『邂逅』2
マドラルへ向けて馬を走らせながら、シルヴィアも思い出していた。あの若い王は言葉遣いこそ砕けていたが、王としての威厳と威圧感は充分以上に備わっていた。馬を駆って近付いてきた時、自然と目が惹きつけられる程に。カリスマ性では自国の王とも張り合えるかもしれない。
「シルヴィア。何やら嬉しそうだな」
シルヴィアの隣に馬を寄せてきて、隻眼の男が声をかけた。
「嬉しそう?」
「俺にはそう見えるが?」
「嬉しい、と言うのか。楽しかったとは思う」
「お前が戦いの上で楽しいと言うとはな。ノイエンドルフの王は大した人物のようだ」
「ああ。強い相手と戦える事がこれほど心躍るとは知らなかった。また剣を交えたいと思うほどに」
「俺にとっては別の楽しみもあるが?」
「女性か。双方合意の遊びならいいとして、真剣になるような相手は避けてほしい。相手が気の毒だ」
「妬いてんのか?」
「軽口も避けてくれ。私はそれほど気持ちの切り替えが早くはない」
一気に真顔になった騎士団長を見て、隻眼の男は肩をすくめてクスッと笑った。それから表情を改めると、こんな事を言い出した。
「なあ、真面目な話。今回の戦、どう思う?」
「ノイエンドルフの王位は交代したばかり。しかも若い王なので、情勢が安定していないと見て、この機に攻め落とそうとマドラル王は考えたのだろう。それは分かるが、何もかも見たてが甘い。戦略も何もあったものではない。あれでは兵達が無駄死にするばかりだ」
「同感だ。あの王は自分が軍議に参加するでもなく、ただノイエンドルフを奪ってこい、だからな。統率力に優れた人材も少ないし、早晩負けるな」
「だからといって見捨てるわけにもいかない。我が国の同盟国なのだから」
「そんなのは先々代の話だろ。破棄しちまえばいいんだ。今のマドラル王は、どうひいき目に見ても王の器じゃない。ただ世襲で継いだだけのぼんくらだ」
そんな事は言われるまでもなくシルヴィアも思っていた。自国の王も、最初からアルヴァナ国の軍事力を頼りにした援軍の要請に、まず呆れたような溜息をついた。それから申し訳なさそうにシルヴィアに言った。
「シルヴィ。すまないが行ってくれるかい?」
「はっ!ご命令のままに!」
「……シルヴィ。此度の戦は布告もなしに攻め入ろうというものだ。私はそういうやり方は好まない。援軍は送るが、もし君達を前線に置き自国の兵を後方に配する事があれば、即刻戻っておいで。いいね?」
「しかし、それでは盟約違反にはならないのですか?」
「援軍を送る条件として突きつけた。心配はないよ。万一、戦果が思うように上がらなくて我が国に文句を言ってくるなら、私にも考えがある」
「?」
「今のマドラルの王とは同盟関係を続ける利点など一切見当たらない。今回のように、ことあるごとに我が国を頼っては自らは何もしようとしない。いい加減、私も腹に据えかねていてね。此度の戦、恐らくは負けるだろうから、それを我が国の、そして君の働きのせいだとするなら、マドラルとは手を切り、ノイエンドルフと和議を結んでみようかと思う」
「ノイエンドルフと?」
「ああ。エーレンフリート王子が王になった経緯は知っているかい?」
「先代の王が急死したため、としか」
「実はね、ノイエンドルフ王家の縁者が王家に対して謀反を起こしたんだ」
「謀反ですか。ノイエンドルフは善政を敷いていると聞き及んでおりましたが」
「その自国の民に対する善政と、他国と協力関係を結ばず、完全なる独立国体制を保っているのが気に入らなかったらしくてね。先々代、そして先代の王も、無駄に国力が膨らんで自分の目が行き届かず、知らない所で民が苦しめられるのを好しとせず、それ故に領地を広めない主義だったと聞く。王家の威厳を損なわない程度の、過度な贅沢を避けた生活を送っていたりね」
「善政が気に入らぬとは。私には理解できません」
「君はそうだろうね。でもね、せっかく王家の縁者として生を受けたのに、他国のように利権をむさぼれないのが気に入らないというのもまた、人の感情として……まあ良し悪しは別として、ある事なんだよ。ノイエンドルフの場合、悪い事に大臣や主だった騎士も、エーレンフリート王の腹心と称されるファルケンマイヤー伯と、その配下の者達以外は謀反組に加わったらしい」
「それで、どのようにして王権を護られたのですか?」
「彼らの主義に沿って正々堂々と戦っただけだよ。エーレンフリート王子は、自由奔放ながら情も深い性格らしくてね。見知った顔である縁者や騎士達と戦うのをためらい、反王家派の者達もエーレンフリート王子を好いていた事から、自分達の陣営に入るよう何度も説得したらしいよ。けれど戦いたくないと迷っている間に父王が深手を負ってしまって、それに対し責任を感じた王子は涙を流しながら戦ったという話だ。仲の良かった従兄弟もその手にかけて。辛かっただろうね。その悲壮な様子に王子を好いていた騎士達が降伏して、結果、王家側の勝利に終わったそうだ」
