『確かな微笑み』
翌日、レイモンは何やら大きな袋を持ってやってきた。
「シルヴィア嬢ちゃん、こっちに来られるか?」
袋をクリストフのスペースにあるテーブルに置いて、そう声をかける。
シルヴィアが立ち上がろうとしているのを見たクリストフは彼女の所へ行き、手を取って連れてきた。するとレイモンは袋から大きな皿を取り出し、様々なフルーツを盛っていく。
「これだけあったら好きなもののひとつくらいあるんじゃないか?どれがいい?」
シルヴィアは無言で木苺を手に取って、それをパクッと口に入れた。
「…………美味しい」
「フランボワーズが好きなのか?」
「フルーツは……どれも……好きです。……でも……ラズベリーは……特に。パイ……よく……焼きました」
「フランボワーズのパイか。美味そうだな。と、それは置くとして、フレッシュチーズもある……ぞ」
微かに、だが確かにシルヴィアが笑んでいた。そして二つ目の木苺を食べる。
心の中はまだレイモン達には想像もつかないものが、色々渦巻いているだろう。それでも徐々に言葉を発するようになってくれた。一日一食しか食べていなかったのが、初めてその一食以外のものを食べてくれた。
そしてずっと何も見えていないかのような目をして表情を動かさなかった彼女が微笑んでくれた。これは大きな変化だった。
「クリストフ、ワイン出せ。飲もうぜ」
「俺は仕事があるんだけどね」
苦笑しながらもワインとグラスを二つ出してくる。クリストフとしても乾杯したい気分ではあったのだろう。
それから一年近くかけて、シルヴィアは少しずつ回復していった。が、頻繁に悪夢を見るらしく、眠るのが怖いという彼女を宥めるため、クリストフは一緒に横になって一晩中手を握っている事もあるのだという。
「一緒のベッドでか。シルヴィア嬢ちゃんは怖がらないのか?」
「最初は悪夢を見てパニックに陥る彼女を落ち着かせようと、咄嗟に抱きしめてしまってね。すぐ離れようとしたら彼女は目を覚ましていたらしく、服の裾を掴んで離さなかった。それで私が怖くないのかと聞くと、私の事は怖くない、ただ眠るのが怖いのだと。それからは彼女を眠らせる為に添い寝して、頭を撫でたり背中をたたいたり手を握ったりするようになったんだ。幸い彼女はそれで安心してくれているみたいだ」
実際にレイモンは、朝クリストフの部屋を訪れた際に二人一緒に寝ている所を目撃した事がある。その時は腕まくらをしていたが、クイーンサイズのベッドなので広さに余裕があるぶん体は距離をとっていて、寄り添うという感じではなかった。
その後、クリストフが仕事でどうしても一晩部屋に戻れないという夜に、レイモンがシルヴィアに聞いた。
「一緒にいるのが俺でも眠れるか?信用してもらえるならクリストフがするように添い寝するが」
「信用……はしています。けど……」
そこで一度言葉を切り俯いたが、やがて何かを決意したように顔を上げ、こう言った。
「レイモン様。私を抱きしめてみてくださいますか?」
「はあ?唐突に何だ?いや、もちろん俺は構わないが」
「お願いします」
念を押され、レイモンはシルヴィアを軽く抱き寄せる程度に抱きしめた。
細い……かなりマシになったとはいえ、まだまだ服の中で体が泳いでいる状態だ。
あれから一年。たった一年しか経っていないのだからそれも当然だった。あのような事があって一年や二年で立ち直れるはずがない。一生忘れられなくてもおかしくはないのだ。なのにこうしてアルヴァナでの生活を受け入れようと努力している。
彼女の祖国を滅ぼした国の元騎士のそばで。「クリストフ様やレイモン様に救っていただいた」と言って。
レイモンは無意識にシルヴィアの頭を撫でていた。女の子を抱きしめてこのような気持ちになったのは初めてだった。ただただ少しでも安らいだ気持ちになってほしいと。
そしてシルヴィアはその行為に抵抗を示さなかった。
「…………大丈夫です」
「え?」
「レイモン様も怖くありません」
「そうか」
その宣言通り、シルヴィアは夜になるとちゃんと眠った。軽くうなされはしたがパニックに陥るほどではなく、レイモンが手を握ってしばらくすると落ち着き、静かな寝息を立て始めた。
レイモンは俗に言う『女たらし』で、特定の恋人を作らず、遊び相手として割り切れる女性とだけ関係を築いてきた。そんな男を信頼してもらえてありがたい(実際に下心もない)と思うが、決して安全な男とは言えない自分を怖くないと言うシルヴィアの感性に、不安を覚えたりもする。ただ無理をしている可能性も捨てきれないが。
更に半年が過ぎる頃にはシルヴィアも外に出る体力がつき、クリストフと一緒に散歩をする姿がよく目撃されるようになった。
