『騎士としての覚悟の差』
一足先に訓練場に向かった一行は、しばらく無言で立っていた。エーレンフリートはシルヴィアの隣に立ち、テオドールは一人離れた場所で、シルヴィアに対して憎しみの視線を向けている。
「‥‥‥‥なあ、お前、大丈夫か?」
ふと、エーレンフリートが前を見据えたまま声を掛けた。その言葉に対し、シルヴィアは不思議そうな表情でエーレンフリートを見上げる。
「何がでございましょう?」
「一昨日も昨日も、ろくに寝ていないだろう。その状態で、うちの騎士団相手に一人で手合わせして、疲れていないはずがない。そこへきて真剣を持った相手とやりあおうっていうんだ。それを許したのは俺だが、こんな事は今回限りにしろよ。いい加減、倒れてしまうぞ」
「お優しいのですね」
「そうか?ギルベルトの方が露骨に心配しているだろ」
「そうですね。ギルバート卿もお優しい方だと思います」
「それ、団員の皆が聞いたら一斉に反論するぞ」
「何故ですか?」
「あいつは『鬼のギルベルト』で通っているからな。普段の訓練の厳しさとか、団員や、あまつさえ俺にまで素行について細かく注意してくるところとか。あと何より内乱の時の戦いぶりだな。ガキの頃から知っている俺でも、見た事のない顔で戦っていた」
「どのようなお顔をされていたのですか?」
「正に鬼の形相だよ。怒りに満ちた顔で、見知った顔の人間を無言で斬り捨てていった。俺が止めても聞く耳を持たなかった」
「陛下は、そこで制止に応じなかったギルバート卿を責めますか」
「いいや。あいつは俺や前王、親父の為に、色んな感情を押し殺して戦ってくれたんだ。責められるはずがない」
「……味方だと思っていた、見知った顔の者達を斬る心情は、いかばかりなのでしょうか。私には推し量れません。エーレンフリート陛下も、ギルバート卿も……そして我が王も」
「え?」
隣に立つシルヴィアの表情が哀しげに曇る。
確かにクリストフ王は前王に反旗を翻したのだから、仲間も多く斬ったのだろう。シルヴィアはその様子も見たのだろうか?それで騎士を志す、というタイプにも見えないが。現にこうして哀しげな顔をしている。
「お前は本当に、クリストフ王に心酔しているんだな」
「私は、あの方に全てを捧げると誓ったのです。私の命も、誇りも、何もかも我が王のもの。一生、この気持ちは変わらないでしょう」
「全て?体もか?」
「はい。勿論この身も」
「意味、分かってるか?俺が言っているのは、ベッドを共にするのかって意味だ」
半分からかうような気持ちで言った。クリストフとのやりとりからすれば、てっきり赤くなって否定するのかと思っていたのだが、しかし、一度大きく目を見開いてエーレンフリートの顔を凝視した後、シルヴィアは瞼を伏せてうつむき、やがて目を開いて無表情にこう言った。
「あり得ません。我が王がそれを望む事など」
「万が一、望まれたら?」
「万が一もあり得ないのです。が、そうですね……もし私が最初からアルヴァナの騎士であったなら、そういった事もあったかもしれませんし、私も応じていたでしょう」
「騎士の役目として?」
「いいえ。我が王の望みだからです」
やはりランズウィック出身という点に、何か引っかかりがあるらしい。そうでなければ情人にさえなると断言できるのだから、クリストフ王に対しての愛情はあるのだろうに、その気持ちを捨てなければならない程の何かが。
エーレンフリートが探るように見ている先で、シルヴィアは大きく息を吐き出し、表情を和らげると、不意にクスッと笑って再びエーレンフリートを見た。
「おかしな事を訊かれるのですね。私をリラックスさせようとしてくださっているのですか?」
「リラックス出来たのか?」
「間違いなく気分転換にはなりました」
ニコッと微笑む。そもそも集中していた精神を乱したのは自分であったような気がするのだが。人がいいのか、再び集中する為に会話を中断させようとこう言ったのか。それを確認する間もなく、ギルベルトが訓練場に姿を現した。
「エーレンフリート様。間もなく皆、参ります」
「そうか。……ギルベルト」
「は」
目でギルベルトに「来い」と合図を送り、エーレンフリートはシルヴィアから離れて訓練場の端へと移動した。
「ギルベルト。忠告しておくぞ。あいつの邪魔はしてやるな」
「と申されましても、シルヴィア殿の滞在中、あの方を守る責任が私にはございますゆえ」
