『ビアンカの気持ち』
翌日、訓練場で「シルヴィア殿からの差し入れだ」とギルベルトから菓子を渡された騎士達は、素直に喜んだ者達と気まずそうな者達とに分かれたが、受け取り自体を拒否する者はいなかった。それだけでも少しは進歩したかと、シルヴィアの厚意を無下にされなかった事にホッとして、ギルベルトは訓練場を後にした。
そうして戦術論の講釈をしにシルヴィアの部屋へ向かう途中、背後から蚊の鳴くような声が聞こえてきた。
「あ……ギ、ギルベルト様」
振り向くとビアンカがいた。声を掛けようとすると、その前に頭を下げて慌てて去ろうとする。明らかに不自然に。
「ちょっと待て。ビアンカ」
呼び止められてビクッと立ち止まったビアンカに、何なんだと内心で首を傾げながら、ギルベルトは昨日シルヴィアから頼まれた件について伝えた。
外出に同行してもいいかと聞かれ、ビアンカは軽くパニックになった。一緒に出かけでもしたら、余計に妙な噂を立てられるのではないか?しかしギルベルトの方から誘ってくれているものを断ったら、逆に失礼ではないのか等々。そのまま返事が出来ずにいると、頭上から困ったような声がした。
「いや、私が一緒では堅苦しくて楽しめないのは承知しているが、シルヴィア殿は客人で、先日君とも話した通り、私には国に帰る日まで彼女を守る責任がある。それとも他の者に頼んだ方がいいか?」
「え?いえ。あの‥‥‥‥そんな事は‥‥‥‥」
「無理はしないでいい。そうだな。シルヴィア殿の護衛が出来るレベルの者となると限られてくるが、腕が立つ者の中でも人あたりの良い者に頼むとする」
「いえ!その……ギルベルト様にお願い……したいです。もしシルヴィア様に危険な事があるなら……あの方を守れるのはギルベルト様だけだと思うので」
「そうか。そう思ってくれるなら有り難い」
軽く笑うギルベルトを見上げて、ビアンカは耳まで赤くなる。つい先日までこの人を怖いと思っていたことが信じられない。それ程に今は素敵だと思う。シルヴィアがノイエンドルフに来なければ、エーレンフリートにシルヴィアの世話係に任命されなければ、今も怖い人だと思い続けていただろう。そんな事一点取ってみてもシルヴィアに感謝する自分がいる。
失礼しますと頭を下げてギルベルトと別れた後、改めて先刻のやり取りを思い返し、大変な事に気が付いた。
(ギルベルト様と休日にお出かけ……するの?私が?)
シルヴィアが一緒とはいえ、メイドの身の自分が公爵家の子息と休日を共にするなど、常識で考えればあり得ない事態だ。ビアンカと個人的に出掛けるのではなく、あくまでもシルヴィアの護衛として行くのだから、誰に咎められる事もないだろうが、恐れ多い事だと思う。
(ど、どうしよう?お洋服とか、何を着て行けばいいのかしら?露骨な平服だと失礼にあたらないかしら。ギルベルト様がお気になさらないとしても、やっぱりみっともない格好は出来ないし)
すでに軽くパニックになっている。こんな調子で当日、平気でいられるだろうか?手の震えを抑える為に両の手をギュッと握り合わせていると、前方から近づいてくる足音と共に声がした。
「どうした、ビアンカ?何か祈ってんのか?」
「え?‥‥‥‥あ、陛下」
慌てて頭を下げる。赤くなっているに違いない顔を見られるのが恥ずかしくて、頭を下げている間に通り過ぎて欲しいと思っているのに、そんな事情を知らない国王陛下はビアンカの前で立ち止まった。
「何か困った事でもあったか?俺で良ければ聞くぞ」
「いえ……何も」
「嘘つけ。耳まで真っ赤にして。おまけに何か震えてるだろうが。言えよ。誰にも言わないから」
赤くなっているのを悟られないよう頭を下げたままにしていたのに。耳は盲点だった。しかも震えている事までバレてしまっては、何もないで通せるはずもない。諦めて、先ほどのギルベルトとのやりとりをエーレンフリートに話した。
「ふーん。なるほどな。じゃ、ギルベルトに聞いてみたらどうだ?どんな服が好みかって」
「へ、陛下!」
「ははっ。冗談だって。それにしてもあいつ、女同士で出掛けようってのに、よく割りこめるな。硬すぎるっつーか融通利かねえっつーか」
「それは……シルヴィア様の事を考えて……何かあっては困るからと」
「分かってる。それでも言いたくなるんだよ。何かにつけ危険だ、万が一の事があればって言われると、行動を制限されちまう。自由がない息苦しさは、あいつも多少なりとも知っているはずなんだがな」
「シルヴィア様はお客様ですから。特に気を遣われているのだと思います」
「安全に気を配るのも結構だが、自国ではあいつ、騎士団長としての仕事の時間以外では、寝るのと食べる時を除いて鍛錬しているらしいし、せめてここにいる間くらい、もう少し息を抜いてゆっくりさせてやりゃいいと思うんだよ。そもそもがギルベルトに弟子入りするのが目的でノイエンドルフに来てんだし、シルヴィア自身が納得しないだろうけどな」
