『微睡の中で』
廊下に出たシルヴィアは、まずエーレンフリートに向かって頭を下げた。
「エーレンフリート陛下。ありがとうございます」
その礼の意味を量りかね、エーレンフリートは首を傾げる。
「何がだ?」
「これ以上は私の体力が保たない事を見抜いて、騎士団の方々の手前それと気取られぬように、訓練場から連れ出して下さったのではありませんか?そもそもギルバート卿との打ち合いをあそこで止められたのも、そういった意図があってのことだと思ったのですが」
「‥‥‥‥意外だな。分かっていて納得したのか」
「残念ですが、あれ以上続けていると私の動きは格段に低下します。まだまだ鍛錬が足りない証拠ですね」
「そんな事はねえだろ。うちの騎士団百人抜きした後に ギルベルトとやり合って、まだ足りないなどと言われたら、俺らの立つ瀬がなさすぎるだろ」
「そうですね。失礼しました」
クスクスと笑って言う。本当に剣を振るっている時とは別人だ。
鍛錬が足りないと言うが、恐らく戦場ではその緊張感と集中力から、実際より体力は長く保つだろう。
エーレンフリートの剣は変則的で、そのおかげで彼女の武器の急所を突く戦い方とは相性が良く、武器を破壊される事はないが、そのスピードはかなり厄介だった。ギルベルトですら手こずるほどなのだ。恐らく彼女が本気を出せば、ノイエンドルフの騎士団は深刻なダメージを受けてしまうだろう。ギルベルトから聞いた話では、クリストフはそれ以上の実力の持ち主だというのだから恐ろしい話である。つくづく不可侵条約を結ぼうと申し出てもらえて良かったなどと思った。
先の内乱で騎士団員の主だったものも多く死に、人数だけは新規に入団してきた者でそれなりに補えたものの新人も多く、戦力としては内乱前に比べれば格段に劣る。先のマドラル戦で楽勝だったのは、単にマドラルが弱かった為だ。そういった事情もあり、シルヴィアの存在が刺激になってノイエンドルフの戦力強化が出来れば……最初からそう思って不可侵条約締結に同意したわけではないが、結果的にそういった面でも正解だったのだと思う。
その後エーレンフリートは政務があるので政務室へと移動し、シルヴィアは一度部屋へ戻ってシャワーで汗を流してからギルベルトの部屋へ行った。
中に入ると、そこにクリストフの姿があった事を思い出し、自然と笑みが漏れた。それを見てギルベルトが首を傾げる。
「どうかされたか?」
「いえ。ただ、最初にノイエンドルフを訪れた時も、この部屋に通して頂いたなと思い出したのです。我が王には驚かれたでしょう?」
「そうだな。あの方が王になった経緯を知って、もっと険しい顔をした厳しい人物だと勝手に想像していたが、何かこう、とらえどころのない方で驚いた」
「レイナルドに聞いたところによると、元々は今と少し違ったそうです。剣の腕は不世出の天才だと誰もに認められていたとの事ですが、年齢に見合った未熟さもあったのだと。騎士団の中でケンカをした事などもあったそうですよ」
「それは想像がつかないな」
「ギルバート卿は、そういった時期はなかったのですか?」
「あいにく私は公爵家の跡取りで、代々王の側近を務めてきた家系でもある事から、ケンカをするほど親しく接してくる者はいなかった。あえて言うならばエーレンフリート様が唯一そういった対象だったが、何しろ相手は王子で、今度は私の方が気安く出来る立場になかったわけだ」
「なるほど。そういった意味では我が王より、ギルバート卿より、エーレンフリート陛下が一番お寂しい立場にあったのですね」
「寂しい?‥‥‥そうか。そうであった可能性もあるのだな」
「ギルバート卿は寂しくはなかったのですか?」
「私は生まれた時から、後にエーレンフリート様の側近になると決められていた身なのでな。学ぶことも多く、遊ぶ余裕も寂しさを感じる余裕もなかった」
「私には想像もつかない世界です。子供の頃は遊びまわっていましたから」
「そういえばビアンカから聞いたが、城に入る前は家の手伝いをしていて、料理が得意だとか」
「得意と言うほどでは。ただ商人の娘でしたから、両親が忙しかったもので、家の事は私が担う事も多かったのです」
「それはそれで失礼ながら想像がつかないな」
剣を携えて立つ姿があまりにも様になる上に、鬼神の如き強さも備えているので、家事をする姿は想像がつかなかった。恐らく今の彼女しか知らない者なら皆、同じ感想を持つだろう。が、そのギルベルトの反応に、今度はシルヴィアが首を傾げる。
「そうなのですか?」
「ああ、いや。まず商人の娘という時点で意外な気がしたのだ。貴女は生まれついての騎士という雰囲気を持っておられるから」