「そんなもの俺にだってある。その上で言ってるんだ。ここでお前があいつを庇ってテオドールやロニーを斬るような事にでもなれば、もうアルヴァナとの不可侵条約どころの話じゃなくなる。俺やお前が何を言っても、うちの連中の心からアルヴァナに対する不信感は消えなくなるだろう」
「では、シルヴィア殿の身に危険が及んでも傍観しろと?」
「俺が言っちゃいけない事だろうが、あいつは、うちの連中には負けないだろうよ。俺やお前以外にはな」
「根拠は?と聞いても無駄でしょうね」
「そういう事だ」
戦場で生死を賭けて剣を交わしたからこそ分かる何かが、エーレンフリートにはあるのかもしれない。自分と同レベルの腕の持ち主だからとか、そういったものではなく、もっと精神的な何か。ギルベルトはそう思った。
「分かりました。テオドールが卑怯な手段を用いない限りは、傍観しましょう」
「頑固な奴だな」
「とっくにご存知でしょう。そのような事は」
「だな」
示し合わせたように二人でシルヴィアの方へと目をやる。彼女は目を閉じ、精神を統一している様子だ。その顔は騎士としてのものになっている。
やがて副団長のロイスがロニー他、多くの騎士団員を連れてやってきた。その中には、ノイエンドルフ騎士団で一番早くシルヴィアに理解を示したであろうルディも、当然いる。
「エーレンフリート陛下。ギルベルト団長。仰せに従い、ロニーを連れて参りました」
「悪いな。もう休む時間なのに。ロイスは戻って休んでいいぞ」
「いえ。陛下のお許しが頂けるのであれば、私もこの場で見届けたく存じます。いざという時、私でもお役に立てる事はございましょう」
「お前もか。まったく、どいつもこいつも」
ロイスも、テオドールやロニーが早まった事をしでかし、シルヴィアに危険が及ぶ可能性を懸念しているらしい。無論エーレンフリートも、そういった可能性は考慮している。が、それでも尚、シルヴィアは大丈夫だと思えるのだ。根拠などない。ただ彼女はクリストフのいない場所で、彼の王の目の届かない場所で、何者にも膝を屈するはずがないと思うのである。
人が揃ったと見たシルヴィアは、中央に進み出て訓練用の剣を専用の鞘に収め、エーレンフリートとギルベルトを、次に騎士団員達の方を見た。
「ではテオドール殿、ロニー殿、始めようか」
「お前はその剣でやるつもりか?舐めやがって」
「私はあなた方を斬りたいわけではない。真剣を使う理由などない」
「何だ?じゃあ命にかかわらない程度に斬られて詫びようってのか?怪我したら陛下が止めるだろうって魂胆か。それで同情を引こうと。ふざけんな!」
「斬られるつもりも微塵もない。もう言葉はいらないだろう。来られよ」
だんっ!と音を立てて足を踏み鳴らし、シルヴィアは威嚇した。その足元から闘気が立ち上ったような錯覚を、皆が覚える。
晩餐会での騒動の際や訓練の時も充分に気迫が感じられたが、今の彼女はノイエンドルフに来てからのどの時よりも、騎士団長としての威厳に満ち溢れている。気押されているのを自覚しながら、今更引くに引けないテオドールは、気合いの叫び声と共にシルヴィアに向かっていった。
訓練時とは違い弾き飛ばす事はせず、テオドールの剣を払って、返す刀でわき腹に訓練用の剣を叩きこんだ。真剣であれば確実に必殺の一撃であっただろう勢いで。苦痛のうめき声を上げて倒れ込んだテオドールに代わり、間髪を入れずにロニーが斬りかかる。それを剣で受け止め、腹部を蹴飛ばすと、態勢が崩れた所へ更に剣を叩きこむ。
倒れた二人を見下ろす紅い瞳が、戦場での姿を思い起こさせる。テオドールとロニーのみならず、見守っている他の騎士団の面々も、そのシルヴィアの迫力に圧倒された。訓練の時とは違う、相手を倒す為の剣。隙がないどころの話ではない。目を合わせただけで全身を斬り裂かれるような錯覚すら覚える。
それでも憎しみと意地で、二人とも何度もシルヴィアに斬りかかった。同時に剣を繰り出そうともしたが、一瞬の内に片方の懐に入り剣を叩きこむと、すぐにもう一人の方と対峙する。戦場でも一対一か、複数相手に一人で戦っていたとエーレンフリートが言っていたが、それが本当だったのだと身をもって知った。同時にかかって来られた際の冷静な対処ぶりが、こういった局面に慣れている事を物語っている。