まだ悪夢にうなされる事はあるが、少なくとも起きている間は笑顔で会話を交わせるくらいには落ち着いている。食事の量も少食の女性程度までは食べられるようになったので、それなりに肉もついて本来の美しさを取り戻しつつあり、クリストフと並んで仲睦まじく歩いている様子は非常に絵になった。
とはいえ実際にシルヴィアがどの程度立ち直っているのかは誰にも図れず、特に騎士団員はグレンを除いてシルヴィアの視界に入れないよう配慮されており、アンヌやリディアーヌ、補佐官とメイド達以外の者は、ほとんど彼女と言葉を交わした事はない。ただ2人が一年半ほど同じ部屋で暮らしている事は周知の事実で、その仲睦まじい姿は、“つまりはそういう仲”なのだと誰もに誤認させた。それ故にシルヴィアを危険視する声は、次第に収まっていった。
その頃になると、ずっと肩上くらいの長さだったクリストフの髪は、肩より下に届くまで伸びており、ここに至って『髪を伸ばしている』のだと気付いたレイモンがそれを指摘したところ、シルヴィアに聞こえないよう小声で答えた。
「願掛けのようなものだよ。シルヴィアさんが幸せになるまでは切らずにいようと思ってね」
クリストフも変わったとレイモンは思う。
それなりに砕けた口調だったのが常時穏やかなものになり、一人称も『俺』から『私』になった。恐らく意識的にだろうが以前のように険しい表情を浮かべる事もなくなり、全体的に柔らかい印象になった。
とはいえ内面は以前より更に苛烈になった事を、レイモンは理解している。
国内においても国や騎士団の威信を損なう言動をする者に対しての容赦のなさが顕著になった。前は騎士団内でのみ徹底されていた『高潔であること』(実際には徹底できていなかったゆえにランズウィックの悲劇が起きたわけだが)が、国単位で、特に力を持つ者に対しては厳しく求められるようになり、貴族などにはクリストフの築く体制は不評であったが、気に入らないからといって領民に必要以上の重税を課したり美しい娘を無理やり連れ帰ろうものなら、即座に領地・財産が没収されてしまいかねないので彼らも従うしかなかった。
何しろ『英雄クリストフ』は現在王なのだ。以前のように「騎士ふぜいが生意気口をたたくな!」と水を引っ掛けてやる事も出来ない。前の王とは違って頭が回るので姑息に立ち回ろうともバレてしまうし、何より剣を持たせれば世界一の強さを誇ると言われる元騎士だ。口先だけの貴族が敵うものではない。
今までさんざん悪行を重ねてきたのだから、即財産没収されてもおかしくないところを、「次はないぞ」と執行猶予を与えてもらっただけマシだろうとレイモンなどは思うのだが。
「陛下、散策中失礼します」
そう言って近づいてきたのはグレンである。手にはパンの入った紙袋を抱えている。
「シルヴィアさん、こんにちは」
「こんにちは、グレン様」
「おい、グレン。俺には挨拶なしか?」
「失礼しました。こんにちは、『レイナルド卿』」
「この野郎……『卿』はやめろと言ってるだろ」
「陛下の御前で、しかも女性のいる所でそのような口の利き方はするものではないと存じますが。子爵というお立場の方が」
「うるせえよ。クリストフが『肩書きは持っておいて損はない』などと言うから、仕方なくなったんだ。誰が好きこのんで貴族になどなるか!」
「その割には領民に歓迎されていらっしゃるようですね」
「なった以上は責任があるだろうが。前のダルクール子爵がクソ野郎だったし、そりゃ俺みたいな奴でもマシに思えるだろ」
「ですから、お言葉が下品ですよ、レイナルド卿」
そう。現在レイモンは『ダルクール子爵』という称号を持っている。
クリストフの影の補佐役というポジションにある彼だが、一市民では人を動かす必要がある時に不便が生じる事もあるので、「とりあえず持っておけ」とクリストフから称号を与えられた。
クリストフは各領地を治める領主に、自分の領地に適した農業や産業を調べさせ、それで得られる利益に見合った税を課すようモデルケースを示し、そこから大幅に外れる負担を民に強いた場合は罰するという布告を出した。
前のダルクール子爵は前国王の姻戚で、度々の警告にも耳を貸さず、領民に対する暴虐な振る舞いを改めなかったため処刑されたので、空席になったダルクール地方の領主という身分をレイモンが担う事になったのだ。
この出来事は『モデルケースから大きく逸脱した行為は罰される』のは単なる脅しではなく、最悪処刑もあり得ると知らしめる結果となり、クリストフの国の改革にかける決意を皆に実感させた。そうして現在に至るまでそれは徹底されている。