「エーレンフリート陛下にも商人の娘である事が意外だと言われました。自分では分からないのですが……生まれついての騎士であるように見えるというのは、とても嬉しい言葉です」
そう言って本当に嬉しそうに微笑む。その柔らかい笑顔に、話の内容に似合わずギルベルトは和み、自らの表情も緩んでしまっている事を自覚して少々恥ずかしい思いがした。
「ああ、そうだ。ビアンカに茶を頼んでこよう。少し待っていてくれ」
気恥ずかしさをごまかす為にそう言い、実行に移すためにギルベルトは部屋を出て行った。
まったく、鬼の騎士団長と呼ばれる自分が。これではまるで女性に免疫のない少年のようではないか。しかし、このような感情など自分でコントロール出来るものでもなく、その時の己の表情や態度も確認できない。ただ皆の前で態度に出ていない事を祈るばかりだ。それにしても……
(これほど女性に心乱される日が来るとは)
最初に戦場で、次にマドラルで見た彼女は、どちらも返り血を浴びて不敵に笑っている印象しかなく、美しいという認識はあっても、それだけでしかなかった。クリストフに頭を撫でられたり、からかわれたりして赤くなっても、自分と同じ騎士団長で、なお且つ国王のお目付け役という立場にある、お硬い女性なのだと思っていた。しかしそのイメージがあったからこそ余計に、昨日真紅のドレスに身を包んだ姿で現れた彼女に驚き、純粋に女性としての美しさを感じてしまったのだろう。そして悲惨な過去を持つにもかかわらず、くじける事なく前を向き、努力を重ねて今日の地位を手に入れた強さ、騎士としての志の高さと誇り、剣を振るう姿、どれも尊敬に値するものであると同時に心打たれた。おまけに平時の彼女は真面目で優しく、花を愛する可憐な女性なのだ。何かとギャップの塊で、そこに心乱されてしまう要素がある。
あのように凛とした美しさと、可憐な美しさを持ち合わせた女性など、今までお目にかかった事はない。
(こうなると不可侵条約はありがたい。過去の経緯を知り、シルヴィア殿の為人を知った今となっては、戦場で見えて斬り合うなど想像しただけでも憂鬱になる。お互い出来ないでは済まされない立場だしな)
シルヴィアも自覚している通り、戦場で会ったならば、油断しない限りはギルベルトの勝ちは揺るぎないだろう。短時間であれば拮抗している力も、長時間になれば体格と、それに伴う体力の差が出てくる。それは命を賭けた戦場では致命的なものとなるのだ。
……あくまでも一対一という条件下の話だが。
王の為、国の為に戦うのは騎士の務め。なのに戦いたくない相手などというものに出逢う日が来るとは、生真面目な騎士団長は思ってもみなかった。
その頃シルヴィアは、疲れからテーブルの上に突っ伏していた。
別に稽古で倒れてもいいと思っていた。他国の騎士団員の前で騎士団長である自分が倒れるなど、本当はあってはならないのだろうが、弱音を吐くよりはいいと。何より自分が真剣であることが、それで伝わるなら。
しかしエーレンフリートはシルヴィアの限界を察知し、体裁を整える為に自らギルベルトとの打ち合いを止めてくれた。そしてシルヴィアの訓練を打ち切り、休むように促してくれた。あくまでも王の命令という形で。
口調や態度は砕けていても、細かい所まで目が行き届き、人を思いやる心を持った立派な王だと思う。父王を内乱で失い、親しい人と戦い殺し、若くして王にならざるを得なかった人なのに。
(クリストフ陛下も、今のエーレンフリート王と同じくらいの年で王になられたのだったな。私さえいなければ、陛下は決起しなかったのだろうか?)
五年前から思い続けている。自分の事がキッカケでクリストフは決起したのだ。騎士でありたかったのに、その立場を捨て、重い責任を若くして負う事になった。自分がクリストフの自由を奪ってしまったのではないか、と。
(陛下……私はここでギルバート卿から色々学んでいきます。そして自立する心を持って帰ります。陛下やレイモン様に負担や心配をかけなくて済むように)
クリストフの温かい笑顔が浮かぶ。今すぐアルヴァナに帰ってクリストフの胸に飛び込みたい気持ちはある。だが、そんな気持ちを捨てなくては、彼がいつまでたっても自分に縛られたままになってしまう。それでは妻を娶る事も出来ない。世継ぎも出来ない。国の安泰を保つ為の障害に、自分がなってしまうのは嫌だ。
レイナルドにしても同様。彼もシルヴィアを守る為に名を変え、いつも見守ってくれている。自分の人生を捨ててまで。
(私は大丈夫……大丈夫です。だからお二人とも、心配しないで下さい)
そうしてギルベルトが戻ってくるまでの、ほんの短い時間、まどろみの中でシルヴィアはクリストフとレイナルドの夢を見た。いつものようにクリストフがシルヴィアを抱きしめ、レイナルドが呆れてそれを見ている。そんな夢を。