「反逆した者達は、その後……」
「降伏した騎士以外、先王の名において処刑されたよ。それから間もなく、先王は戦傷がもとで亡くなり、エーレンフリート王子が王位に就いた。私はね、そんな彼に興味があるんだ。だからシルヴィ。今度の戦で彼と剣を交え、彼に君の力を見せつけてきて欲しい。きっと彼は君に興味を持つ。陰惨な戦いを強いられた後だけに、君の清廉な剣技に心洗われもするだろう。そうすれば彼と話し合う下地も出来る」
「仰せのままに。我が王」
「頼んだよ。くれぐれも怪我などしないように」
「はっ!」
そうしてシルヴィアの一団はこの戦に参加した。
王との会話は彼とシルヴィアだけで内密に交わされたもので、傍らの隻眼の男も知らない。
(エーレンフリート王。実際に見え剣を交わした限りでは、そのように悲惨な思いをした方には見えなかった。軽口をたたきながらも僅かな曇りもない、真っ直ぐな剣だった。そして重かった。あれこそ王者の証)
闘いの中、顔はよく見えなかったが、少し長めの漆黒の髪と剣技がとても美しかった。
この戦が終わるまでに、また剣を交える機会もあるだろう。それを楽しみだと思ってしまうのは騎士ゆえの救い難き業か。だが確かに彼の王と再び見える日が、今から待ち遠しかった。
「エーレンフリート様。先ほどの騎士について調べて参りました」
城に戻り落ち着いた頃、ギルベルトがエーレンフリートの自室へとやってきた。あれほどの腕を持ちながら、今まで見た事も聞いた事もない女騎士が一体何者なのか知りたく思い、ギルベルトに軽い調査を頼んだのだ。
「疲れているところ悪いな」
「いえ。それであの騎士ですが、元はアルヴァナの人間ではないようです」
「だろうな。シルヴィアという名は、もっと西方の人間の名前だ。近隣国であれほど腕の立つ、しかも女の騎士がいるなどという話も聞いた事はない。恐らくアルヴァナへ行ってから、少なくとも騎士になってからはそれほど経っていないだろう」
ギルベルトはエーレンフリートの鋭さに感心した。
この王は子供の頃から物事を見る目が鋭かった。表情に出さなくても目を合わせれば全てが見抜かれるような。そんな人物が、自分の身を案じる相手を手に掛けなければならなかった辛さはいかばかりか。ほんの数ヶ月前の惨事を思い、ギルベルトは胸が詰まった。
が、そんな気持ちは態度に一切出さなかったにもかかわらず、エーレンフリートは複雑そうな笑顔を浮かべてギルベルトを見た。
「ギルベルト。もう気にすんな。まずは国をちゃんと治めなきゃな。俺が殺めちまった伯父貴達や他の皆も、俺がいつまでもあの事にこだわってグスグスしてたら、怒って化けて出てくるだろ」
などと言う。
心中がどうあれ弱音を吐かず毅然と前を向いている、この若い主君をギルベルトは好ましく思う。
「申し訳ございません。報告を続けます。名はシルヴィア・オルドリッジ。一年前にアルヴァナ国王の下に仕えるようになったとの事です。どこから来て何故アルヴァナの騎士となったか、詳細は一切不明」
「不明?そんなワケの分からない人間が騎士団長になって、よく皆が納得したな」
「王の近衛騎士全てと手合わせし、勝った事で納得させたと。アルヴァナ王も実力で王位に就いた方ですから、あの国も実力至上主義なのでしょう」
「そういやそうだったな。先王の悪政に耐えかねて決起した元騎士団の団長だったか。五年くらい前か。俺ほどじゃないが確かまだ若いよな?」
「三十に届いていないはずです」
「年齢もそれほど離れてなけりゃ、王になった経緯も……まあ反対の立場だが、時の王政に反対する者が出て、その結果王位に就いたという点では似てるってわけだ。面白い。一度、会って話してみてもいいな」
「まさかアルヴァナと同盟を?」
「そりゃどうかな。単なる興味本位だ。シルヴィアって女騎士とあと何度か戦り合って、それからの話だろうな。あいつとはまだギリギリの命のやり取りをしたい」
「殺すと仰っていたのでは?」
「そんな勿体ない事するか。あんな相手、そうそう巡り合えるもんじゃないんだ。せいぜい楽しませてもらうさ」
後になって気付く。
戦場の只中、おびただしい返り血をその白い顔に受け、剣を振るう女騎士の姿を目にした時から、エーレンフリートの目は、心は彼女に惹きつけられていたのだと。ただこの時はまだ王としての自覚と使命感、そして国や民よりも大切なものなど何もないと信じていた。