『二人暮らし』
シルヴィアを部屋に置くと決めた事は、レイモンとグレン、それに父の代からの知己である補佐官のみに伝えられた。他の者に知らせると反対されるに決まっているからだ。いずれ知られるにしても、先に行動しておけばそうでない場合に比べ反論も封じやすいし、何より彼女を守りやすい。
しかしひとつ問題があった。
クリストフは華やかな外見に似合わず、剣の道一筋で来た男で、女性に必要な物が何かを今ひとつ理解できない。振る舞いは紳士的で気遣いもできるが、女性が好む物などが全く分からないのだ。その上皆の説得も聞かず、騎士の時に使っていた部屋が慣れているからと、即位後も同じ部屋を使っていたもので、そもそも二人分の荷物は物理的に入らなかった。
口には出さなかったが、恐らく前王の使っていた部屋に移るのは心情的に嫌だったのだろうと思われる。
「えっと……ベッドを用意した方がいいのは分かる。他に何が必要なんだ?俺のスペースとあの子のスペースの間に仕切りは必要だな。それに鏡台?あの子は化粧をするのだろうか?」
「はあ……だから前から言っていただろ。家具くらいはまともな物を置けって」
「別に今まで不自由はなかったんだ。それに俺の為に金を使うなら、国庫に収める方がいいだろう」
「あの、足が収まりきらないベッドが不自由じゃなかったって?俺なんか一番最初に取り替えてもらったぞ。大体な、体のサイズに合ったベッドを用意するのは、贅沢ではなく普通の事だぞ。特別豪華にする必要まではねえから、とにかくデカいベッドを置け」
「そこまで言われる事なのか。ならそうするか」
クリストフの顔はずっと浮かない。自分の決断で男と二人暮らしになる彼女の心情を慮ってのことだろう。それは分かるが……。
「新婚早々女房の尻に敷かれる男みたいなツラしてんじゃねえよ。でけえ図体しているくせに」
「その俺より図体の大きいお前に言われたくはないよ」
そう言って一瞬笑うが、またすぐ何か思案に暮れてしまう。今まで決断力があり行動派で、明るくおおらかな性格だった男だけに、あの日以降の変わりようが心配になる。
「クリストフ。あまり思いつめた顔をするな。クセになると、あの子の前でも晒しちまうぞ」
「そうか……やはり鏡は必要だな。俺も笑顔の練習に使うかもしれない」
そうしてクリストフの部屋に置くシルヴィアの物は、リディアーヌやメイド達の助言を受けて用意する事になり、剣立てにズラッと並べられた剣と、小さなベッドと小さなテーブルセットと本棚しかなかったクリストフの荷物は、それなりに豪華な物に変えられる事になった。
それに伴い、王専属の衛兵の配置の問題もあるので、大きな部屋に移るよう騎士のみならず新しく任官した文官達からも懇願され、仕方なく前の大臣が使っていた部屋がある方へ移った。派手な装飾が施された家具や内装を「落ち着かないから」とクリストフは嫌い、変えるよう指示を出したのは、精一杯の抵抗であっただろう。
前の王や大臣達が使っていた部屋は、現在の大臣達に使うよう言ったのだが、王より派手な部屋に住むわけにはいかないと皆が遠慮した為、今はどこも使われず空室になっている。そこで元の王の部屋はサロンに転用し、空いている大臣の部屋の中でも最もクリストフの部屋に近い所にはレイモンが入る事にした。
彼は新団長にと皆から望まれたものの、
「前の王から騎士の称号は剥奪されたからな」
と、一市民に戻る事を宣言。
元々クリストフ直属の騎士隊でランズウィックに同行した者達だけには、身軽になった方がクリストフの力になり易い為だと説明し、納得された。
シルヴィアがクリストフの部屋へ移って一週間後、レイモンは二人の部屋を訪れた。
中に入ってすぐ目に入ったのは布が掛けられた剣立て。考えてみれば確かにこの部屋で剣の手入れは出来ないだろう。シルヴィアが怖がらないよう隠したというわけだ。奥へと進むとシルヴィアは窓際に置かれてある椅子に座り外を眺めていて、クリストフはデスクの前で政務をこなしていた。
「よう!頑張っているな、陛下」
「ようこそレイナルド殿。陛下と呼ぶ相手にきく口ではないな」
「じゃあ『ご機嫌麗しゅうございます』とでも言えばいいのか?気持ち悪ぃ」
「気持ち悪いには同意するよ。騒がしくして申し訳ないね、シルヴィアさん」
「お、そうだ。シルヴィア嬢ちゃん、邪魔するぜ」
そう声をかけると、顔を軽く二人の方へ向けて頭を下げた。その顔色は悪く、更に痩せたように見える。簡単に立ち直れないのは分かるが、このままでは体がもたない。
クリストフはどうするつもりなのかと見ると、苦々しげな表情を浮かべて首を横に振った。
