『倒れたシルヴィア』
「!」
訓練場を出た途端、シルヴィアの体がグラッと揺れた。咄嗟に支えたギルベルトは、すぐにその体の熱さに気付く。
「シルヴィア殿。熱が出ているのではないか?」
「大丈夫です。少し、緊張状態が続いたので疲れはしましたが」
支えるギルベルトの腕を弱々しく掴み、かすれた声を押しだす。少しも大丈夫そうではない。これでは歩くのもままならないだろう。
「失礼」
そう言うとギルベルトはシルヴィアを抱き上げた。彼女は一瞬驚いた顔をしたものの、肩に手をかけた時のように極端な反応を示す事はなく、「申し訳ありません」と薄く微笑んで言った。
もう大丈夫だとは思うが、今夜はあのような事態もあり、シルヴィアを部屋に一人置くわけにはいかないと思い、ギルベルトは自室へと連れて行った。シルヴィアに貸し与えられている部屋では、何らかの理由で自分が目を離した隙に、誰が侵入してくるか分からないからだ。その点ギルベルトの部屋であれば、そうそう簡単に誰も入って来られない。公子の部屋という事で、家で雇っている衛兵が常についているし、それより何より『鬼のギルベルト』の部屋に侵入するなど、ノイエンドルフの人間であれば恐ろしくて出来ないのだ。
(なるほど。レイナルド殿が言っていたのは、こういう事か)
城に入ったばかりの頃は、クリストフ王とレイナルドがシルヴィアと一緒に寝ていたと言っていた。その意味が分かった。ランズウィック出身の彼女は、アルヴァナの人々に危険視されたのだ。復讐心を抱いているかもしれない、クリストフ王に仇為すかもしれないと。恐らくクリストフ王が保護する事に反対の声は大きかったはずだ。彼の王の目を盗んでシルヴィアを害そうとする者が出てくる事を危惧し、片時も離れないようにする為、レイナルドと二人で夜も一緒の部屋で寝ていたのだろう。
その話を聞いた時は、恋人でもない年若い女性と同じ部屋で寝るとはと、少々非常識とも思ったが、そんな次元の話ではない。邪な心など入り込む余地もない。ただ不遇に一人立ち向かおうとする彼女を守りたかった。それだけだ。それがよく分かった。
「ではシルヴィア殿。薬をもらってくるゆえ、ベッドに横になって待っていてくれるか」
「いえ。‥‥‥‥それは‥‥‥‥」
「どうした?」
「汗をかきましたので。汚れてしまいます」
「そんな事は気にしなくてもいい」
「そういうわけにはまいりません」
「はあ。本当に貴方は頑固だな」
溜息をつき、再びシルヴィアをひょいと抱き上げると、無理やりベッドに寝かせた。
「ギ、ギルバート卿……」
「シーツなど換えれば済む。いいから寝ていなさい」
「では、せめて着替えさせて下さい。あの、気持ちが悪いので」
「あ、ああ、そうか。すまない」
本当に恥ずかしそうに赤くなって目をそらすシルヴィアを見て、ギルベルトも急激に意識してしまった。今は彼女をベッドに寝かせている状態で、半分覆いかぶさっているような体勢なのだ。そう意識してしまうと、邪な心が入り込む余地がないなどと良識人ぶる事も出来なくなる。
(まったく俺は。相手は病人なんだぞ)
今夜はここで付き添うつもりなのに、この調子で一晩、耐えられるのだろうか?ビアンカに来てもらうか、とも思ったが、男の部屋に女性二人を泊まらせるのもどうかと思う。そもそもビアンカの事だ。寝ずに看病すると言い出すに決まっている。メイドとしての仕事もあるのだし、それでは今度は彼女が倒れてしまう。かといってエーレンフリートに頼むわけにもいかない。いくら親しい間柄とはいえ、臣下が国王に頼み事など出来るはずがないからだ。
「ギルバート卿?」
シルヴィアの声で、自分がまだ少々危ない体勢のまま、考え事をしていた事に気付く。不審に思われないよう、ゆっくりと立ち上がり、シャツを取りに行ってシルヴィアに差し出した。
「ひとまずこれに着替えておくといい。薬と一緒に、貴女の着替えもビアンカに取って来させる」
「はい。ありがとうございます」
よほど体が辛いらしく、素直に横になったまま軽く頭を下げる。それでも微笑するシルヴィアに、一瞬でも不埒な事を考えてしまった自分を、ギルベルトは恥じた。
そうしてギルベルトが出て行ったあと、シルヴィアは額に腕を乗せ、大きく息を吐き出した。
(これくらいで倒れるとは。騎士団長になって一年、自分に甘えが出てきていたのだろうか。こんな事ではクリストフ陛下に合わせる顔がない)
考えて、ふと思い出し笑う。このような事を言っては、いつもクリストフに叱られているなと。
『君が自分でどうあろうとしているかという事と、私が君にどうあって欲しいと思っているかという事は、また別だよ。勝手な判断で、私から離れようなどと考えないように』
真剣な顔でたしなめて、それからとびっきり優しい笑顔を向けてくれる。
ーですが陛下。私は陛下の様な騎士になりたいのですー
脳裏に浮かぶクリストフは苦笑いを浮かべている。何か言いたげに。
ーそんな顔をなさらないで下さい。陛下がたった今、仰った事です。
陛下が御自身をどう思われていても、私にとっては理想の騎士なのですー
