『心躍る瞬間』
シルヴィアの熱が完全に下がるまで三日を要した。訓練の虫である彼女の事だ。すぐに起きようとするのではないかとギルベルトなどは思っていたが、実際にはそのような事はなく、模範的な(?)病人であった。
シルヴィアにしてみれば当然の事で、他国の城で厄介になっていながら、病気になってしまった事だけでも申し訳ないと思うのに、この上無茶をして長引かせては更なる迷惑がかかると、おとなしく回復を待っていたわけである。
熱が下がり、ようやく起きて体を動かせる状態になったシルヴィアは、早速訓練場へと足を運び、愛用している訓練用の剣を振るった。
(ああ、やはり、こうしていると落ち着く。無心でいられる)
体を動かさずにただじっとしていると、国や部下達の現在の様子が気になったり、ランズウィックでの出来事が脳裏に甦ったりして、精神が不安定になってしまいそうになる。そんな時には、ふとクリストフとレイナルドの顔が思い浮かぶ。無理にそうしようとしなくても自然に浮かぶのだ。彼らがずっと側にいて、そうなるようにしてくれた。
その繰り返しで熱が下がるまでの数日を過ごしたもので、早く無心になりたかった。たとえ反感を持たれていようと、ノイエンドルフの騎士達と剣を交える方が、ただ寝ているだけと比べて何万倍も良い。
「なんだ。やっぱりお前だったのか」
ふと背後から聞こえてきた声に、シルヴィアは手を休め振り返る。
「おはようございます。エーレンフリート陛下。随分お早いのですね」
「ああ。早くに目が覚めちまったから、ギルベルトをとっ捕まえて俺の手合わせの相手をさせようと思ってな。で、部屋に行く途中だったんだが、ここに人影が見えたから、もしかしたらお前じゃないかと思って見に来たら、案の定だったってわけだ」
「勝手に訓練場をお借りしてしまって、申し訳ございません」
「いや。構わねえよ。しばらくは他の連中と打ち合えないからな。お前が心おきなくここで訓練できるのは早朝くらいだろ。好きに使え」
「ありがとうございます」
深く頭を下げてから再び剣を振り始める。エーレンフリートがそこにいる事など忘れているかのように集中している姿を見ていると、やはりこの女性はまず騎士なのだと思う。
そうしてそのまま二十分ほど経った頃、ふと手を止めたシルヴィアはエーレンフリートを振り返った。
「エーレンフリート陛下。陛下はギルバート卿と手合わせするつもりだったのですよね。伯を探さなくてもよろしいのですか?」
「ん?ああ、もういい。それよりお前、俺と手合わせしないか?」
「陛下と私で、ですか?」
「ああ。お前とはマドラル戦以来、剣を合わせていないからな。俺だけ出来ないのは不公平じゃないか」
「公平、不公平の問題ではないと思うのですが」
「そういう問題だよ。誰より俺が一番、お前と打ち合いたかったのに、その機会が全くなかったんだ。どう考えても不公平だろ」
どうやら真剣に言っている様子のエーレンフリートに、思わず笑みがこぼれる。
なんと率直に思っている事を口にするのだろう。何も言わず、全て一人で背負いこんでいるクリストフとは正反対だ。自国の王も、もう少し心の内を口に出してくれればと思う。……いや、レイナルドには話しているのかもしれない。それならばいい。エーレンフリートにギルベルトがいるように、クリストフにはレイナルドがいる。自分はクリストフが安心して本音を語れる相手にはなれない。そういう出逢い方をしてしまったのだから。
そんな事を考えていると、不意に頭に軽くコツンと何かが当たった。何事かとうつむいていた顔を上げると、エーレンフリートが訓練用の剣の柄で、シルヴィアの頭を叩いたのだった。
「お前、寝込んでいる間も、たまにそんな顔をしていたよな。ロニー達の事を気にしているのか?」
「いえ。そのような事はございません」
「なら、クリストフ王の事を心配しているのか」
「心配‥‥‥‥とは違います」
「って事は、やっぱりクリストフ王の事を考えていたのか。本当に四六時中、王が頭から離れないんだな。いくら騎士団長だからって、度を越していないか」
「ギルバート卿も、いつもエーレンフリート陛下の事を考えておられるように見受けられますが」
「そんなわけないだろ。俺込みかもしれないが、あいつの頭の中は、ほとんどが仕事で占められてるんだよ。まあ、たまには女の事も考えてるかもしれないけどな」
シルヴィアの反応を見ようと、わざわざ『女の事も考えてる』という言葉を強調してニヤリと笑う。ギルベルトがシルヴィアを意識しているのは明らかなので、さて彼女の方はと思ったのだ。しかし彼女はあっさりと「そうなのですか」と微笑みながら言う。
「全く興味なさそうだな。あいつも可哀想に」
声を立てて笑う。シルヴィアは意味が分からず、不思議そうにエーレンフリートを見た。
「まあいい。それより打ち合おうぜ。ギルベルトに見つかる前に」
「そうですね。分かりました」
嬉しそうに、そして不敵にニヤリと笑い、シルヴィアは訓練用の剣を専用の鞘に収めた。
そう。打ち合いを前に不敵な笑みを浮かべる、この姿こそがエーレンフリートの知る彼女だ。ドレスを着て可憐に微笑むのも、病床に伏しているのもシルヴィアらしくない。少なくともエーレンフリートはそう思う。
「では、参ります」
「ああ。来いよ」
エーレンフリートが構えたのを確認して、シルヴィアが居合の形で斬り込む。それを正面から剣で受け止めた。剣はエーレンフリートの手によってしっかりと握られており、飛ばされてはいない。
「っつ……病み上がりだっていっても、相変わらずのキレだな」
「ありがとうございます」
ひとこと言葉を交わし、シルヴィアの剣を弾くと、エーレンフリートは手首を返して脇腹の辺りに剣を叩きこもうとする。が、その時には既に距離を取られ、シルヴィアは再び鞘に剣を収めて構えていた。本当に病み上がりとは思えぬスピードだ。
「面白い。やっぱこうでなくっちゃな」
漠然としたものではあるが、人の機微に聡いエーレンフリートは、シルヴィアの剣に込められた想いを感じ取っていた。自らの理想の騎士になりたい。国と王を守りたい。その純粋な想いが彼女の剣には宿っている。故に卑怯とは無縁の誇り高さと、何ものにも屈しない強さがある。それが打ち合っていて伝わるから純粋に強さを競う事が出来、心躍るのだと思う。他の者と打ち合っても、こういう気持ちにはならない。
シルヴィアはエーレンフリートのようには人の心を感じ取る事は出来ない。それでも彼が剣の腕を競う事を心底楽しんでいるのは分かる。戦場でもそうであった。命のやりとりをしているとはとても思えない、陰惨さの全く感じられない剣だった。そんな彼との打ち合いをシルヴィアもまた楽しんでいた。




