは違う類の悪意に満ち溢れた行為だった。あるいはそんなものを知らずに正道を歩んでいると信じていられた自分達が幸運で能天気だっただけかもしれないが、まるで悪魔の宴に迷い込んだような、あの時の衝撃が、生贄のようにその中心にいたシルヴィアの姿が、脳裏に焼き付いて離れないのだ。
彼女をひとりの女性として意識してしまったら、抱きたいと思ってしまったら、自分も悪魔の仲間入りをしてしまう気がする。その嫌悪感を払拭できない限り、彼女を恋愛対象として見る事はないだろう。
恐らくクリストフも同様に。