そうして何度も倒されては立ち上がって向かって行き、また倒されて、テオドールもロニーも、ついには動けなくなってしまった。全身を打たれまくって、恐らく骨をやられている個所もあるのだろう。憎しみや意地では補いきれない痛みに、気力も尽きてしまったのだ。その頃にはシルヴィアも肩で息をしていたのだが、それにすら気付かない程に。
「はあ‥‥‥‥はあ‥‥‥‥くそっ!これでお前を許すと思ったら大間違いだぞ。覚えてろ。俺は命ある限り、お前を許さない」
テオドールが言う。それを聞いたギルベルトがシルヴィア達の方へ一歩足を踏み出したが、エーレンフリートがそれを制し、自らが三人の所へ歩み寄った。
「なあ、テオドール。まだ分からないか。この女が、どんな思いでお前達の憎しみと正面から向き合ってくれているのか。自らは剣を取らず、真剣を持った男を二人相手にして、今なお立っていられる理由も」
「俺は人間です。悪魔の考えなんか分かるはずがない」
その答えを聞いた瞬間、怒ったエーレンフリートはテオドールの胸倉を掴んで無理やり立たせ、握りこぶしを作るとそれを顔面に叩きこんだ。
「っつ‥‥‥‥陛下。何を‥‥‥‥!」
「とことん情けねぇ奴だな、おい。騎士団長とはいえ、まだ二十一でしかない女相手に。しかも単身で過日、戦をした国に来ている奴に。自分が殺した相手の肉親と正面から向き合う事の怖さがお前に分かるか?俺には分かる。例えばビアンカだ。直接ではないにせよ、俺たち前王派があいつの両親を殺した。あいつ自身も殺されそうになって、それでも恨み事も言わず、よく働いてくれている。同じ国の人間だからといって、いや、身近だからこそ余計に許せないと思う事もあるだろうに。いつも、どんな思いを抱いて俺に仕えてくれているのか、考えただけでいたたまれなくなる。本当は俺が憎いんじゃないのか。復讐する度胸と術を持たないから、辛い思いを隠して、ただ我慢して仕えてくれてんじゃねぇかってな。両親が殺された直後から、俺の顔を見続けて日々過ごしているビアンカが耐えているのに、お前ら大の男が、しかも騎士のクセに耐えられねぇか」
「ビアンカ?あの女は確か、両親が反国王派だったから殺されたんじゃ。陛下のせいではないでしょう」
「そうだ。国の事情で、反乱勢力は潰さなければならなかった。あいつの両親が憎かったからじゃない。あいつの両親も、別に俺個人が憎かったわけではないだろう」
そこでテオドールもロニーもハッとした。ビアンカが、両親が殺されたからとエーレンフリートを恨むのは筋違いだと言いながら、自分たちは家族や仲間を殺されたからと、シルヴィア個人を恨んで非難している。それを言いたくて、エーレンフリートはこんな話をしているのだ。
ビアンカだけではない。罪のないメイド達が巻き込まれて多く死んだ。その者達が自国の騎士団を恨んでいても不思議はない。そして恨みを向けられたなら、「あの時は仕方がなかった」と言い訳をしてしまうだろう。自分たちであれば。が、シルヴィアは一切言い訳をしない。ただ恨みを真っ向から剣で受け止めている。あくまでも騎士としての務めを果たした自分に、言い訳をする必要を感じていないから。そして家族や仲間を殺された者に恨まれるのは、人の命を殺める仕事をしている者として、受けて当然だと思っているから。
ロニーが見た、聞いた、晩餐会でのシルヴィアの言動。テオドールが他の者から聞いた訓練でのシルヴィアの様子。そして庭でのやりとり。騎士としての誇り高さ、気高さは特級品だ。人を殺しておいて罪悪感はないのかと憎悪を覚えたのだが、それは違う。ただ騎士であるだけなのだ。同じ騎士でありながら自分たちとは覚悟が違い過ぎる。それが直接、力の差となって現れているのだという事に、今更ながら気付かされた。
事態が収拾したとみて、その様子を黙って見守っていたギルベルトもエーレンフリート達に近付く。見ると、シルヴィアの顔が若干紅潮している。まだ息も整っていないようで、やはり真剣を持った、しかも恨みを向けてくる相手と、二対一で真正面から何時間も戦い続けるのは大変な消耗を強いられたのだと分かる。
「ギルベルト」
「は」
「部屋までそいつを護衛してやれ。もう大丈夫だろうが念の為にな」
「分かりました。シルヴィア殿。行こうか」
「はい」
エーレンフリートがこう言ったのは、当然シルヴィアの様子に気づいていたからだ。ギルベルトもシルヴィアもそれと知って、黙って従った。そうして場を離れる際、シルヴィアは黙ってテオドールとロニーに頭を下げて行った。