言われてみれば確かにその通りだと思う。シルヴィアのことだ。恐らく休日も休んだり出掛けたりなどせずに、鍛錬しているに違いない。出逢って日は浅いが、話に聞いているだけでもそれと分かる。ここでも騎士団に遠慮して訓練場こそ利用していないものの、少しの空き時間でも体を動かしているのをビアンカは知っている。それこそ命令でもしない限り、彼女は休まないだろう。
「あ、あの……陛下。ではどうすればよろしいのでしょうか」
「んー?外出はあいつも楽しみにしているだろうから、行けばいいんじゃないか。ギルベルトには俺から言っておくさ。お前が休むように仕向けないとシルヴィアはクソ真面目だから休まねえぞとな。あとは、そうだな。シルヴィアがいる間は、お前の通常の仕事量も調整するようにメイドの皆に頼むか」
「‥‥‥‥‥‥‥‥え?」
「お前と過ごす時間を増やせば、必然的にシルヴィアも休めるだろ。他の皆にはちゃんと説明して、お前だけ特別扱いだと言われないようにするから、そこは心配しなくてもいい」
ビアンカの顔が目に見えて輝く。本当に、どれだけシルヴィアに入れ込んでいるんだよと苦笑するやら微笑ましいやら。
一方のビアンカは、エーレンフリートに心から感謝していた。一メイド、しかも反国王派であった両親の娘である自分に、いつも親切にしてくれる。こんな国王は他のどこの国を探してもいないだろう。
まだ内乱から一年経っていない事もあり、優しかった両親を思い出して、そしてその両親が、慕っていた前国王とエーレンフリートを裏切った事を思い出して辛くなるが、王の優しさが、ギルベルトやシルヴィアの存在が、そんな思いを消し去ってくれる。
「しかしギルベルトのやつ。せっかくの女同士の外出に混ざっておいて、お固い場所に連れて行ったりしないだろうな。ビアンカ。ちゃんとシルヴィアを女が好きそうな場所に連れて行ってやれよ」
「女の子が好きな場所……それはギルベルト様が困りませんか?」
「困らせてやりゃいいんだよ。むしろ俺もついて行って困るギルベルトが見てみたいよ」
ビアンカは困るギルベルトを想像したのか、出来なかったのか、笑っているとも困惑しているとも取れる、何とも微妙な表情を浮かべた。
エーレンフリートも想像してみる。女性ものの服を見ているシルヴィアとビアンカを、表面上は仏頂面でいながら内心は微笑ましげに眺めているギルベルトを。あれ?案外困らなそうだなと思う。シルヴィアが楽しそうにしていれば、それで満足しそうな気がするのだ。今までのギルベルトからすると考えられない想像図だ。
(あいつ、今からこの調子で三月共に過ごして、やがてシルヴィアが帰る事に耐えられるのか?三月も経てばここにいる事が当たり前になってくる。当たり前にいた人間がいなくなる気持ちをまた味わう‥‥‥)
父王、仲の良かった従兄弟、子供の頃から一緒にいた大臣や騎士達。いなくなった人達に続き、不敵に笑い、剣を振るうシルヴィアの姿がエーレンフリートの脳裡に浮かぶ。
‥‥‥‥縁起でもないと頭を振る。シルヴィアは帰るだけだ。自分の国に。クリストフ王の元に。
「陛下?」
「ん?ああ、悪い。お前の仕事の調整と、あと服の事も聞いておいた方がいいか?」
「そこまで陛下にして頂くわけには‥‥‥」
「じゃあシルヴィアにでも聞け。あいつになら聞けるだろ」
「あ‥‥‥はい!そうします!」
嬉しそうに一礼してビアンカは走り去った。
ギルベルトだけではない。ビアンカもシルヴィアが国へ帰ったらどうなるやらと、今から心配になる。あの恥ずかしがりやで無口で自己主張を全くしなかったビアンカが、シルヴィアの事となると、これほど積極的になるのだ。彼女に対する思い入れはギルベルトを凌ぐだろう。
(それにしてもビアンカがギルベルトを好きだとは気付かなかったな。よりによってこの国で最も難しい相手を好きにならなくても良さそうなものを)
エーレンフリートはビアンカの態度から、彼女がギルベルトに恋心を抱いていると気付いていた。
相手がエーレンフリートであれば、国王が望んだ相手という事で、たとえ身分違いでも伴侶になれる可能性は皆無ではない。が、ギルベルトの生まれたデュンバルト公爵家は代々王の側近を務めていて、結婚をする際にも血筋を重要視している。王に仕える者の妻たるもの、たとえ悪意のない粗相であれされては困るとの考えからである。エーレンフリートがそんな事を気にする性格かどうかは関係が無い。それがデュンバルト公爵家のしきたりなのだ。
ギルベルト自身がそう考え、いずれ結婚するとしたら親の決めた相手にすると以前話していた。大切なのは家系を絶やさない事と、血筋を守る事。そんな相手を好きになっても、想いなど届くはずもない。
(ビアンカには幸せになってもらいたいんだがな‥‥‥)
ビアンカの両親が死んだのはエーレンフリートの責任ではない。直接手を下したのも彼ではない。だがそれでも、彼女があの内乱で天涯孤独になったのは事実だ。自分達王族が原因で。まだ二十歳で気の弱い、おとなしい彼女はどれほど寂しく感じているか。どれほど不安か。それを思うとエーレンフリートは、彼女が再び温かい家庭を持つ事を願わずにはいられなかった。