「……で、政務の方はどうだ?」
「少し調べただけでも分かったのが、まあ見事に陛下……いや、前王は、国の運営については何も考えていなかったという事かな。アルヴァナは今まで軍事国家としての側面が際立っていて、産業、商業を軽視していたところがある。前王は、財源は領土を拡大し領地から接収する事で確保すればいいという考えだったからね。そこをまず改善したい」
「産業や商業に力を入れるってことか」
「そう。前王は握りつぶしてきたみたいだが、過去、地方からなかなか面白い提案も出ていたようだから、改めて話を聞きたいと思っている。そこでお前に頼みがあるんだ」
「頼み?」
クリストフは頷くと、レイモンに耳を近づけるよう合図し、声を落とした。
「これからそうして人と会う機会も増えてくる。が、ここに人は入れたくない。必然的に別の部屋で会談する事になるから、その時は俺の代わりにここで彼女を見ていてほしい」
「俺でいいのか?アンヌさんを呼んだ方がいいんじゃねえのか?」
「……彼女の命を狙う者が、この部屋に出入りできる立場の人間の中にも現れるかもしれない。考えたくもないが、その可能性を排除して最悪の結果を招きたくはない。ゆえにお前に頼みたいんだ」
「なるほどな……分かった。任せろ」
そうしてレイモンも徐々にシルヴィアと共にいる時間が増えた。何しろ騎士を辞め、クリストフのように新しい肩書きがついたわけでもないので、時間に余裕があったのだ。
最初は複数の男と同じ空間にいるのを、シルヴィアが怖がるのではないかと思って遠慮していたのだが、三週間ほど過ぎた頃、クリストフが地方領主との会談で席を外している時、応えはないだろうと思いつつも話しかけると驚くことに反応があった。
「……シルヴィア嬢ちゃん。クリストフとの暮らしは大丈夫か?俺が頻繁に来たりして怖くはないか?」
「…………怖く……ありま……せん」
掠れた小さな声で、だがしっかりと返事をした。怖くない、と。
驚いたレイモンがシルヴィアを凝視していると、彼女は続けてこう言った。
「クリストフ……様……や、レイモン様……が助けて……くださった……事、ちゃんと……分かっています。それに…………」
ここまで話すと咳き込んだ。無理もない。優にひと月以上は言葉を話していなかったのだ。逆によく声を出せたものだと思う。
ここで初めて気付く。クリストフのテーブルに水を入れたポットが置かれてある。今まではなかったものだ。つまり今と同じ状況になった事があって用意しておいたのだと。
レイモンはグラスに水を注いでシルヴィアを振り返った。
「そちらへ行かせてもらうぞ」
断りを入れてからシルヴィアの方へ行き、咳が落ち着いてから水を差し出した。彼女は受け取ろうとするもグラスを持ちきれず、落としそうになる。
「俺がグラスを支えているから、ゆっくり、口の中を潤す程度に飲めよ。一気に飲むとまたむせるからな」
シルヴィアは頷いて水を少量だけ口に含んだ。
むせた影響で額に汗が滲んでいる。テーブルにこれまた都合よくタオルが置かれていて、先にクリストフと話して同じ状況があったのだという確信が強まる。それで額を拭いてやると、シルヴィアは小さな声で「ありがとうございます」と言った。
「クリストフのやつ、ずっと辛気臭い顔してるだろ。すまないな」
唐突に冗談めかして言われ、虚をつかれたシルヴィアは驚いた顔をした後、首を横に振った。
「クリストフ様……お優しい方……です。私の事で……お心を砕いて……くださって」
「ほら、無理に喋んな。疲れるだろ。って、俺が話しかけたんだったな。すまん」
彼女の表情は変わらない。が、少し微笑んだように見えたのは、レイモンの願望か、それとも初めて言葉を交わせたゆえにそう思えたのか。
帰ってきたクリストフに、シルヴィアがいつから話し出したのか聞いてみたところ、一昨日だという。何がキッカケかは分からないが、最初に発した言葉は
『もうそのような顔をなさらないでください。クリストフ様は何も悪くないのです』
だったそうだ。
「お前の言った通りだったよ。あの子の前で思い詰めた顔を晒して、気を遣わせてしまった」
「ずっと一緒にいるとな。仕方ないだろ。これから気をつけるしかないさ。それにしても優しい子だな、あの子は」
「ああ……なのに…………」
また思い詰めた顔をしてしまい、クリストフは頭を横に振った。これだからシルヴィアに気を遣わせてしまうのだと。
「とりあえず声は発してくれたんだ。次は食事だな。なんとかもう少し食べられるようになればいいのだが」
「……食べ物か……」