クリストフは他国の商人の娘を救い、反逆者となって配下の騎士達を斬り捨て、自らの王を手にかけた。シルヴィアを気遣い、口に出しては言わないが、そんな自分を騎士失格だと思っている。だから理想だなどと言われても抵抗があるのだろう。いつも困ったように笑う。
(陛下‥‥‥‥)
こうして一人で考える時間が出来ると、クリストフの事を思い出してしまう。この時点で既に甘えているのだと思う。依存しきってきた今までの自分と決別しなくては。その為に、そしてより優れた騎士となる為に、ノイエンドルフに来たのだから。
恨みを真っ向から受け止める事、自分に反感を持つ者たちと剣を合わせる事は、それこそ修行になる。剣の腕も心も鍛えられる。今日は倒れたが、もうこのような醜態は晒さない。そんな決意を胸に、ひと時のまどろみに身を委ねた。
一方、薬と着替えを受け取りにいったギルベルトは、思いのほか部屋に戻るまで時間がかかり、早足で自室へと向かっていた。何故、時間がかかったのか?それは
「シルヴィア様、発熱されたのですか?!」
「ああ。まだノイエンドルフに来たばかりで、気候もアルヴァナとは違うからな。体調を崩したのだろう」
「本当ですか?」
「なんだ?何を疑っている」
「先ほど、とても急いでおられるご様子でシルヴィア様を探しにいらっしゃいました。なので、また騎士団の方達と何かあったのではないかと」
本当にこれはビアンカなのだろうか?とギルベルトは驚いた。シルヴィアが来るまでは、まともに話も出来ないといった感じで、いつもおどおどしていたのに。
「確かに一部の者が少々面倒を起こしたが、もう落ち着いたので心配しなくてもいい。シルヴィア殿の発熱は疲れによるものだろう。今夜はひと騒動あった事だし、私の部屋で休んで頂こうと思っている。故に着替えと薬を……」
「……え?ギルベルト様のお部屋で?」
「ああ、君の言いたい事は分かる。しかし当面はやむを得まい。いつ何時、血迷うバカ者が出てくるかしれんからな。君とも約束した通り、私にはシルヴィア殿を守る責任がある。彼女の身を守る為には、そうして頂くのが一番……どうした?何を赤くなっている?」
「え!?あの、ギルベルト様の前で緊張しているだけ……です」
「おかしな娘だな。シルヴィア殿が来られてからは、接する機会も増えたというのに、今更」
そうしてギルベルトが笑うものだから、ビアンカは益々赤くなる。元々内気で恥ずかしがり屋なので、ギルベルトも殊更訝しがらない。お陰で下手に追及されずに済んだ。言えるはずがない。あらぬ想像をして赤くなったなどと。
「あ……あの、ギルベルト様。私もシルヴィア様のご様子を見に行きたいのですが」
シルヴィアの世話係としては当然の申し出だ。本来なら受けるのが筋だが、シルヴィアの事だ。ビアンカに心配をかけまいと、恐らく無理をして元気に振る舞うに決まっている。なので
「君は明日も仕事があるだろう。そもそもが休んでいた所を起こしてしまったのだ。シルヴィア殿の事は私に任せて、君は寝なさい」
と、もっともらしい事を言った。が、
「その、ギルベルト様は男の方ですから、お体を拭いて差し上げる事は出来ないと思うのです!ですから」
説得力のある反論で食い下がられてしまった。真面目なギルベルトは嘘やごまかしが苦手だ。故に出来るのは論点のすり替え。
「君は私の部屋で一晩過ごすつもりなのか?存外、大胆だな」
我ながらあざといと思いつつも、恥ずかしがり屋のビアンカに付け込んで、こういった論法を用いたのだが、これが予想外に効果があったようだ。ビアンカは、この上まだ赤くなれるのかと思う程に赤くなり、「滅相もございません!」と頭を下げた。
(それにしても本当に内気なのだな。これほど恥ずかしがるとは)
ギルベルトは知らない。自分とビアンカがメイド達の間で噂になっており、その為に彼女が自分を意識するようになっているとは。まあ知っていたとしても、このような性格の女性と遊ぶわけにもいかないし、身分が違い過ぎるので、無論本気で伴侶にしようなどと考えられるはずもない。ギルベルト本人の気持ちがどうこうと言うより、家の問題だ。ギルベルトは自分で伴侶を決められる立場にない。だからこそ今まで本気で女性と付き合おうと思った事はなかったし、これからもないと思っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
私はここに投稿を始めるまでは、ほぼ友人限定で小説を読んでもらっていたのですが、その友人達に「恋愛ものは書かないの?」と聞かれ、また読んでみたいと言われた為、この作品を書き始めました。
恋愛がメインになっていれば恋愛ものだろうという認識で書いているので、こんな感じでいいのかな?と疑問をおぼえつつ進めています。何か違う気もしつつ。
そういう前提があるので、基本的にこの作品はシルヴィアが愛されまくりますが、そういう『とにかく主人公が謎にモテる』話が苦手な方はすみません。イチャイチャが好きな方もすみません。恋愛ものとしては甘さが足りず、戦記ものとしては規模の小さい話ではありますが、今後もお読みいただければ幸いです。




